香港歴史博物館

2006年09月18日 | 香港街歩き

 

香港故事 Hong Kong Museun of History

香港尖沙咀に香港科學館に隣接して「香港歴史博物館」がある。香港は政都と離れていただけに中世での史実や遺跡があまりない。それにも関わらず1975年博物館設立以来、保存と研究を重ねてきた集大成というだけに他の歴史博物館に遜色ない中味があるものだ。ちょっと1時間程度訪ねて見ようなどとは思わないほうが良い、たっぷり半日かけて見る価値がある。4億年前のデボン紀から1997年返還までを8つのテーマに分け、3700点余りの展示品、またマルチメディアを駆使して紹介をしている。建物が大きすぎて入口が分かりにくいので、尖沙咀から加連咸老道(Granville)を東へ400m、漆咸道南(Chathan Road South)との交差するところに大きな歩道橋があるので、これを進むと博物館入口に行ける。入場料は10港元、水曜日(星期三)は無料、火曜日は休館、開館時間は午前10時。

 

有史前の香港 史前時期的香港

新石器時代には香港に人類が暮らしていた。出土した石器などで多くは海岸近くの砂浜で生活したことが分かっている。このゾーンでは実物大の模型で当時の暮らしぶりを紹介している。4億年前と書いてある入り口を入ると石壁があるが自然の石を加工して作られているので本物そっくりで、岩石や化石の標本で4億年前の地質を説明している。トンネルを抜けると20mほどの樹木が茂った林に爬虫類・鳥類・哺乳類の標本が置かれていて6000年前の香港の動植物や自然環境が分かる。

 

漢時代から清朝まで 從漢至清朝

中原の漢民族が次々と嶺南地域に南下してきて、進んだ文化を持ち込んだ。宋代には珠江デルタ地帯の開拓が進み移民が大幅に増え、嶺南地域は発展した。明朝時代には様々な氏族が香港に移住してきた。水上生活者の様子は実物大の漁船が展示されているので良く分かる。再現された塩田で福老人の伝統的な製塩技術を知ることが出来る。

 

香港の民族

香港と華南に暮らす4つの主要民族の生活習俗が紹介されている。見て頂くと分かると思うが色使いが、赤・緑・黄(金)の三色が鮮やかで目立つ。現在の中国の寺院や獅子舞も同じような配色である。これらの色の意味は、赤は「幸せ」、緑は「平和と永遠」、黄(金)は「富と力」である。

 

アヘン戦争と香港の割譲

19世紀の英国は陶磁器・絹・茶などを大量に清国から輸入したが、代わりに清に輸出したのは庶民には手の届かない時計などの高級品であったので英国は大きな貿易赤字となった。そのために当時植民地であったインドで作ったアヘンを三角貿易で清国に大量輸出した。清国はアヘンの輸入は禁止していたが密輸入は進み、吸引者が増え健康を害するものが増え風紀も乱れた。清朝8代皇帝の道光帝が林則徐にアヘンの取締りを強化させた。彼は買収にも応じずアヘン商人に誓約書を取り付け、英国人が所有するアヘンを没収した。アヘンは海水と消石灰との化学反応で無害化させることで林則徐は1500トンものアヘンを処分した。上・左の写真はその模様の模型である。このときに化学反応の煙が立ち上ったので焼却処分したという風聞がある。

林則徐のアヘンを売買しないという誓約書に米国商人はすぐに応じたので香港での貿易は米国が中心になり英国の貿易は閉ざされた。1839年英国は東洋艦隊を天津に向けたので驚いた北京政府は林則徐を解任した。さらに英国艦隊は香港割譲などの要求を出し清朝は拒否、香港は戦場となった。これがアヘン戦争である。戦力に勝る英国の一方的な勝利となり、1842年8月29日清と英国は南京条約を結び、香港の割譲が決まった。右にあるのがそのときの調印書である。それは英国有利な一方的な条件が記されているが、戦争の原因であったアヘンについては一言も書かれていない。なぜこのような条件を清が応じたのか、広州が北京からあまりにも遠く離れていることも原因している。

香港開港と初期の発展 香港開埠及早年發展

 1842年南京条約で香港島を、1860年に北京条約にて九龍半島南部をイギリスに割譲で英国の植民地となった香港は英国文化の影響を大きく受けて発展した。展示室には九龍半島南部とビクトリアハーバーの拡大写真を背景に、3階建ての欧州建築があり、港には蒸気船が停泊している。洋館の裏には太平洋戦争(大東亜戦争)が始るまでの商店や銀行なども再現されている。英国の影響を受けてのは建築物だけでなく交通機関もこの次期に大きく発展した。2階建路面電車(トラム)、スターフェリー(天星小輪)、ピークトラム(山頂纜車)が100年以上の歴史があるわけだ。 

日本占領期

 太平洋戦争勃発により日本軍は香港に進駐した。18日間の激しい戦闘の末、1941年12月25日香港総督マーク・ヤングが日本に投降して、香港は日本占領下という3年8ヶ月の暗黒時代に陥る。このテーマ室は防空壕のような形をしており、入口には中環の匯豊銀行前に設置されていた「香港占領地総督部」の木製の看板が展示されている。展示の写真の中に九龍駅の時計台近くも戦場になっていたことが分かる。日本軍の磯貝廉介中将が香港総督になったが、占領期に使われた日本発行の紙幣や日本語教育の貴重な資料も展示されている。また当時香港市街に貼られたポスターも興味深い。展示説明の中に日本軍と勇敢に戦った東江部隊を称える表現は当然だが、特に日本を批判するような表現はなく、極めて史実通りに表現されている。

 

 

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現代都市と香港返還

上の写真は「香港開港と初期の発展」のゾーンにあるもの。「香港故事」の最終展示は、戦後の香港が現代都市へと発展する過程と後半には1997年に中英共同声明の調印に至る返還の過程を紹介している。1960年代の工業・貿易の発展、そして住宅内部、映画館や商店などが紹介されている。最後の大形映像展示では香港特別行政区と中央政府との関係紹介は興味深い。

 

 

 


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