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ディック スギ の写真の世界(The World of Dick Sugi’s Photos)

📷このブログでは写真全般の話題を取り上げていきます📷

篠山紀信氏お亡くなりになる

2024年01月05日 | 写真家の話題

昨日(4日)に篠山紀信氏がお亡くなりになったという報道がありました。

83歳、老衰とのアナウンスでしたが、日本人が長生きになった現在、この年で老衰というイメージはどうもピンときません。

写真に興味がない方にも知名度は抜群でした。写真集「Santa Fe」(1991年)は、社会現象になるほど話題になりました

篠山紀信氏といえば、ディックはやはり人物写真の写真家のイメージです。長いスパンで実施された巡回写真展も見に行きました(違う箇所で2回見ました(以下参照))。大伸ばしの写真は迫力がありました。

写真界の巨匠の死は残念なことです。ご冥福をお祈りいたします。

 

※2015年01月18日のブログ

篠山紀信写真展 「写真力」

名古屋松阪屋で今日まで開催しており、最終日に見てきました。

この写真展は2012年から全国を巡回しており、 2012年に東京のオペラシティギャラリーで見ましたが、 見応えがあったこともあり、地元での開催ということで、 再び見にいきました。展示点数は東京より少なめのような気がしました。

人物の写真で構成されていますが、大伸ばしの写真は改めて見ても迫力がありました。かつて話題になった宮沢りえの写真もありました。

テーマごとにまとめて展示された写真は、撮影年の異なったものが混在していますが、さして違和感を感じないのは不思議な感じがしました。

 篠山紀信も天才であると思ってしまう写真展です。

 

 

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写真家の笹本恒子さんお亡くなりになる

2022年09月01日 | 写真家の話題
写真家の笹本恒子さんが8月15日に107歳でお亡くなりになりました(報道されたのは8月22日。ディックは少し知るのが遅くなってしまいました。)。

笹本さんは、1940年に財団法人写真協会に入り、初めての女性報道写真家となりました。戦後初期も写真家として活躍し、その後の長いブランクを経て、1985年に写真家として復帰、以後、100歳を超えても写真を撮られていました。

カメラ雑誌に笹本さんの著書が紹介されたことによって、ディックは笹本さんを知ったと記憶しています。
「好奇心ガール、いま97歳: 現役写真家が語るしあわせな長生きのヒント」(2011年9月)
「お待ちになって、元帥閣下 自伝 笹本恒子の97年」(2012年5月)
この2冊は最初に読んだ本となり、笹本さんの人となりを知ることができました。

そして、ドキュメンタリー映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」(2017年)
を公開中に映画館で観ました。
スクリーンの中の笹本さんは、とても100歳を超えているとは思えないくらいにお元気でした。

笹本さんのように明るく、前向きに、そして元気に長生きできるのであれば、ディックもできるだけ長生きしたいものだと思いました。年齢を経たころの生き様がとても美しく感じました。

笹本さんは多分最高齢の現役で活躍した写真家ではなかろうかと思います。一度直接ご本人のお話をお聞きして、生きる力をディックもいただきたいと思っていましたが、それはかないませんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。



「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」のオフィシャルブック
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情熱大陸「写真家 西野壮平」を観る

2022年02月07日 | 写真家の話題
2月6日の情熱大陸で写真家の西野壮平さんが取り上げられていました(情熱大陸ではたまに写真家が登場しています。)。
ディックはこの番組を見るまではご存じない方だったので、興味深く拝見しました。
街や地域を歩いて気になる光景を数多く撮影し、プリントした写真を切り貼りして、その街や地域を表現するというコラージュの作品を作成する作家さんでした。
番組では中盤以降は、富士山の作品を作成する過程をおった内容になっていました。手間のかかる独特な手法は、写真表現の幅広さを実感させるものでした。

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映画「MINAMATA」を観る

2021年09月26日 | 写真家の話題
封切の初日(23日)に見てきました。

著名な写真家ユージン・スミス(1918年- 1978年)に関する映画で、しかも舞台は日本(ユージン スミスが撮影に携わった水俣)ということで、これは見ねばと思っていました。

ユージン・スミスは、戦争写真家として活躍していたこと、「楽園へのあゆみ」という有名な写真(自身の子供(兄と妹)が森の中の道を歩いていく後ろ姿を撮影した写真)、水俣に来て水俣病患者の写真を撮影したことは知っていました。

ユージンの人となりはほとんど知らなかったのですが、この映画にはよく現れていました。
なかなか気難しい性格だったようです。半面写真家として周りに溶け込める能力や人としての魅力は備えていたように感じました。ジャーナリズムを追求する写真家としての使命感は半端ない反面、そのゆらぎに葛藤し苦しむ姿は、まさに人間臭さを感じました。

ディックが小学生のころ(ユージンが水俣に来た1971年は小学校1年生)は、水俣病などの深刻な公害の問題がまだ生の話題としてあり、どの学年で習ったかは忘れましたが、社会科で四大公害病(水俣病、第2水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)が紹介されていたのは記憶があります。

ただ、今では水俣病を始めとした当時の公害問題はもう過去のものだという認識がディックにはあり、自分の中では歴史レベルの存在になっていました。
この映画をこの見て、半世紀前の状況が身近なものとなり、さらに未だ完全に解決に至っていないことに複雑な気持ちになりました。

この映画は主演のジョニー・デップの企画でできた作品とのことです。映画の中のジョニー・デップは、写真で見たことのあるユージン・スミスそのものに感じました。特徴をよく捉えていました。

まさに外国配給の映画だからできた作品だと思います(前に「終戦のエンペラー」を見た時もそう感じたのですが、日本で未だセンシティブな問題のテーマを、劇場用映画として日本で作るのは難しい面があるのではないかと思います。)。

カメラの話題では、ユージン・スミスは水俣での撮影はミノルタの一眼レフ(SRT101など)を使用していたことは有名な話です。
なぜ、ミノルタなのかと思いますが(ユージンが水俣に来た1971年は、プロ用一眼レフのカテゴリーではニコンF2、キャノンF-1が登場した年であり、まだニコンFの独壇場でした。)、これは、日本に来て持っていたカメラ一式を盗られてしまい、それを知ったミノルタから機材が提供されたとのことです。映画でもちゃんとミノルタで撮影していました。

ユージン・スミスの写真に対する相当な拘りは、寫眞家としてディックもいろいろと考えさせられました。

ユージン・スミスの写真家としての活動を知ることができ、また、水俣病の悲惨さや当時の日本の状況を知ることができるお勧めの映画です。機会があれば是非ご覧ください。



MINAMATAのパンフレット(表)


MINAMATAのパンフレット(裏)


📸【無断転載禁止です(Unauthorized reproduction prohibited.)】📸

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ソール・ライターとソール・ライター風の写真の違いについて

2020年02月18日 | 写真家の話題
昨日アップした日曜美術館の「ソール・ライター」に関連してです。
この番組の中で、最近ソール・ライター風に撮ってSNSにアップする方も見かけるという話が前提にあって、ソール・ライターとソール・ライター風の写真の違いは何かという話題になりました。
ゲストの写真評論家の飯沢さんからは、ソール・ライターの写真は簡単にできると思うが、なかかなかうまくいかない。それっぽくはできる。いくつかルールは抽出できるから。というコメントがありました。

一般の方は、ストリートスナップということもあって、簡単にソール・ライターと同じような作風で撮れると考える傾向にあるのでしょうね(これに関連して、荒木経惟氏(アラーキー)の素人の女性を撮影した写真は、一見誰でも撮れるように思えるものもありますが、そうはいかないだろうというのと似ています)。
確かに単に撮影するならいかようにもできますが、ストリートスナップはあらかじめ撮影する被写体がセッティングされている訳ではないこと、撮影にあたっては偶然性の要素も多いことから、当初狙ったとおりに撮ることは難しい場面が多々あります。
飯沢さんが、ソール・ライターの写真は簡単にできると思うが、なかかなかうまくいかないと言われたことは、ディックもとてもよく理解できます。

ある光景を目の当たりにして、これは撮りたいと思ったときに、どう撮るがほぼ同時に頭の中に出てきて、それに従って撮影する、そして、隠し味的に偶然性をうまく呼び込んで利用するということが求められるように思います。
ソール・ライターは、自身の撮影スタイルを、経験(元々の才能もあると思いますが)によって確立していったのでしょう。
ソール・ライター風との違いは、この点なのでしょうね。
昨日も挙げた、飯沢さんの話された、(ソール・ライターの写真は)意図を感じさせない写真の撮り方を長時間かけて身体化して作り上げていった結果として撮れてくる世界である、ということがそれを端的に表していると思います。

有名な作家の作風をまねて撮ってみるというのは、とても勉強になることはいうまでもありません。これで作家の意図がより分かるからです。
写真だけでなく、芸術の世界では、有名な作品を模倣してみるということは、技術上達のための重要な手法の一つとされています。
以前このブログで紹介した、ホンマタカシ著「たのしい写真」において、ホンマタカシさんのワークショップで、好きな写真集のなかから一枚を選び、それがどのように成立しているかを言葉で説明した上で、その1枚と同じ構造の写真を撮影するという課題が紹介されています(p96)。このワークショップは、鍛えられますね。

写真は実在する光景を撮影することになるので、元ある写真と全く同じに撮るということはほぼ困難です。ただ作風はまねることはできます。
~風の写真も、だからダメということはありません。それとは関係なく、その写真自体を見ていいかどうかを判断すればいいことです。
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日曜美術館で「ソール・ライター」が取り上げられました(2月10日放送)

2020年02月17日 | 写真家の話題
2月10日のNHKの日曜美術館は「ソール・ライター」が取り上げられました。
Bunkamura ザ・ミュージアムで「永遠のソール・ライター」展が開催中ですが(3月8日まで)、ソール・ライターは、ちまたで今結構人気がある写真家になっているようです。
ディックも「永遠のソール・ライター」展を見て、感銘を受けるとともに、触発されるものがありました。
そういったこともあり、日曜美術館を興味を持って拝見しました。

ソール・ライター(1923-2013)はファッションフォトグラファーして活躍し、当時はかなり有名だったそうです。ただ、自分の方向性と合わなくなったことから、1981年にスタジオを閉鎖し、それ以降は表舞台に登場しなくなりました。
1948年からカラー写真を撮り始め、それ以降、住まいのあるニューヨークの街のスナップ写真を撮り続けます。
2006年に初の写真集が発行され、それによって再び脚光を浴びたという経緯があります。

番組では、ソール・ライターの写真の特徴として次の3点をあげていました。
①ガラス(ガラスを利用して日常を神秘的に撮ることを愛していた)
②ポイントカラー(シンプルな色味の背景に明るい一色を入れて印象深い画面にする)
③1/3構図(画面を縦か横に3分割し、その1か所に被写体をまとめて配置する)

これらの特徴は、ファッションフォトグラファーの仕事自体にも発揮されており、それも相まって完成されてきたことが分かりました。

この中でディックが特に注目したのが、1/3構図です。ディックも画面中の小さな被写体をメインにするような撮り方に興味があって、これまでも撮ってきたので、この手法にとても関心を持ちました。構図の完成度の高さにうなりました。

番組のゲストは著名な写真評論家の飯沢耕太郎さんと俳優の須藤蓮さんでした。
飯沢さんのコメントはディックには説得力があるものが多かったです(須藤さんのコメントにも結構フォローされていました)。

この番組では、ソール・ライターの生き方(ファッションフォトグラファーの名声を捨てて、商業ベースとは関係ないところで自分の撮りたいストリートスナップを撮り続ける)に共感する人が日本には多いという点からもソール・ライターの人気があるという方向にもっていきたいようでした。

この点に対しては、飯沢さんはソール・ライターの生き方を肯定しつつも、その人気は写真のうまさにあるということをやんわりとおっしゃって軌道修正を図っていました。
(飯沢さんから次のようなコメントがありました)
ここでシャッターを切ったんだというタイミングに必然性がある
ソール・ライターは物語を作っていくタネみたいなものを仕込むのがうまい
意図を感じさせない写真の撮り方を長時間かけて身体化して作り上げていった結果として撮れてくる世界である
いい写真家はいい生き方をする、生き方と写真の在り方は絶対に分けられない。これが写真の面白いところ

ディックも、ソール・ライターの作品は、それ自体の素晴らしい点が評価されている(されるべき)と考えています。
これらの作品がもっと早く世に出ていたら、その時点で注目をあびたでしょうね。
ソール・ライターの生き方自体を作品の見方にまでつなげてしまうのは、無理があるように思います。
ただ、生き方は、作品に何らかの形で現れることは当然あります。それは作品から読み解けばいいことです。

ソール・ライターの生き方は、現代において憧れがあるのは理解できます。
ただこういった生き方はそれだけの視点では不可能です。好きな写真を撮って、それを発表もせずに生活できたということは、ファッションフォトグラファー時代の資産があったからできたのではないでしょうか。
自分のしたいことを貫くことができるのも、それができる素地がないと難しいことを忘れてはいけません。それはしたいこと自体で稼ぐか、それ以外で暮らせる資産があるかどちらかです。
現在は売れない寫眞家のディックとしては、この点を強く感じますし、危機感を持って活動しています。


※「永遠のソール・ライター」展はお勧めです。東京圏の方は是非ご覧ください(3月8日までの開催です)。
その後、美術館「えき」KYOTOにて開催予定(4月11日(土)〜5月10日(日))




テレビの画像を撮影
この撮り方は昔を思い出します。荒れ気味の画面は、懐かしい雰囲気が漂っていますね。

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廃墟写真事件を考える

2019年11月14日 | 写真家の話題
昨日のブログで丸田祥三さんの写真集「棄景」を紹介しました。
これを書く際にネットを見ていたら、丸田さんが提訴した「廃墟写真事件」が目に止まりました。
ディックはこれで、そういえばあったなと思い出したのでした。

これは丸田さんの廃墟の写真と解説文を模倣されたとして、写真集を出版した職業写真家に対して、類似した写真と文章の発表差し止めを求める訴訟を起こしたものです。
写真及び文章の著作権の侵害が争われた事件です。
結果的には最高裁まで争い、いずれも丸田さん側の敗訴で2012年に決着しました。

丸田さんは、ネットで類似している自身と相手側の写真を対比して提示しています。
ディックも今回これを見てみましたが、それらの写真が極めて類似しているかどうかと言われれば、全く別物に見えました。
撮った対象は同じなのですが、そもそもアングルが違いますね。これを模倣と言われると、写真家ともしても辛いかなと思います。

廃墟など、既に存在するものを撮影する写真は、自分で演出する写真とは違い、あるものをどう切り取るかという点に尽きます。ここに撮影者の個性が出る訳ですが、こうした被写体は撮影のポイントも限定されることもあるので、意識しなくても似た作品になることは珍しい事ではありません。

前に出た他人の写真集を見ながら、それとそっくりな写真を撮って、全体的に似せた写真集を作れば、著作権侵害になるかもしれませんが、こういった元々存在する被写体は、著作権侵害を主張するのはなかなか難しい感じがしました。

丸田さんは廃墟写真の第一人者であり、その後の廃墟ブームにのって、他の写真家が同種の写真集を出してきたことに対して、第一人者の立場として、いろいろと不快な思いをされたことがあったのだろうと推察します。

「棄景」は丸田さんの個性が写真に現れた秀逸な写真集だと思います。この訴訟の結果でこれが揺らぐものでないことは言うまでもありません。

この判決は、写真の模倣(著作権侵害)を考える上で、判断を示した貴重なものといえます。

※ 木村剛大弁護士の「写真著作権-「似ている」と「侵害の距離」」(https://www.artlawworldjapan.net/blog/photograph)が、「廃墟写真事件」も取り上げて、写真著作権についてとても分かりやすく解説されていたのでここで紹介します(ここに上記の丸田さんが双方の写真を比較したものが転載されています)
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