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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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平安をもつ秘訣

2011年12月31日 21時08分20秒 | インポート
―世に勝つものとなる―
b.劣等感に悩まされないこと
 劣等感に悩む人があまりにも多くいるのに驚くほどですが、「私はだめだ」「私のようなものは」「私の家は貧乏だ」「私の顔は」等と本人にとっては深刻な問題ですが、私たちが、自分を造られた創造主を知る時に、悩む必要のないことが分かります。それは神様は私たち一人一人に対して、目的をもっておられるからです。私には、私でなくてはできない使命と仕事があるのです。あなたにはあなたでなくてはできない使命があるのです。
 私たちは、あまりにも神様から与えられた恵みを忘れてしまうところに問題があるのです。神の恵みを数えてみてください。ヘレン・ケラーは三重苦の女性でした。しかし、勝利に満ちたすばらしい人生を送りました。山の中に咲く山ゆりは、来る春も、来る春も、だれが見てくれなくても、力いっぱい咲いています。桜の花も、春の訪れとともに咲いています。花は神を喜ばせるために、おかれた場所で満足して咲いているのです。
 あなたが自己中心で生きると、自分がみじめに感じられてしまいます。しかし、これからの人生は、神のために生きてください。そして、人のために生きてごらんなさい。きっとあなたは生きがいを見出すことができます。
 足の裏は一度だって、美しいなどとほめられることはないのです。しかし、ほめられなくても全身を支える大切な働きをしているのです。あなたは人からよく思われたい、ほめてもらいたい、そんなことを考えていてはだめです。だれも、ほめてくれなくても、神に喜ばれる人生を歩かなければなりません。
 滝元 明著「平安を持つ秘訣」より引用・要約しました。A.O

 新しい年が、神に喜ばれる人生のスタートとなりますように!


詩篇98篇9節

2011年12月30日 08時58分34秒 | インポート
「確かに、主は地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、公正をもって国々の民を、さばかれる。」詩篇98篇9節

 地と国民をさばく方がおられるー
さばきの時、私たちの避け所となり、おおってくださる救い主がおられるー
 神の御子イエス・キリストこそその方です。
信仰によりそのさばきを免れることができます。ありがたいことです。s.k.



牧師・「聖書に学ぶ会」(要約)

2011年12月29日 06時53分51秒 | インポート
聖書箇所 マルコの福音書9章14~29節

「さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、その回りに大ぜいの人の群れがおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。
そしてすぐ、群衆はみな、イエスを見ると驚き、走り寄って来て、あいさつをした。
イエスは彼らに、『あなたがたは弟子たちと何を議論しているのですか。』と聞かれた。
すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。『先生。おしの霊につかれた私の息子を、先生のところに連れてまいりました。
その霊が息子に取りつきますと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、霊を追い出してくださるようにお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。』
イエスは答えて言われた。『ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。』
そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。その子がイエスを見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。
イエスはその子の父親に尋ねられた。『この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。』父親は言った。『幼い時からです。
この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。』
するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』
するとすぐに、その子の父は叫んで言った。『信じます。不信仰な私をお助けください。』
イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。『おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。』
するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、『この子は死んでしまった。』と言った。
しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。
イエスが家にはいられると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。『どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。』
すると、イエスは言われた。『この種のものは、祈り{と断食}によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。』」


<おしの霊につかれた息子と父>
●この人はどういう心でこの子をイエスのところに連れてきたと思いますか?
●この家族の苦しみを前に彼らはそこで何をしていましたか?あなたはそれについてどう思いますか?何かそれと似た経験がありますか?
●イエスのもとにつれてこられたその子の様子を、イエスはどのような思いでこの子をご覧になっていたと思いますか?


夫人牧師・日々の聖句:Part2(11)

2011年12月28日 08時59分00秒 | インポート
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 ・・・神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ人への手紙4章6,7節

 私たちは小さな事で思いわずらうことが多いものです。しかし、祈ることを教えられています。どんなときでも近くにおられる主に祈ることです。直ぐに答えが来る場合もありますが、忍耐深く待つ時も多くあります。この中で委ねて待つ時、神からの平安が、キリスト・イエスにあって心を守ってくださいます。思い煩わないで、感謝することを見つけて祈ってみましょう。必ず良い結果が出ましょう。


牧師・ミニチャーチ集会(要約)

2011年12月27日 09時12分20秒 | インポート
聖書箇所 マタイの福音書1章19,20節(下記)

 クリスマス、ヨセフの人を見る。
1.正しい人。これはモーセの律法に生きる人。許婚者マリヤが結婚前に子を宿したことの不可解・愛の対処。
2.夢で御使いを通して疑問が解消し、マリヤを受け入れた。
3.ヨセフはマリヤとエジプトに避難し、やがて戻ってからの言葉や情報が聖書にない。彼は寡黙だが、全体の重要な背景になっている。
▼私たちもきっと他には知られていないが、きっと大切な役割を知らないで持たせていただいていると信じましょう。

「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。・・・』」


牧師・礼拝メッセージ「御子を信じる者」要約

2011年12月26日 09時52分54秒 | インポート
引照聖句 ヨハネの福音書3章16~18節(下記)

▼クリスマスは、父なる神が御子を人に救い主として与えられた誕生祝です。この世のどんな王もこの方の前には伏し拝むべき方です。王の王ですから。当然どんな卑しく貧しい方もです。どんな財や権威をもった方もです。御子は御父とともに天地を創造されました。この世の王と貧民街に住む男女の差などの比ではないのです。
 ヨハネの福音書には王の誕生の次第は省かれ、代わりに受肉する前の父なる神と一緒におられた方として書かれております。人間の創造前からです。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」1章3節です。ことばとして存在し、神でした。その方が肉体となって来られ、「恵みとまことに満ちておられた。」1章14節。
 誕生の次第はマタイやルカに任せて、ヨハネは、御子が人として来られたのは彼を信じて永遠のいのちを持つため、としぼってくれたのです。

▼3章16~18節は使徒ヨハネが、否、聖書は何と言っているかを凝縮してくれています。3章16節はあまりにも有名な聖句なので、初めての方は是非この節をご自分で読んでみてください。
1.イエス・キリストを受け入れる者は永遠のいのちを持ちます。
 永遠のいのちとは、神と正常な関係を持つ者が持ついのちです。ことばを返せば、信じなければ死と滅びを招くということです。イエス・キリストがご自分を指して言われたように、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」14章6節。他の人物が決して言えるものではありません。使徒ペテロは使徒の働き4章12節で、「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」と群衆に証ししました。御子を信じる者は罪と死から、裁きと滅びから救われるのです。
2.自らの思いや行いを顧みてください。
 誰も自分は罪がないと言える者はありません。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ人への手紙3章23,24節とあります。
3.神の恵みに添っていきましょう。
 この恵みの贖いのために来られた方をあなたは侮りますか、捨てますか、それ以外に頼るものがあると言いますか。罪に定められます。どんな罪をも神は赦す覚悟で御子はあなたのために人となられたのです。神の裁きに陥ることを選んではなりません。信仰がなければ神に喜ばれません。

▼ともに御子を信じる者となりましょう。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」









牧師・エッセイ

2011年12月25日 19時44分30秒 | インポート
『こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。』(エペソ人への手紙4章11節)

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御子は人間となられました。私たちが高められたのです。主の前にひれ伏しましょう。
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祈り
☆本日はクリスマス礼拝と今年最終の礼拝が重なります。礼拝を通して主を讃えましょう。
☆次聖日は元旦と重なりますので心して礼拝に出ましょう。午前11時から。出入りが多い期間を祈り深く。
☆病める方々、健康が気遣われる方々を覚えましょう。
☆年頭に各自がみことばを。

教会学校金言?神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)


ガーデンスポット
パンジーなど

次聖日(元旦)礼拝説教  ヨシュア記14章9節~12節
「ヨシュアとカレブへの激励」

ークリスマスに寄せてー D.Fキンロー
最大の祝福が最小の存在へ
 『羊飼いたちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られた通りであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。』(ルカの福音書2章8節~21節)

 羊飼いたちの物語を読むごとに、感謝せずにはいられません。あの晩、羊たちの世話を終え、丘の中腹でたき火を囲む羊飼いたちの会話が聞こえてくるような気がします。
「なあおい、なんてつまらない人生なんだろう。おもしろい事件はみんなエルサレムで起きているっていうのに、俺たちはこんなところに追いやられて、一生除け者扱いだ。俺たちにあるものと言えば、臭い羊と星の輝きくらいのもんだ。」
 ところが突然、天の御使いが現れて無味乾燥な彼らの人生を打ち破り、この世界が聞いたこともないような最高のニュースを届けます。天使の御告げは、彼らがエルサレムの町に急いで行くなら全世界の歴史を左右する方にお会いできるだろう、というものでした。念願だった人生最大の出来事、大事件に個人的にあずかる機会が訪れたのです。羊飼いたちは半信半疑で互いに顔を見合わせます。そこへまた突然、天使たちの大軍勢が現れて、賛美の声を響かせます。その歌声が消える前に、羊飼いたちは、預言者が預言し、聖徒たちが夢見た救い主にお会いするために、ベツレヘムの馬小屋に向かって走り出したのです。
 クリスチャンはだれでも平々凡々で何の変哲もない日々を永遠なる方が打ち破ってくださった瞬間を体験しています。神ご自身が私たちを訪れてくださった救いの時です。クリスマス、この聖なる日に主がその聖なる臨在をもって私たちの人生に入って来てくださることを期待します。

みことばといっしょに  クリスマス

2011年12月24日 07時12分28秒 | インポート
―この方こそ主キリストです―
みことば:きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカの福音書2章11節)
  クリスマスは神様のお約束のお言葉通りに、救い主イエス様を、この世に送ってくださったうれしい日です。だから、世界に人々がこの日をお祝いするのです。
  旧約聖書には「やがて人間を罪から救う救い主がおいでになる」という、ことばがたくさん書かれていますが、まず一番はじめのクリスマスの約束のみことばは、創世記3章15節のみことばです。美しい蛇の形をとって、アダムとエバを罪に誘った蛇に向かって、神様はおっしゃいました。「わたしはやがて、女の人を通して救い主を世に送り、救い主はお前の頭をふみくだき、お前は救い主のかかとにかみつく。」  
 神様ははじめの人間が罪を犯したそのときから、人間がだれでも罪のために苦しむようになることを、あわれに思ってくださいました。そして、人間を罪と悪魔の力から救い出してくださる救い主を、世に送る計画を立ててくださったのです。みことばは、救い主となられる方は、悪魔から大きな傷をつけられるけれども、終わりには、悪魔の頭をふみくだく勝利者だ、と語っておられるのです。
 イザヤという預言者は、救い主はまだ結婚をしていないおとめから生まれる男の子である、と告げました。(イザヤ書7章14節、9章6節)
 預言者ミカは、救い主はユダヤのベツレヘムの町で生まれると告げました。(ミカ書5章2節)
 預言者エレミヤは、救い主は、ダビデの子孫から生まれて、正しく世を治める王となられると告げました。(エレミヤ書23章5節)
 やがて、神様がお約束のおことばどおりに救い主を世に送ってくださる時が来ました。神のひとり子イエス様は、神の御座をおりて、輝ける御子の冠をお捨てになられました。そして、「世界の人を罪から救うために、いのちを捨てる」という、予定表をもって、いつくしみ深い父なる神様のみもとを離れ、おとめマリヤのからだにお宿りになられました。マリヤは、ダビデ王の子孫で、その婚約者であったヨセフも、ダビデ王の子孫でした。二人は御使いから、神様のご計画を知らされて、自分の都合を全部捨てて、クリスマスのために、心と体をおささげしました。
 イエス様のお生まれになられる日が近づいた時、皇帝アウグストの命令に従って、ヨセフとマリヤは、ガリラヤのナザレ村から先祖ダビデ王が生まれた町ベツレヘムに出かけました。住民登録をするために、大勢の人々といっしょの旅でしたので、宿屋は満員。仕方なく、馬小屋のすみに泊まることになったのですが、その夜、マリヤは美しい男の子を生みました。
 こうして、神様のみことばどおりに、救い主はベツレヘムの地で、ダビデ王の子孫から、男の赤ちゃんとして、お生まれになられました。
 天使は、このニュースを夜、野原で野宿をして羊を見守る羊飼いたちに伝えました。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
 あなたの心に、神様のみことばどおりにお生まれになられた“主キリスト”をおむかえすることが、本当のクリスマスです。
インマヌエル少年文庫23「みことばといっしょに」より引用・要約しました。
 クリスマス豆知識⑤   《サンタ・クロース》
 赤い服と白いひげといったサンタ・クロースのイメージは、19世紀にドイツの画家が描いたのがはじまりで、世界各地に広まりました。そこからイメージはさらに広がり、北極圏に住み、イブの夜にはトナカイに乗って世界中の子供たちにプレゼントを配っていると考えられるようになったのです。
財団法人 日本聖書協会 - ホームページ編集委員会 クリスマス豆知識から A.O



今月のことば・牧師館の窓から

2011年12月23日 08時21分05秒 | インポート
 
―ヘロデ王にはなるな―          (マタイの福音書2章1節~18節)
 ヘロデ王はイエス・キリストが生まれたと知ったきっかけは、敬虔な東方の博士たちの来訪によってでした。王は急ぎ、エルサレムで祭司長や学者たちを集めました。知者たちは旧約聖書を開き、ミカ書5章2節から、イスラエルの支配者になる王がベツレヘムに生まれることを突き止めました。エルサレムの王とされていたヘロデは、強力なライバルが出現することに大きな恐れをいだき、居場所を確かめ、その子を殺そうと企てました。博士たちが御子を礼拝したら、知らせてくれ、私も行って拝むからと言いました。しかし、博士たちは、これも神のお告げを受け、ひそかにヘロデを避けて帰りました。ヘロデは怒り猛り、年齢を割り出し、ベツレヘムとその近辺の2歳以下の男の子を一人残らず殺させたのでした。
 今日、神を容れないで天地の創造を説明し、自分の不信仰を臆する様子もなく語る学者や権威をもつ人々がはっきりしてきました。しかし、科学の進歩はいよいよ創造の神を証ししていると私も思います。
 ユダヤの人々も自分の国に来たメシヤを不信のゆえに受け入れることができませんでした。みことばがあってもほったらかしにしたままでした。マリヤとヨセフ、御子を馬小屋に「放置」して、自らは安泰でいられるぐらいに考えるのです。み告げを受けて礼拝しに駆けつけた羊飼いに対しては、知ったとしても知ったことではなかったのです。
 無関心と無理解は最もよく人を殺します。御子の降誕にまつわることにおいて真です。人間共通の背景は天地の創造者である神にあります。神が遣わされた御子の来臨の訳を知りません。御子惜しまず、私たちの罪の贖いのために来られた神と御子の愛と義とを知りません。神は今も福音を知らせ、救いを願っておられます。聖書にあります。大きな錯誤と苦しみの原因は何かを個人も民も知るべき時ではないでしょうか。ヘロデにはなるな!

宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会 
牧師 山 田  隆


インマヌエル讃美歌405番

2011年12月22日 06時32分36秒 | インポート
インマヌエル讃美歌405番

1.み位をもみかむりをも 捨ててくだりましし
栄えの主をやどしまつる ところはなかりき
(おりかえし)ああ主イエスよ 来ませ わが心の中に
ああ主イエスよ 来ませ ここにながみ座あり
2.鳥にねぐらきつねに穴 そなえられてあるに
身を低くし来たりし主を むこうる家なし
(おりかえし)ああ主イエスよ 来ませ わが心の中に
ああ主イエスよ 来ませ ここにながみ座あり
3.みことばなる救い主を 人はうちしりぞけ
ばらのかむりいただかせて はりつけとなしぬ
(おりかえし)ああ主イエスよ 来ませ わが心の中に
ああ主イエスよ 来ませ ここにながみ座あり
4.救い主よ終わりのとき 我に語りたまえ
「とこしなえの家はすでにそなわりてあり」と
(おりかえし)ああ主イエスよ 来ませ わが心の中に
ああ主イエスよ 来ませ ここにながみ座あり


 聖誕節(クリスマス)の讃美歌です。
はじめもなく、終わりもなく存在したもうお方が、いと小さき人間となって人の世に来られました。
義であり聖である神様の裁きから人を救うためです。
救いのわざを成し遂げてくださったイエス様を自分のものとしなければ、神様の裁きを自分で受けなければなりません。
それは永遠の滅びです。
しかしイエス様を受け入れたならば、永遠の命が与えられ、神様の住む都に住むことが許されます。
私の希望です!s.k.