さくら地蔵さんが50人登場。
初めの33人が世界に祈りの旅を始めてから2年が過ぎた。
ただ今、吉野・梅の庵に1000人のさくら地蔵さんが誕生されている。
先月から「わらしべ不動さん」が登場された。
さくら地蔵さまは、いつもそばにいて聞いていますよ。あなたの心の声。
言わなくてもわかっていますよ。と、そばに寄り添い、応援してくださいます。
わらしべ不動さんは、世界平和、国家安泰、めぐりあいを、ただひたすら祈ってくださっています。
小さい体ですが宇宙のスケールを感じます。
おいしいご飯でおなかを心を満たすこと。
愛のおにぎりが平和をもたらしてくれるとわらしべ不動さんはおしえてくれます。
今日も、森の仙人が吉野・梅乃庵から平和を祈っています。
梅本亜祐子
初めの33人が世界に祈りの旅を始めてから2年が過ぎた。
ただ今、吉野・梅の庵に1000人のさくら地蔵さんが誕生されている。
先月から「わらしべ不動さん」が登場された。

さくら地蔵さまは、いつもそばにいて聞いていますよ。あなたの心の声。
言わなくてもわかっていますよ。と、そばに寄り添い、応援してくださいます。
わらしべ不動さんは、世界平和、国家安泰、めぐりあいを、ただひたすら祈ってくださっています。
小さい体ですが宇宙のスケールを感じます。
おいしいご飯でおなかを心を満たすこと。
愛のおにぎりが平和をもたらしてくれるとわらしべ不動さんはおしえてくれます。
今日も、森の仙人が吉野・梅乃庵から平和を祈っています。
梅本亜祐子
日本地図が東京までしか覚えることのできなかった学生の頃。
吉野で育った私は隣町まででも遠いのに地図上で東京までの距離が果てしなく遠く思えて距離を考えるだけで頭の中が
東北まで届かなかった。
頭の中で考えてばかりいると時間と距離が遠くなることに気が付く。
友人が仙台に1人いた。地図ではわかるけど距離感がわからなかった。
東京の隣くらいだろうという時間の感覚だった。
いだきしん先生の東日本大震災の復興支援ピアノコンサートをきっかけに東北へ向かうことになった昨年。
初めて行く東北への旅は荷つくりができないほど緊張した。
マチュピチュやセドナ、ヨーロッパにも行ったけど、その時より遠い感覚だった。
そして緊張していた。
東海道新幹線から、東北新幹線に乗り換える。
東北新幹線。初めての改札。
震災から半年以上が過ぎていた。
東北新幹線のホームは同じ東京なのに東海道のホームと空気が全然違った。
そこはすでに東北の風が吹いているようだった。
1人旅のはじまり。
やわらかい空気は流れているものの、ホームに立つ人々に震災の悲しみを感じる。
何もできない小さな自分の存在。
心が痛む。
東北新幹線東北へ東北へ向かう。
東京から仙台まで役1時間40分
彼女はこの距離を育児しながら
体の勉強をするためにこの距離を通っていたのか。ともに学んできた仙台の彼女の学んでいた姿勢
にあたまを下げる。
頭をあげて見上げた空は雲がとても近く、空に近ずいたよう。
広い豊かな田んぼが広がり、大きく手を広げるかのように立つ広葉樹。
故郷吉野にはない、広がる大地。
広がる美しい景色に震災があったことを一瞬忘れる。
盛岡に到着。
憧れの北上川。
初めて降りた盛岡の地。
「頑張ろう東北」
と旗が風に揺れる。
開運橋の上に立ち、憧れの北上川の風に抱かれる。
涙があふれて仕方なかった。
ぬぐえどむぐえど涙がこぼれ落ちる。
台風の後で北上川は濁流だった。
水が怖い。そのとき初めておもった。
そんな初めての東北の旅の記憶を思い出しながら2日前。
6月23日。
私にとっては4度目の盛岡。
どの時もいだきしん先生の東日本大震災復興支援コンサート。
震災から1年以上がたって心の傷の深さを知る。
北上川の風はこんなにやさしいのに。
人の気持ちを包み込もうとしてくれているように風は吹いていた。
涙があふれて仕方なかった初めての旅から、自分の気持ちの変化にも立ち止まる。
いだき先生のコンサートの前後は私にとって奇跡の連続が起こる。
今回もとっても素敵なサプライズがあった。
6月23日はいだき先生のお誕生日で
ありがたいことに、私も6月23日に生まれたのです。
6月23日は旧暦5月5日。
沖縄終戦慰霊の日。
2012年6月23日。
盛岡にて私の中に新しい風が吹いた。
サプライズなお誕生日をしてくれたソウルメイト。
生まれてきたことを喜んでくれる人がいてくれてよかった~
友人知人から多くのお祝いメッセージをいただいて、生まれてきてよかったんだ。
と、自分を抱きしめることのできなかった自分を、祝福してくれた皆さんのおかげで、私自身を抱きしめた。
そしてどんな時も抱きしめてくれていた両親の顔がぬくもりが私を包む。
命があってこそ喜べて、涙も流せて、抱きしめあえる。
尊い生命。1つの体。1度きりの人生。
美しく生きることが平和なことなんじゃないかな。
いだき先生のピアノの音は地球をやわらかーい暖かい光で包み込んでくれたようだった。
吉野に戻る朝、ソウルメイトの1人と北上川を散歩した。
風がふっと教えてくれて、足元を見ると、
4葉のクローバーが光って見えた。
一緒に来てくれたソウルメイトにプレゼントした。
北上川に抱かれる。
これでいいのだ。
梅本亜裕子
、
吉野で育った私は隣町まででも遠いのに地図上で東京までの距離が果てしなく遠く思えて距離を考えるだけで頭の中が
東北まで届かなかった。
頭の中で考えてばかりいると時間と距離が遠くなることに気が付く。
友人が仙台に1人いた。地図ではわかるけど距離感がわからなかった。
東京の隣くらいだろうという時間の感覚だった。
いだきしん先生の東日本大震災の復興支援ピアノコンサートをきっかけに東北へ向かうことになった昨年。
初めて行く東北への旅は荷つくりができないほど緊張した。
マチュピチュやセドナ、ヨーロッパにも行ったけど、その時より遠い感覚だった。
そして緊張していた。
東海道新幹線から、東北新幹線に乗り換える。
東北新幹線。初めての改札。
震災から半年以上が過ぎていた。
東北新幹線のホームは同じ東京なのに東海道のホームと空気が全然違った。
そこはすでに東北の風が吹いているようだった。
1人旅のはじまり。
やわらかい空気は流れているものの、ホームに立つ人々に震災の悲しみを感じる。
何もできない小さな自分の存在。
心が痛む。
東北新幹線東北へ東北へ向かう。
東京から仙台まで役1時間40分
彼女はこの距離を育児しながら
体の勉強をするためにこの距離を通っていたのか。ともに学んできた仙台の彼女の学んでいた姿勢
にあたまを下げる。
頭をあげて見上げた空は雲がとても近く、空に近ずいたよう。
広い豊かな田んぼが広がり、大きく手を広げるかのように立つ広葉樹。
故郷吉野にはない、広がる大地。
広がる美しい景色に震災があったことを一瞬忘れる。
盛岡に到着。
憧れの北上川。
初めて降りた盛岡の地。
「頑張ろう東北」
と旗が風に揺れる。
開運橋の上に立ち、憧れの北上川の風に抱かれる。
涙があふれて仕方なかった。
ぬぐえどむぐえど涙がこぼれ落ちる。
台風の後で北上川は濁流だった。
水が怖い。そのとき初めておもった。
そんな初めての東北の旅の記憶を思い出しながら2日前。
6月23日。
私にとっては4度目の盛岡。
どの時もいだきしん先生の東日本大震災復興支援コンサート。
震災から1年以上がたって心の傷の深さを知る。
北上川の風はこんなにやさしいのに。
人の気持ちを包み込もうとしてくれているように風は吹いていた。
涙があふれて仕方なかった初めての旅から、自分の気持ちの変化にも立ち止まる。
いだき先生のコンサートの前後は私にとって奇跡の連続が起こる。
今回もとっても素敵なサプライズがあった。
6月23日はいだき先生のお誕生日で
ありがたいことに、私も6月23日に生まれたのです。
6月23日は旧暦5月5日。
沖縄終戦慰霊の日。
2012年6月23日。
盛岡にて私の中に新しい風が吹いた。
サプライズなお誕生日をしてくれたソウルメイト。
生まれてきたことを喜んでくれる人がいてくれてよかった~
友人知人から多くのお祝いメッセージをいただいて、生まれてきてよかったんだ。
と、自分を抱きしめることのできなかった自分を、祝福してくれた皆さんのおかげで、私自身を抱きしめた。
そしてどんな時も抱きしめてくれていた両親の顔がぬくもりが私を包む。
命があってこそ喜べて、涙も流せて、抱きしめあえる。
尊い生命。1つの体。1度きりの人生。
美しく生きることが平和なことなんじゃないかな。
いだき先生のピアノの音は地球をやわらかーい暖かい光で包み込んでくれたようだった。
吉野に戻る朝、ソウルメイトの1人と北上川を散歩した。
風がふっと教えてくれて、足元を見ると、
4葉のクローバーが光って見えた。
一緒に来てくれたソウルメイトにプレゼントした。
北上川に抱かれる。
これでいいのだ。
梅本亜裕子
、