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ディック スギ の写真の世界(The World of Dick Sugi’s Photos)

📷このブログでは写真全般の話題を取り上げていきます📷

「会いにいこう」つながりで日向岡

2023年06月16日 | 鉄道の話題
東海道新幹線の発着チャイムが、今かかっている「AMBITIOUS JAPAN!」から、新しいCM(2月16日から公開)テーマソングの「会いにいこう」に7月21日に切り替わるとの報道が、6月15日にありました。

「AMBITIOUS JAPAN!」は20年近くかかっていたことになり、もう耳に慣れている状態でしたが、「会いにいこう」もいい曲なので、どのようなチャイムになるか楽しみでもあります。

この歌が流れているCM「会いにいく、が今日を変えていく。」(とても印象的なCMと感じました。最近あまり流れなくなったですね)では、東海道新幹線の沿線で車窓から見られるいくつかの光景が映し出されます。その中でカラフルな住宅街が出てきます。
ディックは、かなり前に、この住宅街を新幹線に乗っている時にたまたま見かけて、それ以降、その住宅街を見るのが楽しみになりました。まだ、ネットが一般的でなかったころです。ここはどこか、長らくよく分からなかったのですが、新幹線の沿線を紹介した本に、この住宅街が紹介されているのを発見して、その所在が分かりました。

この住宅街の地名は、神奈川県平塚市の「日向岡(ひなたおか)」です。丘(というか小山)の斜面に建てられているので、地名のとおり、日当たりがとてもよいのでしょうね。1987年(昭和62年)から分譲が開始されたそうです。既に35年強の歴史があります。三角屋根の同じ形の瀟洒な建物が並んでおり、カラフルな色合いも相まってとても目を引きます。

実はこれは、今回のCM放送前から、東海道新幹線の車窓から見える光景として結構有名で、ネットで「東海道新幹線 日向岡」などと検索すると、ここの紹介がされたサイトをを見ることができます(実際に訪問した様子を記したものもあります)。調べる際には、インターネットの存在はありがたいですね。

この住宅街は、東海道新幹線の小田原・新横浜間の山側(一般車E席、グリーン車D席)から見ることができます。
東京へ向かう場合は小田原駅通過後5分程度で、名古屋に向かう場合は新横浜駅発車後10分強でこの光景を見ることができます(自分が撮影できるように計りました。)。

この住宅街を新幹線の車窓から撮る場合は、住宅街が見えたら、あっという間に通り過ぎてしまうので(新幹線なので)、上記の時間の目安から判断してカメラを事前に準備しておいてください。きちんと撮るためには、シャッター速度を早く(高速に)設定することをお忘れなく(最低1/500~1/1000くらいは欲しいところです。)。



日向岡の住宅街を眺める子ブタちゃんたち(その1) (2019年12月)



日向岡の住宅街を眺める子ブタちゃんたち(その2) (2019年12月)



日向岡全景(車窓より) (2020年1月)
※この後、コロナ禍が勢いを増し、東京へは行けなくなりました。、5類相当になってからも未だ行く機会がありません。


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西九州新幹線開業

2022年09月23日 | 鉄道の話題
本日(23日)、西九州新幹線の長崎~武雄温泉(66km)間が開業しました。列車の愛称はそれまでの特急を引継ぎ「かもめ」です。

ディックは、鉄道ファンなのですが、今は下火の状況で、最近は列車乗り歩きは積極的にしていません。でも、新らしい路線ができると興味が湧きます。そこで、今回はカメラではなく、鉄道の話題にお付き合いください。

今回開業した西九州新幹線は、新幹線の区間が他につながることなく、離れ小島になっており、最も短い区間の新幹線としても話題になりました。
博多~武雄温泉間は在来線特急(リレーかもめ)利用となり、博多~長崎間の所要時間は最速で約1時間20分で、従来と比べて約30分の短縮となるとのことです。
乗り換えする必要があるので、微妙な短縮時間ですね。
武雄温泉~新鳥栖間(約50㎞。新鳥栖から九州新幹線に乗り入れ)は、その区間が存在する佐賀県が新たに新幹線を作るメリットがないとして(建設については地元も相応の負担が求められます。)、反対しているため、建設の目途自体立っていません。

新幹線と在来線はゲージ(日本語では軌間。線路の幅のこと)が異なるので直通できません。新幹線は標準軌(1435mm。関西の私鉄も採用)、JRの在来線は狭軌(1067mm。JR以外に他の多くの私鉄が採用)のため、相互間は直通運転できません。
西九州新幹線では、当初武雄温泉~新鳥栖間は在来線を利用することとして、双方を走行できるフリーゲージトレインの採用が予定されていましたが、種々の問題点が生じて実現の目途が立たず、現時点は断念との結論に至っています(ディックは、新幹線はフル規格(これまでの標準軌を採用した従前の新幹線のスタイル)にこだわっている層の圧力もあったのではないかと考えています。)。

もし、新幹線とJRの在来線のゲージが同じだったら、新幹線沿線と少し離れている都市に直通できたり、新幹線の終点から先の在来線に乗り入れることができ、乗り換えなしで行けるので便利ですね。
そもそもの問題は、1872年(明治維新から4年後。明治5年)に新橋~横浜間に開業した日本の鉄道が1067 mm軌間を採用したことです。当時建設を請け負ったイギリスが、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの鉄道未開業地域には狭軌を導入していたので、日本も狭軌での建設となってしまいました(日本も当時は植民地並みの発展途上国としての扱いだったということでしょうね。)。ここで標準軌で建設されていたら、新幹線とJRの在来線が容易に乗り入れできていたので、悔いが残ります。

なお、大正時代に標準軌に改軌する動きが起こりましたが、政治闘争に発展し、新線建設を優先することが優先されたため、実現されませんでした。
新幹線は、最初に1964年に東海道新幹線が東京~新大阪間を一挙に開業した時点では、新幹線の路線が全国に広がることは想定しておらず、在来線との相互乗り入れも想定されていなかったので、高速運転に有利な標準軌が採用されました。

あと別の話ですが、東海道新幹線ができた時は、東海道新幹線は在来線と別の路線とはせずに在来線の増線の扱いとされました。そのため、通常は新幹線の方が在来線と比べて距離は短いですが(在来線よりも線形がよいため)、運賃は在来線と同じ扱いになっています。
これは、後にできる新幹線も同じ扱いになりました。

近年、次第に沿線人口が比較的少ない地方へも新幹線が通ることになると、新幹線と在来線の双方をJRが維持するのは赤字になるので困難という事態になりました。JRは民営化されたので、国の政策の新幹線を民間のJRに運営してもらうのに、配慮することが必要だったのでしょう。採算が合わない区間は切り離して、第3セクターに移行されることが認められました。新幹線が増線の扱いであったので、これがやりやすかったのではないかと思います。

そうなると、元々幹線扱いだった区間でも、新幹線の平行区間のJRの在来線が第3セクターになってしまって、線路はつながっていても、JRの路線としては分断されてしまった(東北本線、北陸本線の一部など。元々、当該路線やそれをまたいで利用していた方には、運賃が上がったり、ダイヤ変更による利便性の低下のおそれなど、メリットはほとんどありません。)、引き受けた第3セクターの経営が厳しいなどの問題点が生じています。

西九州新幹線に関しては、平行する在来線は、今後23年間はJR九州が運行することになったので、当面上記のような問題は回避されました。
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