牡丹
梅本の両親と毎年、5月3日に当麻寺の牡丹を愛でることが
楽しみになっている。
9年続いている。
毎年同じ時期に同じ場所に立つ。
初めてその地に立った時は、牡丹て華やかだな。
くらいの感想だった。
花好きの梅本の父は季節の花を見たくて見たくて仕方がないらしい。
その父に誘われて梅本の母と3人で電車に乗った。
梅本の両親は私を娘のように可愛がってくれた。
だから、3人で行っても楽しかった。
結婚した私のパートナーは嫌なところは絶対行かない。
あまり誘うと怒りだすので快く送り出してもらう事を選ぶ。
自動車で行くと30分ほどなのに父は電車で行こうという。
便利さと時間を優先して、車で行ったこともあるけど、
やっぱり、電車がいいなあ。と私も思う。
初めて行った当麻寺の帰り「きれいやったなあ。来年も一緒に来なあかんなあ」
と父が言う。
その次の年も「きれいやったなあ。来年も一緒に来なあかんなあ」
という。
その言葉を毎年、何気なく聞いてきた。
そして、また来年も来るんだな。
と心の中で思ってきた。
毎年、足を運んでいる間に、子供も授かり
その子も、ずいぶん大きくなった。
牡丹を見に行きはじめて2回目の春はおなかに5か月
3人で愛でた牡丹を3年目から4人で見るようになった。
結婚したパートナーは5月3日は毎年変わらず家で趣味の車や単車に手を入れている。
9年間変わらず。
時間と場所が決まっているだけで、こんなに多くの気付きや発見がある。
抱っこしていた、子供は7歳になり一人で見たい色の牡丹の処にいき、
顔をちかずけ香りをかいだりできるようになった。
庭の鯉やメダカを追いかけたり。
早く帰ろう~とも言うようになった。
そしておじちゃん、おばあちゃんの足元を気使うようにもなった。
子供の名前が決まったのも、この牡丹を見に行った帰りの電車の中だった。
梅本の父は60年、ほぼ毎日、山に行き続けた林業家。
木が好きで好きで仕方がない。
山が気になって気になって仕方がない。
吉野で生まれ育ち山と一緒に人生を送ってきた人だ。
その父は、女の子がうまれてきてほしかったらしく、
女の子なら。と決めていた名前があった。
その名前をつけさせてもらった。
その子の手をつないでヨチヨチ歩きの子供にゆっくりと歩幅を会わせて歩いてくれた。
ある年は私が行けず、祖父母と孫の3人の年もあった。
駅からおんぶして連れて行ってくれた事を聞いた。
今年も言った
「きれいやったなあ。やっぱり牡丹はええなあ。来年も一緒に来なあかんなあ」
最初の年にはわからなかった、父のその言葉の意味や気持ち。
年を重ねるごとに同じ言葉が深くなることを教えてもらった。
「牡丹」かけがえのない時間
梅本亜祐子