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ディック スギ の写真の世界(The World of Dick Sugi’s Photos)

📷このブログでは写真全般の話題を取り上げていきます📷

ズームレンズを使うと写真が上達しないのか

2019年08月07日 | アーカイブ
ディックが写真を始めたころ(1970年代後半)は、当然ながらフィルムカメラの時代でした。
そして、一眼レフには単焦点レンズの使用が一般的であり、今からはとても信じられないことですが、ズームレンズは日陰者の扱いでした。

当時もズームレンズは出回っていましたが、写真を始めるにあたって、いきなりズームレンズを購入する人はほとんどいなかったと思います。
ディックも最初に一眼レフを購入した時は、ズームレンズを買おうなどどいう発想は全くありませんでした。まずは50mmの単焦点レンズ(標準レンズ)を揃えるというのが一般的で、ディックも当然最初の1本は標準レンズという考えでした。
標準レンズは当時もっとも売れるレンズということもあって、普及版のレンズであれば値段も他のレンズと比べると安い設定でした。値段的にも揃えやすいという状況にありました。

その時代のズームレンズは、今ほど性能が高くないこともあって、特に周辺部分の解像度の劣化や被写体が直線なのにゆがんでしまう(樽型や糸巻型)状況が出やすく、カメラ雑誌やノウハウ本では単焦点レンズとの比較の画像を示して、画質の点から単焦点レンズを使うべきという話がよくされていました。
また、開放f値が暗いため、フィルム感度とのかねあいで(常用感度がISO(当時はASA)100が普通の時代だったので)、撮影対象が限られるという点(暗めのシーンは手持ち撮影が難しい、速度が速いものの撮影が難しいなど)や背景をボカした撮影も単焦点レンズに比べてボケないため限界がある、さらには、レンズ自体が重い(対象の焦点距離の数本分と考えれば、一概にそうとも言い切れないですが)というのもデメリットとされました。

これらの話(前段 性能面、後段 ズームレンズのそもそもの特質)は、当時では、そもそもズームレンズの使用が否定的という考えがベースにあるものの、ズームレンズの弱点としては間違っていないものだと思います。
でも、前者の性能面の話は、デジタルになって、PC上で等倍に拡大して、解像度が甘いとか論じているのと似ている面があります。
そもそもレンズの性能を判断するために作品を見るわけではなく、作品としてその写真がいいかどうかを見るべきであって、拡大した画面の一部を捉えて解像度が問題だとかいうのは、通常の写真の見方からすると違和感を覚えます(そうだとするともっと昔のカメラやフィルムの性能が現在と比べて今ひとつの時代の写真は、すべてダメな写真ということになってしまいます。)。
作品の鑑賞において、ズームレンズの性能のデメリットの面によって、作品の表現に問題をきたすため使えなかったというような例は、通常の撮影の分野では、当時でも少なかったのではないかと推察されます。

今はズームレンズの性能自体よくなり、画質も単焦点レンズと比べてほとんど遜色はありません。そのため、ズームレンズを使ったから、写りに問題があるという議論自体意味のないものになっています。
また、ズームレンズの開放f値が暗いという点も、標準ズーム(24-70mmなど)や望遠ズーム(70-200mmなど)では開放f値が通しで2.8のものもあり、単焦点との差があまりなくなってきています。
スナップであれば、もともと開放f値は暗くてもいいですが、人物のポートレート撮影を行うのであれば、全域f2.8のズームレンズがほしいところです。

ところで、今回の本題につながるところですが、ズームレンズを使うべきではないという主張にはそれらとは別の写真撮影の技術面に関係するものがあります。それは、ズームレンズを使うと写真の上達を阻害するというものです。
これも先ほどのズームレンズの性能の話と相まって、当時、盛んにカメラ雑誌等で書かれていました。また、ズームレンズがメインになった今でも、そのような話をされるプロの方も見受けられます。

ディックが写真を始めたころは、上記のあげた理由(ズームレンズの性能面、ズームレンズのそもそもの特質(単焦点レンズと比べて開放f値が暗い、重い)、上達するための技術面)からズームレンズはよろしくないという風潮が写真界の主流であり、ズームレンズを使っているのは、必要性からあえて使っているプロを除けば、写真を分かっていない素人だというような雰囲気だったので、ディック少年も当然単焦点レンズを使うべしという考えが頭を支配していました。今から思うとズームレンズが性能以上に不当に低い扱いを受けていたと思います。
ちなみに、最初にカメラを買う人が標準レンズの代わりにズームレンズ付きを普通のこととして買うようになったのは、本格的なAF一眼の登場(ミノルタα7000が登場して1985年)の少し前くらいからと記憶しています。

ズームレンズを使うと写真がうまくならないとする理由は何かです。
そもそも撮影スタイルとして問題だという精神論的な面(特に単焦点を専ら使用していたプロからすると、ズームレンズの撮影はそもそもが安易で許しがたいという面もあったようです。)からの話もあったと思います。
それは置いておくとして、ディックの理解では、

ズームレンズを使うと、メインの被写体を相当な大きさに入れて撮影するために、フレーミングを自身が動くのではなく、その場でズーミングして行いやすくなり、そのような撮影をしていると写真が上達しない
というものです。

フレーミングをズーミングして行った場合、どの焦点距離でも同じ写りなら問題ないのですが、実際はそうではなくレンズの焦点距離(画角)によって、写り自体が変わってきます。例えば人物を撮影する際に、広角側で撮るか、望遠側で撮るかで、たとえ写る人物の大きさは同じでも、背景の写りが異なるため写真の出来は大きく変わってきます。
それを無視して、今いる場所からズームして撮ってしまうことがよろしくないということです。
ズームレンズを使用していると、その点が理解できず、安易な撮影になりがちとなるので、そんなことをやっていては写真が上達しないという流れです。

ディックは、ズームレンズを使うと写真の上達を阻害するという説には懐疑的です。
ズームレンズを使っているということのみをもって、画角による写りの違いが理解できず、安易な撮影にいたるということにはならないと考えます。そもそも画角の違いを理解することとズームレンズの使用は直接リンクしていません。
画角の違いは別途理解するば済むことですし、ズームレンズならではのメリットがあり、それを使いこなすことによって、写真は確実に上達すると考えます。

特に問題となるのは、写真を始めたばかりのビギナーの方です。
最初から単焦点レンズを使ったら写真の上達が早いのでしょうか。
ディックは、むしろズームレンズを積極的に使って、自身に興味あるシーンをたくさん撮ることが逆に写真の上達の近道ではないかと考えています。
画角による写りの違いについては、写真をやっていく上では理解した方がよいに決まっていますが、それはカメラを始めた最初である必要はありません。
撮影のバリエーションを豊かにするには、むしろズームレンズの方が適しています。単焦点レンズでは撮影の機会が極めて限定的になりますし、レンズ交換で対応しようと思っても、レンズ交換に頭を悩ましたり、レンズ交換しているうちにシャッターチャンスを逃すなど、初心者の方にはかえって敷居が高いです。
ズームして遠近いろいろな被写体をまず撮ってみる。いろいろなシーンが撮れるという写真の面白さを体験しているうちに、画角とかという話にも自然に興味を持てるのではないでしょうか。その方が自然な流れだと思います。
 
ズームレンズは、簡単に画角を変えて自由に撮影できることが利点なので、このメリットを活かして撮影すればいいのです。
また、もう少し近づきたいけど物理的に近づけない時もありますが、そうした時もズームレンズなら、きちんとしたフレーミングで撮影できます。
更に、微妙なフレーミングの調整をしたい時に、少し自分を前後することと、それをズームで行うこととで、作品の出来を阻害するようなことは起こりません。

ちなみに、ディックは、一眼(α7系列)では、FE24-240mmf3.5-6.3というレンズをよく使用しています。
開放f値の点はさておいて、広角域24mmからまずまずの望遠域である240mmまで、即座に焦点距離を変えることができ、大変重宝しています。
単焦点レンズだと、広角域のカメラで撮影している時に、望遠域での撮影をしたい場合には、レンズを変えるか、別のレンズを付けたカメラを用意して、カメラをチェンジする必要があります。また、被写体を大きく写したい時に、もう少し近寄りたいけど場所の制約で近寄れない時がままあります。その場合には、望遠側にズームすれば簡単に対応できます。
このように、ズームレンズを使用すると、より撮影の幅が広がるので、汎用的な使用(スナップ撮影が多いですが)ではズームレンズがディックにとって不可欠です。
コンデジでも高級路線では単焦点レンズのものもありますが、ズーム付きでないと撮影の制約が多すぎるため、メインで使用するカメラにはなりえません。もちろんディックも撮影対象によっては単焦点レンズも使用していますが、ディックにおいては、ズームレンズで撮影できる範囲がほとんどです。
 
ディックも、写真を始めたころにズームレンズを使っていたら、もっと写真を楽しめ、よりスキルも向上したのではないかと思ったりします。






ディック少年も、当時は、ばりばりのズームレンズは否定派でしたが、全く興味がない訳ではありませんでした。当時鉄道写真をメインに撮っていたので、あると便利だろうなとは心の片隅に思っていました。
当時密かに注目していたのが、このタムロン80-210mm f3.8-4 (130A 1981年~87年販売)です。これが出始めのころ、まだ創刊間もなかったカメラ雑誌CAPA(創刊号は 1981年10月号)に、高校の写真部の紹介とともにこのレンズが紹介されていて、このレンズがまぶしく感じたことが今でも思い出されます。

マニュアル時代のタムロンは、マウント部分を交換して(アダプトール2という名称です)、ほとんどのカメラに使用できました。これもタムロンの売りでしたが、そもそもいろいろなメーカーのカメラを同時に使っている人はアマチュアでは少数派だったので、どの程度のメリットがあったかは不明です。ただ、複数のタムロンのレンズを持っていて、このマウントが一つあれば使い回しはできますが、これも面倒そうです。
当時ズームレンズの値段はそこそこしました(このレンズは当時52,000円、これに別売の自分のカメラにあうマウント(5000円)が必要)。ただ、買えるお金が当時あっても、やはり買わなかったでしょうね。

これは後年、ほぼジャンク扱いの値段で購入しました。当時メインの直進式ズーム(ピントリングを前後してズーミングするもの。今はほとんどズームリングが別にある回転式になっています。)で、被写界深度の色とりどりのラインや数字やアルファベットの独特の書体がおしゃれに感じたものです。
これはペンタックス用がついていたので、Eマウントのアダプターをかませてα7Ⅱにつけています。
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単焦点の標準レンズを使うと写真はうまくなるか

2019年08月06日 | アーカイブ
標準レンズは、35mmフィルムサイズでは焦点距離が50mm相当のレンズを指します

50mmのレンズがなぜ標準レンズになったかについては、諸説あります。
注視していない時に肉眼で視認できる視野に一番近いという説も有力ですが、ライカ社が35mmフィルムをカメラに採用した際に付けたレンズが50mmだったというのが、もっとも説得力がある説だとディックは思っています。
ちなみに35mmフィルムカメラの登場は、1913年にエルンスト・ライツ社の開発技術者のオスカー・バルナックが試作したのが始まり。50mm標準レンズの歴史は100年強ということになります。

フィルムカメラの時代は、ズームレンズに取って代わったその末期を除いて、一眼レフは50mmレンズ付きで購入するのが一般的でした。
カメラ自体が高級品で、一眼レフはレンズ交換ができるのに、まずは標準レンズ1本から写真を始めるということも珍しくなかったです。
ディックが中学の時に初めて一眼レフを購入した際には、しばらくは標準レンズ1本で撮影していました。

当時は、写真が上達するには、標準レンズを使いこなせるようにならないといけないということがノーマルな教えでした。
標準レンズのみを使っている人が多かった時代なので、その常用レンズでうまく撮りたいという需要も高かったでしょうし、そもそも標準レンズしかない状況では、これを使いこなさないと何ともならないといった状況もありました。
そして、時代が変わってズームレンズの使用がメインになりましたが、写真がうまくなるためには標準レンズを積極的に使うべしという教えを今もきくことがあります(最近は頻度は減ったと思いますが、忘れたころに標準レンズを使ってみようという特集がカメラ雑誌に登場します)。

標準レンズを使うと写真はうまくなるのか、という問いに対し、ディックは、標準レンズは写真の上達の目的のために使うものではないと考えています。
特に初心者の方が積極的に使うレンズではないです。

50mmの標準レンズを使ってみると、やや望遠系のレンズといった印象を持ちます。これは、ディックもそうですが、スナップなどで、より広角域を使う人は、よりそう感じるのではないでしょうか。
標準レンズは、広い範囲を撮ることは苦手ですし、かといって遠くのものは撮れない、写りに特徴がありません。よく言うと癖がないレンズであり、悪くいうと中途半端なレンズということになりますでしょうか。

そのため、多くの被写体は、より広角気味か、より望遠気味のレンズで撮った方が撮りやすいだろうと思います(標準ズームでも50mmの付近はあまり利用されていないという内容の文章を以前カメラ雑誌で読んだ記憶があります。)。それらのレンズの方が、狙った被写体をより楽に、自分の思ったとおりに表現できるということです。

標準レンズは癖がない分、使いこなしが難しいレンズだと思います。使いこなしが難しいということは、今や特殊なレンズのカテゴリーに入るのかもしれません。

交換レンズを揃えるのが難しかった時代は、標準レンズで広角的や望遠的に見せるといった、今となっては涙ぐましいと感じるようなテクニックが披露されていました。
人物を撮影する場合、手前に小道具を置き、絞りを開け気味に撮ると、前後のボケで望遠効果が表れる、レンズの最短距離に近づいて撮ると広角効果が生じるといった具合です。ただ、あくまで効果のレベルの話に過ぎません。

ポートレート撮影で名をはせたサンダー平山氏は、50mmレンズ一本で、広角や望遠が撮れる訳がない、工夫して撮れというのは竹やりで爆撃機に立ち向かうのと同じだというようなニュアンスの文章を書かれていて(出典を探しているのですが、現時点では不明です)、ディックもそのとおりと思ったのが記憶に残っています。

今は、求めた画角に合わせてズームレンズを使ったり、又は単焦点レンズを使うことが普通にできやすい環境にあります。
写真上達のために、あえて修行僧のような鍛錬をする必要はないのです。それを自分の意思以外で続けていたら、写真を撮るのが嫌になってしまいますね。

標準レンズは、ある程度写真が分かった段階で、あくまで興味があれば、使ってみるといいレンズだろうと思います。

写真とは関係のない話なのですが、標準レンズのことを考えていてふと頭をよぎったので紹介します。
ディックは少々法律をかじっているのですが、民法を学ぶ時に、最初に総則というのが出てきます。民法全般を理解するための前提の知識にもなっていますが、これが抽象的な内容が多く、とても分かりにくいです。ただ、民法の後の部分を一通り勉強した後に再度復習すると、より理解できる側面があるように思います。

50mmレンズもこれに近いところがあるのではないかと思います。いきなりこれを使いこなすのは相当難しいですが、写真を続けていて、レンズの画角の特徴が分かると、使えるようになるレンズ、言い換えればこのレンズに合った被写体が分かるようになる、といえるのではないかと思います。




REVUENON 55mm f1.2(カメラは、REVUE SOLAR 100)
REVUE はドイツの通販会社のカメラのブランド名
コシナのOEM製品(1994年登場)、リコーにも同種のカメラとレンズがラインナップされていました.

大口径標準レンズ(このクラスでは、f1.4よりも明るいレンズ)ですが、50mmでなく55mmになっています。一眼レフ用のレンズはミラーボックスがあるため、バックフォーカス(レンズ最後端から焦点(フィルム面)までの距離)を長くとる必要がありましたが、日本での一眼レフ黎明期の技術では、大口径でバックフォーカスの長い50mmレンズを作るのが難しかったため、焦点距離を伸ばしたとのこと。
そのため58mmの標準レンズが多く存在します。85mmは中望遠としてメジャーな焦点距離ですが、58mmときくと、そちらに近いような感覚がします。

ただ、1994年当時はもう50mmで大口径レンズを作ることは可能で、それが普通でしたが、あえてクラシックな焦点距離にしたようです(これでコストダウンがかなりできたのかどうかはわかりません)。
このカメラとレンズは、改めて紹介したいと思います(自分のメインで使用しているカメラの紹介は終了したので、今後ディックの持っている(過去持っていた)中古(クラシック)カメラの紹介のシリーズを近々始める予定です。こうご期待!)
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いい写真とは

2019年06月08日 | アーカイブ
「いい写真」ときいて、それが何を指すか、そのイメージは人によって違うだろうというのは想像に難くありません。
これはとても多義的な言葉です。

まず、「いい写真」は、「自分がいい写真と思うもの」というのが考えられます。
例えば、自分が撮った写真で、これは素晴らしいと思ったのが、いい写真だというのは、違和感はありません。「いい」というのは主観的なものなので、むしろ究極的にはこれかもしれません。

一方、別の観点からは、それを見た他者の思いは「いい写真」に影響しないのか、というものがあります。
撮った自分がこの写真は「いい」と思って、他人に見せても、見た人は、なんだこれ、とか何がいいのかさっぱり分からない、という感想を持つことはままあることではないかと思います。
これはディック自身もカメラ雑誌に掲載されている写真や写真展で展示されている写真を見ても、特段の感動もなかったり、さっと見て通過する写真はあります。写真コンテストの入賞作品を見ても、なんでこれが入賞したのだろうと思うものもあります。
こうしたことからも、自分の思いと他者が見た思いは必ずしも一致しない、いや、一致しないことも多いといえるのではないかと思います。

ディックは、「いい写真」とは、「その写真を見たほとんどの人(9割か9割5分くらいでしょうか)が、それから何か心に響くもの(大変感動した、ずっと心に残る、何か考えさせられる)を得た写真」と考えています(もちろん撮った本人もいい写真であるという認識を持っているのが前提です)。
写真展での展示なら、多く人がその写真を少し時間をかけて見入る。また戻ってきて見るというような写真がいい写真に該当するのではないかと思います。

ディックは、写真を見た人が、何か癒される、和む写真を発表していきたいと考えています。
そうした中で、ディックが考えている「いい写真」をできるだけ多く発信していければと考えています。
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