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ディック スギ の写真の世界(The World of Dick Sugi’s Photos)

📷このブログでは写真全般の話題を取り上げていきます📷

ディック スギのカメラ遍歴(その10)

2022年11月30日 | ディック スギのカメラ遍歴
広角から超望遠までカバーするパナソニック ルミックスFZ300は、外観はデジ一眼チックですが、高速倍率ズームレンズ一体型のデジカメです。

35mm判換算で25-600mmの高倍率ズーム(24倍)を搭載しており、ソニーのコンデジ、HX99(24mm-720mm(30倍))とその焦点距離はほぼかぶります。
いずれもセンサーは、コンデジでは一般的な1/2.3型なので、HX99があればいいように思われるかもしれませんが、HX99は開放絞り値がf3.5-f6.4と変動し、超望遠域では開放絞りは6.4と暗いです。

1/2.3型のセンサーだと通常使えるのはISO800までです。超望遠域ではいくら手振れ防止機能があるといえ、シャッター速度はそれなりに速い速度が必要です。そうなると、HX99で超望遠域で撮影しようとすると、晴れや明るい曇りの日以外は手持ちでの使用は難しい状況です。
ここにFZ300が別途あるとありがたい状況があります。HX99と比べて超望遠域で撮影する際には、FZ300は露出で2段強のアドバンテージがあります。FZ300がf2.8、1/125でなんとか手持ちで撮れそうなシチュエーションだと、HX99はf6.4、1/25となってしまい、手持ちでは完全にアウトです。
また、FZ300の手振れ防止機能はとても強力で、超望遠域でファインダーをのぞくと手振れ防止機能がきいてぴたっと止まって見える様は感動ものでした。

FZ300は専ら街ネコ撮影に200mmを超える焦点域で使用していました。
FZ300自体に特段大きな不満はなかったのですが、操作性がソニーのカメラとは大きく異なっていることは少々気になっていました。
そもそも高速倍率ズームレンズ一体型のデジカメ自体、元々需要が少ないせいか、販売されているものは限られています。更に、超望遠域でf値が明るいカメラは数機種しかありません(全域f2.8固定のカメラはFZ300のみであり、こういった点からは孤高のカメラといえます)。

そんな中で、ソニーには、1型センサーを搭載したRX10M4というカメラがあることはディックも知っていました
これは、35mm判換算で24-600mm(25倍)をカバーし、開放f値はf2.4 -4と全域固定ではないですが、超望遠域でもf4とFZ300と比べても1段差にとどめています。
有効画素数は約2010万画素(FZ300は、画素数は1240万画素。画素数はいまどきのデジカメでは少なく見えますが、これはこれで普通に撮影するには十分な画素数です。)
ただ、重さは本体のみで約1050g!α9のボディは本体のみ(こちらは当然レンズはなしですが)約588gなので、なかなかの体形です。
また、タッチセンサーにも対応しており(ディックにとってこれは必須です)、今でも不満なく使えるカメラです。

なお、パナソニックには、RX10M4と似た仕様のFZ1000M2(1型センサーで、開放f値はf2.8-4)があるのですが、ズームが25-400mm(16倍)と超望遠域が物足らず、RX10M4とは同列には扱えません。
RX10M4もFZ300とは異なった面で孤高のカメラといえます。

RX10M4は2017年10月に登場しましたが、未だモデルチェンジなく、現役のままです(FZ300は2015年 9月に登場して、今も現役です。このカテゴリーのカメラは需要が少ないので、後継機は出せないのかもしれません。)。

既に登場時から5年経過していますが、価格は今でも新品だと安くても19万円弱となかなかのお値段です(ディックの使っているコンデジタイプのRX100M6(18年6月登場。正式販売ではディスコンになっているようです)は、新品は安くても11万円程度ですから、機能が異なるので比べるのは難しいですが、いかにRX10M4が高いか分かります。)。中古もそこそこするし(きちんと使えるものは、今オークションで探しても10万円程度はします)、ディックの中では、長い間RX10M4は興味があるカメラではありませんでした。

それが、突然、今年(2022年)2月ころにRX10M4を意識するようになりました。
それは、デジ一眼もα9に統一した後で、気分が盛り上がっていたのではないかと思うのですが、ソニーだったら操作性が慣れているので、このカテゴリーのカメラもソニーにしたらら使いやすいだろうと突如改めて思ったことと、さらに1型センサーはRX100でその優秀性は把握しているので、作品作りには、1/2.3型のセンサーよりもいいだろうと思ったからでした。

超望遠域の開放f値が4である点は、1型センサーなら、ISO1600まで通常にいけるので、そうなるとFZ300と全く同じシチュエーションで使えると自分を納得させようとしている自分がいました。
新たに導入したいと思った時が好機といえましょう。もちろんこのクラスのカメラに新品購入のお金をつぎ込むことはできません。オークションサイトを見て、手ごろな値段のカメラが出品されるのを待ちました。そしてヤフオクにて3月にRX10M4を落札し、FZ300と交代となりました。
これで、特殊用途とともいえるケンコー DSC880DW(1/3.2型)を除けば、普段使用するカメラは、ソニーに統一され、現在に至っています。



RX10M4(左)とFZ300(右)
大きさの違いは一目瞭然です
レンズはソニーがカール・ツァイス(左)、パナソニックがライカ(右)
ブラント的にはなかなか豪華な競演になっています



RX10M4(左)とRX10M6(右)
RX10M6のコンパクトさが際立つコラボです



α9(タムロン28-75mmf2.8付)(左)とRX10M4(右)
RX10M4のボディの部分はα9より大柄なのが分かります
また、RX10M4のレンズ部の径がかなり大きいのが目立ちます
α9とこのレンズの合計の重さは約1138g、RX10M4は訳1050g
RX10M4は使ってみると見た目ほどは重く感じません。



一眼以外のメインで使うカメラたち



📸【無断転載禁止です(Unauthorized reproduction prohibited.)】📸




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ディック スギのカメラ遍歴(その9)

2022年10月25日 | ディック スギのカメラ遍歴
前回(その8)は2019年6月4日投稿でしたので、久しぶりの続編となります。
※10月8日付けの「ディックのメインで使用しているカメラの現状について」(カテゴリー:「ディックがメインで使用しているカメラ」)も併せてご覧ください。


その8投稿の時点でのメインカメラは次のとおりでした。
一眼:α7Ⅲ(フルサイズ)、α6500(APS-Cサイズ)
コンパクト(高速倍率ズームレンズ一体型のデジカメ含む):RX100M6(1型)、HX99(1/2.3型)、パナソニック ルミックスFZ300(1/2.3型)、ケンコー DSC880DW(1/3.2型)の
※ メーカー名がないのはソニー、カメラ名の後の括弧はセンサーの大きさ

一眼では次第にフルサイズのα7Ⅲが専ら使われるようになりました。α6500は元々サブカメラの位置づけでしたが、使用頻度は相当落ちてしまいました。その原因はセンサーのサイズではなく、α7Ⅲとα6500では操作性がかなり異なるからです。操作性の点は、両者比べてしまうとα7Ⅲの方が格段に使いやすいです。そのため、どうしてもα7Ⅲを優先に使用するようになってしまいました。ただ、α6500もこの操作性で割り切って使う分にはバランスのよいカメラだと思います。
そのため、望遠ズームを使った街ネコちゃん撮影や広角、中望遠ズームを使った家でのハナタロ撮影や子ブタちゃん撮影の双方を1台のα7Ⅲでまかなうことが多くなり、それに合わせて撮影対象によってレンズを交換する機会も増え、それが面倒に感じるようになりました。
そのため、追い追い一眼はα6500を整理し、フルサイズ2台体制にしようと考えるようになりました。

2021年に入ると、その気持ちがより強くなってきました。
もう一台をどうするかですが、α7Ⅲを2台揃えるということも考えの一つにありました。α7Ⅲ(18年3月)は、第3世代のソニーαに該当し、タッチパネルや動物の瞳AFにも対応し(後のファームアップで対応)で完成度が高いカメラです。
また、それ以前から、第3世代のトップで登場したα9(17年9月登場)が気になる存在でした。
α9はセンサーの有効画素数は、2420万画素でα7Ⅲと同じですが、α9が大きく違うのは、通常撮影をするきには電子シャッターをメインに使用することです。
電子シャッターはα7Ⅲもそうですが、現役のミラーレス一眼には搭載されている機能です。機械式シャッターのような撮影時の振動がないため、ブレ防止に有利なのですが、動体の被写体を速いシャッタースピードで撮影すると、電子シャッターの特性で、その被写体に歪み(ローリングシャッターの歪み)が発生します。そのため、動きのある被写体には電子シャッターは使えません。
α9は、電子シャッターで、動体の歪みがほとんど発生しないセンサー(積層型CMOSイメージセンサー)を搭載しています。そのため、ほとんどの被写体で電子シャッターを使うことができます。α9はそれを実現した始めてのミラーレス一眼で、登場当時は唯一無二の存在でした。
また、α9は動体のAFが優れていることも街ネコ撮影をするディックには魅力に映りました。また、9の番号を名乗っているだけあって、ファインダーや背面モニターの液晶もα7Ⅲよりも精緻(逆にいうと後で出たα7Ⅲがスペックダウン)で、見た目はほぼ同じながら、作りはα9の方がよさそうというのも気になる点でした(α9は上面、前面、背面カバーおよび内部フレームにマグネシウム合金を使用)。
電子シャッターは、シャッター音が無音で、いつシャッターが切れたか分からない点は気になるところですが(そのため、設定でシャッター音の擬音が出せる一眼もありますが、α9はその機能はありません。)、画面でシャッターが切れたことが分かるように表示が出ること、ディックはコンデジでの電子シャッターでの無音撮影に慣れていることから、ミラーレス一眼での無音のシャッターは抵抗感があまりないだろうと想像していました。
あと、α9の他の特徴の一つとして、AFの追従しながら最高約20コマ/秒の高速連写が可能がありますが、これはディックの撮影スタイルではオーバースペックとなり、この点はあまり興味はありませんでした。

α9は2019年11月にⅡにモデルチェンジしましたが、グリップが大きくなったり、フリッカー(蛍光灯などの照明の明滅により撮影画面に横筋が写り込んだり、画面の一部の色合いが変化してしまう現象のこと)レスの機能の追加(α7Ⅲは対応済ですが、ディックはほとんど蛍光灯下での撮影はしないので影響ありません。、)などの改良がなされましたが、基本性能はほとんど同じなので、α9も十分使えます。
問題は値段ですが、もちろんα9Ⅱは高いので問題外。α9も元々新品は高いのですが、中古ならⅡが出ているので、まあこなれてきており、何とか手が出るかなという状況でした。
そこで、21年5月にα9の中古を導入しました。
それ以降、α7Ⅲとα9のフルサイズミラーレス一眼の2台体制となりました。外での街ネコ撮影にα9を使い、家での撮影はα7Ⅲを専ら使うようになり、あまりレンズ交換をしなくても済むようになりました。
α9を使うようになると、α7Ⅲとはすごく違うわけではないのですが、やはり両者は別物ということが分かりました。ファインダーの見えは明らかに異なります。また、動物の瞳AFもα9の方がよく認識するように感じました。
操作性はα9とα7Ⅲはほぼ同じですが(なので併用するのに大きな支障はありません。)、α9を2台の方が使いやすいと思うようになりました。α7Ⅲとα6500をヤフオクで売れば、α9の中古がいけそうと皮算用し、今年(2022年)2月に、中古のα9を導入しました。
機材が2台統一され、これでメインのミラーレス一眼はすっきりとした構成となりました。
(続く)



2台のα9
一眼はこの2台でまかなっています



α9上面
α7Ⅲとフォルムはほぼ同じです。異なるのは左側(写真では向かって右側)にダイヤルがあることです。
AF、MF切り替えモードと単写、連射モードの設定がダイヤルでできるようになっています。



α7Ⅲ
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ディック スギのカメラ遍歴(その8) 3月に大きな動きがありました

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
少し前までディックがメインに使用しているカメラのラインナップは、一眼はα7Ⅱ、α7S、α6500が、コンデジはRX100M3、HX90V(以上すべてソニー)、LUMIX FZ300(パナソニック)の6機種でした。

ソニーを巡る新機種の動きですが、一眼ではα7Ⅲが昨年(2018年)3月に登場しました。背面液晶がタッチパネルになったり、センサーが裏面照射型CMOSになって高感度域の画像が良くなるなど、Ⅱからみると結構ブラッシュアップされており、とても魅力的に感じるものでした。
また、コンデジでも、RX100はM6が2018年6月に、HX系列はHX99が同年11月に新モデルが登場し、いずれもタッチパネル採用になりました。
ただ、α7Ⅱは2015年2月に購入後4年強が経過し、使用上不満はないわけではありませんでしたが、これで使用に困るとレベルのものはなく、それはコンデジのRX100Ⅲ、HX90Vにもいえました。デジカメの機能は熟成期を迎えており、購入しても最低5年程度は不満なく使えるというレベルに至っているという感覚です。
しかも、寫眞家としても稼ぎのない状態なので、メインで使う機材はしばらくはこのまま維持するというつもりでいました。

ところで、今年2月に、自分の持っている電子式のオートローディング付きのフィルムAFカメラをチェックしてみたところ、どこかかしか調子が良くないカメラが結構見受けられたのにショックを受けました。
フィルムカメラは、もはや使用する機会はほとんどなく、置物状態になっていました。そうしたなか、カメラに不具合が出ている状況を見て、自分が持っていてもフィルムカメラがかわいそうと思ったのでした。特に電子式のオートローディング付きのフィルムAFカメラは使ってやらないと、劣化が進み、再起不能になる可能性が高いように思いました。
そこで、まだ使え、かつ、価値のある電子式のオートローディング付きのフィルムAFカメラカメラは、新たな使い手の元に送り出すことにしました。
この時に、寫眞家として、今もっとも充実すべきカメラは、やはり今メインに使っているカメラだろうとふと思ったのでした。

そこで、フィルムカメラだけでなく、他の使用しないAFレンズも処分することとし、メインで使っているデジカメのうち、新製品が出たカメラについてはそちらに変える決心をしました。

これまでフルサイズの一眼はα7Ⅱとα7Sを使っていました。この両者の使い分けですが、Ⅱは第2世代ということとボディ内手振れ補正があるので、こちらをメインに使用する一方で、α7Sは高感度にかなり強いので(ディックはISO12800までは、普通に使えるという認識でした。)、室内での子ブタちゃんの撮影や暗い条件の被写体にはこちらを使っていました。α7Sだと絞りを絞った状態でも手持ちで子ブタちゃんの撮影ができるので、α7Sも結構活躍していました。
α7Ⅲは、はじめに記したように、α7Ⅱと比べて高感度域が強くなり、子ブタちゃん撮影でよく使っていたISO6400でも画質的に問題ないとの情報を得ていたので、従前のα7Ⅱとα7Sの役割をα7Ⅲ1台に担わせることにしました。
こうして3月に機種の入れ替えを行い、α7Ⅲ、RX100M6、HX99が新たに加わりました(各機種とも既に2か月強使用しているので、使用した感想はまた別途アップする予定です。)。従前のα6500とLUMIX FZ300はそのままで、メインに使うカメラは、従前の6機種から5機種と1台減りました。
これで全機種壁面液晶がタッチパネル付きのものになりました。
新たに加わった機種は、完成度が高いため、あと5年は不満なく使えるのではないかと思います。

α6500もそれなりに使い勝手のよいカメラで、これだけ使っているといいのですが、α7Ⅲとα6500では結構大きなところでカメラの操作性が異なっている点があり、両者を併用していると、一瞬迷うことがあります。すぐにどうこうすることは考えていませんが、フルサイズ2台体制という選択肢もあるのかなと思っています。




新たにメインカメラの一員に加わったカメラたち
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ディック スギのカメラ遍歴(番外-感材編)【再掲】

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
ディック スギのカメラ遍歴はいかがでしたでしょうか。写真と関わってきた年月が長く、また自分の使ってきたカメラなので語ることが多くなってしまいました。その時々のカメラを巡る状況も分かってもらうために、自分の使用したカメラ以外のカメラにも結構触れました。お付き合いいただきましてありがとうございます。

この本編は一応完結しました。中学生の時に一眼レフ(リコーXR2)を使用するようになって以降は、使ってきた一眼(レフ)を中心に、その時々の関連するカメラも登場させながら話を展開してきました。ディックは、街撮りのスナップ撮影も自身の撮影対象の一つの柱であることから、普段は持ち歩くのが容易なコンデジをよく使っています(今のメインは、これまでも登場しているソニーRX100M3です)。むしろこちらの方が一眼よりも使用頻度ははるかに高いです。サブかメインか分からないところがあるコンパクトカメラの使用遍歴については別途記したいと思っています。

さて、今回は、カメラと切ってもきれないディックの感材関係の遍歴を記します。
中学の時に初めて一眼レフを購入(1979年)してしばらく経つまでは、カラーネガフィルム(プリント目的の一般的なカラーフィルム)をもっぱら使用していました。フィルムはカメラ店で現像してもらい、必要なものだけプリントを依頼していました(L版主体です)。当時はまだプリント代が高く、確かL版1枚30円くらいしたと思います。そのため、同時プリントはお金がかかるので、必然的にこのようなスタイルになりました。

そのころ写真をやっていると、モノクロ写真に関心が向かうことがまだ一般的な時代でした。
その思いが高まり、高校生の時にためたお金でフィルム現像とプリントができるキットと引き延ばし機(LPL)を購入しました。これで、フィルム現像からプリントまで家でできるようになりました。
モノクロフィルムは長巻を買ってきて、36枚に切り(それができる器具がありました)、パトローネ(これはカメラ屋でただでくれました。)に自分で詰めていました。現像やプリントは、専用の暗室はないので、自分の部屋の雨戸を閉め、真っ暗にして、代用していました。
これで、カラーとモノクロの併用の時期となりました。
ただ、モノクロ現像は結構面倒くさく、大学生のころになると、モノクロ写真は次第にフェードアウトしていき、またカラーネガフィルムオンリーの体制に戻りました。

流れが変わったのは、1989年にミノルタα7700i(ディックのはダイナックス7000i)を導入して以降です。このころから写真の趣味が再び盛り上がってきて、カメラ雑誌のコンテストに応募するようになりました。
カラーでの応募は、プリントとスライド(ポジフィルム)の2通りがあり、ディックはスライドで応募することにしたので、このころから、作品作り(もっぱら一眼レフの使用時)にはポジフィルムを使用するようになりました。
コンパクトカメラを使った日常の一般撮影用は、プリントする機会も多いのでネガフィルムを引き続き使用していました。

ちなみにポジフィルムというのは、すかしてみるとそのままの画像が見えるというものです。
ポジフィルムは露出をきちんとかけないと、思ったような色がでません。ポジフィルムは現像して完成なので(プリントもできますが、プリントするならそれ用のネガの方が使いこなしが楽です。)、結構扱いの難しいフィルムです。
それなのになぜポジフィルムを使うようになったかというと、ネガフィルムは家にプリントの設備がなく、プリントをカメラ店に依頼する必要がありましたが、通常のプリントでは一発で思った色を出すことが難しいという現状がありました。ネガのプリントは融通がきくので、それがかえって足かせになるという皮肉な状況です。

一方、ポジフィルムは、現像後の色調がすべてなので、その後に手を加える必要がなく、セレクトしてスライド用のマウントをすればそのまま応募できます(しかも郵送も楽です(プリントはかさばるので、郵送代も高くなります))。
撮影時はシビアになりますが、コンテストの応募の手間はプリントに比べて格段に楽です。

それ以外の理由としては、カラーでは、ほとんどのプロ写真家がポジフィルムを使用していました。プロはほとんどが印刷媒体目的なので、当時はポジフィルムが必須でした。撮影時の扱いが難しく、プロも使っているとなると、何か惹かれるものがありませんか。ディックも完全にひかれてました。

更に、スライドをチェック用の蛍光灯のライトボックスで見ると、色の鮮やかさというのはプリントとは全く違います(デジタルだとモニターで見る感覚と同じです。今も、プリントとモニターでは、モニターが鮮やかに見えます)。これに慣れてしまうと、ポジフィルムに魅了されます。

ポジフィルムの使用は、多いとき年間100本を超えていたと思います。
これが一眼レフがデジタルに移行した、2005年まで続きましたが、その後は次第にフィルムは使わなくなりました(コンパクトは一足先にデジタルに移行)。今フィルムを使うことはほぼ皆無の状況です。

今あえてフィルムに回帰されている方もいるようですが、デジタルの便利の良さ、コストパフォーマンスの良さ(フィルム、現像代がかからないのです!)にどっぷりとつかってしまうと、ディックはあえてフィルムを使う気にはなりません。あるとするとフィルムカメラを使う時くらいでしょうね。

デジタルの性能は、もうフィルムを超えてしまっています。フィルムの味というのもない訳ではないでしょうが、それをデジタルで表現できないまでの差異があるかというと、ディックは懐疑的です。フィルムに回帰しようと考えている方は、特殊用途以外にフィルムにこだわる利点は本当にあるのか、よく考えた方がいいです。
ただ、写真は精神性もその出来に大きく影響すると思っているので、限られた枚数を丁寧にとらないといけないという意識が醸成されることが、撮った写真によい影響を及ぼすということはあると考えています(これは、フィルム時代に、なぜプロ機を使うのかという問いに、プロ機で撮影するとその出来をカメラのせいにはできない。すべて自分にふりかかってくるという話がありました。これも精神性の一種でしょうね)。ただこれらはフィルムだからどうという話とは少々次元の違う話だと思います。



SONY α7Ⅱ FE24-240mm f3.5-6.3
ライトボックスでスライドを見る子ブタちゃんたち
※ 久しぶりにライトボックスを出してみました
  ルーペはPEAK
  昔はよく使いました
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ディック スギのカメラ遍歴(その7)~ソニーα7の導入から現在(2018年)まで 【再掲】

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
しばらくα900以降のソニー一眼の展開の話になりますが、ディックのカメラ遍歴を語るのに、切り離せないところなのでお付き合いください。

2008年10月にα900が出ましたが、2009年6月から登場した次のシリーズは、APS-Cサイズのセンサーの普及機のみの展開で(数字が200、300、500台)で、ボディが小型化されました。
この中で特徴あるカメラは、2009年9月に登場したα550です。これは、ペンタ部にライブビュー専用のセンサーを備えることにより(通常の撮影時からは光路が切り替わるようになっていました。なお、ライブビューは前の世代のα300に初めて搭載されました。)、通常の撮影と同様のAF速度で撮影できることが売りでした。一眼レフでライブビューの撮影(今のミラーレスの撮影のようにセンサーの映像をダイレクトに見て撮影する方式。ただ、一眼レフの構造上、ファインダーは液晶ではないので、背面の液晶を見て撮影することになります。)をしようとすると、ミラーをアップしないといけないので、通常のAFシステム(位相差方式)が使用できず、当時のライブビューの機能で撮影するとAFが異様に遅くなりました。ソニーのこのシステムは、その欠点を補った凝った方式で、ソニーの面目躍如といった感じでした。
ディックは普及機の使用は考えていなかったので、このあたりのカメラには縁がありませんでした。

そして、その次の世代となる、2010年8月登場のソニーα55でついに一眼レフのカメラのフォルムを残したまま、クイックリターンミラーを廃止して、ミラーレス一眼になります。
これでファインダーも液晶になりました。ただ、特徴的なのは、トランスルーセントミラーという半透明の固定式薄膜ミラーをクイックリターンミラーの代わりに設置し、AFシステムのみ従前と同じ方式を取ったことです。この利点は、これまでのAFシステムで作られているαレンズをそのまま快適な状況で使用できるというところです。また、この時代は、まだ、それまでの方式の方がAFのピントの合う速度が速かったという理由もあります。この流れで、APS-Cサイズの上位機種であるα77(2011年10月)やα900の後継機となるフルサイズのα99(2012年10月)が登場しました。なお、両機とも後継機(Ⅱ型)が出ています。
ソニーユーザー以外の方は、α本流であるこれらのAマウントを採用したこれらのカメラは、マウント内にミラーがあるので、一眼レフだと思っている人も結構いるのではないかと思いますが、れっきとしたミラーレス一眼です。

ディックは、αシリーズでも上記Aマウントのシリーズから後で述べる別系統のEマウントのシリーズにほぼ移行しているため、Aマウントのシリーズはα900が最後になっています。

さて、ソニーαがややこしいのは、別にミラーレス一眼として登場したEマウントのシリーズがあるからです。2010年6月以降、αNEX(通常はNEX(JRの特急ではありません!エヌ・イー・エックスとのこと)と呼ばれていました。)というブランドで展開されました(最上位機種はNEX7。のちにこのシリーズも単にαと呼ばれるようになります。)。このシリーズ既に登場していた、オリンパス、パナソニックのフォーサーズ一眼に対抗したものでした。ボディのサイズはフォーサーズ一眼並みなのに、それよりも大きなAPS-Cサイズのセンサーを搭載したのがセールスポイントでした。

ところが、2013年10月に、センサーがフルサイズ規格のEマウント一眼α7が登場します。Eマウントは径がAマウントと比べて小ぶりなので、フルサイズだと一杯一杯に見え、余裕はなさそうです。四隅の周辺光量は大丈夫だろうかと思ってしまいますが、多少ソフトで調整しているのかもしれませんね。
フルサイズなのに、とても小型軽量のため、これはいいなと思いました。ディックは機能が同様なら小さい方がいいです。ただ、ボディ自体はカッコいいとは思えませんでした(どことなく、フィルムカメラのキャノンのT50に似ているとの声あり)。今後はミラーレス一眼が主流になっていくだろうという思いもあって、思い切って2014年4月にベーシックモデルのα7を導入しました。
レンズは一緒に購入した標準ズーム以外は、これまでのAマウントのレンズを、アダプタを介して使うという方式です。この純正アダプタ(LA-EA4)を使うと、測距点は限られますが(アダプタにAF機能が入っています)、AFで普通に使用することができます。これだと、これまでのレンズの資産を活かすことができます。

ただ、このシリーズで難点なのは、手振れ補正が従来のボディ内でなく、レンズ搭載方式になったために、旧来のレンズでは手振れ補正が利かないことです。望遠レンズは手振れ補正があった方が安心して使えます(というか手振れ補正に慣れてしまい、ないと不安になるようになってしまいました。)。
また、シャッターボタンがグリップ上になくボディの方についているのも、後ろすぎて使いにくいと不評でした。

ミラーレス一眼でいいと思うのは、電子ファインダーです。確かにスクリーンを通じて生の光景を見るのと違って、違和感があると言われる方もいます(旧来の一眼レフを使っているベテランの方に多いようです。)。また動体の場合に電子ファインダーでは見にくいという声もあります(サッカーとか動きの速いスポーツでは、今でも一眼レフが優位とされています。ただ、少し前に出たα9は動体の対応もよく、その差は縮まってきているか、ほぼ同等のところまできているようです。平昌オリンピックで、ソニーが初めてプロ用のブースを設けたことが話題になりました。)。ディックは、激しい動体撮影はしませんし、映る映像のほぼそのままが見えることや撮影後の再生がファインダーでできるという利点は一眼レフに勝ると思っています。

α7とα900は併用していましたが、軽量のα7を使うことが多くなるのは当然の成り行きでした。
ところが、2014年12月に、α7の後継機α7Ⅱが発売になりました。この機種はなんとボディ内手振れ補正を導入し、旧来のAマウントのほとんどのレンズでもその恩恵にあずかることが可能となりました。
また、シャッターボタンもグリップ上にあって、ノーマルな形になりました。これらは正常な進化なので喜ぶべきところですが、α7登場から1年少々での後継機の登場に複雑な思いを持ったのはディックだけではなかったと思います(ソニーは後継機とは明示せず、併売する方式をとっています(前にブログに書いたRX100と同じ方法です。)。
α7は未完成な部分がいくつかあったと思わざるをえません。Ⅱのレベルのカメラを最初に出してほしかったというのが偽らる心境です(まさか、また購入させるために、最初にあえて未完成な部分を残したのではないと信じたいです。)。

Ⅱが出ると欲しくなるのは人情です。またまた思い切って、2015年2月にα7は中古カメラ屋さんに売却し、それに足してⅡを購入しました。
やはり、Ⅱは完成度が高いです(だだ、不満がない訳ではありません。それはまた別にブログで紹介します。)。高画素のRシリーズもありますが、ディックはノーマルの7で十分です。付加価値がつくカメラは値段も高くなりますので、ディックの使用においては、このα7がコストの面などトータルで考えるとバランスがいいです。新型のα9やαRⅢに搭載された背面液晶のように、Ⅱもタッチパネルなら言うことがないのですが。

その後、2016年11月に暗い状況でもノイズ少なく撮ることができるα7sを中古で購入。sも素の7と同様、Ⅱが出ていますので、本当はこれが欲しいところではありますが、値段が半端なく高いので、初代sをラインナップに加えました。これは室内でマクロレンズをつけての子ブタちゃんの写真撮影によく使っています。
これを使っていると、以前に感じたシャッターボタンの位置などα7の欠点と思われた点もあまり気にならなくなりました。この位置も一つの思想なのかなと思います。デザインも含め(慣れたせいか、最初見たときに感じた違和感を感じなくなった人が多いようです。)初代α7シリーズを見直しております。

そして、昨年(2017年)7月にモンゴル旅行に持っていくためにα6500(APS-Cサイズ。NEXの系統)を購入しました。これはこのシリーズ初のボディ内手振れ補正を備えており、背面液晶はタッチパネル仕様で、とても完成度が高いです。結構長いスパンで使えそうです。ディックの中では、サブ的な使用になっていますが、専用のレンズを揃えればメインでも十分使えるポテンシャルを有しています。

寫眞家としても一眼はこの3台で今のところ事足りています。ただ、ディック的にはα9はとても気になる存在です。



左 α7Ⅱ レンズ FE24-240mm f3.5-6.3 大柄なズームレンズですが、これ1本で足りることも多く、重宝しています。
右 α7s レンズ ミノルタ50mmf2.8 マクロ + LA-EA4
手前 α6500 レンズ E16-50mm f3.5-5.6 パワーズーム仕様



α7Ⅱ(左)とα7s(右)の背面



α7Ⅱ(左)とα6500(右)のセンサー 大きさが随分と違います
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ディック スギのカメラ遍歴(その6)~ソニーα900導入(2009年) 【再掲】

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
2006年初頭にαはコニカミノルタからソニーに移管されました。
ソニーはそれまでもサイバーショットシリーズを展開してデジカメは販売していましたが、これにより、一眼レフを製造、販売するメーカーになりました。
デジタルが主流になり、元々カメラメーカーではなかったメーカーもデジカメの製造、販売に加わってきましたが(ソニー以外にもパナソニック、カシオ、サンヨーなどが思い浮かびます。)、一眼レフの分野に参入するには、クイックリターンミラーの構造など、フィルム時代から引き継がれた技術が必要であったため、新たな参入は敷居が高ったのです(後年パナソニックもレンズ交換式一眼で参入してきますが、これはミラーレスを採用した(クイックリターンミラーを使う必要がなくなりました。)から可能になったことです。)。ソニーはαのノウハウをすべて継承したので、一眼レフの分野に参入ができました。

さて、ソニーαは発足後、コニカミノルタ時代の導入機(αSweet DIGITAL)を改良したα100を2006年9月に登場させ(外観はソニーらしさが出され、それまでのイメージとは一線を画すものとなりました。)、2007年11月についに、α7デジタルの後継機であるソニーα700(APS-Cサイズ、1224万画素)が登場しました。
これは、α7デジタルまでのαの基本的な操作性は維持しつつ、性能はブラッシュアップされ、最新の機能も付加されました。

α700はデモ機を借りて何回か撮影しましたが、完成度が高く、α7デジタルから大きく進化したことを実感しました。使うと欲しくなってしまいますが、α7デジタルを購入してからまだ2年強しか経っておらず、買い替えも厳しい状況だったので、静観することになりました。

そうこうするうちに、αもフルサイズ(35mmのフィルムサイズ)の登場の期待が高まってきました。ディックもそうですが、フィルム時代から写真をやっている者にとってフルサイズに慣れていることも大きな理由ですが、フィルム時代のαのレンズをそのままの焦点距離で使えることがフルサイズを期待する別の大きな要素でした。

話が少し横道にそれますが、今一眼デジタルのセンサーは①フルサイズ(36mm×24mm)、②APS-Cサイズ(23.6mm×15.8mm)、③フォーサーズサイズ(17.3mm×13.8mm)の3つが主力です(さらに大きなセンサーを採用しているカメラ(いわゆる中版一眼)を出しているメーカー(ペンタックス、富士フィルム)もあります。)。
ニコン、キャノン、ソニー、ペンタックスは①と②を、富士フィルムは②を、パナソニックとオリンパスは③をラインナップしています。センサーの大きさだけをみると随分違います(ちなみに①を基準にすると、②は43%、③は26%の面積となります。)。センサーは、大きいほど高画質にしやすいという利点はありますが、私たちが通常に使う分には、どれも遜色ない範囲といえるのではないでしょうか。センサーが大きくなるとボディやレンズは大きくなる傾向にあるし、デジタルは画像処理も大きな要素となるので、どのセンサーのカメラ(メーカー)を選ぶかはトータルで決めることになるでしょう(特に、①と②を併売しているメーカーはどちらを選ぶか悩ましいことになります。)。

話を戻します。2008年10月についに、フルサイズ一眼レフα900が登場しました。このカメラの特徴はペンタ部(中央のファインダーに画像を導くプリズムが入っている部分)の三角形です。ニコンFの再来かと言われました。全体的に大柄なカメラですが、いかにも一眼レフという伝統的な匂いも感じられるスタイリングに、ディックもやられてしまいました。

ただ、値段もそれなりだったので、こなれるのを待って、2009年11月にお迎えしました。9がつくαはシリーズ頂点のカメラですが、ディックにはこれまで縁はありませんでした。ついに9のつくカメラとお付き合いすることになりました。

フルサイズのセンサーはやはりしっくりときました。少し重いですが、持ち運びに支障になる程ではありません。主役として活躍してくれました。
ただ、少々不満だったのは、AFの測距点がファインダーの中央寄りに集まっていること(ニコンやキャノンのフルサイズのカメラと比べるとその傾向にありました。)、動体へのAFの追随が弱いことで、AFだとうまく被写体をとらえてくれないシーンもありました。あと、高感度だとノイズが出やすく、ISO800が限界(できれば400くらいにとどめておきたい)といったところでしょうか。あとこれに関連して、Dレンジオプティマイザー(明暗さが激しい被写体で、白とび、黒つぶれを防いでくれる機能。とても優れものです。)の許容度が狭い(感度を低くしないと暗いところの画像にノイズが発生する。)というのもありました(過渡期だったのでしょう。今の一眼αでは解消されています。)。

全般的にはとても満足度が高いカメラで、しかも持つ喜びも感じるものでした。
2011年2月にはα700も中古で購入し、ソニーα2台体制となりました。これにより、α7デジタルはほぼ引退状態となりました
2014年4月に一眼ミラーレスのα7を導入するまでは、この体制が続きました。

α900はカメラ自体は魅力的なカメラですが、最近ほどんど出番がありません。
ディックの一眼での主力機はミラーレスのα7Ⅱ、α7s、α6500に移行しています。
α900はまだ使えるので、使ってもらえる人への売却を考えています(その方がカメラも喜ぶと思います。)。



α900 これぞ一眼レフといった形です
レンズはミノルタ85mm f1.4G 名玉です!



背面



ミノルタ85mm f1.4G このレンズを見ていると引き込まれる感じがします

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ディック スギのカメラ遍歴(その5)~ミノルタα7導入(2005年)~デジタルへの移行 【再掲】

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
ミノルタのα7の背面液晶がデジタルの布石と噂された話が前回出てきましたが、2000年には他社からデジタル一眼が既に登場していましたし、ミノルタからも1999年9月にVマウント(今はなきAPSフィルムサイズの一眼レフのマウント)を採用したDimage RD 3000という一眼レフが販売されていたので(値段は36万円!)、αのデジタル一眼レフが早晩でてくるだろうという期待が持たれたのは当然の流れでした。ただ、2000年はコンパクトカメラの分野では徐々にデジタルに移行しつつありましたが、一眼レフは値段や性能(フィルムのポテンシャルにはまだまだ及ばないという評価でした。)から、デジタルに移行するアマチュアカメラマンはほとんどいなかったと思いますし、ディック自身もそうでした。

一眼レフがデジタルに本格的に移行するには、まだ相当時間がかかると考えられていましたが、2002年6月にニコンD100が、2003年9月にキャノンEOS Kiss Digital(12万円と当時では破格の安さと驚きました!)が登場し、値段もこなれてきて、しかも性能も飛躍的に向上したため、このころからデジタル一眼が早晩フィルム一眼にとって代わるだろうという見立てが主流になってきました。
ニコン、キャノン以外にも、2003年4月にペンタックスが*istDを、同年10月にオリンパスがE-1を登場させ(オリンパスはこれで、一眼レフのメーカーに戻ってきました。)、続々と一眼レフメーカーがデジタル一眼レフを登場させる中、ミノルタからはレンズ一体型のデジタル一眼レフは販売されたものの、αは登場せず、ユーザーをやきもきさせました。

そうこうしているうちに2003年10月にミノルタがコニカと統合し、コニカミノルタが誕生しました。そして、やっと2004年11月にα7デジタルが登場しました。統合で開発が遅れてしまったという理由もあったと思いますが、この遅れは痛かったと思います。αに見切りを付け,ニコンやキャノンに移行した方も結構いたと聞いています(ディックは、一眼レフについてデジタルに移行する際に、他のメーカーに鞍替えする気は全くありませんでした。αの操作性に慣れており、使い勝手がいいこともありますが、それまでのレンズの資産を活かしたいという面も大きいです(新たに別のメーカーのレンズを揃えるのは大変なことです。)。メーカーによってマウントが異なることから、共用はできません。レンズの事を考えると、メーカーの鞍替えに二の足を踏む人が多いです。特にレンズを多く所有している人にその傾向は顕著だと思います。)。

ただ、後発の利点として、それまでに販売されたデジタル一眼レフは研究されており、1号機としては、まずまずの完成度でした。しかもこのカメラは、レンズ交換式の一眼レフとしては、初のボディ内手ブレ補正機能を備え,これはどのレンズにも手ブレ防止がきくという画期的な機能で、その後のαデジタル一眼の目玉の機能となっています(手振れ補正は、それまではレンズ内に備えるのが通例でした。両方のシステムは一長一短がありますが、ボディ内のシステムの方が利点が多い気が個人的にはします。)。

αファンには、待ちに待ったデジタル一眼でしたので,結構売れたのではないかと思います。ディックもそろそろデジタル移行という気分だったので、移行は当然流れでした。ただ、当初は高値でしたので,少々値が落ち着くまで待って、2005年7月に購入しました。

ボディは金属外装でそれなりに高級感がありますし,操作性はフィルム仕様のα7とほぼ同様のため,α使いなら,違和感なく使用できます。手振れ補正はとても有効で、特に望遠域での安定感が増しました(今や手振れ補正に慣れきってしまい、α7S(カメラ内の手振れ補正がついていません)で、αマウントの望遠レンズを使うと少々不安を覚えるほどです。)。

ただ,残念なのは,シャッターやAFなどカメラの中身は当時発売されたフィルムカメラのα70ベースで,α7よりもスペックがダウンしたことです(シャッター速度は最高4000分の1までで,α7と比べると1段遅くなっています。)。デジタル部にお金がかかったためでしょうか。レスポンスも残念ながら,α7とくらべて劣ります。AFも少々だるく感じました。画素数は630万画素で,当時は一般的なものでしたが,画質はよかったです(この当時のセンサーは、コントラストの再現性がシビアなので、懐が深い今のセンサーと比べると使いにくい面はあります。)。通常使うのなら,画素数はこの程度で、今でも十分通用するのではないかと思います。全体的に気になる点が無いわけではなかったですが、トータル的にはまずまず満足できるものでした。

センサーはこの当時主流だったAPS-Cサイズ。これまでの35mmフィルム用のレンズもマウントが同じなのでα7デジタルにも使えますが、焦点距離が1.5倍になってしまいます。ディックは従前からのレンズ資産を活用したので、広角側の焦点距離が伸びてしまうのが難点でした(よく使っていた24mm-105mmのレンズは36mm-157.5mmのレンズになります。17mm-35mmのGレンズも持っていたので、広角が必要な場合はこれを使いました。)。

α7デジタル導入後も、当初はフィルム用αも併用していましたが、徐々にフィルムの使用頻度は低下していきました。
α7デジタルは、2009年11月にα900を導入するまで主力で活躍しました。その後は使用頻度も急激に減っていったので、使用した期間は以外に短かったです。

コニカミノルタのデジタル一眼は,その後廉価版のαスウィートデジタルを出した後に,2006年初頭にコニカミノルタはカメラ事業から撤退し(結局コニカミノルタになって2年強で撤退してしまったことになります。)、ソニーにカメラ事業を譲渡しました。そのため,α7デジタルも改良されることなく終わってしまいました。レスポンスの改良などのマイナーチェンジを行えば,α7デジタルの完成度が高まったのに残念です。

ただ、αがソニーに引き継がれたのは幸運でした。これがなければ京セラコンタックスがカメラ事業から撤退し、コンタックスが終わってしまったのと同じ運面をたどった可能性も十分考えられたところです。ソニーにありがとうと言いたいです。



α7デジタル
レンズは、これもコニカミノルタ時代に出された、28mm-75mmf2.8。
全域f2.8の標準ズームで、その割には小ぶりで、結構近接撮影もできるなど、今のα7シリーズでもアダプタ(LA-EA4)を介して十分使えます。ソニーになっても外装のデザインは変更されましたが、現役です。
このレンズはタムロンのOEMと思われます。当時、タムロンに似たレンズがあります。特徴はピントレンズの回転する方向です。αは左方向に回すと無限遠ですが、このレンズは右方向と逆になっています。α使いでは戸惑うところです(AFで使う分にはあまり影響がないといえばそうですが)っているとメーカーによってどちらかに分かれ、なぜか統一されておらず、サードパーティのレンズメーカーは、どちらかの方向ですべてのメーカー用を統一している場合もあります。

このカメラはペンタ前面の面積が狭いです。その上、コニカミノルタは文字が多いので、全体的にネームが小さくなっています(ディックはAの字体が好きです)。
コニカミノルタに移行する際に、当初は、一眼レフはミノルタブランド、コンパクトカメラはコニカブランドで展開するという話もきかれましたが、結局社名のとおりのブランド名になりました。



背面
今のデジタルと比べると液晶のサイズの小さいのが目立ちます



上面
もう一つのレンズは、ミノルタの24mm



コニカミノルタの丸い青色のシンボルロゴはミノルタ時代のロゴがベースになっているように思います

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ディック スギのカメラ遍歴(その4)~ミノルタα7導入(2000年) 【再掲】

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
ミノルタα7は,α7000から数えて第5世代のカメラで(2000年9月販売開始。1999年10月にニコンD1が販売され、266万画素の当時では本格的なデジタル一眼レフが65万円で販売され、これまでの機種と比べてかなり安く、衝撃的な価格(!)と話題になりました。一眼レフでもデジタルが徐々に主流になる予感が漂っている時期でした。),siシリーズの後継機となります。初代同様、数字の後にアルファベットがないシンプルなネーミング(しかも数字一桁です)となりました。

αでは、7は特別な数字で、最も売れ筋の販売では中核になる中級機に付けられます(なお、9はプロ仕様機に付けられる名称で、数字一桁シリーズはプロ機のα9が最初で1998年12月に登場しました。ちなみに、初級機は数字ではなく、sweetという名前で1998年4月に登場しました(本来ならα3でしょうか。)。この名称は、EOS kiss(初登場は1993年年9月)に対抗したのでしょうね。)
α7はミノルタのフィルム一眼レフの完成形といえます。

測距点が9点, AF/MFコントロールボタンの採用(これは特筆すべき機能です。AFモードのまま,このボタンを押すことにより,MFに簡単に切り替えることができます。また、ピントがあうと自動的にマニュアルに代わる機能もあり(ダイレクトマニュアルフォーカス(DMF))、キャノンのレンズ内臓モーターと同じようなフルタイムマニュアルフォーカス的な使用も可能となりました。非常に優れた使いやすい機能です。),露出補正がダイヤル操作により,1/2段,1/3段に切り替え可能(それ以前は、メーカーやカメラによって、どちらかしか選択できない機種がほとんどでした。),背面の液晶ディスプレイ(これはデジタル化の布石かと話題になり、近々ミノルタからもデジタル一眼レフが登場するのではと噂されましたが,結局ミノルタはデジタル化の波に遅れてしまい,そうこうしているうちにコニカミノルタに移行してしまいました。)など,α9の操作性は踏襲しつつ,新たな機能をかなり付加しており,完成度が非常に高いカメラです。
本来なら、これをα9にフィードバックして改良版α9Nが登場したと思うのですが、早晩デジタル主体の時代に突入し、α9は改良されることなく終焉を迎えました。α9はミノルタ初の視野率100パーセントのファインダーを備え、プロ機にふさわしい堅牢な金属外装のボディが採用されており、実直な作りでしたが、AFの測距点が3点しかないなど、α7の機能からすると物足りなさを感じます。ディックには縁はありませんでした。

この操作性の多くは,今のソニーのデジ一眼に引き継がれていますので,さほど違和感なく,今のデジ一眼(α7Ⅱ、α7s)も使えています。

α707siと比較しても,かなりの進歩が感じられ、使いやすく思えたので,縦位置コントローラーとともに2000年12月にα7を購入しました。

αで銀塩フィルムを使用するなら,このカメラがもっとも使いやすいと思います。AFの切れは,α707siに比べても進歩を感じました。縦位置コントローラも,カメラのものと操作性やホールド感がほぼ同じ形態になるように作られており,よく練られていると感じました。
また,レンズのようにマウントに装着し,撮影データをスマートメディア(懐かしいです)に保存する,データーセーバーという装置があり,これも購入しました(今回その写真を撮ろうと思いましたが、紛れてしまって見つかりませんでした。)。707siではデータカードを使用し,それをメモして保存していましたが、これで,PCに直接データを取り込めるようになりとても便利になりました。ただ、デジタルでは,撮影データ自体画像とともに自動に保存されるため,今は昔という感じです。

α7は、2005年にデジタル一眼に移行するまでの約4年半の間、真に主力で活躍してくれました。



ミノルタα7 
久しぶりに出してきました。レンズはタムロン28mm-200mmf3.8-5.6(271D)。高倍率ズームで使いやすいレンズです。デジタル一眼α7sに、アダプタ経由で付けてみたらちゃんと作動しました。



前面
レンズを外した状態



背面
液晶ディスプレーが目立ちます(モノクロです)
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ディック スギのカメラ遍歴(その3)~ミノルタα707si導入 【再掲】

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
α7700iの導入で、今でも続くディックのαの路線が始まりました。

αはその後,1991年(平成3年)にα-7xiが発売になり,第三世代に移行しました。これはゼロタイムオート(カメラを構えるだけでAF、AE、オートズームが起動する)が売りでしたが、全体的に自動化を追求しすぎ,また操作ボタンを少なくし、1ボタン多機能の操作としましたが、これも思った程使い勝手が良くなかったようで,結局ミノルタの新しい提案は受け入れられず,人気は今一つに終わりました。α7700i,8700iの使い勝手が良かったこともあって,私は、第3世代αに興味を抱くことはなく、縁がありませんでした(そのためxiシリーズはほとんどさわった記憶がありません。)。

xiシリーズの行きすぎた自動化の反省に立ち,1993年(平成5年)にα707siが登場。1ボタン1機能となって,操作ボタンは多くなりましたが,操作はしやすくなりました。また,消音にも気が配られ,巻き上げや巻き戻しが静かになりました。これは,αユーザーに支持され,人気機種となりました。私は,中古価格がこなれてきた1996年(平成8年)に707siの縦位置コントローラー付きを中古で購入しました。
使用してみるとAF(4点で選択可能)や測光方式(ハニカムパターン測光),操作性など,すべての面で、これまでメインで使ってきた第二世代よりもはるかに進歩していることを実感しました。

ファインダースクリーンに液晶パネルを組み込んでおり,情報がファインダスクリーン上にも表示可能になっています。評価測光の状態でスポットボタンを押すと,スポット測光に切り替わり,両者の露出の差異が、ファインダースクリーン上にインジケーターで表示されるため,視覚的に容易に理解できるようになっていました(α7700iにもスポットボタンがあり,それを押すとスポット測光に切り替わるのは同じですが,単にその露出の数値が表示されれるだけでした。それでもスポットボタンは便利でした。評価測光はブラックボックス的なところがあるので,どのような判断をしているか,スポットボタンを押して,被写体の主要な箇所を計ると,評価測光のおおよその傾向が分かりました。)。
また,縦位置コントローラーは,シャッターボタンやダイヤル,スポットボタンがあり,横位置と操作性がほぼ同じように使用できたのも使い勝手がよかったです。特に縦位置の撮影のホールディングに相当な効果がありました。
707siが加わり,iシリーズは急速に使用頻度が低下したため,7700i(私のはダイナックス)は中古カメラ屋で委託販売に付し,手放すことにしました。

購入した707siは,初期の段階でなぜか突然作動しなくなってしまったことが2回ありましたが,幸い中古店の保証期間内(確か半年保障がついていました)で,無料で直してもらうことができました。中の基盤の多くが新品に交換されたようで,中身は新品に近くなり,その後は快調に作動しました。
次のα7を導入するまでの4年弱,主力機として活躍しました。スタイリングも私は気に入っていましたし,バランスがよいカメラでした。この時には趣味としての写真が、大変盛り上がりをみせていたので、よく使いました。使用したαのカメラの中で、思い出深いカメラです。

ただ,α7導入後に,707siを使用したときに(このころにはサブ機となり、使用頻度は少なくなっていました。),ストラップを首からかけて,階段を駆け下りたところ,階段を踏み外して転倒し(後日医者に診てもらい、私自身も肋骨にヒビが入ったことが判明),カメラも地面にたたきつけられ,ボディにヒビが入ってしまいました。それでほとんど引退状態になってしまいました。

α一眼レフは、1997年(平成9年)に、後継機のα807siが登場。内臓ストロボが大光量のものになりましたが、それと引き換えにペンタ部が膨れた頭でっかちな姿となり、あまり格好いいものではありませんでした(内臓ストロボを多用する人はいいのかもしれませんが、スタイリングとの兼ね合いからするとちょっとどうかなと思うものでした。)。ただ、このカメラはスポットボタンがAFロックボタンに変更になり(この変更は、1995年(平成7年)登場のα507siからです。)、この辺りの操作方法は707siとは全く違うものとなりました。この方式が今も続く機能になっています(この話は別に書きます。)。



α707siボディ。縦位置コントローラー付き(デジタルになっても、エントリー機以外は用意されている機種が多いですが、あまりはやっていないようです。手振れ補正付きが主流となり、従前からの縦位置のホールディングでもブレにくくなったこと、縦位置コントローラーをつけることによって、ボディ全体のかさが増すことを嫌う風潮にあることが原因ではないかと思います。)。
グリップの表面が白化してしまい、こすったらカバーが取れてしまいました。前も書きましたが、この材質は耐久性に難があるようです。



裏面



インテリジェントカードスロット。ここに必要なカードを入れると機能が付加されるものです。ディックは通常このデータカードを入れていました。これで撮影データが記憶されますが、本数制限があるので、残すためには撮影後にメモする必要がありました。それでも便利な機能でした。ただ、その後はカメラにそうした機能が内臓されるようになり、この機能はこの機種が最後になりました。

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ディック スギのカメラ遍歴(その2)~ミノルタAF一眼レフ機(α)の導入 【再掲】

2019年06月04日 | ディック スギのカメラ遍歴
1985年2月のミノルタα7000の登場は、αショックといわれ、カメラ界にとっても衝撃的な出来事でしたし、世間一般の注目も浴び社会現象となりました。初めて普通にまともに使えるAF一眼レフが登場したのに加え、登場時からメインのレンズがそろっており、システムとして完成されたものであったからです。しかも、マウントを従来のMDマウントからAマウントにすぱっと変えてきたことも驚きをもって見られました。それまでは、マウントの変更は、新しいシステムで旧来のレンズの機能をそのまま生かすことが難しく、ユーザーの拒絶反応がありました(ペンタックスが1975年に、スクリューマウント(M42)からKマウントに変えた時は、ユーザーからの非難が沸き起こり、これがカメラメーカーのトラウマになったと聞いています。)。ミノルタは当時一眼レフのメジャーなメーカー(ニコン、キャノン、ペンタックス、オリンパス、ミノルタ)の中でもシェアが少なかったのでできたのかもしれません(このマウント変更については、非難の声はほとんどなかったと思います。この様子を見たので、キャノンもEOSでのマウント変更について自信を持って行えたのではないでしょうか。)。
ディックもαにそれなりの興味は持ちましたが、まだMF主体の時代で、この段階では特に動くことはありませんでした(乗り換えにはそれなりのお金がかかることもあり、そもそも手に入れることは難しいものがありました。)。

 AF一眼レフは、最初は他のメーカー出ていない中、ミノルタの一人勝ち状態で、一眼レフとしてトップメーカーに躍り出ました。その後、他のメーカーもそれに対抗すべく、AF一眼を登場させ、ミノルタ、ニコン(1986年4月)、キヤノン(1987年3月)の三つどもえの激しいシェア争いが展開されました(ペンタックス(1987年3月)は、少し後塵を拝していた感じ。オリンパスと京セラは出しましたが結局受け入れられず、AF一眼からは撤退。その後もMF一眼のみの展開に。)。特に、ミノルタαとキヤノンEOSのシェア争いが激しかったのは、記憶に残っています。
 ミノルタがキャノンEOSに対抗すべく登場させたのは、第2世代のα7700iで、1888年5月のことです。AFの測距点がAFカメラで初の複数点(それでも3点(しかも中央以外は任意で選択できませでした)になり、AFの合焦精度が高められたり、カードで機能が付加できるなど、大きく進化しました。また、大きなグリップ部がついていて、ホールディングがしやすくなったり、カメラの形自体曲線主体となり、それまでの直線主体のトラッドから脱却しています。この頃のミノルタは勢いがありました。

 αも完成度が向上して、このころには社会人になって資金も目途がつき、ついに私も満を持して購入することにしました。1989年の2月に香港に旅行したのですが、香港はカメラが安いという話だったので、ここで購入することにしました。ただ、旅行までに忙しくて、国内の価格の調査が十分できなかったことがいけませんでした。また、つたない英語での交渉。こちらは、レンズ付きと思って、成約した金額を支払ったらなんとボディのみになっており、抗議しても後の祭り(後で思うと、観光客にとっては、ちょっと怪しいカメラ店だったのかもしれません。)。結局少し足して、レンズも付けてもらったのですが、なんと、帰国後に見ると無名のレンズでした(日本で調べても分からないメーカー名でした。しかも、しばらく使っていたら壊れてしまいました。)。結局日本で買うより割高になってしまい、やられました。
 購入したカメラの名前は、ダイナックス(Dynax)7000i(αではなく、ダイナックスはヨーロッパ向け。アメリカ向けはマクサム(Maxxum)とミノルタは名前を変えていたのです。ちなみに香港は当時イギリス領だったので、ダイナックスが出回っていたのですね。逆輸入をしにくくするためとか言われていましたが,ちょっとせこいやり方です。ちなみに当時は、ニコンもFではなく、北米では違う名前にしていました(F501はN2020)。キャノンはEOS一本。ブランド力の構築という面でもキャノンは戦略的に長けていたことが分かります。)。
このカメラは使いやすかったです。レンズは必要なので、結局後日、分割払いで、ミノルタ28-85ミリf3.5-4.5、同100-300ミリf4.5-5.6を購入。一気に幅広い焦点距離を使えることになり、撮影の幅が広がりました。この時代は、もうズームが中心になっており、50mm標準レンズが主役の時代は終わっていました。これらのレンズは、画質も特に不満はなかったですし、様々な焦点距離を容易に使えるメリットは大きなものがありました。ズームは写真を下手にすると公言するプロの方が今でもいますが、その方の経験や感覚であることは注意する必要があります。確かに、画角の特徴は把握して使う必要がありますが。

 この後、1990年2月にマイナーチェンジをした8700iが登場(シャッター速度1/8000を搭載。)。ファインダー内の表示が,外光を取り入れない常時光る液晶に変更されました(これは液晶漏れが起きやすいのが難点だったようです。)。同年10月に、宇宙ステーション「ミール」への搭載カメラ(日本人初の宇宙飛行士(秋山さん)が使用)に選定されたことを記念してパールホワイトの限定バージョンのミール仕様が販売。これは白いボディと白色のレンズの組み合わせで、今のようにカメラのカラーバリエーションが乏しかった時代だったので、とても評判になりました。
その数年後(詳細は記憶があいまいです)に中古カメラ屋でこのボディとレンズのセットを発見し、値段もそこそここなれていたので購入しました。当時でもミール仕様は持っているだけでとても注目を浴びるカメラでした(少し優越感がありました。)。しばらく、このα2台体制が続くことになります。




α7000
(ケンコー トキナのサイトにあるカメラヒストリーの画像より(http://www.kenkotokina.co.jp/konicaminolta/history/index.html))


α7700i(同上)


α8700i 限定バージョン 底面に保護カバーをつけています
久しぶりに防湿庫から取り出しました
グリップ部は白化して劣化しており、プラスチックに少しヒビが入っています。この部分の劣化は、この2つ後継の707siでも同様で、この時代のαの弱点です。中古で購入する際にはご注意を。


カードスロット。いろいろなカードがありました。


背面

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