E・ケアンズ著 基督教全史 PP.121,122
「初代教会は頑固にローマ社会の異教的慣習から離れていたが、別に悪意のない社交で異教的隣人から離れていることに固執しなかった。事実パウロは、キリスト教の原理が犠牲にされたり、妥協させられたりしないかぎりそうした社交は認容していた(1コリント10:20~33)。けれどもパウロは、偶像礼拝か異教的不倫に関係あるような事柄からは一切完全に離れているべきことを勧めた。信者は、キリストに所有されている体を傷つけるようなことは一切しないという(1コリント6:12)、他の人々或は他の弱い信者たちを過らすようなことは一切しないという原理と(1コリント8:13、10:24)、神に栄光をもたらさないような一切のことをしないという原理とを(1コリント6:20、10:31)、守るべきであった。これらの原理は、異教の劇場や競技場や闘技や神殿に行くことを否としているこうした道徳的および霊的な孤立の態度にも拘らず、信者は快くこの世の権威に対して民間人として服従しかつ敬し、税金を支払い権威のために祈ったし、パウロなどは進んでそう勧告した(ローマ13:7、1テモテ2:1、2)。彼らが何をさしおいても服従しなければならない最高の権威である神のおきてを冒せと言われない限り、彼らは立派な市民であった。初代教会が信仰のために生死をささげて、清い生活と、愛と、勇気とを発揮したことは、ローマ帝国の異教社会に非常な衝撃を与え、キリストの死後わずか300年にしてコンスタンチヌス大帝はキカヤ会議を召集して、この会議を司令することによって、国家のなかでのキリスト教の重要性を公認したのであった。
「初代教会は頑固にローマ社会の異教的慣習から離れていたが、別に悪意のない社交で異教的隣人から離れていることに固執しなかった。事実パウロは、キリスト教の原理が犠牲にされたり、妥協させられたりしないかぎりそうした社交は認容していた(1コリント10:20~33)。けれどもパウロは、偶像礼拝か異教的不倫に関係あるような事柄からは一切完全に離れているべきことを勧めた。信者は、キリストに所有されている体を傷つけるようなことは一切しないという(1コリント6:12)、他の人々或は他の弱い信者たちを過らすようなことは一切しないという原理と(1コリント8:13、10:24)、神に栄光をもたらさないような一切のことをしないという原理とを(1コリント6:20、10:31)、守るべきであった。これらの原理は、異教の劇場や競技場や闘技や神殿に行くことを否としているこうした道徳的および霊的な孤立の態度にも拘らず、信者は快くこの世の権威に対して民間人として服従しかつ敬し、税金を支払い権威のために祈ったし、パウロなどは進んでそう勧告した(ローマ13:7、1テモテ2:1、2)。彼らが何をさしおいても服従しなければならない最高の権威である神のおきてを冒せと言われない限り、彼らは立派な市民であった。初代教会が信仰のために生死をささげて、清い生活と、愛と、勇気とを発揮したことは、ローマ帝国の異教社会に非常な衝撃を与え、キリストの死後わずか300年にしてコンスタンチヌス大帝はキカヤ会議を召集して、この会議を司令することによって、国家のなかでのキリスト教の重要性を公認したのであった。