uparupapapa 日記

ようやく年金をいただける歳に。
でも完全年金生活に移行できるのはもう少し先。

お山の紅白タヌキ物語 第14話 アッツ島の死闘(1)

2024-02-11 07:02:26 | 日記

 雪江タヌキが最初に考えたのは、島の地形と気象の詳細を知る事。

 隅々まで見て回るにはどうするか?

 最初野ネズミに化けてみたが、どうも準ツンドラ気候の寒冷地であるこの島では不自然に思えて、野生動物として相応しくないようだ。

 次に考えたのが、この島に多く生息している野鳥たち。

 固有種が多いらしく、見た事の無い姿の鳥たちが自由に活動している。

「そうだ、鳥なら誰にも怪しまれず探索できそうだ。」

 雪江タヌキは早速ここでよく見かける鳥に化け、島の空を舞い上がった。

 

 だがこの島は一年を通して雨や霧が多く、雪江タヌキが入島してからもアメリカとの戦闘が始まるまで一度も晴れ渡った日が無い。

 こんなに霧の濃い状態では全体像が見通せないではないか。

 仕方ない、低空で丹念に見て回るしかないようだ。

 

 そこで分かった事。

 島の至る所に高山植物のような可憐な花が咲いている事。

 気温は冷涼で、温かい日でも10℃以下、寒い時は0℃前後である事。

 島の一番高い山で標高900mほど。

 

 日本側守備隊が保有する食料や弾薬は決して十分とは言えず、補給無しでは長期戦に耐えられない事。

 しかもアメリカ側の火力を考えると、日本側の装備する武器は貧弱過ぎる事など、悲観材料しか見えてこなかった。

 

「この条件で敵と戦うの?」

 誰に聞くでもない、驚きと嘆きの独り言が漏れてくる。

 それでも守備隊の面々の士気は決して低くはない。

 ただ、不安と悲壮感が時々垣間見られるが。

 

 50名のタヌキ部隊との作戦会議で以上の探索報告をし、アメリカ兵が上陸したらどう戦うか協議した。

 まず部隊の陣容だが、愛媛出身の五右衛門タヌキ(末裔)を筆頭にした赤い軍服の部隊と、香川県出身の丈吉郎タヌキ(末裔)を筆頭にした白い軍服の部隊が混成部隊を形成している。

 とりわけ赤い軍服の部隊だが、日露戦争当時は背中に丸の中に五の字をプリントしたマークを背負っていたが、今大戦では流石にあまりに恥ずかし過ぎると云う事で、部隊長の五右衛門のみの背中に印字される事となった。

 でも実際は、背中の五の字のマークなど無くとも赤と白の軍服のみで単純にそれぞれの部隊を識別できるし、そもそも透明の術で身を隠すなら、それすらも無意味であるし。丸に五のマークって必要なの?

 ただの五右衛門タヌキの自己満足に過ぎないんじゃね?

 誰もそこまで言及しないが。

 

 話が横道に逸れてしまったが、今後の展開を予測シミュレーションしてみる。

 

 まずアメリカ艦隊から艦砲射撃を雨霰あめあられのように振りまき散らし、地上の建造物は徹底的に破壊されるだろう。

 しかる後、アメリカ上陸部隊12500が攻め登ってくる。

 我が方の守備隊2650では劣勢過ぎる。地の利を生かしても兵力・火力の違いは埋めがたい。しかも補給無しでは尚更。

 と云う事は、きたる戦いに勝ちはない。

 

 

 我々タヌキ部隊はどこまで踏み込むべきか?

 樋口司令の厳命を守るなら守備隊の補助的役目しか負えられず、精々幻影による攪乱かくらんと援護射撃ぐらいしかできないだろう。

 そして戦闘の最終局面ではどうする?

 考えたくないが、最後の最後の局面は必ずやって来る。

 この戦闘に中途半端なケリの付け方は無い。

 

 誰も最終結論は出せないでいた。

 ただ言える事は、できる限り最後まで見届ける事。これは参戦した者の務めであり、自発的に参加したタヌキ部隊の総意である。

 どんなに巧みに幻術げんじゅつを使い敵に幻影げんえいを見せても、人間の守備隊だけでなくタヌキ部隊にも多数の死傷者が出るかもしれない。

 各々のタヌキは身を透明にしながら守備隊に寄り添うように突き進むが、きっと銃弾を喰らう者が出るだろう。

 負傷した者や命を落した者の姿は、敵に決して見せてはならぬ。

 そういう場合は、残された者が即座に死傷者タヌキの姿を米粒程の花の種などに化けさせ回収する。それしかないだろう。

 

 戦う前の方針は決したが、後にそれがどれ程過酷で悲惨な決定か思い知る事となる。

 

 

     死闘序盤

 

 

 雪江タヌキの見立て通り、アメリカ軍は艦砲射撃で徹底的に上陸前の事前攻撃を仕掛け、日本軍の弱体化を図る。

 しかし濃霧の中の艦砲射撃では目標を捕捉できない。

 結果、日本軍の損害は軽微であった。

 

 1943年5月12日、アメリカ軍はランドクラブ作戦(アッツ島上陸作戦)決行、まず 上陸部隊12500のうち10000名が霧に紛れて北海湾北端、旭湾に上陸、小部隊が数カ所に分散して上陸、海岸に橋頭堡を築く。

 翌13日、北海湾北端から上陸のアメリカ軍北部隊が芝台(アメリカ側名称Hill X)の日本軍陣地に霧に紛れ接近、攻略を目指す。

 一方日本側は船舶工兵第6連隊第2中隊(小林徳雄大尉)と北千島要塞歩兵隊(米川浩中佐)の1個中隊が芝台に陣地を構えている。

 ここは日本軍守備隊主力を配置している日本軍集結地が一望できる場所であるため、重要な要衝であり、ここでの攻防戦がその後の戦局を決するのだ。

 

 日本側はアメリカ軍を芝台前方の深い谷におびき寄せ一気に殲滅する作戦をとり、陣地に籠って身を潜めていた。

守備隊側指揮官 小林大尉は、アメリカ兵が警戒しながら谷まで到達したのを見計らい号令を発する。

「いまだ!撃て、撃て!」と。

 号令一下、日本側守備隊が一斉に攻撃を開始、一斉に軽機関銃を掃射する。

 アメリカ兵はバタバタと倒れ、更に迫撃砲を正確な照準で連続砲撃、機銃掃射から慌てて退避しようとするアメリカ兵をなぎ倒した。

 更に堪らず物陰に隠れようとするアメリカ兵に伏兵が九九式小銃で正確に狙撃、アメリカ軍はたちまち兵力が半減、前進を停止せざるを得なくなる。

 

 こうして初戦は日本軍優勢に見えたが、この戦闘により陣地の位置が露見、一転してアメリカ軍は野砲8門及び戦艦「ペンシルベニア」から艦砲射撃し、更に艦載機にて襲撃、執拗なくらいに日本軍陣地を銃爆撃した。

 結果、この反撃で日本軍側90名の死傷者を出し、やむなく芝台陣地を放棄し退却、すかさずアメリカ軍は日本軍が撤退した芝台を占領する。

 

 この時の戦いでタヌキ部隊は芝台の正確な位置を攪乱するため幻術を使うが、何故か効果が薄い。

その理由は後になって判明したが、初戦でアメリカ兵に多数の死傷者が出たことによる憎悪と復讐に燃えた感情の凄まじさにあった。

 タヌキ部隊の妖術・幻術は人を惑わす力を発するものであるが、この時のアメリカ兵は日本兵に対する憎しみの感情の高まりが想像を絶するほどであり、タヌキ部隊の術を跳ね返す程のパワーがあったから。

 

 タヌキ部隊が過去に参戦し経験した日露戦争の頃と単純に比較できないが、当時のロシア兵たちは自分の名さえ読み書きできないほどの無学であり、字が読めないと云う事は、いちいち上官の命令が高度な理解力を必要とするほど、噛んで含めるように説明しななければ正確に実行できない。

 そんな初歩的な指示待ちしかできない人材の集まりの軍隊環境であるならば、上官から奴隷同然に扱われるのも必然だった。人命が軽んじられ劣悪な環境で命を落す者さえいる中、当然高い士気など保持できるはずもなく、最低な状況であった。

 だから彼らの残虐行為は、虐げられた者のフラストレーション解消のためのケモノの本能による行為であると言え、どちらかと云うと敵に対する憎悪とは異質な精神状態にあったと云える。

 

 でも今度のアメリカ兵は違う。

 もちろんアメリカ兵にもまだ教育の行き渡らない兵士も多数存在したが、それなりの教育を受けた者も多い。彼らは独立した個人であり、独自の判断で志願した者ばかり。

 そんな彼らは日本の真珠湾奇襲攻撃を卑怯と断じ、愛国心と怒りに燃えていた。

 しかもあの当時、彼らの日本人差別が最高潮にあり、アメリカ国内でも最悪の対日本人感情にあった。

 そんな「生意気で憎っくきジャップめ!」と云う憎しみの感情がタヌキの術を圧倒し跳ね返したのだ。

 この戦闘事例はタヌキたちにとり、激しい憎しみの力は幻惑の力に打ち勝つという痛い教訓となる。

 もっと気合を入れて術に集中しなければ、また跳ね返される。

 彼らはこれ以降、必然的により強力な力を要求された。もう雪江タヌキはタヌキ部隊の後ろにノオホンと控えている訳にはいかない。

 壮絶且つ、総力戦の様相を呈する事となる。

 

 14日 アメリカ軍80名がスキーを装着、三角山(標高500m)の山頂に向けて登山を開始。

 この三角山を奪われると日本側守備隊のいる舌形台が一望になる。

 当然阻止するため急ぎ舌形台より一個小隊が重機関銃を携え、三角山の山頂に派遣された。

 日米両軍の山頂陣取り競争である。その結果日本側小隊が間一髪で先に到着、重機関銃で登山し続けるアメリカ兵を頭上から掃射する。

 準ツンドラ気候で樹木が育たず、身を隠す場所もない山肌では格好の標的であり、「ギャー!」と断末魔の悲鳴をあげ、撃たれた兵士たちが斜面を転げ落ちる。

 この結果アメリカ兵80名が全滅した。

 

 

 この戦闘とは別に、アメリカ軍 島嶼とうしょ南部攻略隊(第17歩兵連隊)が同時進行で行動を開始している。

 彼らは臥牛山に三方を囲まれた渓谷まで前進した。

 

 一方アッツ島旭湾は日本側守備隊 林中隊が配置されている。

 林は少ない戦力を山腹や山頂に潜伏、林中隊から丸見えのアメリカ軍を十分に引き付け、三方から十字砲火を浴びせた。

 この結果、こちらの戦線もアメリカ軍側に大打撃を与え、第17歩兵連隊長のエドワード・アール大佐が日本軍の機銃掃射により戦死する。

 

 この結果を受け翌15日、アメリカ軍は師団予備の第32歩兵連隊の残り2個大隊の投入を決定。

連隊長を失う程の大損害を被ったアメリカ軍南部隊は、第17歩兵連隊の1個大隊を先頭に、再び臥牛山目指し前進を開始する。

 アメリカ軍側は臥牛山を攻略後、荒井峠(Jarmin Pass)を踏破、そのまま一気に日本軍司令部のある北海湾東浦までたどり着く計画であったが、昨日同様、臥牛山手前では身を隠すもののないツンドラの平原を横切る必要がある。林は進撃するアメリカ軍の両側に部隊を配置、今度もまた十分に引き寄せ十字砲火を浴びせる。それを合図に、三方の山腹に潜む日本軍からも猛射撃が浴びせ、昨日同様、アメリカ軍に大損害を与え後退させる。

 最終的にこの戦闘でも、アメリカ軍の機関銃兵は上陸地点の旭湾まで退却を余儀なくされた。

 

 この時のアメリカ軍機関銃兵生き残りの証言。

 

 

 当時日本軍と銃撃戦になると、必ずと言っていいほど、擲弾筒てきだんつつの榴弾が頭上から落下してくる。その砲撃は忌々しくも極めて正確で、2発目の砲撃ではほぼ命中したんだ。一体あの正確さは何だ?

 そしてその時一瞬ではあるが、霧の中 幻のように無数の白い軍服を着て銃を構えた日本兵がゆらゆらと消えては現れ、背筋に凍るような気配が走った。

 あれは何者か?あれも日本兵なのか?

 しかしこの世のものとはとても思えない、異様な物体に見えたと。

 

 

 

 

 

 

     つづく

 


お山の紅白タヌキ物語 第13話 接見と上陸

2024-02-09 06:44:10 | 日記

  雪江タヌキは相変わらずお里のお地蔵さまや、晶子・圭介兄妹との交流を楽しんでいた。

 しかし五右衛門タヌキたちから度々戦争について聞かれるので千里眼を以って透視し、その度状況を伝えていると戦況が気になりだす。

 晶子とその兄の圭介の父が出征した事もあり、日を追うごとに悪化する生活環境と、お里の暗くなる一方の雰囲気に心を痛めていた。

 もうあの頃のように、幸せな交流はできないのか?

 晶子と圭介はお地蔵さまと雪江タヌキの前ではいつも明るく振る舞ってはいるが、時折ふと暗い表情を見せる。

 

 父はいつ帰る?

 

 寂しくて、寂しくて、遠くを見る。

 

 そんな様子を目の当たりにして心が動かない筈はない。

 雪江タヌキまでも晶子・圭介兄妹の父の無事の帰還を心待ちにするようになった。もちろんお地蔵さまも同様である。

 

 そんな頃、お山のタヌキたちがそれぞれの戦地に出征した。

 ある者たちは樋口季一郎率いる北部軍に、ある者たちは南方の(旧)日本委任統治領や更に遠方のラバウルやガダルカナルに、そしてある者はマレー半島やタイ・ビルマ方面に。

 

 雪江タヌキはすっかり寂しくなったお山の様子にも、人間界のお里同様の気持ちを抱く。

 

 お山の留守部隊の女タヌキたちは、当然出征した男タヌキたちのその後の様子を知りたがる。

 頻繁に雪江タヌキに彼らの状況を千里眼を使って教えて欲しいと懇願してきた。

 そんな事が続くと、当の雪江タヌキも戦局全体が俯瞰して見えてくる。

 次第に戦況が悪くなる様子が。

 

 そこに北部軍に出征していた五右衛門タヌキ一行が、情報収集のため樋口司令の許しを得、一時帰郷した。

 今後の見通しはどうなのか?

 タヌキ部隊はどう動くべきか?

 その情報を元に今後の作戦を練らねばならない。

 

 五右衛門タヌキは雪江タヌキに問う。

 アメリカ軍の動向を教えて欲しいと。

 

 雪江タヌキにはこのいくさの戦況全体が見えていたが、敢えて北部軍関連の情報のみを隠さず伝えた。

 アメリカ軍はアリューシャン列島方面での反攻作戦を準備していると。

 

 これは壮絶な闘いになる。

 折しも幼馴染の健吉タヌキの父、権蔵タヌキがアッツ島守備隊の食料などに化け、(秘密裏に)駐屯していた。

 アメリカ軍の火力による破壊力は、その規模に於いて想像を絶する。上陸されたらただでは済まない。

 もし権蔵タヌキの身に何かあったら、きっと息子の健吉タヌキは悲しむに違いない。

 もちろん権蔵タヌキは、ひとかどの妖術師として奮戦するだろう。

 でも他のタヌキたちは?不安は拭えない。

 

 私はどうすべきか?

せっかく授けられたこの能力を、千里眼だけしか使わずにいて良いものか?

私には(千里眼を含め)「神通力」という大きな能力がある。それを宝の持ち腐れ状態で寝かせたままで良いのか?

 ホントは五右衛門タヌキも思っている筈。

私の力を戦地で発揮してくれたらと。多くの仲間を守るために。

でも五右衛門タヌキの口からは、戦地に来て欲しいなどと云えるはずはない。

だって雪江タヌキは女性タヌキだから。

女性タヌキを危険に晒すなんて、男タヌキの沽券こけんにかかわる。

 

 

だが雪江タヌキにも自負がある。

自分には無敵の術があり、その術を以ってすれば多くの仲間たちを守れると。少なくとも絶対に自分の身を危険な目に遭わせることだけは無い。

だから男タヌキたちに心配される必要はないのだ。

決して慢心や大袈裟からではなく、自分の持つ能力を使えば百人力であると云う事を知っている。

 

意を決して雪江タヌキは五右衛門タヌキに訴えた。

「私を皆のいる戦地へ連れて行ってください。きっとお役に立てます。」

 そう言い懇願した。

 五右衛門タヌキはその言葉を聞くと大きく目を見開き、暫く声を出せないでいた。

 彼の心の中の葛藤は良く分かる。男タヌキとしてのプライドや自負があるのも。

 しかし雪江タヌキの卓越した能力も認めている。

 彼女は確かに絶大な特殊能力があるのを何度も目撃し、その力に頼ってきたのも確かであったのだから。

 かなり迷った様子だったが、ようやく重い口を開く。

「分かった。雪江タヌキは女タヌキの身でありながら、よく言ってくれた。

 さぞ勇気がいった事だろう。心から礼を言う。

 本来なら男タヌキとしての沽券に関わる事ゆえ申し出を断るところだが、そこもとの申し出、有り難く受け入れさせてもらう。

 どうか多くの仲間たちのため、その能力を如何いかんなく発揮して欲しい。本当にかたじけない。

また安全なこの地を離れ、危険な戦地に誘う事を許して欲しい。」

 

 五右衛門タヌキの承諾を得て雪江タヌキは北部軍に赴任した。

 着任早々、(秘密裏に)樋口司令官に接見する。

 

 樋口司令は雪江タヌキを一目見るなり仰反のけぞり、その異常な気力に圧倒された。

「ほう、そなたが噂の雪江タヌキ殿であるか。

 人ではないタヌキの身で、しかも女性の身でありながら、遠方の戦地まで出向いてくれるそうな。

 そなたの好意と決意に対し、心から感謝する。

 それにしても噂にたがわぬ力の持主であるな。

 是非そなたのその力を存分に発揮して欲しい。

 だが、考え違いしないで欲しいが、この戦いはあくまで人間同士のもの。

 そなたたちのいくさではない。故に敵である相手に対し必要以上に憎しみを持ったり、なぎ倒し過ぎる行いは厳に謹んで欲しい。

 これは戦いが終わった後の事を考えての教示である。命令ではない。

 憎しみは憎しみを産み、危害は危害を産む。

 そなたたちは戦いたくて戦うのではなく、平和の世を願ってのことであろう?

 早く元の世を取り戻したくて共に戦ってくれるのであろう?

 であるならば、後の世に禍根を残してはならない。

 米兵どもから必要以上の恨みを買い、要らぬ報復を受けるのは本末転倒である。禍根は災いの元であるのだから。分かってくれるか?」

 樋口司令は優しい目でそう諭してくれた。

「承知いたしました。私共の今後のことまでご配慮いただき、ありがとうございます。

 微力ではありますが、私なりに精一杯努めさせていただきたいと思います。」

 そう言って一礼すると、樋口司令は笑顔で頷いてくれた。

 

 

 雪江タヌキはその後、アメリカ軍の標的がアッツ島とキスカ島であると知っていたため、日本軍の防波堤になるべくアッツ島への派遣を申し出る。

 その希望が聞き入れられ、伊31潜水艦への乗船が認められた。

 

 1943年 5月10日アッツ島に到着、雪江タヌキは上陸を果たす。

 因みに日本船舶がアッツ島に辿り着けたのは、これが最後だった。

 何故なら北方軍司令官である樋口季一郎陸軍中将は、アメリカ軍をアッツ島守備隊が食い止め、その間に第7師団だいしちしだんの混成旅団を編成、アッツ島に逆上陸するという作戦計画を立案していたが、大本営の命令により断念していたから。

 援軍派遣が無い状態と云う事は、水・食料・武器弾薬の補給も無いと云う事。

 絶望的戦いを強いられて、彼らは絶体絶命の中にいた。

 

 

 対してフランシス・W・ロックウェル少将率いるアメリカ艦隊は戦艦3隻、巡洋艦6隻、護衛空母1隻、駆逐艦19隻、輸送船5隻からなる強力な攻略部隊を編成、アッツ島・キスカ島の日本軍守備隊を孤立させるべく待ち構えていたため、幾度となく船舶を撃沈されており、第51任務部隊(攻略上陸部隊)を擁し、アッツ島上陸の準備は万端である。

 

 雪江タヌキは上陸草々アッツ島に派兵されたタヌキ部隊と接触、久しぶりの再会を喜んだ。 

 とりわけ権蔵タヌキは顔をクシャクシャにして雪江タヌキに抱き着く。

 いくら健吉タヌキの父だからと云って、それはないだろう?

 まだうら若きみそらの女性タヌキの雪江タヌキは、思いっ切り引いた。

 周囲の仲間たちから白い目で見られ恐縮する権蔵タヌキ。

 気まずさの雰囲気を断ち切るように声をかける。

「えへん、ウン、あの・・・、その・・・、あれだ、今後の方針を共有するため雪江タヌキの透視した現状を聞きたい。その上でどうするか協議しようと思うが、どうか?」

「そうですね、それではまず、取り巻く状況ですが、アメリカ軍の規模は戦艦3隻、巡洋艦6隻、護衛空母1隻、駆逐艦19隻、輸送船5隻と上陸部隊12500です。」

 それを聞いたタヌキ太刀から「オ~!」という驚きの声が出る。

「上陸部隊12500か・・・・、多いな・・・。」

 ついため息が出る。

「我が方は2650。約4倍か・・・。我らタヌキ部隊50が加勢しても2700。

 相当頑張らねば勝ち目はないな。」

「でも決して無理はしないでください。くれぐれもアメリカ兵との間に禍根を残すような戦いはやってはけないと樋口司令から厳命を受けていますので。」

「大丈夫だよ。どうせ我らは秘密部隊。姿を見せずに幻術を以って戦うのだから、敵に気取られる心配はないさ。」

「そうは云っても、もし撃たれたら・・・、倒されたら術が解け、私たちの正体がバレてしまいます。今まで戦っていたのが私たちタヌキだったと知れれば、必ず報復を受けます。この戦いは人間同士のもの、だから深く関わり過ぎてはいけないと諭してくださいました。樋口司令がおっしゃるのはそう云う事です。

 だから決して無茶はしないでください。」

「分かった。そういう命令なら仕方ない。決して無茶はしないと誓うよ。我らは皆、命令に従う。なぁ、皆。」一同深く頷いた。

 

 だがその命令が如何に難しいものであるか、戦闘が始まって過酷さと凄惨さを目撃すると、身を裂かれる程辛い光景であると後で知る。

 

 

雪江タヌキはそのすぐあとネズミに化け、島の隅々まで探索した。

島中を幻影で覆い、アメリカ兵たちを翻弄するために。

 

 

 

 

 

   つづく

 

 


お山の紅白タヌキ物語 第12話 樋口季一郎との出会い

2024-02-07 07:06:39 | 日記

 40年前と同じように五右衛門(末裔)タヌキたち一行が参加の許可を得るため東京に向かう。

 

 そこは流石に首都だけあって、戦時中とはいえまだ活気がある。

 偉そうな軍人が闊歩し、街の至る所に戦時スローガンが目立つ。

 だがそこにタヌキを見る目がある者は見当たらぬ。

 40年前と同じように、人に化けたタヌキたちを一目で見破る者など何処にもおらず、皆 喧騒に紛れ忙しく行き交うのみ。

 誰も他人に注意を払わず、無関心に通り過ぎて行った。

 

 これぞ!と云う人材を一人も見つけられず、困惑する一行。

 出来れば時の首相にでも会う事ができれば申し分ないが、何のツテもなく己の正体を明かさず面会できる訳もない。

 一週間探し続け、とうとう諦める事にした。

「これだけ話の分かりそうな人材を探して見つからないのなら、何処か別の場所に行って仕切り直そう。」

「そうだな。でも何処に行く?宛てでもあるのか?」

「そんなものあるかい。でも此処に居てもらちが明かないだろ?ただの不審者として捕まってもつまらないし。」

「そうだな。でも・・・何処に行こう?」

 

同行する権蔵(末裔)タヌキが言う。

「それにしても、腹が減りました・・・。都会は郷里のお山と違って私たちの食べ物が見つかりにくいから、長居は無用ですね。木の実すら少ないし。

 何処に行っても戦争一色だし。

 そうだ!どうでしょう、昔の例にならい四国から出征した第11師団の場所に行ってみては?そこなら郷里のよしみもあり、話の分かる人に出会えるかもしれませんよ。」

「そうかもな。此処にいつまで居ても仕方ないし、ダメ元で行くだけ行ってみるか。」

 そう話がまとまり、第11師団が展開する場所に行くことに。

 でも彼らがいるのは何処なのか?一行は誰も知らない。

 それはそうだろう。一般の国民には軍の行動など、具体的な事は何も知らされていないのだから。

 

 用意した食料も乏しくなってきたし、お腹が空くと里心が出てくる。仕方なく一時四国に戻り、人材捜索の計画を立て直すことにした。

 

 四国のお山に戻ると、一行は真っ先に雪江タヌキの元へ急ぐ。

 雪江タヌキの千里眼で、11師団の居場所を突き止めて貰うために。

 

「えぇ!私に聞くのですか?軍人さんたちの居場所を?」

 驚く雪江タヌキ。

「あぁ、頼むよ。私たちではどうする事も出来なくてな。居場所さえ教えてくれたら、後は自分たちで何とかするから。」

 大層な大人たちに頼まれ萎縮する雪江タヌキであったが、頼まれたこと自体は少し嬉しい。何だか自分を一人前として認めてもらったような気がして。

 

「分かりました。私でお役に立てるなら、やってみましょう。」

 そう言って手を合わせ全神経を集中し、千里眼の術を持てる能力一杯働かせる。

 ブツブツ何か唱えているようだが実はそれ、ただのポーズ。

 三人のタヌキに固唾を飲むように凝視され、恥ずかしいのだ。

 

 

 ものの4~5分も経過しただろうか、次第に11師団の所在地の情景が見えてくる。

 ここは何処?あたりをくまなく探索してみる。

 土壁でできたみすぼらしい家々?

 中国語の看板?

 まだ夏の筈なのに通り過ぎる人々が厚手の服をまとい、寒そうに歩いている。

 そしてついに判明した。そこは満州。

 

 第11師団は満州に居た。

 

 一行は雪江タヌキに礼を言い、直ちに満州行きの旅にでる。

 数日の後、彼らは満州に辿り着いたが、さて、誰に会おう?

 第11師団は満州の(現在で云う黒竜江省)三山に駐屯していたが、彼らの任務は現地の治安維持。

 そこでも「これぞ!」と云える人材に会えず途方に暮れる。

 だが、そこである噂を耳にした。

 それは数年前この地、満州でのある事件。

 

「オトポール事件」

 

 概要を説明すると、遠くヨーロッパの地でナチスドイツによるユダヤ人への迫害があった。

 彼らユダヤ人達は、命かながら満州近くのシベリア鉄道「オトポール駅」まで逃げ伸びてきたが、そこで足止めを喰らう。

 亡命先の目的地、上海のアメリカ租界に行着くには、満州国を通らなければならない。しかし通過するには満州国外交部の入国許可が必要だった。だが外交部は同盟関係にあるナチスドイツに遠慮し、許可を出し渋る。

 

 そこに樋口季一郎なる人物が登場。

 

 1937年12月、当時彼はハルピン陸軍特務機関長(陸軍少将)であった。彼はドイツと防共協定が結ばれたばかりであったが、臆することなくナチスの反ユダヤ政策に対し「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ。」と痛烈な批判の祝辞を述べている。

(その時はまだナチスの政策は、ユダヤ人追放だけであるとの認識だった。)

 そんな経緯を経て、1938年3月、何千人ものユダヤ人がオトポール駅に押し寄せてきた。(最終的に約2万人が足止めを喰い、20人の凍死者が出ている)

 そんな悲惨な状況を黙って見ていられず、「ヒグチ・ルート」を形成、多くのユダヤ人を救った英傑である。

 この情報は軍の機密事項であったが、当地では公然の秘密であった。

 この噂を耳にした五右衛門タヌキ一行は、「この吾人である!」と直感、何としても会いに行かねば!と思った。

 そして彼(樋口季一郎)の消息を尋ね歩き、とうとう北海道札幌の北部軍司令官である事を突き止める。

 もちろん直ちに五右衛門タヌキ一行が、彼の元を訪ねたのは言うまでもない。

 

 でも、だからと云って直ぐに面会できる訳もない。

 チャンスを伺い、ここぞ!という時に人間の姿に化け、彼の前に現れてみた。

 もしこの時、樋口が何も気づかず通り過ぎれば、一行の期待は露と消える。

 一縷の望みを託す賭けだった。

 だが運は一行に味方する。樋口は人間に化けた一行に違和感を持ち、声をかけた。

 

「ん?この面妖なオーラはどうした事?君たち何者か?」

 

 この言葉が総てだった。

 五右衛門タヌキたちは元のタヌキの姿に戻り、正直に目的を告げる。

「私たちは四国のタヌキです。今までのお里の人々のご恩に報いるため、戦地への出征し、共に戦う事を望んでいます。

 でも私たちが誰の許可も得ず、勝手に参戦する訳にはいきません。ついては軍の責任者、しかも司令官であらせられる樋口様に私たちの事情をご理解いただき、是非希望を叶えて頂きたいのです。」

 更にタヌキたちは訴える。どういういきさつでお里の村人たちとの結びつきが強くなったのか?自分たちが彼らお里の村人たちのため、共に戦いたいと思うほどに。

 過去の日露戦争での実績と経験を具体的に説明した。

 

 樋口は驚愕する。

「そんな事があったのか?俄かには信じ難いが、そなたらが申す事は本当なのだろう。

 そう言えば四国のタヌキの伝承は私も聞いている。私は淡路島出身なのでな。

 幼少のみぎりのお伽話や怪談めいた話として。よく覚えているよ。

 そうか、あの話は本当なのか!それで合点がいった。

 しかし・・・。」

 樋口は深く思案した。

 いくら目の前の彼らが本当なのだとして、私に何ができる?私にどうしろと?

 私に彼らの軍隊加入の決定権はない。これは困った。一体どうすべきか?

 そして樋口は戸惑いながらも彼らに言葉を掛けた。

「話は分かった。でもこれは私が一存で決められる案件ではない。結論は少し待ってくれないか?決定権を持つ上層部に私が掛け合ってみよう。

 後日また私の元に来て欲しい。指令部には話を通しておくから。直接私に会えるようにしておくので。」

 

 翌日早速樋口は東条英機首相と小磯国昭(陸軍大臣で後の首相)らに電話で相談する。

 

 東条は当時関東軍参謀長(中将)であり、オトポール事件に関与・主導しユダヤ人を救済した樋口を擁護した人物である。

 この時ユダヤ人を庇った樋口の行為を抗議したリッペンドロップ外相の抗議文を受け対処する際、関東軍司令部に出頭した樋口と会見し「ヒトラーのお先棒を担いで弱い者苛めすることを正しいと思われますか」との申し開きの主張を全面的に支持、抗議文を一蹴した。

 当時は同盟関係にあるドイツに忖度し、樋口の行動は両国関係を損ねるものと厳罰を求める空気が圧倒的大勢にあったのにだ。

 現在東条英機と云えば、戦争を主導した戦犯のイメージとしての悪い印象があるが、実は日米の直接の戦いには反対していた。

 

 時は1941年11月5日。帝国国策遂行要領が御前会議で検討され、米英蘭との開戦が決定される。

 それはアメリカの「ハルノート」(最終通告)を受けて、日本の対応策を御前会議で検討した結果であった。

 

 その叩き台が「対米英蘭戦争指導要綱」であり、欧米との開戦はするが、あくまで標的はイギリスの輸送船。イギリス本国への兵站を遮断し、戦闘能力を枯渇させ勝利するという計画で、アメリカとの戦争はできるだけ避けると云うもの。

 その叩き台を元に「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」を立案、1941年11月御前会議で審議の上、昭和天皇の前で決定された。

 ところが同12月8日未明、山本五十六連合艦隊司令長官の個人的野心からくる独断・暴走で真珠湾攻撃を決行、日米開戦となった経緯がある。

 

 東条英機を含む陸軍は、日米開戦は何としても避けるべきとの考えを持っており、海軍(とりわけ山本五十六の暴走は看過できないでいた。)の暴挙を事前に察知し阻止できなかったことを悔やんだ。

 そして実際にこの日米開戦の結果、日本側の被害は死者310万人と未曾有の失策を招いている。

 東条英機は確かに連合国から見た戦争を主導した戦犯かもしれないが、現在の日本の教科書で教わる悪人では決してなかった。

 

 少なくとも弱い者いじめを黙殺するほどの卑怯者ではない。

 

 話が横道に逸れたので、軌道を修正する。

 

 小磯国昭も1925年当時の上官であり、部下が起こした不祥事で樋口を庇い、助けられている。

 

 その他、オトポール事件ではもうひとり樋口の協力者であり庇護者がいた。

 それは当時南満州鉄道総裁 松岡洋右である。

 彼に直談判し特別列車を仕立て、ユダヤ人を上海に脱出させるプランへの協力を取り付けた。

 

これら有力者の理解と協力の事前了解を得て、タヌキたちの出征が秘密裏に許可された。

 

「但し、今大戦は日露戦争当時と事情は違う。

 日露戦争は陸戦も海戦も範囲が限定されていたが、今度は戦線が拡大し過ぎて守備範囲が桁違いに広くなり、兵の配置人数も分散せざるを得ない。

 つまり君たちタヌキ部隊も、必然的に広く散らばるということだ。

 当然妖術などの大規模な集団戦は使えぬが、それでも良いか?」

「自ら名乗り出た身でありながら、どうして我儘を申せましょう?

我らは銘々が、必要とされた所で精一杯命を賭して頑張るのみでございます。」

 

 

 こうして戦線参加の了承を得、それぞれの戦地へ散らばるタヌキたちであった。

 それが後に各々の悲劇と地獄への道のりへと繋がる。

 

 

 

 

 

    つづく

 


お山の紅白タヌキ物語  第11話 雪江タヌキたち

2024-02-05 04:01:07 | 日記

 おせんタヌキから数えて4代目の頃。

 代々女の子ばかり生まれ、しかも おせんタヌキの卓越した特殊能力を受け継ぐ子孫たち。

 その中でも特に雪江タヌキの持つ能力(妖術と神通力)は おせんタヌキと比べ一段とパワーアップし、四国中で圧倒的NO.1を誇る。

 

 当の雪江タヌキは先代同様、相変わらずお里のお地蔵さまに通うが大好き。

 ご先祖様の おせんタヌキが持っていたDNAを、彼女が一番受け継いでいるのだろう。おミヨちゃんの孫の晶子とその兄の圭介兄妹と、親しい間柄を持続させている。

 

 余談だがおミヨちゃんは戦争未亡人。最愛の夫 慎太郎亡き後暫くは悲嘆に暮れていたが、そんな悲しみを乗り越え数年の後再婚、婿養子をとり先祖代々の田畑と、生まれ育った郷里の歴史を守っていた。

 

 お里のお地蔵さまはあの頃と比べ風化の跡が著しく、お顔の表情が分りにくくなっている。

 それでも風雪に耐えた分、慈愛の心がお身体全体から滲み出ているのかもしれない。

 お地蔵さまの周囲には可憐な野の花が途切れることなく、自身の徳の高さを示していた。

 目の前を通る村人やお遍路さんたちが一様に、まるでそれが決まり事でもあるかのように自然と手を合わせ、一礼していくのが面白い。

 雪江タヌキがその様子を見ていてその隣に鎮座するようになったのは、親や姉妹に習ったからではなく、先祖から受け継いだ当たり前の性分の成せる行動だった。

 晶子と圭介がお地蔵さまにお供物を供えるのも、おミヨちゃんの孫として自然の慣習である。

 だからいつの間にかお地蔵さまの隣に鎮座する雪江タヌキと心を通わせるようになったのも、あの時からの伝統なのかもしれない。

 雪江タヌキは おせんタヌキから受け継いでいたのかもしれないが、お地蔵さまに化けた時、やはり目元が可愛らしく何処か愛嬌があった。

 

「おはようございます、お地蔵さま!

 おはよう、お隣の可愛いお地蔵さま!

 今日も良い天気ですね。一日よろしくお願いいたします。」

 そう言ってお供物を供え、お里向こうの学校に走って行くのが兄妹の日課だった。

 

 雨の日は兄の圭介だけがやって来ることもあったが、別の日は妹の晶子だけの日もある。(彼らは風邪を引いたり、寝坊してこられない時もあった。)

 

 ふたりは夏休みになると、仲良く近くの川で水遊びをして暑い夏の日を過ごした。

 あの慎太郎がウナギを釣ってきた川である。

 だからその頃のふたりは、日に焼けて顔が真っ黒になっていた。

 

 川遊びから帰って来ると、川辺の珍しい石や野の花を積んで持ち帰り、お地蔵さまに供える。

 また、寒い冬の日などは、ごくたまに雪がちらつく。

 

 そんな時は温かい布で作ったお手製の外套をうやううやしくお地蔵さまに着せて、「どうかこれで寒さを凌いでください。」と手を合わせていた。

 もちろんお地蔵さまに化けた雪江タヌキにも。

 

 春になると向こう側のお山近くに満開の桜の木が花を添える。

その下でゴザを敷き、圭介・晶子と父母がささやかなお花見に興じ、楽し気なひと時を見せてくれた。

 

 彼らにとってお地蔵さまの周囲は居心地の良い、大切な生活の場であったのだ。

 

 そんなある日のこと。

「あら、今朝はお赤飯ね、何か良い事があったのかしら?」

 するとお隣のお地蔵さまが教えてくれた。

「あの子たちの父親の出征が決まったんだよ。昨日赤紙が届いてね。

 だから今日はお祝いのお赤飯なのだ。この食べ物に乏しいご時世に、精一杯の心づくしなのだよ。」

「出征って何?」

「それはね、この国の長引く戦争がもっと、もっ~と拡大して、多くの男たちがお国の為に戦地に送られるのだよ。だからあの一家からも代表して晶子ちゃんと圭介君の父親が参加させられることになったのだ。分るかい?」」 

「へぇー、それならこのお赤飯はとても大切なはずなのに、私たちにもお供えしてくれるなんて、何だか申し訳ないわ。」

「そうだね、でもあの一家はとても心が優しく、信心深いからね。

 感謝して有り難くいただくが良い。それが廻り回ってお前にも彼らにも善意を以って功徳を施すことになるのだから。

 さぁ、おあがり。」

 そう言って雪江タヌキを促した。

 

 雪江タヌキは思った。一家の大黒柱の父が離れて遠い戦地に行ってしまったら、残された家族は一体どうなるのだろう?と。

 幸い晶子と圭介兄妹の家には、貧しいが喰うに困らないだけの田畑の収穫がある。

 だから残された家族が力を合わせて耕せば、きっと何とかなるだろう。

 しっかり者で優しさ溢れる母親が居るし、あの兄妹たちもきっと人一倍頑張るだろう。

 しかし、あの優しい父が居なくなったら、きっと寂しいのではないかと雪江タヌキは心配した。

 しかし気丈にも晶子と圭介兄妹は、お地蔵さまと雪江タヌキの前では屈託のない明るい笑顔を絶やさない。その様子が返って痛々しくも思えた。

 

 雪江タヌキには、お山に仲の良い幼馴染がいる。

 名を健吉タヌキと云って、あの権蔵タヌキの子孫であった。

その権吉タヌキは、雪江タヌキに頭が上がらない。

「ねぇ、雪江タヌキちゃん、またお里に行ったんだって?

 お里は人間ばかりだろ?どうしてそんなにお里に行くの?

 何か良い事でもあるの?」

「権吉タヌキには分からなくても良い事よ。」

「冷たいなぁ、僕にも教えてよ!」

「だって権吉タヌキは化けるの下手くそだもん、そのタヌキの姿のままお里に行っても人間は誰も相手にしてくれないわ。それに場合によっては危険な目に遭うかもしれないでしょ?

 私ならイザとなったら何にでも化けられるから危険を遠ざけられるけど、あなたにはその能力がないから身を守れないと思うわ。だからあなたはお里に踏み入れてはいけないの。」

「じゃぁ、僕も雪江タヌキちゃんみたいに化ける能力を身に付けたら、お里に行っても良いの?」

「そうねぇ、ちゃんと化けられたらね。」

「分かった!それじゃ僕も化けられるように頑張る!雪江タヌキちゃんも見ていてね。」

 

 同い年なのに、姉と弟みたいな関係にあるふたりだった。

 

 

 雪江タヌキがお里で見聞きをしていると、人間界の出来事が嫌でも耳に入る。

「なぁ、聴いたか?また大勢の戦死者が出たんだってよ。」

「へぇ~そうなんだ。それって何処の戦地なんだ?」

「遠く南方の激戦地みたいだぞ。」

「そうか、俺たち四国から出征した者たちはどうなんだ?」

「さぁ、知らねえけど、戦死の通知が来たとは聞いたことがないから、四国出身の部隊は別の所に居るんじゃないか?」

 

 

 四国出身の出征兵士は日露戦争当時と同じ、第11師団に所属する。

 そしてその当時、11師団は満州に駐留しており、主に治安維持が担当だった。

 

 激化する戦闘の報道は情報統制下にあり、勇ましい戦果ばかりが発表され、その実態は国民に隠されている。

 でも次第に生活は厳しくなり、言論統制や行動・身なりまで制限されるにつれ、この戦争は思ったより悪いのではないか?との疑念が広まりつつあった。

 もちろん誰も表立って口にする者はいないが、重く淀んだ人間界の空気感が、事態の深刻さが増してきている世情を現わしていた。

 

 やがて里の人間たちが施す各地のほこらへのタヌキ用食料も減り続け、それを当てにしていたタヌキたちにも深刻さが伝わってくる。

 

 近年お山は然程さほどの不作に悩まされている訳ではないが、お里の人間たちからの食料支援があると飢えるタヌキたちが減り、自然淘汰の摂理が働かない。

 結果として人口タヌキこうが増え、単位面積当たりの扶養率を超えてしまった。

 だから人間の支援が滞ると途端に食糧事情が破綻するのだ。

 

 

 

 そんなある日、昔のようにまた四国全土から集結するタヌキ集会が開催された。

 

 まずはあれから(日露戦争当時から)数代後の子孫、五右衛門タヌキが口火を切る。

「四国中からお集まりのタヌキ諸君!

 今宵この場に集まってもらった訳はもうご存知だろう。

 かかる食料危機をどう思い、これからどうすべきか諸君の考えを聴きたい。」

「どうやら昨今の戦況は悪化しているらしい。

 それは我らへの食料支援が先細りしている現状から明らかである。

 しかしてその実態は未だ分らぬままではあるが、今の我らにそれを知る由もない。

 この事実を共通認識として、正確な情勢分析と今後どうすべきか合議を得たい。」

 と、数代後の丈吉郎タヌキが続いて発言。

「正確な情勢など、我らには知る手段はないではないか。しかし今後の対処方針は性急に決せねば今後の暮らしが危うくなるので、せめてそれだけでも決するべきである。」

 

 そこで五右衛門タヌキに同行してきた権蔵タヌキの末裔(健吉タヌキの父)が発言。

「我がお山の集落には、雪江タヌキと云う娘が居るが、その者は神通力が並みの者以上に優れ、私に伝えてくれたことをこの場で発表しよう。

 その者は神通力の中でもとりわけ高度な技、千里眼の使い手で、この世の出来事を総て見通すことのできる娘である。

 その者が申すには、現在の戦況は極めて悪く、今後の見通しも暗いとの事。

 このままでは先の大戦(日露戦争)の時以上のおびただしい戦死者を出すことになるだろう、と申しておりました。

 その者の申す内容は過去に外れた事無く、極めて正確であると断言できる。

 それは我が保障する。だからそれを踏まえた上で、今後どうすべきか論じて欲しい。」

 

 その場がシーンと静まり返り、重苦しい空気が充満した。

 すると五右衛門タヌキが再び発言。

「今まで人間たちが我らに示してくれた厚情に、今こそ答えるべきではないか?

 里の者たちが苦境の中にいるのに、我らが知らぬ振りでは信義にもとるし、何より今後我らの食料確保にも支障が出てくると云うもの。

 過去にお里の人間たちが我らのためほこらを設置し食料支援をしてくれ、こんなにも助けられたのは、一重に先人せんタヌキの決死の努力があったからと、我らは皆よもや忘れた訳ではあるまい。

 然るにそうであるならば、今我らが成すべきことはただ一つ。

 再び立ち、苦境にある人間を助けるべきではないか?如何に?」

 

 この場のそれぞれの意は決した。

 再び立ち上がることに。

 しかしそれは想像以上のいばらの道であった。

 

 

 

 

     つづく

 


お山の紅白タヌキ物語 第10話 おせんタヌキの恋

2024-02-03 06:18:51 | 日記

 日露戦争は日本海海戦の結果、日本側勝利のうちに幕を下ろす。

1905年9月5日セオドア・ルーズベルト アメリカ大統領の仲介により、日露双方が講和勧告を受諾し、ポーツマス条約が締結された。

 

 陸・海軍双方に(秘密裏に)所属し、戦闘に参加したタヌキたちは続々と郷里に帰還、四国のお山中が歓喜に沸く。

 おせんタヌキや権蔵タヌキ、尚五郎タヌキ、庄吉タヌキなども無事元気に戻り、お山がお祝いムードに溢れ、一気に明るくなった。

 

 それとは逆に、お里の村人たちは多数の戦死者たちを出した事と、戦争による税負担が重くのしし掛かって複雑な心境にあり、戦勝気分一色という訳にもいかない。

 

 それでも若者たちが多数帰還できたことは、明日への希望であるのは確かだった。

 

 おせんタヌキは真っ先にお里のお地蔵さまに会いに行き、無事に帰還できたことを報告、感謝を告げる。

そしてお地蔵さまの隣に並び鎮座、おミヨちゃんを待つ。

 やがていつものようにおミヨちゃんがお供物を持って現れると、

「まぁ!お地蔵さまがお二人!!おせんタヌキさんが帰っていらっしゃったのね?

 嬉しい!!良かった・・・。」

 そう言って涙ぐみ、自分の事のように喜んでくれた。

 自分の夫、慎太郎さんは永遠に帰ってこないのに。

 

 一方、お山では権蔵タヌキ、尚五郎タヌキ、庄吉タヌキたちの自慢話で持ち切り。講釈師のように饒舌に活躍した場面を語り続ける。

 

 実際彼らの功績は絶大であり、秘密の存在であったとは言え、功績を讃えるべきと軍の上層部から感謝の気持ちが伝えられた。

 と云っても、ただ「ありがとう」で終えるのではない。

 

 四国中のお山に目立たぬよう、いたるところに小さなほこらを建立、感謝の気持ちを込め勇敢なタヌキたちを讃えた。

 

 その無数の祠には、常時村人たちがタヌキたちの食べ物を供え、飢えることの無きよう手厚く見守る事にした。

 その費用を何と!陸軍省と海軍省が持ってくれたのだ。

 しかもその意向を示してくれたのは、大山巌、児玉源太郎、乃木希典、東郷平八郎、秋山真之、と錚々たるメンバーだった。

 至る所に祠を設置するよう命じられた村びとたちは、その顔ぶれに仰天する。

 それはそうだろう。

 だってそれぞれの四国県庁から発せられた依頼書には、お山の獣道けものみち沿いに、目立たせることなくひっそりと祠を設置しろと云うだけで、何の目的か明示されていない。

 村人たちはタヌキたちが出征した事を知らず、いわんや大活躍した事実など知る由もない。

 しかもその祠には、継続的にタヌキの好む食材を供えよだって?

「なんのこっちゃ?」そう思うのも当然だった。

 こんな異例な破格の扱いを受けるのは誰なんだ?タヌキの餌?どうして?

 疑問は尽きないながらも、素直に要請に従い忠実に守られた。

 やがてそんな疑問に、ひとつの推論が語られ始める。

 もしかしてお山のタヌキたちが何か大きな功績を挙げ、その結果の恩賞なのでは?と。

 そうでなければあの軍のお偉いさんたちが動く筈はない。でもまさかね?信じられないだろ?

 

 だが次第にお里におきた不思議な出来事に思い当たる。

 過去にタヌキたちが時々化けて色々協力してくれた事などを。(タヌキたちはとっくにバレているとは全く知らなかったが。)

 

 村人たちは軍のお偉いさんがそこまで感謝を示すなら、きっとそうなのだろう。と思うに至り、自分たちも上から言われてやるのではなく、自発的に自分たちの感謝の気持ちを示そうと考えるようになった。

 あのいくさは想像以上の苛烈さだったという。

 なのに多くの戦死者を出しながらも最終的に勝利できたのは、いや、多くの若者たちを守り生還させてくれたのは、きっとタヌキたちのお陰なのだろう。

 そう思うに至り、愛媛と讃岐の2か所に(祠とは別の)独自のタヌキを祭ったささやかな社を建立した。

 こうして功績をあげたタヌキたちは、その後何代も何代も村人たちに崇められる。

 

 一般にタヌキの寿命は5~6年。どんなに長生き出来ても10年そこそこ。

 それ程野生の動物たちは過酷な状況で自然界を生き抜いてきたのだ。

 しかし、この後四国のタヌキたちは村人たちの保護もあり、長い者は何と20年も生きる事ができるようになった。

 

 そんな環境改善に助けられ、おせんタヌキは幸せな人生タヌキせいをおくる。

 やがて美人びたぬきに成長したおせんタヌキには、ひっきりなしに求婚者が現れた。

 その中の幸太郎タヌキが何度も食事に誘う。

「おせんちゃん、これから気持ちの良い川岸で、僕と一緒に饅頭を食べないか?

 さっきあの祠に供えられていた美味しそうな饅頭をゲットしたんだ。

 ねぇ、一緒に食べようよぉ~!」

「饅頭?ゲットした?ゲットって何?何処の言葉?アナタって、いつも思うけど軽薄っぽく見えるんですけど。

 大体、人から貰った食べ物で、安易に私を釣ろうとする訳?アナタにとって私はそんなにお安い女に見えるの?馬鹿にしないでくれる?一昨日おととい来なさい!このヘナチョコ幸太郎タヌキ!」

 でも幸太郎タヌキは、これしきではへこたれない。

 来る日も来る日もおせんタヌキにアタックした。

「ねぇ、おせんちゃん、今度向こうのお山にピクニックに行かない?

 とっても風光明媚な場所を見つけたんだ。途中の川で鮎でも取りながら楽しく過ごそうよ。ね?良いでしょ?」

「ブッ、ブー!」

おせんタヌキはもう振り向きもせず、「ダメ」とか「嫌だ」とかも言わず「ブッ、ブー!」とクイズの不正解の時のような拒絶の反応音で答えた。

「え~!ダメなの?残念!じゃぁ、また明日ね。」

 全く懲りない幸太郎タヌキであった。

 

 そんなある日、幸太郎タヌキはふと考える。

「どうしたらおせんちゃんに振り向いてもらえるのだろう?

 おせんちゃんの興味って一体何だろう?食べ物じゃぁ振り向いてくれないし。

 そうだ!おせんちゃんは幻術や神通力が得意だっけ。

 僕もおせんちゃんのように巧みな幻術を使えるようになったら、もしかして僕の事好きになってくれるかなぁ?」

 そう思い、月夜の晩に一心不乱にタヌキ踊りの修行を積むようになった。

 

 そしてある日のこと。

 

「おせんちゃん、見て!」と修行の成果を披露する。

「ポン!」

 何と!幸太郎タヌキは、おせんタヌキが敬愛するお里のお地蔵さまに化けて見せた。

 でも、おせんタヌキは軽薄な幸太郎タヌキが不敵にも尊敬するお地蔵さまに化けるなんて、何だか聖域に土足で踏み入れられたような気がして、とても不快な気持ちになった。

「ポン!  お地蔵さまってこうなの。あなたのような不完全な化け方じゃ、返って冒瀆だと思うわ!」

 と云いながら、完成度の高いお地蔵さまになって見せる。

 

 お地蔵さまが二体。いつまでも見つめ合う。

 

 いきなり同時に「プッ!」と吹き出し、笑いあった。

 だって幸太郎タヌキのお地蔵さまはタヌキ顔丸出しで、本物とは似ても似つかないガサツな化け方である。

 それに対し、おせんタヌキのお地蔵さまは本物そっくりではあるが、どこか可愛らしい。

 特に目元が乙女そのものじゃないか。

 

「不完全な化け方?そんな事無いだろ!ホラ、今度はどうだ!  ポン!」

「やっぱり不合格!」

「これじゃ、どうだ!」

「ブッ、ブー!」

「これでは?」

「ブー!」 

「エエィ!今に見ていろ!」

 そう捨て台詞を残し、幸太郎タヌキは森の奥に駆け出した。

 

 そうして月夜の血みどろの特訓は続き、性懲りもせず、またおせんタヌキの前に姿を現した。

 おせんタヌキは思った。今日の幸太郎タヌキはいつもと違う。何だか精悍になって雰囲気が別人べつたぬきに見えるわ、と。

 幸太郎タヌキは自信満々に

「これでどうだ!  ポン!」

 今度もお地蔵さまに化けたのではあるが、いつもと目つきが違う。

 まるで二枚目俳優のように、じっと おせんタヌキを見つめ続けていると、何故か おせんタヌキは恥じらうように目を伏せた。

 

 

 ん?おせんタヌキは恋に堕ちたか?

 

 その後のふたりはご想像にお任せします。

 

 やがて おせんタヌキは所帯を持ち、たくさんの子供を産んだ。

 

 その後も おせんタヌキはお里に子ダヌキを連れ、相変わらずお地蔵さまの横で鎮座した。

 但し、昔と違うのはお地蔵さまの数。

 以前は本物と偽物の二体だけだったが、今は母タヌキと子ダヌキがワラワラと続く。

 お地蔵さまがこんなに増えた?

 しかも時々は父ダヌキも加わり、大小交々《こもごも》入交り、壮観でもあり滑稽でもある。

 何と賑やかな光景か!

 お里の観光スポットとして、一層の賑わいを見るようになったのは言うまでもない。

 

 

 それから約40年。

 

 おせんタヌキから数代後、またもやお山に暗雲が立ち込める。

 

 

 

 

 

      つづく