憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

15日 全国戦没者追悼式

2024-08-16 03:11:22 | 雑感



全国戦没者追悼式
場所 千代田区日本武道館
参列者 遺族約3200人 天皇皇后、岸田首相なと合わせて約4300人
80歳以上の割合は47.0%。70代が27.7%、60代が10.6%と続く。
最年少は3歳、最年長は97歳。続き柄別には、戦没者の配偶者は2人のみで、最も多い子が1344人(41.8%)。
 戦後生まれは1513人で、47.1%を占める。
※政府は孫、ひ孫世代の参列も呼び掛けている。

😔 難しいですね。
戦争と人間、、、考えれば考えるほど難しい。
何故、人間はこんなに痛ましいことをしてしまうのか。

LIVE動画:約1時間10分
開始前の場内アナウンスから始まり、式典終了が告げられ参列者退出まで

【ライブ】終戦79年 全国戦没者追悼式 参列遺族の最年長は97歳の元少年飛行兵【LIVE】(2024/8/15) ANN/テレ朝

15:31 式典開始
15:56 今上と雅子さまおでまし。
46:50 今上と雅子さま退出

 ご臨席は約30分間。

時事通信社動画:
報道各社、似たりよったりの動画の中で、比較的アップが多いのと献花のシーンがあるので選んだ。

視聴したNHKの中継は岸田首相を正面からアップで捉え、今上と雅子さまもアップが多く、表情と息遣いがよく解り大変興味深かったのですが、you tubeにアップされている動画で同様のものを見つけられなかった。

終戦79年、平和への誓い新たに 天皇陛下「深い反省」 遺族、教訓継承訴え・戦没者追悼式

※時系列の編集では無い。

😐 気になるのですが、、、




令和2年 安部さん


去年


今年 岸田さん

今年

今回、菊の本数を微妙に減らした、、、ということは無い、わね?
いえ、最初パッとみた瞬間、あれ?祭壇てこんなにスカスカだったっけ?と思ったものですから。花の開き方の違いですよね?ね!


😮 ご入場。
雅子さまはスカートの後ろ中心に深いベンツをいれるのがお好き。膝上まで入れたベンツから膝の裏まで見せて闊歩。
皇后という御立場とご年齢、そして追悼式と言う場ではセクシー過ぎていささか下品ではありませんでしょうか。
お若いころは足より小さめの靴をお好みでしたが、現在は愛子さまと同じく踵に余りがある靴がお好みのようですね。
子供が大人の靴を履いて歩いている可愛さをねらっていらっしゃるのかな?


😱 追悼式には、行儀の悪い参列者もかなりいて、画面中央下方のおじさまは、両手を後ろで組んだまま天皇皇后をお迎えし、国家斉唱中も後ろで両手を組んだまま、まさか黙祷もそのまま?
黙祷、、後方のおじさまの殆どは両手を前で組んで黙祷。合掌ならまだしも、股間のあたりで手を組んで黙祷ってラフ過ぎませんか?前方の人々は流石に両手を真すぐに下げて黙祷されていました。
国家斉唱、国旗掲揚、黙祷の正しい姿勢くらい小学校あたりで指導したらどうでしょうか。
ラフ過ぎる姿勢は美しくないもの。


😊 お馴染みの周囲が気になる雅子さまと「どうでもええわ」の今上陛下

😊 ひとりひっそりと微笑む雅子さまとお疲れモードの今上陛下。


😊 標柱をギロッと見上げる雅子さま。


😁 正面からライトを浴びているときは、ビスクドールのように皺ひとつない滑らかなお顔ですが、ライトが当たっていな斜めからのショットは、眼の下にアサリがくっきり、ほっぺたダルンの親しみやすい庶民のお顔。

よっこいしょ、あーやれやれ、と椅子に身を預けている今上陛下も庶民的でいらっしゃいます。
雅子さまと一緒にイギリス行って、ガーター勲章もらって、、自己完結してしまい、もう次に目標とすることが無くなってしまわれたのか。



😐  お言葉を述べる今上陛下。顎が、、、
雅子さまは、式典での所作の型は一応覚えられたようですがまだぎこちない。間違えないように、、皇后らしく見えるように、、で、いっぱいいっぱいなのが見ているこちらにも伝わります。戦争や戦没者に思いや心を巡らせる余裕も気もないんじゃないかな?


😊 小和田雅子の顔になっていらっしゃいますね。
イヤリングの真珠はシャンパンゴールド。追悼式向けではないような。


😐 総裁選不出馬を発表した岸田首相も頭の中にアレヤコレヤが渦巻いて追悼式どころではないはず。
さすがに首相にまで昇りつめた政治家らしく、スピーチは慣れたもの。
外国人の日本語風の話し方は気になるけれど、思わず聞き入ってしまいました。
岸田首相はカメラ撮影のためにドーラン化粧をして眉を描いていますが、他の方々もそうなのでしょうか。

😐 雅子さまの身体が黙祷の間、ユラユラと動いていたとか、装いがどうとか、はどうでも良い。気になるのは天皇皇后が何も考えていないらしいことです。



最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (しろつめぐさ)
2024-08-16 14:26:32
如意様 追悼式の記事ありがとうございました

他の方の ブログに 筑附高の生徒さんの 素晴らしいXの文章が載っていました
個人的な情報はなく一若者人間として 清冽な文章で 感動しました
こういう生徒さんのいる 学校で 高校生活を 送られている 悠仁さまは お幸せです

また トンボのはなしですが

高知市報からです

🍀日本書紀」の神武天皇の条に、天皇が山上から国のかたちを望見して、「なんと素晴らしい国を得たことだ(略)蜻蛉(あきつ)が交尾しているように、山々が連なり囲んでいる国だ」(宇治谷孟-うじたにつとむ-訳)と言ったので、日本の国を秋津島(あきつしま)と名付けられたと言う。
 🍀それに、「古事記」の雄略天皇の条に、天皇が「腕に虻(あぶ)が取り付き、その虻を蜻蛉がぱっと食い、かようにしてそのことを名で顕(あら)わそうと、この大和の国を蜻蛉島(あきつしま)というのだ」(武田祐吉訳)と詠じた歌を紹介している。いずれにしても、トンボが「アキツ」という地名の起源になる吉祥の霊的昆虫として古代人は表現していたのである🍀

そして これが その御歌です
🍀……手腓(たくふら)に 虻(あむ)かきつき その虻を 蜻蛉(あきづ) はや囓(く)ひ 昆(は)ふ虫も 大君(おおきみ)にまつらふ 汝(な)が形(かた)は 置かむ 蜻蛉嶋倭(あきづしまやまと)。🍀

『日本書紀』雄略天皇4年に、この地を「蜻蛉野(あきづのをの)」と名づけた物語がある。蜻蛉はトンボのことで、天皇は虻をやっつけたトンボを褒め、自ら歌を謡った。その「あきづのをの」が吉野宮の辺りだといわれている。

私は いつも
悠仁親王が 馬に乗られて 進まれている四方を 数々のトンボ〜秋津が 守るように 舞い飛び 一緒に進む情景を 想像しています

親しいわけではないというXの発信者の 生徒さんも 縁あって 同級生になられて このような投稿を してくださって 本当に 涙がでるほど ありがたいです
どうぞ その方にも 御守護が ありますように🍀🍀
返信する
Unknown (ダブルワイ)
2024-08-16 22:25:19
>式典での所作は一応覚えられた。。。
イエイエ、未だ道半ばのようですよ。中央に出られる時にテーブルの前から出てきてしまわれましたから。
お戻りの時は後ろを通られましたので、あっしまった!と思われたかどうか。。
私的にはやはりあのユラユラとブルブルは気になって仕方ありません。
片足立ちしたら十秒も出来ないほど老化が進んでおられるかもしれません。
英国から帰国後丸一月以上なのに未だにお疲れが~と言われていますから今後も公務は余りなさらないでしょう。
海外訪問も無理になさることはないですね。

国歌斉唱時は両手は身体の横に着けた起立姿勢が正しいそうですが、こういう所作も大事ですが国歌そのものを教えない学校もあるとYouTubeコメント欄で知り驚愕してしまいました。
日教組の犠牲者の子供たち、日本を、日本人を肯定する大人に育ったかどうか心配です。

お花は微妙に数を減らしているように見えますね。
それと、昨年の記事の昭和天皇最後の終戦記念日式典お出ましの写真を見ましたら対になっているお花も一番下にはピンクのカーネーションが生けられていて菊もまばらではなくびっしりと生けられれていました。
物価高で、同じ予算では昨年やそれ以前のようには出来なくなっているのかもしれませんが、晩餐会をしない、昼餐会やお茶会もしょぼい令和のお二人にあわせているのかもしれません。
返信する
お返事 (如意)
2024-08-17 00:10:06
しろつめぐささん
こんばんは
>筑附高の生徒さんの 素晴らしいXの文章
、、、私は、ホンモノかな?と疑っているのですが(文章、学生証に違和感を感じるので)、、、たとえ、なりすましでも、悠仁殿下が悪意の対象にされている現状に真っ当な問題提起をするこのような投稿が増えることは良いことだと思います。

アキツシマ、、、水辺、葦原、にトンボが群れ飛ぶ光景は古代日本人の原風景だったでしょうね。
遠い遠い昔、天皇の祖先たちも、私やあなたの祖先たちも、何処からかこの地に渡って来て、トンボが群れ飛ぶ情景をなんと美しい、と眺めたのでしょうね。
悠仁殿下がトンボをお好きになられたのも偶然ではない何かを感じますね。

>ダブルワイさん
こんばんは
>未だ道半ばのようですよ
、、、出て来る時、一瞬とまどっておられましたね。笑。
両陛下とも、イギリス行って貰うもの貰ってしまったので、気が抜けちゃったのではないでしょうか。

>国歌そのものを教えない学校もある
、、、そういう噂は3,40年くらい前から出ていました。その当時小学生中学生だった子供たちが教師になり、今はその次の世代が教師になるころかしら、、、代を重ねるごとに変な先生の変さが酷くなって行くようです。
自分の母国に誇りと愛情を持てないようなひとが教師をするべきではない、と思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。