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憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

英国の薔薇、日本の薔薇、、皇嗣家の新しい風・・『女性セブン』9月8日号

2022-08-25 23:04:28 | 雅子さま
結婚(1981年7月29日)後、約3ヶ月。公務で居眠りする20歳のダイアナ妃(当時)。
この翌日、プリンセスの妊娠(第一子ウィリアム王子)が発表される。


結婚(1993年6月9日)後約1ヶ月(7月14日)「第29回献血運動推進全国大会 」で居眠りする30歳の雅子妃。
この時も新婚ほやほや雅子さまの居眠りにダイアナ元妃の居眠りを思い浮かべ、巷では、間もなく御懐妊の発表があるのでは?と期待する声も有ったのですが…。

『女性自身』9月8日号

表紙中央におそらく、人生で最高に輝いていた結婚祝賀パレードの雅子さまの御写真。
何故、今頃?と思ったら、8月11日になくなられた森英恵さんを追悼するのにこと寄せて、雅子さまを称賛したいようです。




雅子さまの和と優雅さ」森英恵さんは御自分が製作したドレスを召された雅子さまを称えてこのように仰ったようですが…。

両手でバッグを前にぶら下げて得意そうに微笑む雅子さま・・バッグで前を隠すかのような仕草のどこが優雅?
婚約内定会見から御結婚の諸行事、今日に至るまで、雅子さまの所作はぎこちなくて、ぎこちないぶん、優雅と言う言葉とは程遠い。日本の伝統文化に興味関心がない御方のどこが「和」?



ネットでは、襟周りのヒラヒラは「首のアトピーを隠すためだ」と言われていますが、このように襟は大きく開いていますので、ヒラヒラ襟のデザインにはアトピーを隠す意図は無かったと思われます。

当時、雅子さまのヒラヒラ襟を見て瞬時に「あ。ダイアナさんの真似だ!」「モリハナエがダイアナ妃のドレスをパクった。」と思った国民は多かったのではないでしょうか。SNSが無かった時代、週刊誌も盛んに「似ている」と書いてましたしね。



「イギリスの薔薇」と称されたダイアナ元妃。

森英恵さんは、「雅子さまは薔薇のようなかただから、薔薇の花びらをイメージしてデザインした。」そうです。

まあ、雅子さまの御印ハマナスも薔薇だから。

御印を選ばれるのは天皇です。当時天皇だった上皇が博識であることは意外に知られていません。
雅子さまの取り繕わない御性格と派手な容貌に野生の薔薇の中でも艶やかなハマナスをイメージされた上皇のセンスは、今から思えばなかなかのものだったと思われます。


ヒラヒラ襟へのこだわりは、あの日輝いていた御自分へのこだわりでしょうか。


皇后雅子、御養蚕納めの儀に臨まれる  補足:天蚕生糸

2022-07-12 23:22:39 | 雅子さま
こんな皇后見たこと無い。
雅子さまは、12日、発表されていた予定通りに御養蚕の儀に臨まれたようですが、、、。

皇后さまが「御養蚕納の儀」 3種の生糸の束を供えた神前に拝礼
2022年7月12日 18時53分 朝日デジタル
皇后さまは12日、皇居内の紅葉山御養蚕所で「御養蚕納の儀」に臨んだ。宮内庁によると、皇后さまは、純国産種の「小石丸」と、白繭、黄繭の生糸の束を供えた神前に拝礼した。同庁は同日、生糸の写真を公開した。



 
同庁によると、美しくつややかな生糸を見た皇后さまは、歴代皇后が大切に引き継いできた養蚕を今年も無事に終えられたことを、感謝の気持ちとともに、感慨深く思っている様子だったという。コロナ禍に伴う様々な制約などがある中、無事に御養蚕納の儀を迎えられ、関係者に感謝の気持ちを示していたという。

 皇后さまは今年、「御養蚕始の儀」に臨み、天皇陛下や長女愛子さまとともに、蚕に桑の葉を与える「御給桑(きゅうそう)」や、繭作り用の器具である蔟に蚕を移す「上蔟(じょうぞく)」を行うなどした。また、繭を初めて収穫する「初繭搔(か)き」をした後、陛下や愛子さまと一緒に繭搔きや繭切りなどをした。(多田晃子)

😱 御所から紅葉山御養蚕所、その気になれば歩いても来られる距離ですが、雅子さまは暑い中を歩かれることはなく、車で来られたのでしょう。そして美しい生糸が供えられた祭壇に向かって御辞儀された。記事はそのように伝えています。
まあ、お楽なことでよろしゅうございますわね。

関係者への感謝も養蚕への感慨も、雅子さま御自身の御言葉では無く「ご様子だった」て。
感謝の気持ちを示す、って、恭しく出迎えた職員に愛想笑いしてペコペコ御辞儀されたのでしょうか。

朝日デジタルは生糸の写真を添えているが、TBSニュース等は御給桑の写真を添えている。



8日、こどもの国をオンライン訪問された時はマスク無しでしたが、今日の「御養蚕納めの儀」もマスクは外されたのでしょうか。
神官職員が参加しているので、マスク付だったのでしょうか。

記事は雅子さまお一人で来られたように書いてありますが、実は今上と愛子さまと三人並んで拝礼されたのではありますまいか?
朝日が「今年の御養蚕行事には今上と愛子さまが参加した」と添えてあるのは、御養蚕納めの儀も三人だったと示唆しているような気がしてならない。
「実は三人だった」と後追い記事が出ても、私は驚きません。

おまけ。紅葉山御養蚕所の位置。

不法侵入した中国人はこの距離を楽楽と歩いている。



補足
ヤママユ蛾 の繭から取れた生糸を天蚕生糸といいます。
現在は飼育されていますが、以前は野生のヤママユ蛾の繭を採種していたようで、希少価値があり大変高価な糸だったようです。
私は子供のころ近くの里山で偶然ヤママユの繭をみつけたことがあります。


こんな色の繭が枝にびっしりと、それはそれは気色悪い光景でした。笑。
そのうち繭に穴が開いて空っぽになった繭は薄汚れて大部分は枝から外れて無くなって行きましたが、次の年にはまた枝に蜘蛛の巣のような帳がかかり、帳の中に薄緑色の繭がびっしりと折り重なって・・毎年、毎年、ああ、思い出しても気色悪い。


緑色の繭からは、このような緑色の生糸が取れる。


ヤママユにはこのような黄色い繭を作る種類もあるようです。
黄色い繭からは黄色い生糸が取れるでしょう。

紅葉山御養蚕所では、小石丸、白繭(日中交配種)、黄繭(欧中交配種)、天蚕(日本原産の野生種)以上4種類の蚕を育てていますが、今回神前に供えられたのは、小石丸、白繭、黄繭の3種類のようです。


これが”美談”の令和流・・御一家大人三人で『初繭掻き』

2022-06-17 18:05:20 | 雅子さま
皇室の劣化が止まらない。天皇自ら崩れ落ちて行く。
誰も止めないのか。

いったんは11日、皇后お一人でされたかのように報じられた『初繭掻き』

だが、実際には1日の『御給桑』『上蔟』と同じく、『初繭掻き』も御一家三人でされたと16日に発表された。
何故今になって「三人で行った」と発表するのか?理解に苦しむ。

*週刊誌が嗅ぎつけて記事にしようとしている?
*今後も養蚕行事は三人になりそうなので、今から国民に「それが当たり前」と思わせるため?
 →天皇が養蚕行事に顔を出すことに国民を馴らしてから、天皇の行事に移行?

令和の皇室では伝統破壊が止まりません。



皇后さまの養蚕 再び天皇陛下と愛子さまも一緒に作業
6/16(木) 17:59配信

皇后さまは、今月11日、皇居にある紅葉山御養蚕所で今年初めて繭を収穫する「初繭掻き」の作業にのぞみ、その時の映像が宮内庁から公開されています。 

側近によりますと、この日、「初繭掻き」の後、天皇陛下と愛子さまが合流し、繭の収穫に加えて「毛羽取り」や「繭切り」の作業を一緒にされたということです。 

皇后さまのこの日の作業は、腰に違和感があるとして一度延期されていたもので、腰の具合は完全には良くなっていなかったということです。 
 8日にするはずだったが11日に延期。
   8日午後、雅子皇后は天皇と共に入省同期で小和田氏とも旧知の岡野外務省総合外交政策局長と面会歓談している

陛下が合流されたことについて側近は、「陛下として、ご家族としてお支えになさりたい気持ちと、とても仲が良いご家族なので、 お三方の作業をお楽しみになりたい気持ちもあると思う」と話しています。 

皇后さまは先月の作業の際も体調が整わず、翌日に天皇陛下や長女の愛子さまと一緒に蚕に桑の葉を与える「御給桑」などをされていました。

はて?「腰の違和感、体調不良で延期」までは解るが、延期された行事を行うのに天皇と愛子さまが一緒に出て来る理由にはならないでしょう。
天皇が三人で楽しみたいとくっついて来たのなら、天皇の認識不足は批判されるべきで、美談にするべきことではない。
三人揃ってするのが令和流という信念があるのなら、はじめからそのように報道するべきでしょう。
ご給桑は雅子さまの映像すら無かったが、今回の初繭掻きも三人で楽しまれている映像は無い。
なーんかコソコソしている感じがいやですわね。
実際には、嫌がる雅子さまを天皇がなだめすかして連れて行ったのではないですか?

中央アジアから始まった養蚕の歴史は5000年。天皇の歴史は2000年。
養蚕の始まりは各国で神話、伝説となっているが日本でも養蚕の始まりは天皇の始まりと同じく神話です。
一時途絶えていた神代に遡る”皇后の養蚕”を明治の昭憲皇太后が復活させて以来皇居の養蚕は代々の皇后が担って来られた。
日本の織物の歴史、繊維産業の歴史は省きますが、「皇后の養蚕」の背景には長い歴史が積み重なっている。
令和の皇后には、そのような日本の国の成り立ちや養蚕の歴史はどうでも良いことなのだろう、と思わせるような出来事が続いている。


モスラーヤ モスラ

令和の皇室、伝統破壊が止まりません。
その中心にいるのは雅子皇后。。
雅子さまが育てた繭の中から何が飛び出すのでしょうか。

怖いですねー怖いですねー。

皇室ってホントーに面白いですね!
またお会いしましょう!



16日 香淳皇后例祭

2022-06-17 10:13:11 | 雅子さま

比較的お若い頃(50代前半?)の写真かと思われるが、
指の先まで匂い立つような気品と観音菩薩のような微笑みが素晴らしい。

何時もながら「歯が~」という声が上がりそうですが、歯は当時の歯科治療ではこれが限界だったのでしょう。
少々難のある歯も全体の雰囲気を壊すものでは無い。

以降二代の皇后はこのように気高くしかしこちらを包み込むように微笑まれたことはない。


最晩年の香淳皇后。
認知症になられても気品は保っていらっしゃいます。

😐 報道は朝日新聞デジタルしか見つけられませんでした。
写真は無し。

香淳皇后の命日、皇族方参列
2022年6月17日 5時00分
2000年に逝去した香淳皇后の命日にあたる16日、皇居・皇霊殿で「香淳皇后例祭の儀」があり、天皇陛下のほか、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が参列した。東京都八王子市にある香淳皇后の武蔵野東陵でも例祭が行われた。

ご逝去されてから22年の命日は特別なことが無ければこのくらいの報道で、武蔵野東陵例祭に臨まれた佳子さまの映像も無いのかと寂しい。
20年は式年祭で雅子皇后が17年振りにお出まし。
21年は小室報道が過熱する中、眞子さまが武蔵野東陵へお出まし。
と、あって報道も多数出たのでしょう。

>天皇陛下のほか、秋篠宮ご夫妻

皇后は?確認してみました。

産経新聞 
両陛下ご動静(16日)
【午前】
陛下 香淳皇后例祭の儀(皇居・皇霊殿)
皇后さま 香淳皇后例祭の儀に当たりご遙拝・お慎み(御所) 

予想通り、御出席ではありませんでした。愛子さまもご参列ではありませんでしょう。

皇室祭祀令に拠れば、
先帝際 毎年崩御日に相当する日
先帝以前三帝の式年祭、崩御日に相当する日
先后の式年祭、崩御日に相当する日
は、天皇が自ら祭典を行う大祭とされています。

平成の天皇が特例法をもって生前退位して御存命なので、令和では昭和天皇を先帝、昭和天皇の皇后であった香淳皇后を先后として祭礼を行うのでしょう。
雅子さまは「本来の先后は美智子さま、美智子さまが先后になったら出るわ~」?笑。