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上窰民族文物館

2008年03月23日 | 香港街歩き

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上窰民族文物館 Sheung Yiu Folk Museium

香港郊外の散策を兼ねて訪ねてほしいのが上窰民族文物館だ。MTR(香港地下鉄)・鑚石山Syfm105 (ダイヤモンドヒル)駅のバスターミナルから92番の西貢(サイクン)行のバスに乗る。(乗車時間30分程度) 西貢で94番のバス(黄石碼頭行)に乗り換える。2Syfm106 0分ほどで上窰のバス停に着く。来た道を少し戻ると小さな橋(写真・右)が見える。橋を渡って右に道なりに進むと文物館にたどり着く。この道は自然観察道になっており、時折ハイカーとすれ違う自然豊かな小道だ。文物館少し手前に灰窰跡がある。案内板が立っているのですぐ分かる。道から少し下ると灰窰跡(写真・左)の全貌が見える。上窰村は古くには石灰産業で栄えた時期がある。1960年代に石灰はセメントに変わり、この村は廃村となった。

広東省から来た黄姓の客家がこの地に住み着いて村を作った。山間に作ったのでこの客家Syfm115 の住宅は横長様式である。トップの写真・左は遊歩道から見る復原された客家の更樓(Gate Tower)である。中に入ると右の写真のように長屋になっており、他の客家同様に居室・厨房・動物小屋と並んでいる。下の写真のように居室の中は当時を再現しており詳しく説明している。またこの文物館近くには客家の廃屋(写真・右)が数多くある。移り住んで廃村になるまで100年足らずと推測するが、多くの廃屋があることから石灰の製造販売で村が急速に発展した証だろう。文物館の開館は9時から4時まで、休館日は火曜日・生誕日・生誕翌日・1月1日・旧正月3日間、入場料は無料。香港西貢北潭涌自然教育徑・(852)2793-6365

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李鄭屋漢墓博物館

2008年03月16日 | 香港街歩き

 

李鄭屋漢墓 LEI CHENG UK HAN TOMB

漢墓発見の経緯 MTR(香港地鐡)の長沙灣站(尖沙咀から6つ目の駅)A3出口を出ると長沙灣道と東京街Han_tomb_13 (Tonkin Street)の交差点に出る。東京街は街(Street)と言えど片側3車線の広い道路だ。北東に10分ほど歩くと左に「李鄭屋漢墓Han_tomb_11 博物館」が見える。漢墓の発見の経緯は次の通りだ。1953年末に石尾地区で大火(写真・左)があり58,000人が焼け出された。香港政府はこの対策としてこの李鄭屋地区に住宅の建設を始めたが、1955年8月造成工事中に漢墓が発見された。右の図を見て頂くと分かるがこの地域Han_tomb_14 は北東方向に急な斜面になっており、山を切り開く作業中に発見された。直ちに政府に報告され、調査委託を受けた香港大学の林仰山 (F.S.Drake) 教授を中心とした調査団が現地に入り、後漢王朝時代(AD25-220・中国では東漢時代という)の漢墓と分かった。李鄭屋の地名をつけて李鄭屋漢墓と名付けられた。ここは今では海岸線より2Kmも入った地域だが、後漢時代ではこの地域近くに海岸線があった。

古墓の形状 漢時代の墓は“十”字形の形状が多い。トップの写真、左は漢墓の全景で隣の公園から見ることが出来る。右は内部を見ることが出来るようになっていて、前室から後室を見たところ。写真の符号については次の通り。

  • Han_tomb_12_5(羨道・Entrance Passage)
  • (前室・Front Chamber)
  • (左耳室・Left Side Chamber)
  • (右耳室・Right Side Chamber)
  • (單券頂=半円筒天井・Barrel Vault)
  • (Domed Roof)、(Rear Chamber)
  • (小龕=壁龕・Niche)

それぞれは平均40×20×5cmのサイズの煉瓦で作られている。広州市にある南越王墓は西漢(前漢)時代のものだが形状は良く似ている。多くの出土品があったが人骨は発見されていない。

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漢墓博物館 東京街の入り口から入ると漢墓についてパネルで詳しく紹介している部屋がある。そのまま真っ直ぐに進むと、階段の上に漢墓の中が見られる入り口がある。墓の大きさから相応な支配者の墓と見られるが詳細は分かっていない。先の部屋の左奥に出土品が多く展示されている。一部は香港歴史博物館に移されているが内容は豊富である。開館日と日時は月~水と金土は10時から午後6時、日・祝日は1時から6時、休館日は木曜日、12月25・26日、1月1日、農暦新年(旧正月)3日間。

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漢花園 李鄭屋漢墓博物館の隣にある公園、古き時代の中国庭園を模して作られている。最近香港では公園の整備がされており、どこも綺麗である。香港の人たちはよく公園を利用Han_tomb_32_3 している。朝早くは太極拳をする人が多い、日中でも熱心な人は練習している。午後からはお年寄りが集まってくる。小鳥を飼う人が多い、公園への散歩に鳥かごを持って集まってくる。ただし鳥かごを持って集まってくるのは男性だけ、未だに女性では見たことがない。しかも鳥愛好家?が集まっている中には女性はいない、不思議に思っている。日本では犬の散歩に公園へはよく見る風景だが香港では小鳥だ。香港の住宅事情はあまり良くなく3DKなどと言っても一部屋が4畳半以下でベッドを置くと何も置けないくらい狭い。下の写真、左から長沙灣の東京街の通りで博物館の奥には漢墓発見のきっかけとなった高層の近代的な住宅ビル・李鄭屋邸(邸=estate)ある。次の写真は長沙灣駅近くの店舗兼住宅ビル、少し古いビルは内部と表から見える外観は多少のメンテナンスがなされているが、裏に回ると消防自動車が入れないほどの狭い道が多い。

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大嶼山 東涌炮台

2008年02月16日 | 香港街歩き

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大嶼山 東涌炮台  Tung chung Fort

ランタオ島(大嶼山)東涌に法定古蹟である「東涌炮台」がある。清朝・道光の時代に築かれた砲台跡。このあたりの海域は明時代から海賊が多く、清の時代になってその対策として要Alt011 塞を建設した。その中でもっとも興味深いのはトンチョン要塞(東涌古堡)、落成は1832年(道光12年)説と1817年(嘉慶22年)説の二つがあるが地元では1817年と紹介されている。面積は520㎡、城壁は花崗岩で作られ、6門の大砲があり両脇には監視小屋(写真・下左)がある。大砲の筒には1800年代初めに鋳造されたとの刻字がある。英国に租借された時に再利用が始まり、警察派出所などに使われたこともある。1979年法定古蹟に指定された。東涌地方委員会(写真下・中)と東涌公立小学校(下・右)として使われている。しかし学校舎を覗くと中はひどく荒れているが教室内に図画の展示が残っているので最近移転したと思われる。

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 教室の貼られていた図画 

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東涌炮台には、MTR(香港地下鉄)東涌線終点下車、タクシーで10分足らず。香港を観光で訪れた人には無理だが、このあたりは香港人気のハイキングコースになったおり、東涌炮台-沙咀頭(後述)を巡ってのコースは1時間ほどでのんびりと散策するのは快適である。 

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沙咀頭 行天宮(候王宮) Hau Wong Temple

Alt040 東涌炮台から北方向に(海に向かって)、長閑な田舎道をずっと下っていくと沙咀頭に出る。このあたりに来ると海岸で、対岸は香港国際空港だ。この土地の人と出会うが服装は昔の風俗の名残があるから楽しい。海岸でひと時を過ごそうとちょっとした食事やお菓子を持って行く人たちもいる。あちこちに道しるべがあるので迷うことはない。ここに候天宮がある。写真のように中国どこにでもあるお寺だが、地元Alt031_2 の人たちだけで守られている様子が楽しい。門の前に卓をおいて麻雀をしている人がいた。日本の牌と一回り大きいようだがルールは同じようだ。このようなマージャンと将棋をしている風景は新界では良く見かける。将棋などは日本と同じように友がその様子を見物している。日本では下町でも見かけなくなったが娯楽を通して隣人との付き合いが深くなるのだろう。お寺の屋根の細工は素晴らしい、建立の時代を尋ねたが英語は通じない。寺の建立の寄付を募った記録があった。「宣統二年八月吉日」と書いてあったので、1910年と分かった。宣統は清の最後の年号、清時代まさに終わりの頃である。

東涌炮台と沙咀頭候王宮の付近図

 

 

 


香港藝術館

2008年02月11日 | 香港街歩き

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香港藝術館 Hong Kong Museum of Art

尖沙咀、ペニンシュラホテルの向い、香港文化中心と並んで香港藝術館がある。とても良いHkam110 ロケーションで南には尖沙咀プロムナードがあり写真のように香港島を眺望することが出来るし、西に5分も歩けばスターフェリー(天星小輪)の乗り場がある。毎日10時から18時開館(木曜日休館)、入場料は10港元。60歳以上だと半額、日本だと当該市住民の制限や身分証を求められるが香港はそんな面倒なことを求めないし外国人でもOKだ。企画展と常設展があり、企画展は別料金(日本ほど高くない)。常設展では1万4千点を超える古代から現代までの収蔵品からテーマを選んで展示している。その中から印象に残った作品を紹介する。ただし展示内容は常設展と言えど変わる。学芸員?のような人がいるので質問すれば詳しく教えてくれる。

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義無反顧 1942 胡藻斌 Hu Zaobin (1897-1942)

祖父が日本画家だったので、虎を描かせると胡藻斌が一番と聞き、その名と作風は知っていた。まさか香港で彼の遺作と出会うとは思わなかった。胡藻斌は波乱の人生を送っている。広州で生まれ、京都市立工藝學校で絵画を習う。その後北米にも遊学、ある時期はシンガポール新聞社で美術担当として働いたこともあった。30代半ばでは上海に拠点を移したが、盧溝橋事件発生で香港に移り教員をしながら活動をしていた。1942年香港に日本軍が進駐した時、日本占領軍は彼の作品を没収や諜報宣伝活動を強要したが彼は断った。そのために毒殺されたとも言われている。まさにそのとき描いた遺作「義無反顧」である。

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茶具文物館 Flagstaff House Meseum of WARE

香港藝術館の分館で中環・香港公園の中にある。一階は常設で「中國茗趣」と称して中国名Hkam140 茶の面白さ、歴代の茶の入れ方や茶器が紹介されている。二階は企画展で茶器に関する展示が行われている。10時~17時開館・入場無料・休館(火曜)。英文の名称の通りこの建物は1978年まで駐香港英国軍総司令官邸として使われていた。二階建のルネッサンス様式の建物は1844年に建築され、現存するもっとも古い西洋式建築物とされている。写真・右は隣接する「羅桂祥茶芸館」で、1994年羅桂祥基金より25個の磁器・600余の印章の寄付を受けて建てられた。二階がギャラリーで一階には中国茶が楽しめる茶室となっている。

 


孫中山紀念館

2008年02月10日 | 香港街歩き

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孫中山紀念館 DR SUN YAT-SEN MUSEUM

Hkdrsum15 日本では孫文(1866-1925)と呼ばれている中国の革命家の生誕140年を記念して孫中山紀念館がオープンした。中環(セントラル)・半山衛城道にある「甘棠第」と呼ばれた1914年に建てられた西洋建築の粋を極めた建物を改装して紀念館とした。Hkdrsum13 香港名物の世界一長いヒルサイドエスカレータ(写真・右)に乗った時には堅道(Caine Road)との交差で降りて西へ10分ほど歩くと衛城道(Castle Road)に、ここを上ると紀念館に着く。是非建物を眺めるだけでも価値あるこの紀念館を訪ねて欲しい。入場料金は10港元、営業は10時から18時、休館は木曜日。まだ良く知られていないのでタクシーでなら「孫中山紀念館」というより住所(中環半山衛城道7號)と言う方が良く分かる。

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広東省香山県で生まれた孫文は香港西醫書院(現在の香港大学医学部)に学んだ。この頃キリスト信者になり、反清革命を決意するようになった。26歳の時にマカオと広州で開業したがすぐに革命運動に専念するようになった。広州で反清武装蜂起を行ったが失敗し日本に亡命し活動拠点を日本にした。下・左の写真は館内にある「四大寇」、つまり孫文が若い時代から集まれば政治論議に明け暮れ親交厚かった陳少白・尤列・楊鶴齢の3人とを四大寇という。後輩の關景良が加わって様子が蝋人形で再現されている。右の写真は船上で記念撮影で前列4番目が孫文、後列6番目のはかま姿が日本での革命支援者である宮崎寅蔵(滔天・1871-1922)。孫文に関わる歴史の資料が豊富に展示されており興味深い。外観も素晴らしいが館内もステンドグラスの窓や拡張ある西洋式の作りで満足。

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