労働組合 社会運動ってなんだろう?

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「万国の労働者団結せよ!」というコトバが好きです(笑)

バーナード・ハットン『スターリン』  講談社学術文庫  を読んで

2005-01-04 16:37:16 | むかしに書いたもの
現在では少し認識が変わったところもあるかもしれないが、一つの思いでとして残す。
                      1997年夏、夏休み課題として作成(未提出)
                      これをだいぶ前に改訂した記憶がある

はじめに
 私がこの本に始めてであったのは、高校生のときだった。高校の文化祭の古本市で並んでおり、ひょんなことで購入したことに始まる。それ以来、蔵書(?)の一冊として、本棚に存在しだしたのである。

Ⅰ この本について
 このハットンの著作『スターリン』は、今日入手が容易であるスターリン伝唯一のものであろう。反共的著作ではなく、ただ事実を淡々とおう姿勢が、内容の客観性と信頼性をもたせるのである。著者は、事情あって共産主義運動から離れたが、活動家時代にレーニン夫人のクルプスカヤなどと親交があり、ソ連の裏事情にも通じていたと思われる。
 共産主義運動史、政治家としての共産主義者の理解はときとして難しいものがある。1つは礼賛として、1つは一種のプロパガンダ的な反共デマ攻撃的な研究があり、一層混沌として見えて理解を困難にするのである。この点でこの著作は信頼性が高くなるのである、まず共産主義運動から離れたこと、二つ目は職業的反共主義著述業人ではないことである。
 この『スターリン』の学術文庫版の刊行は、1989年である。もとの版的なものは、1962年頃に新潮社から刊行されたようである(訳者あとがきの日付より推定。なおこのあとがきは、学術文庫版のあとがきの前にあるものである。新潮社ということは、あとがきの最後に新潮社の編集者への感謝の文があるからわかる)。
 

 スターリンは、今日的認識では極悪非道の人物と理解されている。しかし彼の生前および死後の一時期までは、偶像だったのである。共産主義的陣営においては、おおよそ最大級の飾り言葉をつけて語られたのである。
 彼の書く著作は、すべて聖典だったのである。『弁証法的唯物論と史的唯物論』『ソ同盟共産党(ボ)小史』『レーニン主義の基礎』(いずれも大月書店国民文庫)など、今では古本でも見かけることのない著作群たち。大月書店からでた『スターリン全集』『スターリン戦後著作集』。今ではその理論的な部分は、否定されている。もともと科学的社会主義の理論を、理解していなかったのである。しかしこの杜撰な著作は、一時期まで美化されたのである。
 また『マルクス=レーニン主義古典入門』『現代マルクス主義とその批判者』(いずれも大月書店国民文庫)などでは、スターリンの著作は最大限の言葉をもって美化をしたのである。


 この最大の美化の動きは、死後のあるとき一変した。これまでの礼賛の動きは、吐き捨てられる道を歩みだしたのである。これはいわゆるスターリン批判の動きの中である。
 スターリンは1956年の、ソ連共産党第20回大会で批判された。これはフルシチョフの秘密報告であった。もっともすぐに某筋から、アメリカへ伝わり、それが世界的に広がり公然化したのである。もっとも当のソ連の人たちが、当時どれだけが伝えられたかは不明である。日本におけるこの報告の邦訳は、講談社学術文庫の一冊として納められている。
 その後1962年の、共産党第22回大会で、スターリンのレーニン廟からの追放が決定された。もっともそのときの名前は、レーニン・スターリン廟であったが。知っての通りレーニン廟は、レーニンの死後生体を保存するため永久保存処置の上でつくられた廟である。スターリンが死んだ後同じような処置がなされ、レーニン・スターリン廟として一緒におかれたのである。どうやらレーニンよりスターリンの方が大きかったようである。
 もっともこの22回大会で、スターリンは追放されまたレーニン廟に戻ったのである。スターリンの遺体は火葬にされたようである。




 スターリンの悪行として有名なのは、粛清である。その規模は膨大すぎて、その全体像を把握することは極めて困難なものとなっている。
 この粛清は、党の整風のため不純な分子を追放する正しい整風ではなく、スターリンの権力基盤を強いものとする一種の恐怖政治的な弾圧であったのである。
 ソ連共産党関係の犠牲者として有名なのは、トロッキー(亡命ののちメキシコで暗殺)、ブバーリン(死後復権)、リヤザノフ(マルクス=エンゲルス研究所所長、粛清をくらい死亡)などである。これは全体のホンに一部である。
 日本人では、共産主義者で劇作家の杉本栄吉や、幹部で逃れていた山本懸蔵である。のちに、山本は同志であった野坂参三に不当な罪状で密告され、スパイ容疑で捕まり処刑されたことが明らかになった。野坂はまた戦後もソ連と内通し、日本共産党が自主独立路線を確立した後も関係を続けた、これは党を裏切る行為であった。そのため100歳近い年ではあったが、名誉議長の職を解任され党を除名されたのである。
 野坂の件は、ソ連共産党の秘密文書が表にでたため明らかになった。よもや明らかになるとは思わなかったのが明らかになったため、野坂の悪行は暴かれ、党から排除されたのである。


 全体的には、スターリン批判の前は、共産主義的陣営は礼賛のものだった。しかし若干ではあるが、スターリン批判者がいた。日本人で有名なのは、対馬忠行や三浦つとむである。
 対馬氏のスターリン批判の本は、最近こぶし書房からこぶし文庫の一冊として『クレムリンの神話』として刊行された。
 
 三浦つとむは、在野の哲学者であった。初期の著作としては、名著『哲学入門』(現在仮説社から復刊)、『弁証法・いかに学ぶべきか』(季節社より復刊、ただし現在品切れ)などがある。
 スターリン批判の皮切りは、スターリンの言語学批判であった。のちに哲学者であるとともに言語学者としても活躍し、『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫)などがある。また哲学の著作としての『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)などがある。
 彼のスターリン批判の記念碑的論文は、のちに『この直言を敢えてする』(学風書房)に収められた。この本は、現在こぶし書房からこぶし文庫の一冊として復刊された。
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 Ⅳ スターリン批判
 スターリン批判は、根本的になされたものではなかった。スターリン批判後もスターリン主義の亜流が生き続けたのである。国内的には抑圧政治・国際的には干渉と大国主義・覇権主義の体制、そこには本来の科学的社会主義の見地など陰もかたちもない。
 他国の共産主義運動や民主的緒運動への介入、これはソ連だけでなく中国や北朝鮮の共産党・労働党は、世界中にしてきたのである。それは、例外なく日本にもおこなわれた。しかし、結論からいうと介入は失敗したのである。この実態や闘いを示す著作は、多種ある。いくつかを上げるのなら次のものがある。橋爪利次『体験的日中友好裏面史』日本機関紙出版社、小島優編『日中両党会談始始末記増補版―共同コミュニケはどうして破棄されたか―』新日本出版社(文庫)、不破哲三『ソ連・中国・北朝鮮-三つの覇権主義』新日本出版社、『スターリンと大国主義』新日本新書、『日本共産党に対する干渉と内通の記録』新日本出版社などである。
 ソ連・中国・北朝鮮の干渉は卑劣なものであったことは、すでに明らかになっている。しかしこれは科学的社会主義の理屈に明らかに反するものだったのである。


 スターリンの問題は、極めて根の深いものである。このリポートでは今段階においては到底まとめることはできない。スターリンの周辺、その死後を振り返ってみるのが限界だった。この著作の内容自体は難しいものではない。事実を淡々と追うスターリン伝である。しかしそこからでてくるスターリン体制は、必ずしもスターリンの死で清算はされなかったのである。
 スターリン主義、それは一種のファシズムである。一見共産主義を装う、かつヒットラーやムッソリーニとは別の形態のファシズムである。そこには真の科学的社会主義・共産主義の実態はないのである。すっかり転化しきった別物なのである。真の科学的社会主義とスターリン主義は峻別して考える必要があるのである。
 ところがその峻別が実際はなかなかなされない。もともとソ連はレーニンの指導のもと、社会主義をめざす国づくりをふみだした。しかしその死後、スターリンの権力掌握後これは質的に転化したのである。しかしその転化を、知らないのが多いからである。
 ただ同時に共産主義者は同時に考える必要がある。それは共産主義陣営から、スターリン・毛沢東・金日成がでてきた事実である。これらは変質の産物ではあるが、何故こんなものがでてきたのかを、真剣に考えなくてはならないのである。
 同時にこれは、すべての集団にも当てはまる。いわゆる組織と個人の関係である。組織の悪に―実際は少数の人物の利益のもとの決定―に対し、個人は何をおこなうべきか。これもスターリン批判の1つの切り口からでてくる、1つの展開であるように思えるのである。
 スターリン批判は、いわゆる社会主義諸国の問題および認識のためのものではない、同時に高度に発達した資本主義国・政治的にはかなり民主的な国の問題でもあるのである。ある面スターリンの裏返しであるヒットラーが、ワイマール憲法体制で生まれことがあるからである。ワイマール憲法は当時一番民主的だとされた、そこからそれに敵対するヒットラーが生まれたのである。結局の所、ただ憲法・法規の条文の問題だけでなく、それを担う国民のレベルが、真の民主国家をつくるかにかかわってくるのである。資本主義の道を、社会主義の道を歩むにしても、組織と個人の問題、組織内民主主義を解決しない限り、ファシズムの可能性が大きくなるのである。その点でスターリン批判は極めて今日的で大切のように思えるのである。

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