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香港文化博物館

2008年02月03日 | 香港街歩き

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香港文化博物館 Hong Kong Heritage Museum

Hkhm103 香港・沙田の城門河のほとりに香港文化博物館がある。行き方は簡単、KCR(九広東鉄)で大圍で馬鉄に乗換え、一つ目の車公廟で下車徒歩10分程度だからダウンタウンから30分とかからない。2000Hkhm102_2 年12月にオープン、総床面積約3万平米5階建で香港にある博物館では最大である。企画展示場(6室)と常設展示場(6室)の他、劇場・セミナールーム・カフェなどがあり、香港(新界)の歴史や芸術・文化を鑑賞できる。2時間くらいかけて見る価値は十分にある。入場料は大人10香港ドル(60歳以上と学生は半額)、休館日は火曜日(祝日はオープン)、開館時間は10時から18時(日・祝日は19時)。とても大きなエントランスの脇に二つの2m位の景泰藍瓶(七宝焼)がある。これらは香港が特別行政区となった時に北京市から贈られたもので、花瓶の下部に「北京市人民政府贈、一九九七年七月一日」と描かれている。常設展示室のいくつかを紹介しよう。

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徐展堂中國藝術館 T.T.Tsui Gallery of Chinese Art

Hkhmgc101_2 先ずは二樓まで上がってみよう。二樓は日本でいう3階、香港は英国式になっていて、1階はGround floor(地下)、2階は1st floor(一樓)、3階は2nd floor(二樓)と呼ぶ。中国に入ると日本といっしょの呼び方になる。この展示室には世界的な骨董収集家であった徐展堂博士の収集品400点あまりが展示されている。 年代別に展示された陶器の数々は見事なものである。

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写真上段左から 

  • 黒釉器:晉から宋代まで河南・江西・福建・河北で多く作られた。
  • 雷紋盤:戦国時代(公元前475-前221)に作られたもの
  • 青花荷塘紋盆:元代(1279-1368)
  • 白釉劃鹿紋枕:磁州窯(華北最大の窯場)、宋代(960-1279)
  • 青釉雙環耳瓶一對:龍泉窯、元代
  • 青白釉貼梅花紋梅瓶一對:元代

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  • 三彩駱駝:唐代(618-907)、埋葬品から大量に三彩駱駝が発見され、唐代に中西貿Hkhmgc105 易が盛んだったことを物語っている
  • 青白釉推塑皈依瓶:宋代
  • 三彩鎮墓獸:唐代、怒り狂った人の顔、牛の蹄のような足、象のような大きな耳、そして翼、何とも恐ろしい獣だが墓を守るために埋葬
  • 白玉蓋瓶:清代(1736-1795)
  • 三彩馬:唐代、馬は商業貿易には欠かせない

陶磁器のほかに仏像、見事な調度品や民族衣装などの展示もあって楽しめる。写真右上は集密普賢(普賢菩薩の曼荼羅、画像をクリックすれば拡大)

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新界文物館 New Territoreies Heritage Hall

Hkhmn10 一樓(二階)に新界文物館がある。九龍・尖沙咀にある香港歴史博物館では香港全体の歴史を詳しく伝えているが、ここではこの博物館所在地である新界にスッポトをあて、8つのテーマゾーンに分けて新界の歴史と発展を展示している。三棟屋博物館にも同じような展示があるが、ここはスケールが違う。古き新界地区の生活、早くから海上貿易が進んできた様子、当時の海防施設、漁村として育ってきた集落、農業の様子や英国統治から影響を受けて近代化された街並み・商店など見事に再現している。

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粤劇文物館 Cantonese Opera Heritage Hall

Hkhmco02 新界文物館の隣にあるのは粤劇(広東オペラ)文物館。広東オペラの歴史は200年以上もあって、その歴史や興行の様子が良く分かる。実物大で興行の様子(写真・右)の再現は迫力がある。昔は船で地方興行に出かけたのであろう船の模型や当時の書類などは興味Hkhmco04_2 を引かれる。珠海での興行のチラシ(写真・左)などもあって、長い歴史で広東オペラが広く愛されているのが良く分かる。楽屋の紹介(写真・下)もあり衣装・行李・化粧台が展示されている。このホールの隣に小ぶりの劇場があって、時間が上手く合うと30分程度だが広東オペラが鑑賞できる。この文物館でもビデオ放映だが広東オペラを見ることも出来る。

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趙少昂藝術館 Chao Shao-an Galley

趙少昂は1905年広東省で生まれ、20代で世界的な才能を認められた画家。広州大学美術科教授、領南藝苑を設立して(中国国画)美術教育に貢献。アメリカや日本でも個展を開催し好評を得ている。このギャラリー(二階・一樓/写真・左)では趙少昂教授の作品や功績とアトリエなども再現している。(趙少を誤って趙少と記載していました、ご指摘頂いた読者の方に感謝申し上げます)

皃童探知館 Children's Discovery Gallery

児童探知館(写真・右)は一階(G)奥にあって、農村生活や自然の不思議など子供達が目で見て体験できるようになっている。スタッフも丁寧に子供達を相手してくれるから子供連れでの訪問なら必見。

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Hkhm111 ざっと常設展示場を紹介したが、専題展覧(企画展)についてはエントランスに案内がある。6会場で開催される内容は半年くらいで替わるが、結構価値ある展示がいつも企画されている。外国人にはとても人気がある茶室(ティールーム)やギフトショップ(写真・右)もある。土産物屋で買えないような珍しいものが安価で購入できる。

公式サイト(英文・中文のみ) 香港文化博物館

 


灣仔民間博物館

2008年02月02日 | 香港街歩き

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灣仔民間博物館 Wan Chai Livelihood Museum

灣仔(ワンチャイ)に珍しい博物館がある。築後100年近くなる老朽化したビルの1階にこの博物館がある。その名の通り地区住民が作ったもので、庶民の暮らしと関係深い品々が展示されている。わざわざ訪ねるほどのものではないが、灣仔に出かけたら寄るのも、この古いビルを見るだけでも楽しみはある。青い塗装は老朽化対策のときに塗られた、青い建物なので「藍屋」と呼ばれている。いつ取り壊しになるかこんな建物の中に庶民が使った古い道具など展示されており、古き香港の暮らしに触れることが出来る。13時~17時オープン、休館(水曜・祝祭日)、入場無料。

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警隊博物館

2008年02月01日 | 香港街歩き

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警隊博物館 Police Museum

香港の警察官ってかっこ良いと思った人は多いでしょう。香港警察は160年を超える歴史があります。警察官が使用していた制服や携行品と歴史資料が保存展示しているのが警隊博物館。ビクトリアピークに向かう途中、(山頂甘道27号)にある。山頂へ行きか帰りかにバスを使うなら途中に「警隊博物館前」のバス停があるので下車すると良い。バス停から少し登り道を歩くが、博物館と言えないような小さな建物。香港犯罪組織(三合会)についても触れており毒品展覧室には麻薬の精製装置も展示されている。入場・無料、休館日は月曜と祝日、水~日 9:00~17:00、火 14:00~17:00

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三棟屋博物館

2007年12月24日 | 香港街歩き

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三棟屋博物館 SAM TUNG UK MUSEUM (香港・荃灣)

客家(Hakka) おもに広東省・福建省・江西省にまたがる山岳地帯に住む人々を客家(ハッカ)と呼ぶ。客Sam_tung_uk_011 家に「よそ者」と意味があるように、先住民ではなく華北から移住してきた人たちと考えられている。先住民との争いが絶えなかったこともあって、彼らは一族で砦のような土楼(住宅)に住んでいる。山岳地帯では回りが円形城壁の円楼に、平野部では方形の塀で囲まれた方楼に住んでいる。言葉は客家語を話し、子供達の教育には熱心だった。流通・商業に精通する人々が多く、海外で活躍する華人には客家出身が多い。政治家では孫文や小平は客家出身。写真右は三棟屋の鳥瞰図。

三棟屋博物館 香港にも客家の囲村(walled village)がいくつか残っている。MTR(荃灣線)の終点・荃灣駅から徒Sam_tung_uk_013歩5分に復元された客家・三棟屋がある。福建省出身の陳姓一族が18世紀にこの地に建てた。1981年に保存・復元が決められて1987年に完成、博物館として一般に無料開放されている。(写真左は修復工事直前の三棟屋) 面積は2,000㎡で建物の配置は碁盤のようになっており、左右対称である。中央軸上に前庁、中庁と祠があり、両側には4つの独立した居室、その周りに横屋が並び、囲村を形成している。三棟屋の歴史は200年以上であり、その建築様式は独特で新界の囲村として史跡価値は高い。

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                三棟屋の中軸 中庁と祠

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4つの居室は当時使われていた調度品を展示して彼らの生活ぶりを再現している。部屋は2階構造となっており、かなり機能的な感じだ。また当時使われた農機具なども展示されている。

 

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荃灣今昔 TSUEN WAN THEN & NOW

三棟屋の奥にかなり大き目の展示室があり、荃灣の歴史が展示されている。あなたは「荃灣」と聞いて何を思い浮かべますか? MTR(地下鉄)終点駅、新界、青馬大橋、新しい香港のベッドタウン・・・こんなイメージで展示は始まる。荃灣の駅を出ると中高層のマンション群、Sam_tung_uk_017 まさに近代的な大きなベッドタウンだが、1910年の人口はわずか3千人ほどで、農業と漁業で生計を立てていた小さな村だった。1960年頃より人口が増え始め、紡績など産業が盛んになり1980年には60万を超えたが、現在は30万人程度。客家がこの地に移り住んだのが1800年代、展示室にはその歴史を集落・文教・経済・日常生活と分かりやすく紹介している。昔中国では婦人は農業にあまり従事しないが、客家の婦人達は農業に携わったと聞いていたが、展示パネルで納得。三棟屋見学も素晴らしいが、是非この展示室も押さえておきたい。係員の人たちもとても親切に応対してくれる。館内の清掃している人も客家の婦人のスタイルで楽しい。

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吉慶圍 Kat Hing Wai

香港で囲村(Walled Village)というと、新界・錦田にある吉慶圍が有名。新界(New Sam_tung_uk_021 Territory)は近年開発が進み、客家が作った囲村は少なくなっている。城壁がほぼ完全な形で残っているのはこの吉慶圍。新界を訪ねるオプションツアーでは必ずこの地が選ばれている。しかし囲村の中は狭い路地と奥にある祠(写真左)に面影が残っているだけで住居は近代的に改築されている。入り口に3HK$(港元)を入れて下さいと記してあるが、入り口にたむろしているおばあさん達が頃合を見計らって衣装?を整えて、Sam_tung_uk_022祠を見学している旅行客のところに来る。「10ホンコンダラー」と手を出す。支払うと写真を撮らせてくれる。80歳前後と思うが結構愛嬌がある。入り口で3HK$払うよりおばあさんに写真を撮る人だけが10HK$支払うほうが良いと思っている。入り口付近の部屋で年配のご婦人方が麻雀をしているが、大きな声で怒られるから覗き込まないほうが良い。吉慶圍を訪ねても雰囲気はあるが、この地での客家の歴史は分からない。前述の三棟屋を訪ねるとその歴史が良く分かる。吉慶圍より足の便は良い(尖沙咀から地下鉄で20分ほど)ので、三棟屋も是非訪ねて欲しい。

 


香港歴史博物館

2006年09月18日 | 香港街歩き

 

香港故事 Hong Kong Museun of History

香港尖沙咀に香港科學館に隣接して「香港歴史博物館」がある。香港は政都と離れていただけに中世での史実や遺跡があまりない。それにも関わらず1975年博物館設立以来、保存と研究を重ねてきた集大成というだけに他の歴史博物館に遜色ない中味があるものだ。ちょっと1時間程度訪ねて見ようなどとは思わないほうが良い、たっぷり半日かけて見る価値がある。4億年前のデボン紀から1997年返還までを8つのテーマに分け、3700点余りの展示品、またマルチメディアを駆使して紹介をしている。建物が大きすぎて入口が分かりにくいので、尖沙咀から加連咸老道(Granville)を東へ400m、漆咸道南(Chathan Road South)との交差するところに大きな歩道橋があるので、これを進むと博物館入口に行ける。入場料は10港元、水曜日(星期三)は無料、火曜日は休館、開館時間は午前10時。

 

有史前の香港 史前時期的香港

新石器時代には香港に人類が暮らしていた。出土した石器などで多くは海岸近くの砂浜で生活したことが分かっている。このゾーンでは実物大の模型で当時の暮らしぶりを紹介している。4億年前と書いてある入り口を入ると石壁があるが自然の石を加工して作られているので本物そっくりで、岩石や化石の標本で4億年前の地質を説明している。トンネルを抜けると20mほどの樹木が茂った林に爬虫類・鳥類・哺乳類の標本が置かれていて6000年前の香港の動植物や自然環境が分かる。

 

漢時代から清朝まで 從漢至清朝

中原の漢民族が次々と嶺南地域に南下してきて、進んだ文化を持ち込んだ。宋代には珠江デルタ地帯の開拓が進み移民が大幅に増え、嶺南地域は発展した。明朝時代には様々な氏族が香港に移住してきた。水上生活者の様子は実物大の漁船が展示されているので良く分かる。再現された塩田で福老人の伝統的な製塩技術を知ることが出来る。

 

香港の民族

香港と華南に暮らす4つの主要民族の生活習俗が紹介されている。見て頂くと分かると思うが色使いが、赤・緑・黄(金)の三色が鮮やかで目立つ。現在の中国の寺院や獅子舞も同じような配色である。これらの色の意味は、赤は「幸せ」、緑は「平和と永遠」、黄(金)は「富と力」である。

 

アヘン戦争と香港の割譲

19世紀の英国は陶磁器・絹・茶などを大量に清国から輸入したが、代わりに清に輸出したのは庶民には手の届かない時計などの高級品であったので英国は大きな貿易赤字となった。そのために当時植民地であったインドで作ったアヘンを三角貿易で清国に大量輸出した。清国はアヘンの輸入は禁止していたが密輸入は進み、吸引者が増え健康を害するものが増え風紀も乱れた。清朝8代皇帝の道光帝が林則徐にアヘンの取締りを強化させた。彼は買収にも応じずアヘン商人に誓約書を取り付け、英国人が所有するアヘンを没収した。アヘンは海水と消石灰との化学反応で無害化させることで林則徐は1500トンものアヘンを処分した。上・左の写真はその模様の模型である。このときに化学反応の煙が立ち上ったので焼却処分したという風聞がある。

林則徐のアヘンを売買しないという誓約書に米国商人はすぐに応じたので香港での貿易は米国が中心になり英国の貿易は閉ざされた。1839年英国は東洋艦隊を天津に向けたので驚いた北京政府は林則徐を解任した。さらに英国艦隊は香港割譲などの要求を出し清朝は拒否、香港は戦場となった。これがアヘン戦争である。戦力に勝る英国の一方的な勝利となり、1842年8月29日清と英国は南京条約を結び、香港の割譲が決まった。右にあるのがそのときの調印書である。それは英国有利な一方的な条件が記されているが、戦争の原因であったアヘンについては一言も書かれていない。なぜこのような条件を清が応じたのか、広州が北京からあまりにも遠く離れていることも原因している。

香港開港と初期の発展 香港開埠及早年發展

 1842年南京条約で香港島を、1860年に北京条約にて九龍半島南部をイギリスに割譲で英国の植民地となった香港は英国文化の影響を大きく受けて発展した。展示室には九龍半島南部とビクトリアハーバーの拡大写真を背景に、3階建ての欧州建築があり、港には蒸気船が停泊している。洋館の裏には太平洋戦争(大東亜戦争)が始るまでの商店や銀行なども再現されている。英国の影響を受けてのは建築物だけでなく交通機関もこの次期に大きく発展した。2階建路面電車(トラム)、スターフェリー(天星小輪)、ピークトラム(山頂纜車)が100年以上の歴史があるわけだ。 

日本占領期

 太平洋戦争勃発により日本軍は香港に進駐した。18日間の激しい戦闘の末、1941年12月25日香港総督マーク・ヤングが日本に投降して、香港は日本占領下という3年8ヶ月の暗黒時代に陥る。このテーマ室は防空壕のような形をしており、入口には中環の匯豊銀行前に設置されていた「香港占領地総督部」の木製の看板が展示されている。展示の写真の中に九龍駅の時計台近くも戦場になっていたことが分かる。日本軍の磯貝廉介中将が香港総督になったが、占領期に使われた日本発行の紙幣や日本語教育の貴重な資料も展示されている。また当時香港市街に貼られたポスターも興味深い。展示説明の中に日本軍と勇敢に戦った東江部隊を称える表現は当然だが、特に日本を批判するような表現はなく、極めて史実通りに表現されている。

 

 

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現代都市と香港返還

上の写真は「香港開港と初期の発展」のゾーンにあるもの。「香港故事」の最終展示は、戦後の香港が現代都市へと発展する過程と後半には1997年に中英共同声明の調印に至る返還の過程を紹介している。1960年代の工業・貿易の発展、そして住宅内部、映画館や商店などが紹介されている。最後の大形映像展示では香港特別行政区と中央政府との関係紹介は興味深い。