
どうスか?大間まぐろ。脂の乗った赤身ですので、ビールよりさっぱりした『黒龍』に合います。
「大間まぐろ」とは本州最北端下北半島にある大間港(青森県大間町)で水揚げされたクロマグロ(通称「本マグロ」)のブランドでして、「黒いダイヤ」と呼ばれるなど、日本海流(黒潮)、対馬海流、千島海流の3つの海流が交差しプランクトンも豊富で潮の流れの速い津軽海峡を回遊する最高級のまぐろとして名を馳せています。大間まぐろには、ちゃんとシリアルナンバー入りのブランドシールが貼られています。例年8月から翌年1月まで獲れますが、やはり旬は秋から冬のようです。大間町観光協会によると、令和元(2019)年には一匹3億3,360万円という空前絶後の値の付いたマグロもあったようです。そりゃすげぇー。

そんな大間まぐろを京懐石の老舗『美濃吉』にて福井の地酒「黒龍」でいただく贅沢。

さすがに「黒龍」は1本だけに留めましたが、黒龍から大間まぐろ完食までは、これまた至福の30分でした。

『美濃吉』の創業は享保元(1716)年三条大橋の袂での「腰掛茶屋」(豆腐田楽等の軽食や酒を提供した仮設の屋外店舗)とのことですので、現在300年を超えるわけですね。初代店主は、美濃国大垣から京へ出てきた、秋田佐竹家(常陸源氏の嫡流)の流れを汲む佐竹十兵衛でして、その後代々店主は美濃屋吉兵衛を名乗っていたそうです。お店としてはその後川魚生洲料理屋として発展し、江戸時代後期には京都所司代から営業認可を受けた川魚生洲八軒のうちの一軒に数えられ、川魚主体の料理屋として確立されたようです。「美濃屋吉兵衛」が詰まった読みの『美濃吉』を店が名乗るのは明治時代に入ってからのこと。すでに明治9(1876)年出版の旅行案内本「京都みやけ」には川魚生洲料理屋として紹介されていたというから、さすが老舗料理屋ですな。
三条大橋袂にあった店舗(鴨川に張り出した三層の川床を設えた大店)から「京の七口」の一つ、京都粟田口(南禅寺畔粟田口)に本店を構えたのは、戦局の悪化に伴う閉店期を経た戦後の昭和25(1950)年です。平成4(1992)年にはさらに本格料亭『京懐石美濃吉本店 竹茂楼(たけしげろう)』として改装され、その建物は平成6(1994)年には京都景観賞を受賞されています。
『美濃吉』と言えば、「みのきっつぁ~~ん」「へぇ~ぇ~」の昭和CMを珍は記憶しています(間の長さが何とも言えませんでした)。珍@小学生or中学生のときによくネタにしたものです。CM自体は関西ローカルだったと思いますが、確か当時のご当主も出演されていたと思います。あの頃のCMって、どこの会社もやたら社長が出演していましたよね(苦笑)

1時間の贅沢でエネルギーを充填。正直言いまして(悔しくも)大阪・関西の鰻は東京・関東の後塵を拝していますけども、まだまだ行けていない鰻屋がありますので、これからも機会を見て行ってみたいと思います。

鰻重「特上」も食べてみたいですけどね。何かしらの贅沢をしたくなるタイミングで(だいたいストレス過多のフラストレーション解放欲求時ですが…苦笑)食べたいですな。

300年オーバーの老舗、鰻探訪レポートでした。半分鮪でしたが(苦笑)

余韻に浸りながらシティモール8階からエスカレータで階下へ。次の鰻屋はどこへ行こうかな。
(おわり)