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うな風呂

やる気のない非モテの備忘録

御緩漫玉日記  桜玉吉

2009年06月24日 | 読書感想
御緩漫玉日記 (1) (Beam comix)
桜 玉吉
エンターブレイン




月刊コミックビームで連載されていた日記漫画。全三巻。

二十年以上前にファミ通で連載されていた『しあわせのかたち』が当時とても好きで、以来、十年近くは玉吉漫画を追いかけていた。
『しあわせのかたち』は当初、ゲーム雑誌らしく、最近のゲームを自己流解釈で漫画化したギャグ漫画だったのだが、少しづつ作者の出番が増えていき、ファミ通の週刊化を期に、ほぼ完全な日記漫画となった作品だ。(今にして思えば作者のゲーム離れも激しく、ゲームネタに限界があったんだろうな)

しかしこの毎週2Pしか載っていない日記漫画、実に人気が高く、週刊化してよりいろいろ迷走の続いたファミ通の漫画群の中で、圧倒的に人気が高かった(少なくとも自分の周辺では)
実際、この玉吉人気にあてこんで増刊ファミ通コミックが作られ、それが後のコミックビームとなった。そして長いこと、看板作品は桜玉吉の日記漫画であった。
自分もファミ通コミックからずっと、玉吉目当てでずっとコミックビームを買いつづけていた。

が、この玉吉の日記漫画、色々と変遷がある。
はじめ『しあわせのかたち』の頃は、編集者をいじったりしながら、面白おかしく日記を書いていく、文字通りの愉快な日記漫画だったのだが、連載後半、ひょんなことからひねくれ黒日記漫画『しあわせのそねみ』に変更し、それがまた大受けしてしまった。おれも大受けした。

『しあわせのそねみ』は「読者のやめろハガキが一定数溜まったらやめる」という宣言通りに、ある日パタッとやめて、また通常日記にもどったのだが、それからしばらくして、作者が「カービィから電波を受信してぴぽぴぽ云うようになったので機械の身体をもらって健康になるために連載をやめる」という、要するに心身の疲労によって連載が終わることになった。

話が前後してしまったが、その後、充電期間を経ての復帰となったのが前記の増刊ファミ通コミックであり、玉吉がいなくなってすっかりさみしい思いをしていたファンとしては買わざるを得なかったのだ。
このファミ通コミック→コミックビームと連載されたのが『防衛漫玉日記』全二巻
内容は地球防衛(と称した趣味の釣り)を中心としたもっぱら愉快な日記漫画なのだが、時々(もっぱらオチで)黒化するのが主な特徴で、時々病的な実験漫画になったりはしたのだが、画風もネタも安定して面白かった。
しかしこれも体力の限界が来たのか、唐突に連載が終了してしまった。
自分がコミックビームを買わなくなったのは、この連載が終了して数ヵ月後だった。

それからまた充電期間を経て開始されたのが『幽玄漫玉日記』全六巻。
この幽玄は有限会社を立ち上げたことともかけてあるのだが、基本的には幽玄な作風を目指した日記漫画。
調子のいい時には以前のような面白日記漫画になるのだが、たいていの時期には精神状態が良くないようで、特に事情も説明されぬままに得体の知れない漫画(作者がよくわからぬ独白をしながら川を流れていくだけの回など。絵も墨で書き殴った、印刷で潰れてまったく意味がわからない状態)が載ることが多く、正直、自分はこの辺で「玉吉さんはいろんな意味でダメになったのかな」と思い、雑誌はおろか単行本で追う事もやめてしまっていた。
が、そのいいかげんさが良かったのか結果としてこれが一番長く連載されていた。

そういうわけで、長らく玉吉離れしていた自分は、またしばらくして今作『御緩漫玉日記』が連載されていたこともずっと前から知ってはいたのだが、特に興味をそそられることもなく放置していた。が、いつの間にかそれも全三巻で完結していたことを知り、なんとなしにすべて購入してみる。
したら、読んでてひどく落ち込んだ。

今作は「昔のエロ話を中心にゆるく」というのがテーマで、そのメインとなるのが、数年前にアシスタントをやっていた漫画専門学校の女学生トクコちゃんとのエピソード。
当時、離婚するかどうかの瀬戸際にあった玉吉さんが、若い女の子と二人っきりで仕事をしてエロ妄想が止まらずドキドキ、という話なのだが、これがどう考えても虚言。

処女で眼鏡で巨乳の漫画家志望の女の子だけど、最近彼氏ができて、エロ妄想が止まらずはふはふしがちで、彼氏は漫画家志望だけど設定厨でろくに書くこともせず、そんな若い子に父親のようなエロ親父のような、どちらともとれぬ感覚で接してしまい、扱いに困るという話。
なのだがトクコちゃんのキャラクターもエピソードの数々も、どう考えても虚言であり、どちらかというと「なぜ玉吉はこんなことをしなければいけなかったのだろう」という疑問にかられる。

その答えは単純至極で、最初の最初の話で語られている。
以前より親しくしていた、近所のノラ猫みたいな気ままな女の子ぱそ美ちゃんと、いつの間にやら同居し、そして半年持たずに離別していたことにあるようだ。

ぱそ美ちゃんは別の出版社から出ている『なげやり』で主に出てきた女の子で、日がな一日なにするでもなく、大昔のファミコンゲームをやったり缶詰だけでご飯食べたりしながら、玉吉がうまそうなもの食べてると臭いにつられてやって来て、勝手にくつろいで寝ていつの間にか去っていったりする、実にのら猫としか表現のしようがない女の子。
『なげやり』及び『幽玄漫玉日記』の各所で、ぱそ美ちゃんにハァハァしながら、どう接していいのかわからない様子がよく描かれている。
この化粧っけがなく男のような格好でだらりと過ごしているぱそ美ちゃんは実にかわいく、玉吉さんが彼女に注いでいる愛情が読んでいるだけで痛いほどに伝わってくる。
つうかぱそ美ちゃんみたいな子はおれもタイプなので、みんなも化粧っけのない顔でファミコンゲームをしながらサバの缶詰とかを食べていて欲しい。

で、詳細はまったく語られないが、そのぱそ美ちゃんと離別したことと、その時期に色々と荒れていたことだけが描かれている。
それが契機なのだろう、この連載はいままで曖昧に伏せていた自分の過去を、いささか露悪的に書いていくシリーズとなっている。
しかしぱそ美ちゃんとのことを書くのはまだちょっと……という痛々しさが、前妻との離婚とぱそ美ちゃんと会う前の空白の時期に、トクコちゃんという架空のキャラクターを入れることによって、ワンクッション置いて自己を語ろうという手法なんだろう。
ちなみにこのトクコちゃんに関するエピソードの時は、登場人物は「桜玉吉」ではなく「桜タモ吉」という架空の人物になっているので、別にトクコちゃんが実在していなくてもなにも問題はないのだが。

しかしこのトクコちゃんに関するエピソード。ね

さっきも書いたとおり、まるっきりリアリティはない。
リアリティはないのだが、生々しい。
それは中高生の男女が夜な夜なノートに書くエロ妄想のように、一切のリアリティを排除して己の欲望のみを忠実に追求した時の、そういう生々しさだ。
いちおう、近所の妙に生活観あふれるラーメン屋だの、隣に住んでるヤクザとその愛人など、リアリティを出すための小道具はふんだんに使われ、恐らくその辺は明確なモデルがあるのだろう、とてもリアリティがあるのだが、しかしそこに絡んでくるトクコちゃんだけが浮いている。浮いているのに、一番生々しいのもまた彼女なのだ。

この漫画は過去(ということになっている)トクコちゃん篇と、伊豆の山奥で隠居生活しているヤマもオチも意味もないつげ義春風私生活漫画、編集者とのゴタゴタを面白おかしく書いた漫画家生活篇、の三つがなんの予告もなくコロコロと入れ替わって連載されている。
それが二巻に入って突如として、トクコちゃん篇がなくなっている。

急性腹膜炎による緊急入院の顛末を描いたことが主な原因ではあるのだが、そこで唐突に登場人物が増えていてちょっと驚く。
その新登場人物は、いまの彼女の白鳥ちゃん。
はじめは脳内彼女という名目で出てきた白鳥ちゃんは、大雑把でパワフルで仕事好きな美人さん。
はじめはたしかに妄想とも現実ともつかない描かれ方をしていたのだが、ギャグ漫画っぽくキャラ立てしながらも、どうにも言葉の端々のリアリティが段違い。
こうして二巻では日常漫画がベースになり、ぼちぼちこの白鳥ちゃんが出てくるのだが、修羅場で忙しい時に適当にあしらってたらふられる。
さらにその相手がテレビに出てくるような人なのでテレビをみる度に荒れ、しかもそいつが妻子もちだと知り大荒れする、という顛末は、たった二コマなのにこちらまでひどく落ち込むようないやなエピソードだった。

さらにその後、朝っぱらに仕事場の外で白鳥ちゃんが毛布に包まれながら朗らかに待ってて「あなたのことを見捨てておけないし」と告げるくだりと、それを速攻で「無理」「そこで受け入れられるキャラだったこんな人生送ってないし」と返すくだりは、ちょっと切なすぎた。

この白鳥ちゃんちの離別が大体二巻の終わりで、そうして三巻になったら唐突にトクコちゃん篇が再開した。
あまりにも唐突に再開したので「だれこのキャラ?」とかなり混乱してしまった。
してみると、やはりトクコちゃんは一人身の玉吉がつむぐ、露悪するのに都合の良い妄想と読み解くのが一番無難なんだろうなー。

この再開したトクコちゃん篇は「わたし、二股とかも平気な女なんですよ?」というありえない妄想展開が入ったところでまたも中絶。
小学校の頃のなんかエロかったあの子の思い出や、高校の頃の裸婦デッサンの日の思い出など、なんだかとりとめのないエロ思い出話がメインになり、その合間合間に以前よりしばしばあらわれていた病んでいるとしか思えない危なげな日記漫画が入り、最終的に「〆切り間際にもう一人の自分があらわれて漫画をぐちゃぐちゃにするのでもう描けない」ということになり、唐突に終わってしまった。

結果として、現在進行形で壊れつつあるギャグ漫画家の日記、という不思議な作品が完成したわけだが、それにしてもこの作品、痛い。
無人の別荘で「私は人間が嫌いなのではなく自分が嫌いなのだ」と呟いたり、それが自然だったので三日ほど一切なにもせずに過ごしてみたり、意味もなくオーディオ機材にこだわりまくって「なにかをしている」という状況をつくって逃避したり、とにかく意識的無意識的すべての面において「社会不適合な自分」というのが描かれており、それがまた「あるあるある」と思えてしまって切ない。

なにが切ないって、一応マイナー誌とはいえ看板作家で、元妻子もちで、けっこうもてて、作品も評価されてて、でもやっぱり根がこういう人間はこういう人間のままなのだな、というのが悲しい。
かつてのファミ通読者の多くにとって、玉さんは「愉快で人望があって実は昔モデルとかもしていた二枚目」という、ちょっと憧れちゃうような人だったと思うのだが、それでも心に負け犬を飼っているものはどこまでいっても負け犬のままなのだな……


いずれにしても、たまきっつぁんは小学生の二十年来読んできて、勝手に身内のような気持ちを抱いているので鬱病に負けずにがんばって生きていて欲しい。


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玉さんよ何処行く (鍋奉行)
2009-11-24 01:06:11
しあわせのかたちと防衛漫玉日記を読んだ事がありますが、うな風呂さんの言うよう本当に、最近の桜玉吉氏は良くわかりません。
参考に、数年前に朝日新聞で氏の事が紹介されています。
精神的な病を持つ作家と言う紹介とともに、よくわからない作風についても結構はっきりと説明があったのをよく憶えています。
ただ朝日新聞で氏が取り上げられたのは嬉しいですが、初期の作品の可愛いらしくてコミカルなあの作風が懐かしくてなりません。現在はたまに買うファミ通の中の4コマ漫画で作品見るぐらい・・。またあの作風に会える時はあるだろうか!?。
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Unknown (うなぎ)
2009-11-25 10:40:03
どもども。
御緩漫玉日記のごく一部で、過去の回想を昔のまんまの画風で描いているから、あの絵が描けなくなったわけではないんだよねえ。
まあ、正直なところ、いまあの当時の作風をやられても自分は「懐かしい」とは思いこそすれ「面白い」とは思わないだろうから、なにも昔に戻れとまでは思わないけど……両立してくれりゃそれにこした事はないんだけどねえ。もったいない。
返信する
すごく当たってる内容ですが (ぶり)
2011-01-05 08:42:30
これ、本人が読んでるかもね。

久しぶりに思い出してググっただけの自分が言うのもおかしいし、
もう遅すぎるけど。
返信する
Unknown (うなぎ)
2011-01-05 09:18:14
根本的な問題として「本人に読まれたくない」とか思ってないし。悪口なわけじゃないしね。
つうかネットに感想なり批評なりあげて本人に読まれる可能性を考慮してないやつはただのバカだし。(本人に読まれてると思うやつは大バカだけど)
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Unknown (Unknown)
2013-09-12 00:59:29
当方39歳、中学1年からの玉吉ファンだけど、色々と感慨深い。
今の芸風も面白いっちゃ面白いが、あまりに暗く沈み過ぎるのもね。
ほどほどに浮き沈みを見せて面白い漫画描いてほしい。
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Unknown (うなぎ(管理人))
2013-10-25 11:22:17
やっぱ両方描いてほしいですよね~。
鬱なんだからしょうがないんだろうけど、せっかくの才能がもったいない
返信する

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