gooブログはじめました!古代からのウソの歴史の訂正と真実を

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ歴史の隠れ話に本物の光を、誠を伝える勇気を子孫のために、

歴史かくれ話と今日は何の日

2011-06-01 20:18:58 | 今日のNO1二ユース

歴史かくれ話と今日は何の日





前の記事│このブログのトップへ│次の記事





2006年07月03日




小野妹子が遣隋使として隋に渡る 推古天皇15年(607)

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という書き出しで有名な聖徳太子の書を隋の煬帝に持っていった時の遣隋使が、小野妹子であり、その小野妹子が派遣されたのがこの日である。

煬帝は、この書を見て「無礼千万」と激怒したと言われる。煬帝にしてみれば、当時の日本など「東夷(東方異民族・野蛮人)」の一つに過ぎず、そんな国が隋と対等の国交を持とうというだけでも腹立たしいのに、「日没する処」とは何事かという気持ちなのであろう(一説には「日出ずる処云々…」の書き出しはほとんど問題になっておらず、むしろ日本が対等の立場に立とうとしたことにのみ腹を立てたともいう)。

しかし、煬帝はこれを完全無視はしなかった。一年ほど妹子を国内に留めたが、一年後、一応答礼使として裴世清という男を遣わしたのである。この時、妹子も煬帝から国書を授かり、共に帰国したのだが、帰国後、天子に伺候した妹子はとんでもないことを言い出した。なんと、帰国の途上、朝鮮半島にある百済の国で、煬帝の国書を紛失(奪われた)したというのである。

もともと、今回の遣隋使派遣は、強大になりすぎた蘇我氏ら豪族たちの勢力を牽制し、天子の権力を高めようと聖徳太子が考えたものであったと言われ、この妹子の「なくしました発言」もそのための発言だという。すなわち、煬帝の国書には、日本を属国となすような文言が書かれていたため、そんなものを蘇我氏らに見られれば、ますます天子の威勢が弱まってしまうと考えた結果、なくしたことにしてしまったというのである。

しかし、国書は「なくしました」でよくても、答礼使・裴世清の発言までは制限できない。ところが、裴世清は、天子に充分に敬意を表したから、諸豪族には、「天子は隋と対等な付き合いをしている」という印象を与えることができたという。おそらく、裴世清にしてみれば、自らは使者にすぎない身分で一国の王という人物に会ったのだから、礼を尽くして当然である、ということだったのだろうが、思わぬところで聖徳太子の意に沿った行動をしていたのであった。

聖徳太子は、裴世清の帰国の際、「国書紛失犯」であるはずの小野妹子の罪を許して、またしても隋に派遣している。また、その時は留学生として、高向玄理や南渕請安なども同行した。以後も、遣隋使から遣唐使と、大陸文化吸収のための使者派遣は続いていき、日本の文化の形成に大きな影響を与えることになる。


--------------------------------------------------------------------------------

(キーワード)

●遣隋使(けんずいし)
隋は中国の王朝名。隋に派遣された公式の使節が、遣隋使である

遣隋使の派遣は『日本書紀』によれば、計6回。
600年が初回で、607年が小野妹子が煬帝な無礼な書を渡した回。
608年に2回、この時は隋の裴世清と共に小野妹子も再度渡海しているが、高向玄理や南渕請安、僧・旻などの留学生も渡海。中国文化の特色を勉強して、帰国してから、大化の改新後の日本の文化の発展に貢献したとされる。

他に610年と614年に1回ずつ派遣されたらしい。ただし、派遣回数については諸説ある。

●小野妹子(おののいもこ)
7世紀前半の豪族。聖徳太子の命により、遣隋使として隋に渡った。

聖徳太子から遣隋使に任命され、607年に隋に渡る。
当時の隋皇帝・煬帝に太子から授かった国書(「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で始まる国交樹立を請う書)をわたして、煬帝から大いに怒りを買う。一年間ほど隋に留め置かれた後、ようやく答礼使の裴世清と共に帰国した。

妹子はこの時、煬帝から国書を授かっていたのだが、帰国後に天子へ奏上した際は、帰国途中に朝鮮半島の百済で盗まれたと供述した。これは一説に、煬帝の国書が天子および太子にとって不都合な内容であったため、なくしたことにしたという「気を利かせた説」があるが、国書の中身を途中で見てしまう点あたりはいただけないと思う。

国書紛失で罪に問われるが、なぜか翌年の裴世清の帰国時にはあらためて遣隋使に任命され、裴世清と共に再び隋に渡った。
ちなみに607年の渡海は、遣隋使としては2回目の派遣。1回目は600年に派遣された。また、小野妹子については、この他の事績はほとんどわかっていない。まさに遣隋使の男。

女みたいな名前だが、当然女ではない(笑)。


最新の画像もっと見る