西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

カームラ村へ墓参り

2008年03月24日 18時51分00秒 | Weblog
 昨日は雨の予報の影響もあり、予定を変更。結局今日、墓参りに行った。本来24日が亡父の命日であるのだから、丁度良かったかもしれない?


 我が家の墓は、私の本籍地でもある大阪府大東市、生駒山のすぐ西の麓にある。大学のキャンパスやグラウンド、工場や変電所に囲まれた、古くからの小さな墓地である。

 この辺りには、河村姓が多い。別に由緒正しい名家でもご大家でもあるまいが、それでも昔から本家やら分家やら、あちこちに「河村さん」があって、この墓地にも多くの「河村家」の墓がある。

 そんな中、うちが守っている墓は二つ。左の背の低い方が「河村家」の墓で、右の背の高い方が「貴畑家」の墓。「貴畑家」の墓は、常に隣同士「河村家」の墓と同じように祀らなければならないとの代々の言い伝え通り、毎回同様にお参りしているのだが、はてさて「河村家」と「貴畑家」との間に、実際どのような付き合いや繋がりがあったのか、今の世となっては誰も知らない。

 「河村家」の墓の右側面には「文久三年」の文字が見られる。文久3年とは、西暦1863年。高杉晋作や新選組が活躍していた年。正に歴史的とも言える墓である。母が「古いのが値打ち」と言うように、墓の汚れやシミも、やはり歴史を物語っている。

 
 私、カームラ・Kのルーツが、ここにある。合掌。


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