侍姿の珍之助が梓の手を引いて現れたとき、清明神社の宮司は仰天して腰を抜かしたが、何ら臆することなく珍之助と巫女姿の梓は馬に跨り、西へ駆け出していった。
「珍之助、そなたと馬に乗るのはいつ以来かのぉ」
「さあ、二十年にはなるだろうて」
「昔はよく乗った」
「童の頃の話であろうが」
「あの頃はわたしがそなたを乗せておった」
「古い話だ」
「そなたはわたしにしがみついていた」
「童なら致し方あるまい」
「今ではわたしがそなたにしがみついておる」
梓は馬の揺れに同調しながら、器用に珍之助の背中に頭を預けた。
◆
「そろそろ化野だが」
「次の辻を右だ」
その辻を曲がると、梓は「ゆっくり行ってくれ」と言いながら珍之助の背中をぽんぽんと叩いた。
「近いのか?」
「おそらく…」
二人は何度か周辺を行ったり来たりしたが、やがて梓は大きな竹やぶを指したところで珍之助は馬を止めた。竹やぶの向こうに大きな屋敷が見える。
「降りるぞ」
珍之助が先に素早く降り、梓の手を引く。梓はしっかり珍之助の手を握り、先導のままに馬から降りた。珍之助は竹に手綱を括りつける。
「目の前に屋敷がある」
「そこだ」
「誰かいるのか?」
「お絹の弱々しい波動だけだ。…いや、待て…佐吉の思念も感じる。二人がここにいたのは間違いない」
珍之助は周囲の警戒を怠らず、梓の手を引きながらゆっくりと屋敷に近づいた。
「ここは…」
梓が何かに気づいたように声をあげた。
「どうした?」
「かつて結界が張られていた…。そのときのいろはの思念も感じる…」
「ここにいたということか?」
「そうだ。お絹はこの奥だ」
二人は無言で荒れた庭先から屋敷内に入った。
珍之助が思い切って障子を開けると、絹が荒縄で縛られたまま横たわっていた。
「お絹っ!」
珍之助は駆け寄り縄を切り解いた。そのまま胸に抱えるように起こした。
「大丈夫か?お絹!」
絹の顔面は腫れ上がり、髪は乱れ、両手両足すべての指に爪がなかった。血の滲んだ着物からも内臓に痛手を被っているのは明らかだった。
「お絹っ!」
腫れた瞼がかすかに動き、目が開いたが、焦点は定まっていない。
「珍之助…さ…ま?」
「ああ、俺だ。遅くなってすまぬ。助けにきたぞ」
「甲賀者は…盲目の巫女様を…捜しておりまする…」
切れ切れに話す絹は苦しそうだった。
「巫女を?」
「父は…」
「もういい、喋るな」
「父は甲賀者に…巫女様は…福原住吉神社の末社にと…」
「佐吉が?」
「申し訳…ありませぬ…絹が…捕らえられたばかりに…父が…」
「もうよい。その巫女はここにおる」
「え…」
「巫女は福原にはおらぬ。佐吉は耐えるだけ耐え、最後の最後に口を割ったように見せかけたのだ。甲賀者を欺いてくれたのだ」
「…よかった…」
「お絹もよく耐えてくれた。さすがは伊賀の女だ。佐吉の娘だ」
珍之助の言葉に絹の口元が少し微笑んだように見えた。
「珍之助様…に…お渡ししとう物が…着物の胸の合わせを…ご覧ください」
珍之助はためらうことなく胸の合わせに手を挿し入れた。ふくよかな胸元には油紙に包まれた男物の櫛があった。
「それを…珍之助様に…」
「…」
「櫛の歯が…折れて…お困りの…ご様子だったので…」
「それでお絹が買ってくれたのか?」
「はい…」
「すまぬ、お絹…。美しい櫛だ。気に入ったぞ。ありがたく頂戴しておく」
「あ…りが…とう…ござい…ます…」
再び絹の口元がほころんだ。
「珍之助様…」
絹はゆっくりした動作で珍之助の胸にしがみついた。
「絹は…珍之助様の…ことが…」
その後の言葉は声にならなかったが、口がはっきりと語っていた。それを見届けた珍之助が絹の頭を撫でると同時に、ことりと音をたて絹の左手が床に落ちた。
「お絹っ!」
珍之助は絹をしっかりと抱き、何度も呼びかけたが、絹はもう何も話さなかった。
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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第三十四弾。
レッド・ツェッペリン“ All My Love ”。愛しい珍之助の胸の中で息絶えた絹。しかし、その最期は伊賀の女としての意地をも見せたのであった。
ボンゾ存命中のラスト・アルバム “ In Through The Out Door ”(1979)収録。ツェッペリンにしては珍しいシンセを多用した美しいバラード。哀愁を帯びた階段メロディのシンセソロが印象的。2007年最新リマスター版から。
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