在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

Reality di Matteo Garrone イタリア映画 リアリティー

2015-12-07 11:44:52 | 何故か突然イタリア映画
Reality リアリティー
監督 マッテオ・ガッローネ



友人がNetflixのパスワードをくれた。フィルムの数はそう多いわけではないが、それでも見てみたい映画は結構ある。
PCで見れて、操作が楽、そこで早速続けに見て3本になった。
昔々、3本立て映画館によく行ったものだが、懐かしい。

1本目に「Hachiko」を見たせいか、2本目に選んだ「Reality」との落差が大きかった。
面白いのは、評価の落差もである。
つまり、ハチ公のような有名俳優が出ている(リチャード・ギア)、(この場合は)犬がカワイイ、そしていかにもアメリカのお涙頂戴的フィルム(泣いた~)は、他の映画を含めても評価が高い。
しかし、リアリティーのような、若干マイナーなものになってくるとぐっと評価が下がっている。
ちなみに、3本目に見た「Il Divo(帝王)」、監督はパオロ・ソレンティーノでも、イタリア元首相アンドレオッティを扱った、つまり政治、マフィア系の映画も評価が低い。
ところで、「Il Divo」 、好きか好きでないか、面白いか面白くないかは別にして、カメラワークと音楽の使い方が個人的に好み。
数多くの賞を取った「La Grande Bellezza(偉大なる美)」、この春の「the Youth(若さ)」も好きではないという人は多いが、個人的には嫌いではない。

さて、リアリティーであるが、監督は「Gomorra(ゴモラ)」で一躍有名になったマッテオ・ガッローネで、この春の「Il racconto dei racconti(物語の中の物語)」はかなり気に入ったが、この2つの作品の中間に制作された。
「物語の中の物語」の時のインタヴューでは気取ったところがなく(ソレンティーノと対照的)饒舌でそれは親しみやすい人で好感を持った。
その時に言っていたのが「似たような作品は作りたくない」。
ゴモラの後、ちょっとコメディ風を試みてみた、というのがこのリアリティーだそう。しかし、こちらの方がもっとコワイかも、という評価もある。

ナポリのかなりすごい建物に、親戚など集まって大所帯で住んでいるのが魚屋を営んでいるルチアーノ。妻はキッチン・ロボット(この形がユニーク)を闇で売っている。ルチアーノは真面目、妻はしっかりもののやり手で、建物はかなりすごいが、住んでいるアパートはなかなか豪華なもの。
さて、今ではだいぶ下火になったが、一時、イタリアで一世を風靡したテレビ番組「グランデ・フラテッロ(ビッグ・ブラザーのイタリア版)」がある。これに出演できれば多額な賞金が出るだけでなく有名にもなれる。
そこで、各地で行われているオーディションはどこも長蛇の列であるが、ルチアーノが子供達にせがまれて、ナポリで行われたオーディションに参加することになった。
第1回のオーディションがうまくいき、ローマで行われる第2回目のオーディションに呼ばれることになった。
他の人は5分や10分で終わったインタヴュー、自分は1時間もかかりかなり手ごたえがあった、と大喜び。

さて、このあたりから苦難の道が始まる。完全な自意識過剰。
魚屋にローマから来た、という雰囲気不相応な客が来れば、番組制作側の回し者で、参加者にふさわしいかどうか偵察に来ていると思う。隣の店の陰から自分を見ているものも同じく。選ばれれば100日以上カンズメ生活になることもあり、もう選ばれたつもりで魚屋もやめてしまう。
もう頭の中は、オーディション合格状態。(ちなみにオーディション参加者があまりに多いので、不合格の電話はない)
いよいよ今期の番組が始まって、親戚一同に、選ばれなかったのよ、と言われてもまだ信じない。(参加していないのだから、当然選ばれなかったという思考に達していない)
司会者が「来週は二人、新たな参加者があります」と言えば、まだ選ばれるチャンスがあると有頂天になる。
もうじわじわと狂い始める前兆。

復活祭(こういうところ、ルチアーノの復活を示唆しているのだと思う)の行事に参加しに、友人でもあり、多分親戚でもあり、魚屋を手伝ってくれていたミケーレと一緒にローマへ行く。
が、途中で消えてしまう。
「グランデ・フラテッロの家」があるローマの映画村チネチッタに忍び込み、家に侵入。この辺りで簡単に家に侵入できるところとか、侵入に誰も気がつかないところなどはちょっとご愛嬌だが、侵入に成功し、豪華ソファで、まるで参加者になったつもりで一人悦にいる。
かなりヤバイ。

つまり、ごく普通の一般市民が、名声に目がくらみだんだんおかしくなっていく、という過程がブラックコメディーのように描かれている。
それにしても、くだんのアメリカ映画とは大きな違い。リチャード・ギアはかっこいいし、妻も美人、娘も可愛く、ちょい役も、たとえ若干不細工だろうが品はいい。
対照的に、こちらは、よくもまあこれだけ不細工で品のない人を集めてきたものか、と思って笑ってしまう。もちろん演技であるわけだが、ルチアーノ(かなり演技がうまい)とミケーレを除いて、みんなお肉がぷりぷりぷよぷよしているし、イタリア後の字幕タイトルが必要なほど汚いナポリ方言を使っている。
成功だけを狙うとすればこういう映画は作らないだろうなー。。。