今ディックの手元に安原一式があります。
本の紹介のシリーズに「安原製作所 回顧録」を取り上げるにあたり、防湿庫から持ってきました。
これは、世の中がデジタルに移行した後に、ネットオークションで手に入れました。ディックは、フィルムはほとんど使わないため、使わないだろうなと思いながらも、頭の片隅に残っていたカメラなので、家に来てもらうことにしました。
トータル4000台程度しか売れていないカメラなので、なかなか市場に出てこず、ディックも実際に触ったのは、この機種が初めてでした。
登場当時はとても話題になりましたが、そうしたカメラで実際に触ったことがない方が多いカメラの筆頭に上がるのではないでしょうか。
安原一式は、1998年10月にネットで試作機が発表されて以降(同時に予約開始)、カメラ雑誌だけでなく、マスコミでも多く報道され、大きな話題になったことはディックもよく記憶が残っています。また、安原一式は、ライカLマウントの機械式のレンジファインダーであったことで、ちょうど中古カメラブームでライカが人気になっていたことも盛り上がった原因の一つと考えます。企画が時流に合っていたといえます。
販売方法も定価販売で、5000円の予約金を払って予約し、順番がきたら販売するというスタイルのみで、これも大きな話題となりました。1999年3月の供給開始後も供給がなかなか進まず、バックオーダーを多く抱える時期が長く、実物を持っている人が少なかったことも、人気に拍車をかけた一因だったと思います。
ただ、これはニッチな分野で、もともと需要が多くない上に、競合機種となるフォクトレンダーブランド(コシナ)の登場やフィルムからデジタルへの移行で、フィルムカメラのこの路線だけでは長続きしなかったのも事実だったでしょう。
2号機秋月は、安原製作所のオリジナル企画のフィルムカメラ(レンズ固定式の露出はAE(A又はP)のレンジファインダーカメラ)でしたが、開発が遅れ(専らの原因は工場での遅延)、2003年末の登場となってしまい、時代がデジタルに移行しつつあったこともあり、人気が出ず売れたのは100台以下とのことです。
ディックは、安原一式がとても話題になったことは、前述のとおり、ディックは正にリアルタイムの状況で知っているのですが、必ずしも肯定的な見方ばかりでなかったのは事実です。
機種自体が中級機レベルなのに(しかもシャッター膜の遮光性につき、やや難あり)、少量の限定供給(工場の生産能力の問題もあったと思いますが。)のため予約販売の手法を取ったこと、譲渡後は届け出が要請されていたことなどは、プレミアムが付く高級機の売り方だと思い、そのギャップに違和感を覚えたものでした。
フォクトレンダーから同様なコンセプトの機種(ベッサR 2000年3月)が登場すると、次第に話題に上らなくなっていった記憶です。
日本のOEMメーカーと提携して高級機路線で展開していたら、もっと違っていたかもしれませんが、それが安原さんの意向と合致していたかどうかは分かりません。
秋月は、フィルム派の方が今欲しいカメラではないでしょうか。フィルム撮影を楽しむには理想的なスベックだと思います。
突然の業務終了は、時期に遅れない撤退だったと思いますが、アフターサービスも一気に終わってしまったので、この点は物議を醸したということがありました。これだけ潔くできたのも、技術者出身ということも大きかったのかもしれないと感じました。
安原さんはディックと同年代ですが(写真関係の時代背景は同じなので、より共感できるものがありました)、今回この話題で調べたところ、2020年3月に逝去されていたことがわかりました。早すぎます。ご冥福をお祈りします。
※安原一式は改めて紹介したいと思います。
安原一式は、思っていたよりもしっかりとした作りでした。これは触ってみないと分からないところです。
カメラジャーナル77号で取り上げられました。長徳氏は予約したものの、順番がまだ先。たまたま中古カメラ屋で委託品が出ていたのを購入したので、この号で取り上げたというストーリー付です。
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