そうしたら富公は意外にも忽ちへなへなとして「いやだあ、乱暴するんだもの」といいながら
額をおさえてめそめそ泣きだした。
以前感想を書いたアンソロジーで、ピックアップしたことがある本作。しかしその部分ではあまりにも
頼りないおぼっちゃまだった「私」は、成長に従い男らしく勇ましくなっていく。その変貌ぶりは唐突過
ぎる気もしたが、回想とはそんなものなんだろう。表の顔は変わっても、幼少時の繊細さを内包していた
からこそのこの文章なんだなあと納得できる。
で、引用の文は、読んで大笑いした箇所。アンソロジーで読んだ部分では、幼い「私」のあまりに内気
な行動(ほしいものがあっても言い出せずお手伝いさんの袖をつかんでうつむくだけ、的な)を中森明菜
の「セカンドラブ」の原点ここに見たり!と悦に入っていたのだが、こちらは成長後。なんと小学校でぐ
んぐん成長した私は、お調子者の富公に一発食らわせるのである。「富公は内心びくびくしながらも頼も
しい味方の振舞に力を得て「こら、貴様生意気だぞ」といって寄ってきたので私はいきなり布袋竹で真向
をくらわしてやった」(かっこいい!)に続く、引用は調子に乗っていた富公の反応である。この仕草、
セリフ、コントやん!既視感のあるドリフあたりのコントはこれが原点になってるのでは・・・と思わず
にいられない。
ほんとはもっと心洗われる美しい表現などにふれるべきなんだが。(この時代の文章は、やはりとても
好き)あまりにもおもしろすぎて、一番印象に残ってしまったのがここなのであった。
しかもこれ読んだの、実は昨年の話ね^^;
額をおさえてめそめそ泣きだした。
以前感想を書いたアンソロジーで、ピックアップしたことがある本作。しかしその部分ではあまりにも
頼りないおぼっちゃまだった「私」は、成長に従い男らしく勇ましくなっていく。その変貌ぶりは唐突過
ぎる気もしたが、回想とはそんなものなんだろう。表の顔は変わっても、幼少時の繊細さを内包していた
からこそのこの文章なんだなあと納得できる。
で、引用の文は、読んで大笑いした箇所。アンソロジーで読んだ部分では、幼い「私」のあまりに内気
な行動(ほしいものがあっても言い出せずお手伝いさんの袖をつかんでうつむくだけ、的な)を中森明菜
の「セカンドラブ」の原点ここに見たり!と悦に入っていたのだが、こちらは成長後。なんと小学校でぐ
んぐん成長した私は、お調子者の富公に一発食らわせるのである。「富公は内心びくびくしながらも頼も
しい味方の振舞に力を得て「こら、貴様生意気だぞ」といって寄ってきたので私はいきなり布袋竹で真向
をくらわしてやった」(かっこいい!)に続く、引用は調子に乗っていた富公の反応である。この仕草、
セリフ、コントやん!既視感のあるドリフあたりのコントはこれが原点になってるのでは・・・と思わず
にいられない。
ほんとはもっと心洗われる美しい表現などにふれるべきなんだが。(この時代の文章は、やはりとても
好き)あまりにもおもしろすぎて、一番印象に残ってしまったのがここなのであった。
しかもこれ読んだの、実は昨年の話ね^^;
私は、超オーソドックスな人の本しか
読んだことないのですが、
やっぱり旧い時代の文章は好きですね。
ただ、結局何が言いたいんや〜〜、って
ガッカリすることも多かったな。
単に、自分には理解できないだけですがね(^_^;
国語の成績、悪かったしw
美しいのがいいですよね。内容は…作家の独断場ですよね〜^^;
でもサービス精神にあふれる現代の作品が続くと、
ちょっと自己満足が入ってる昔のが恋しくなります。
まさぽんさんは漱石がお好きなんですよね。
私は若かりし日の面接で好きな作家を問われ
漱石と答えたら「猫とこころ、どちらが好きですか」と聞かれ
「猫です」と答えたら理由を問われ・・・
どぎまぎしたのを覚えています。
「こころは納得できなかった」と言ったと思うのですが
どこが?とつっこみたくなる曖昧な答えですよね〜