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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・余白余録

2016年08月24日 04時48分22秒 | メッセージ
藤巻充著「土の器の中の宝」日本ホーリネス教団発行 253、254頁
「この栄光の福音を、わたしたちが破れて、弱って、病気になって、本当にどうなってしまったのかわからないような土の器にもっているとしますならばどうなるでしょうか。それが7節のところに記されています。「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。 いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。」(コリントⅡ4:8~10)これは信仰というものが、イエス・キリストと一つになる、あのイエス・キリストの十字架、あのイエス・キリストの苦難を喜んで受け止めていきますように、そのイエス・キリストの復活にも与ることが出来ると言う勝利の宣言が語られているのです。」

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牧師・ミニチャーチ集会(兼祈祷会)(要約)

2016年08月23日 05時42分01秒 | メッセージ
・祈りの課題の祈祷
・聖書:主牧 ヨハネ6:54「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」現今、各地のおいしい物の「発掘」で、テレビの主テーマになっていないでしょうか。だれでも抵抗なく、好めば自由に出かけて楽しむことが、できるからでしょう。安心と安全と郷愁と旅を含んでいるからでしょう。しかし、「食」を造られて、楽しませてくださって、キリストがまことの肉であり飲み物である事に、何人が気づき教えられ、日毎の霊の糧、飲み物としているでしょうか。
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牧師・礼拝説教(要約)

2016年08月22日 05時16分28秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 8月14日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ゼカリヤ4:1~6
・説教題  「人ではなく神の霊」
▼ゼカリヤ書の背景
 前538、ペルシャ王クロスが、真の神に感動を受けて、捕囚にしていたユダヤ人に解放令を出しました。費用まで出して国に神殿再建をも許可したのです。この間約70年、エレミヤの予言は成就したのでした。喜んでユダヤ人は祖国と神殿再建にとりかかりました。
 しかし、現地のサマリヤ人、モアブ人との策謀、摩擦や妨害にあって、神殿再建と完成は頓挫されたまま長期間延期されていました。この中にあってハガイ、ゼカリヤ、マラキは神殿の完成の重要性を説いたのです。
▼キリストの再臨、御国の到来が切迫し期待するキリスト者たちが、同族や他の人々に、熱心に伝道し、教会建設に当たっているキリスト者の戦いと同様ではないだろうか。人々が、「同調」しないで、建てている「神殿」を憎んでおりました。その時、
ゼカリヤは神からの御告げを告げられました。
 6節『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』なされると。
▼教会建設に必要なのは確かに人集め、力、金力は見えるものの大事な要因となります。ただしそれは、神の霊によってでなければならないのです。当教会もそのように建てられ、外にも人材を派出していることは幸いな証となっております。これから盛り返され、完成させてくださることを切願しております。
▼大事なことは神の前に建てる人でなければならない。それは「ゼブバベル」神に油注がれた人。みことばに仕え精通している人であるべきこと。彼は同族愛に満たされていました。
 大切な神殿、諸建築は基本精神が優先していることです。教会建設はキリストの教えと力に依存されてのことです。神の霊(聖霊)によらなければ、単なる人間の集まりだけにしかなりません。建物の立派さ、人数の多寡で決まるものではないのです。現今、どうしても世の影響を受けて効果主義、人間の動向に動かされて、教会建設は本来の霊性が混濁されていて、盛んのようでありながら、無力にされていて、これこそが本物だと在来の信仰者を誘導しようとさえしているのです。
 神の霊の働きは静かで目立たなくとも、実を生みだす力です。私たちが改善されて、更に神の霊が、キリストを通して証しされますように。当然、変えられ、工夫すべきところは造り変えられつつ、神の通り良き管とされてまいりましょう。
▼主の霊によって証しされるお互いに。
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牧師・エッセイ 

2016年08月21日 16時23分48秒 | メッセージ
『私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。罪人らが地から絶え果て、悪者どもが、もはやいなくなりますように。わがたましいよ。主をほめたたえよ。ハレルヤ。』(詩篇104篇34~35節)

祈 り
☆先聖日、来会された十和田教会員のため。
☆9月の予定表が出来ております。
☆北関東聖会の宿泊の場合、予約は9/4まで。
☆病んでいる方々のために。
☆主牧のインマヌエルリーフ戸別配布は、現在立伏のグリンタウンになされております。

♪今週半ばの集会♪
8月23日(火)聖書に学ぶ会   10:30~
8月25日 (木)ミニチャーチ集会   11:00~  
8月27日 (土)公園CS     15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
25日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661

ガーデンスポット
 むくげ  さるすべり  
  

教会学校金言☞ 『わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。』(ヨシュア記1章9節) 共にいてくださるとの神の約束を信じ希望と喜びをもって歩むことを学びました。

次聖日の礼拝説教   ヨハネの福音書15章1節~17節「まことのぶどうの木」
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牧師・余白余録

2016年08月17日 06時30分05秒 | メッセージ
ビリーグラハム著「世界は燃えている」pp350
―天国の市民―
 キリスト者にはこの世の人々が出会う一般的な運命が、特に免除されているというわけではありません。私たちは、他の人々のように苦しみ、困難にあうように生まれているのです。不況が訪れると、私たち失業するかもしれません。戦いが激しくなると、私たちは危険に陥ります。私たちは、他の人々と同様な多くの精神的な問題を抱えています。このように、私たちは、現代の世に対して関心を持たなければならないのです。私たちは、私たちの隣人たち―彼らは信者であろうと未信者であろうと―を助けるために、最善を尽くさねばなりません。
 しかし、天国を期待しているキリスト者は、この世においてすら、ある種の特権を持っているということは真理です。…
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牧師・三浦綾子読書会(要約)教会

2016年08月16日 05時35分57秒 | メッセージ
・読んだ著書の箇所:「道ありき」(十四)
「…12章に及ぶこの伝道の書は、この調子で何もかも空なり空なりと書いてある。私は少なからずキリスト教を見直した。そしてまた、お人好しに見えるクリスチャンを見直したのである。
 この地上にある一切を、すべて空しいと、徹底的に書いてあるのは確かにキリスト教らしからぬことに思えた。いったい何のためにこんなことを聖書に書いてあるのかと、わたしは不思議に思った。聖書と言うものは、それまでの2,3か月に読んだ限りでは、『互いに相(あい)愛(あい)せよ』とか、『人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ』などという教訓に貫かれているもののように思っていた。だから伝道の書のこの虚無的なものの見方は、私にキリスト教全体を見直しさせた。」
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牧師・礼拝説教(要約)

2016年08月15日 13時01分18秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 8月7日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 詩篇16篇1~11節
・説教題  「動かすな嗣業の地を」
▼お互いは、教会に来てキリストへの信仰へ導かれ、多くの恵みと愛、助けと養いと受けてまいりました。ある方は40年近く同道させていただきました。同じ霊の仲間となり、師弟となって過ごしてこれたのは幸いでした。切磋琢磨の面、造られ、見習うことが上下を問わず、あったことでした。一人のキリスト者が仲間や教師に従う形をとり、造られてゆくことは、健全であれば、得難い特権であるはずです。ありのままの起承転結を見てもらって、何事も与えられたまま、出来たままの教会形成でした。
▼ダビデはこの6節「測り綱は、私の好む地所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ」と歌っている時、彼は王となりましたから、ユダ、イスラエルの全地がそうと言え得たのです。長い間、自分や家族、仲間と過ごしてきた地は、神から賜った地ですから特別な思いで祝福された所となりましょう。主イエスの御からだである教会形成において、なお然りです。
▼ナオミはモアブから故郷のベツレヘミにルツを連れてもどりました。ルツは異邦人でしたがモアブに残れと奨めた義母のナオミに「あなたを捨てて、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まわれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」と言いました。おお、こんな嫁がいたならば、神も人も、全財産を託しても惜しくはないでしょう。
▼ゆずりの地とは何でしょう、何処でしょう。神が摂理で導かれた地に違いありません。その方々は家族以上のように導かれた人々に違いありません。キリストの頭・体である教会をそこに形成するはずです。人間的な願望や条件で出来ておりません。世の集合体では、キリストに従い通すことは出来ません。十字架の道で必ず躓き、復活を信じない集合体となりましょう。
▼この詩の作者ダビデは、曾祖母ルツの血を引きました。聖い血の譲りの地は、敬虔でみことばに忠実な者のみが受けるはずです。
 私たちはみことばから、神は万有の創造者であられながら、キリストに現わされた愛で、恵み深いことを経験してきました。したがって、互いに励まし、喜び合うことを努めてましょう。神は真理に従って生きる者を尊く愛し、おろそかにされないのは当然です。
 この詩篇作者ダビデも、王位に就くまでは、いのちからがらの生涯でした。皆様も多かれ少なかれ、十字架を担い、あざけられ、苦楽を共にしてきた方々ばかりのはずです。
▼ゆずりの地を揺るがない、主イエスの基に建てあげてまいりましょう。
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牧師・エッセイ 

2016年08月14日 15時38分38秒 | メッセージ
『主は家畜のために草を、また、人に役立つ植物を生えさせられます。人が地から食物を得るために。また、人の心を喜ばせるぶどう酒をも。油によるよりも顔をつややかにするために。また、人の心をささえる食物をも。』(詩篇104篇14~15節)

祈 り
☆猛暑の中、皆様主に支えられますように。「お盆」節です。霊肉の礼節が守られますように。殊に血族の方々の救いを思いましょう。
☆インマヌエルリーフを配られている地域、緑が丘団地、宇都宮市上田原「自由が丘」団地、宇都宮立伏(りゅうぶく)グリンタウンです。
☆構内上の砂利の駐車場、長岡街道歩道に接する丘裾の雑草刈りなどを先週牧師方でしております。
☆オリンピックが報じられ、観戦しながら、信仰の励ましや教訓をもらっておられると存じます。

♪今週半ばの集会♪
8月18日 (木)ミニチャーチ集会   13:30~  
8月20日 (土)公園CS     15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
18日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661

ガーデンスポット
むくげ  さるすべり  セミ各種
  

教会学校金言☞
 『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』(申命記6章5節) 「十戒」の教えを守り、まことの神だけを礼拝する者となることを学びました。

次聖日の礼拝説教   詩篇126篇1節~6節「涙の種まき」
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牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2016年08月11日 06時17分39秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。マルコ6:1~6a「イエスの故郷ナザレの人々」
6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
6:2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。
6:3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
6:5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
6:6a イエスは彼らの不信仰に驚かれた。


問「ナザレの人々が、イエスの公生涯以前の職業や家族のことを引き合いに出して見ている背後には彼らのどのような思いがひそんでいると思いますか。」
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牧師・余白余録

2016年08月10日 05時47分49秒 | メッセージ
A・B・シンプソン著/松代幸太郎訳「王のための奉仕」いのちのことば社pp9.10
福音は、、信じるすべての人にとって、神の力である。この神の力は、神に固有なもので、キリストのうちに顕示され、福音のうちにおいて私たちも提供されているものである。それは、それ自身、人々を救うための神の力強い手段となっているものである。それは、人の高慢を打ち砕く力、人の罪をあらわにする力、人の信頼を獲得する力、人の運命を変える力を持っている。それはギリシャの哲学よりも、ローマの権力よりも、ユダヤ教の高ぶりよりも、更に強いものであることを実証している。それは力である。神の弱さは人よりも強い。しかし、それはまた、力をもたらす。それは人に、神の強さを提供しそして授ける。それは過去のすべてに対してゆるしをもたらし、未来に対しては、新しい、忠実な、全能の友なるお方の御力をもたらすものである。それを全面的に受け入れる人は、勝利の生活、効果的な生活を送ることが出来る。私たちは、その力を見いだしているであろうか。
聖霊は、この力を授けるおかたである。
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