エロ車掌の魔の手がサヤカちゃんに及ぶ寸前、オレは手にしていた「模倣犯」第3巻を床に落とすと同時に咳払いをした。さすがにこれで起きるだろう。
すると、彼女は驚いた様子もまったく見せず、まるで起きていたかのようにさり気なく乗車券を示すことで検札に応じた。ん?起きていたかのように?
って、起きてたんかい!
それともオレは試されていたのか…?アブナイアブナイ、もう少しでサヤカちゃんの奸計に陥って、痴漢の濡れ衣をかけられるところだった。でも、エロ車掌のエロ検札から身を挺して守ったオレは評価されこそすれ、あらぬ罪を被せられては居たたまれない。
エロ車掌は去った。彼女はこれを機に再びケータイを手に取りメールをしだした。エロ車掌のことを友人に報告しているに違いない。隣に控える正義の騎士についても報告してもらいたいものだね。
のぞみ155号は予定どおり疾走しているようだ。意識を戻すと感じる絶え間ない小さな振動で座席は断続的に軋み、トンネルに入る瞬間の車体は小さな悲鳴をあげる。
ここで奇妙な沈黙に気づいた。今となってはサヤカちゃんに話しかけるきっかけもなく(勇気もないが)、こちらは読書を続けており、もちろんセンサー出力は最小限にしている。潜水艦のソナーでいうと微かな音を拾うことで目標を捉えるパッシブ・ソナーのみを稼働させている状態。こちらの気配は殺しているはず。ところが、彼女はケータイをテーブルに置いたものの、眠りに戻った気配はない。左半身のセンサー出力をやや上げてみると、何となく手持ち無沙汰といった感じである。しかも、首を動かしたりする拍子にこちらをちらちら窺っている。これってもしかして…いやいや早とちりは身を滅ぼす。ここは読書に徹している態勢を崩さず、慎重に情報収集・分析に努め、好感度アップをめざさなければならない。
大丈夫。珍之助はキミの騎士。エロバカモノどもからキミを守り抜いてみせる。だから信じてくれ。そんな思念を彼女に送った。もちろん、だからといって彼女が「よかったらいかがですか?」とキットカットを差し出すなんて期待はしていない。ひたすらストイックに守るのみ。
読書を続けているとさすがに目が疲れてきた。というか、本を読みながらフェイズド・アレイ・レーダーを作動させ情報分析を続けるマルチタスクにより、さすがの珍之助CPUも冷却が必要になってきた。一度本を畳む。
しかし、サヤカちゃんも手持ち無沙汰状態なのに、いきなり本を畳んでしまうと、変な誤解を与えかねない。そこで、オレはミネラル水をぐいっと飲み(あくまで品位を保つ飲み方で)、所在なさげにならないよう、さもこれはあらかじめ決まった行動であるということを示すように、窓枠の横にかけた上着のポケットから一連の動作の中で自身のケータイを開きメールをチェックしようとした。そして彼女がこちらのケータイが気になった気配をオレのレーダーがキャッチした。
そこで思い出した。電源を切っていたことを…。そう、珍ケータイ/ドコモP901isは購入1年で電池が一気にヘタり、今日も数通のメール送受信で由比ケ浜駅に着く頃には電池表示が半分になっていたため、ケータイカメラも使うことから、なるべくケータイは開けない、ブログチェックもしない、メールはまとめて見るなどを心がけていた(そういう日に限って着信が多いのだが)。だが、それでも藤沢駅から東京駅に向かう電車の中で電池切れの警告ランプが点り、緊急時に備え電源そのものを切ったのであった。ちなみに、その後大阪に帰ってP903iに機種変更を行い、今は快適なモバイル環境になっている。
しまった。ってことは、すぐにメールチェックできずに珍ケータイの起動画面、待受画面が表示されるではないか…。しかも切り替わりの1~2秒間それをサヤカちゃんに見られてしまう。
もちろん決して恥ずかしい画像を使っているわけではない。起動画面は、「攻殻機動隊」のヒロイン草薙素子が浜辺で寝そべっている画像、待受画面は、「ニニンがシノブ伝」のヒロイン忍ちゃんがにっこり微笑んでいる画像。ただ、普通と違うのは両方ともアニメ画像であるということだけ、それもマニアックなアニメ…。しかしながら、若い女の子の場合(サヤカちゃんの推定年齢は22歳)よっぽどのアニメ好き、それもピンポイントでそのキャラを好きでもない限り、「アニメ好き」は確実にドン引きされ、アニメ好き=オタク=根暗=変態=病気=痴漢=暴行魔=連続殺人鬼という誤解の連鎖が無限に続く。
かといって一連の動作でのなかでいまさらメールチェックを止められない。しかも勢いよくケータイを開いた瞬間、ストラップのギロロ伍長(「ケロロ軍曹」に出てくる主要キャラの一人)のフィギュアが画面前面に出てしまった…。いま彼女の頭が動き、ギロロ伍長に注目したことが確実にわかった。本来なら「関心惹いた!よっしゃー」と喜ぶべきところだが、それはその後に画面表示されるであろうアニメキャラも確実に見られてしまうことを意味する。そしてオレはナイアガラの滝から飛び込んだ気持ちでケータイの電源ボタンを押下した。
(つづく)