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語り得ぬ世界

現実逃避の発展場 Second Impact
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都に咲く向日葵(五十二)

2008-03-15 08:40:13 | 都に咲く向日葵

侍姿の珍之助が梓の手を引いて現れたとき、清明神社の宮司は仰天して腰を抜かしたが、何ら臆することなく珍之助と巫女姿の梓は馬に跨り、西へ駆け出していった。
「珍之助、そなたと馬に乗るのはいつ以来かのぉ」
「さあ、二十年にはなるだろうて」
「昔はよく乗った」
「童の頃の話であろうが」
「あの頃はわたしがそなたを乗せておった」
「古い話だ」
「そなたはわたしにしがみついていた」
「童なら致し方あるまい」
「今ではわたしがそなたにしがみついておる」
梓は馬の揺れに同調しながら、器用に珍之助の背中に頭を預けた。

                   ◆

「そろそろ化野だが」
「次の辻を右だ」
その辻を曲がると、梓は「ゆっくり行ってくれ」と言いながら珍之助の背中をぽんぽんと叩いた。
「近いのか?」
「おそらく…」

二人は何度か周辺を行ったり来たりしたが、やがて梓は大きな竹やぶを指したところで珍之助は馬を止めた。竹やぶの向こうに大きな屋敷が見える。
「降りるぞ」
珍之助が先に素早く降り、梓の手を引く。梓はしっかり珍之助の手を握り、先導のままに馬から降りた。珍之助は竹に手綱を括りつける。
「目の前に屋敷がある」
「そこだ」
「誰かいるのか?」
「お絹の弱々しい波動だけだ。…いや、待て…佐吉の思念も感じる。二人がここにいたのは間違いない」
珍之助は周囲の警戒を怠らず、梓の手を引きながらゆっくりと屋敷に近づいた。
「ここは…」
梓が何かに気づいたように声をあげた。
「どうした?」
「かつて結界が張られていた…。そのときのいろはの思念も感じる…」
「ここにいたということか?」
「そうだ。お絹はこの奥だ」
二人は無言で荒れた庭先から屋敷内に入った。

珍之助が思い切って障子を開けると、絹が荒縄で縛られたまま横たわっていた。
「お絹っ!」
珍之助は駆け寄り縄を切り解いた。そのまま胸に抱えるように起こした。
「大丈夫か?お絹!」
絹の顔面は腫れ上がり、髪は乱れ、両手両足すべての指に爪がなかった。血の滲んだ着物からも内臓に痛手を被っているのは明らかだった。
「お絹っ!」
腫れた瞼がかすかに動き、目が開いたが、焦点は定まっていない。
「珍之助…さ…ま?」
「ああ、俺だ。遅くなってすまぬ。助けにきたぞ」
「甲賀者は…盲目の巫女様を…捜しておりまする…」
切れ切れに話す絹は苦しそうだった。
「巫女を?」
「父は…」
「もういい、喋るな」
「父は甲賀者に…巫女様は…福原住吉神社の末社にと…」
「佐吉が?」
「申し訳…ありませぬ…絹が…捕らえられたばかりに…父が…」
「もうよい。その巫女はここにおる」
「え…」
「巫女は福原にはおらぬ。佐吉は耐えるだけ耐え、最後の最後に口を割ったように見せかけたのだ。甲賀者を欺いてくれたのだ」
「…よかった…」
「お絹もよく耐えてくれた。さすがは伊賀の女だ。佐吉の娘だ」
珍之助の言葉に絹の口元が少し微笑んだように見えた。
「珍之助様…に…お渡ししとう物が…着物の胸の合わせを…ご覧ください」
珍之助はためらうことなく胸の合わせに手を挿し入れた。ふくよかな胸元には油紙に包まれた男物の櫛があった。
「それを…珍之助様に…」
「…」
「櫛の歯が…折れて…お困りの…ご様子だったので…」
「それでお絹が買ってくれたのか?」
「はい…」
「すまぬ、お絹…。美しい櫛だ。気に入ったぞ。ありがたく頂戴しておく」
「あ…りが…とう…ござい…ます…」
再び絹の口元がほころんだ。
「珍之助様…」
絹はゆっくりした動作で珍之助の胸にしがみついた。
「絹は…珍之助様の…ことが…」
その後の言葉は声にならなかったが、口がはっきりと語っていた。それを見届けた珍之助が絹の頭を撫でると同時に、ことりと音をたて絹の左手が床に落ちた。
「お絹っ!」
珍之助は絹をしっかりと抱き、何度も呼びかけたが、絹はもう何も話さなかった。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第三十四弾。
レッド・ツェッペリン“ All My Love ”。愛しい珍之助の胸の中で息絶えた絹。しかし、その最期は伊賀の女としての意地をも見せたのであった。
ボンゾ存命中のラスト・アルバム “ In Through The Out Door ”(1979)収録。ツェッペリンにしては珍しいシンセを多用した美しいバラード。哀愁を帯びた階段メロディのシンセソロが印象的。2007年最新リマスター版から。

「All_My_Love.mp3」をダウンロード

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都に咲く向日葵(五十一)

2008-03-12 05:37:44 | 都に咲く向日葵

化野の屋敷の一室では、楓が腕組みをし、床に倒れこんでいる絹を見下ろしていた。黒川銀八はすでに出立し、ここには楓一人が残っていた。すぐに銀八を追いかけねばならない。だが、楓は後味の悪い薬を飲んだような感覚をずっと引きずって動けずにいた。
楓は人を斬ることに何のためらいもない。齢十七にして黒川銀八に命じられるままに多くの人を斬ってきた。裏切るようなら味方も斬った。裏切らなくとも銀八が命じれば斬ったこともある。悔いはない。特別な感情もない。ただ、人を斬ることの意味と向き合ってこなかっただけだ。

佐吉の拷問を行い、息絶えるのを確かめたのは楓であった。
佐吉は服部珍之助一党の中忍で珍之助の信頼も厚いという。さすがに簡単に口を割らなかった。しかし、佐吉は娘が拷問される様を散々見せつけられ、さすがに娘の命乞いをし、口を割った。よく耐えたほうだと思う。自身も虫の息なら娘も瀕死だった。

娘の拷問を行ったのも楓であった。
絹という娘も忍でもないのによく耐えた。年の頃は自分と同じぐらいであろうか。常人なら狂ってもおかしくなかったはずだ。それでも時にそんな人間と出くわすこともあるので、いつもならどうということはない。しかし今回はひどく虚しかった。

服部珍之助には二度までも救われている。その服部党の二名を拷問にかけた。およそ人の義理や情け、容赦に無縁な楓であったが、胸の奥底がちりちりと痛んだ。
他方で甲賀者としての矜持もある。漆黒の闇に生きる忍にとって生ぬるい感情は命取りだ。
だが、楓は娘にとどめを刺さなかった。
とどめを刺すほうが、深手を負ったこの娘を楽にさせるのかもしれないが、楓はとどめを刺さなかった。いや、刺せなかった。
佐吉は巫女の存在と自分の命とを引きかえに、娘の助命を願いでた。娘がその瞬間うなだれたのを楓は見逃さなかった。まだ耐えられるのに…ということか。娘の強靭な精神力に、斬っても死なないのではないかと本気で思えた。自分が絶対的な立場にあるにも関わらず、楓は恐怖すら感じたのである。
銀八には最初から娘も始末せよと命じられていたが、初めて人を斬るのをためらい、銀八の命にも背くことをしてしまう…。
放っておいてもいずれ絶命するだろう。運がよければ服部珍之助が見つけるかもしれない…。そう思い至ったとき、楓は刀を鞘に戻した。
こんなことで服部珍之助に借りを返せるわけではない。むしろ借りを増やしてしまっている。楓は腕組みを解き、絹に黙礼をして踵を返した。そして後悔と虚しさを捨てきれずに屋敷から離れた。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第三十三弾。
リッキー・リー・ジョーンズ“ Company ”。精密な殺人機械である楓は、服部珍之助との劇的な出会いからその精度に狂いが生じ出している。そのため絹の精神力に打ち負ける。そして、その命、風前の灯火の絹。果たして珍之助と梓は間に合うのか。
“ Rickie Lee Jones ”(邦題『浪漫』)(1979)収録のこの曲は、後にダイアン・リーブスもカバーした名曲。抑制の効いたヴォーカルがときに熱く語りかける。

「Company.mp3」をダウンロード

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都に咲く向日葵(五十)

2008-03-10 05:45:15 | 都に咲く向日葵

早朝、馬蹄音が加茂屋の前の通りを駆けてきて、閉じられた店先でどさっという大きな音を残し去っていった。不審に思った下忍の一人が見に行くと、そこに大きな麻袋が捨てられていた。その男が恐る恐る袋の口縄を解いてみると…
「た、大変だ…大変だっ!権六様っ!」
男は袋の中を見て腰を抜かさんばかりに驚き、権六の名を呼ぶときには絶叫に変わっていた。
その声に権六が慌てて飛び出してきた。
「どうしたっ!?」
「さ、佐吉様が…」
男が指した先の麻袋の中を見た瞬間、権六は絶句した。
血みどろになった佐吉が麻袋にねじ込まれていた。肩は脱臼しているようで、両腕は不自然に折れ曲がり、足には多数の刀傷まであった。首がつながっているのが不思議に見えるほどの有り様で、もはや息はしていなかった。
「なんということを…。とにかく中へ!」
そう言って権六自身が麻袋ごと佐吉を抱え上げると、下忍が足側を持ち、二人で加茂屋の帳場の傍らに横たえた。権六はすぐに珍之助を呼びに行かせた。

知らせを聞いた珍之助が二階から飛び降りる勢いで駆けつけた。
「どういうことだっ」
それに対する答えなど誰も持ち合わせていないのはわかっていたが、珍之助は問わずにいられなかった。
「佐吉っ!」
嫌な予感が的中した。珍之助は丸まった状態ですでに硬くなっていた佐吉の亡骸に縋り揺さぶった。
「佐吉、返事をいたせ。佐吉っ」
下忍の間からはすすり泣きが漏れている。
「佐吉!何とか申せ!」
珍之助はしばらく佐吉の体を揺すっていたが、やがてその動作をやめると、冷たくなっている佐吉の体から手をそっと離して横たえ、合掌した。珍之助は佐吉に向いたまま、背中の権六に呼びかけた。
「権六」
「はっ」
「お絹の手がかりは?」
「いまだ、ようとして行方が知れませぬ」
「探せ。市で洛内の伊賀者を集めて探らせろ。甲賀者の内通者も使え。とにかくお絹を探せ」
珍之助は感情を押し殺し静かに下知をくだした。
「承知」
「俺は俺で探す。佐吉の弔いはお絹を取り戻してからだ」
そう言い残して珍之助は加茂屋を出て行った。権六は佐吉の亡骸を前にいまだ衝撃から立ち直れずにいたが、お絹の身の確保が何よりも一番であると自身に言い聞かせ、下忍に素早く指示を与えた。だが、権六は砂を噛むような焦燥感と無力感に襲われていた。
「お絹…」

                   ◆

服部珍之助はひどくいらついた気分で一条戻り橋近くの廃寺、庵治寺に着いた。周りを素早く確認し、門の右側三本目の格子を引き抜き地面に置いた。そのまま音も立てずに無人の本堂に入った。

秋の涼気が本堂の隙間々々から入り込んでくるのがわかる。昼間でも薄暗い中、珍之助は本尊が鎮座していた場所を背に瞑目して待った。無心を心がけたが、平静でいられる余裕などなかった。湧き上がってくる様々な感情、記憶をねじ伏せんばかりに封印することに専念していた。
一刻ほどして本堂の外側に人の気配が忍びよってきた。珍之助は本能的に鞘を左手に鯉口を切って合言葉を口にした。
「花の名は?」
「都わすれ」
静かに戸が引かれ、巫女姿の梓が現れた。珍之助は鯉口を戻し、刀を傍らに置いた。
「困っておるようじゃな」
梓はそう言いながら盲目とは思えぬ軽やかな身のこなしで珍之助と対峙するように腰掛けた。
「佐吉殿の波動が消えた」
「お見通しということか?」
「何が起こったのかまではわからぬが、そなたの氣の乱れとも相まっておおよその見当はつく」
「なら話が早い。佐吉が殺された。甲賀者の仕業だ」
「ふむ…」
薄闇の中にあっても、珍之助は無表情な梓の眉間に一瞬皺が寄ったのが見えた。
「お絹を覚えておろう?」
「佐吉殿の娘御だな。お絹が幼き頃に遊んでやったことがある」
「佐吉に何やら役目を言いつけられてから姿が見えない。甲賀者に拉致されたとしか思えぬ」
「わたしに龍眼で“見ろ”ということか?」
「そういうことだ。できるか?」
「佐吉殿にいろはの行方を尋ねられたとき、強力な結界に阻まれた。その後も何度かやってみてはいるが、いずれも結界が邪魔しておる。今回もその結界が働いておれば辿ることはできぬが…」
梓は五芒星が描かれた懐紙を取り出すと床に広げ、九字を切る。
その後はしばらく重い沈黙が流れた。梓が身じろぎしたことをきっかけに堪えきれずに珍之助が問うた。
「どうだ?お絹は生きているか?結界とやらは?」
「結界は…ない。ないが…お絹の波動はかなり弱々しい。一刻を争う。場所は…洛西、化野…」
「わかった」
「待て」
梓は、立ち上がろうとした珍之助を制した。
「なんだ?」
「そなただけで化野を探しきれぬぞ。わたしを連れて行け。先導する」
「しかし…おぬしは草だ。草としての役目の範疇を超えてしまう。それに甲賀者と出くわしてしまえば、もはや草として、巫女として生きられぬ」
「わたしならかまうな。そなたこそお絹がどうなってもよいのか?」
「…」
「迷う暇はない。馬なら清明神社にもある。すぐさま向かおうぞ」
「わかった」
二人は同時に立ち上がった。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第三十二弾。
ドン・ドッケン“ Crash N' Burn ”。伊賀服部党の要、佐吉が殺害された。絹の安否は?!梓の協力を得て服部珍之助が救出に向かう。
アメリカン・ハードの至宝ヴォーカリスト、ドン・ドッケンが自身名義のグループとして発表した“ Up From The Ashes ”(1990)から。

「Crash_N_Burn.mp3」をダウンロード

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都に咲く向日葵(四十九)

2008-03-09 09:01:31 | 都に咲く向日葵

「絹…は…忍ではない…」
佐吉は呻くように言ったが、銀八は最後まで言わせなかった。
「忍でなくとも忍の娘ならこのような事態も起こりうる。伊賀の佐吉ともなれば、それぐらいの覚悟はできておったであろう。お前が逆の立場なら同じことを考えたのではないのか?」
「…」
「もう一度訊く。巫女はどこだ?」
「…」
「往生際が悪いな」
銀八は面倒くさそうに呟くと、すたすたと絹のところへ行き、体に巻かれた縄を持って持ち上げた。
「やめろぉぉ!」
佐吉が叫ぶ。
絹は気がついたのかもがき始めたが、口には猿ぐつわをはめられており、声は出せなかった。銀八はそんな絹を軽々と自分の肩の高さぐらいまで引っ張り上げ、何事もなかったかのように、ぱっと手を離した。
どすんという音とともに絹が床に落ちた。
「絹っ!」
「なんの…これしきで騒ぐな」
銀八は楓に合図をした。
楓は絹の右手を持ち、無造作に親指の爪を剥がした。
「ううううっ!」
猿ぐつわ越しに絹がくぐもった絶叫をあげる。
「やめろっ!」
再び佐吉が叫ぶ。
「何度も言わせるなっ。巫女はどこだ?」
銀八は凄みのある声で言うと、また佐吉の傷ついた太股を蹴り飛ばした。

                   ◆

「珍之助様。権六にございます」
「どうした?」
「お絹が帰ってまいりませぬ」
「なんだと?」
「佐吉殿もいまだ…」
加茂屋の二階の服部珍之助の居室の前で障子越しに権六が告げた。
「どこへ行くと申しておった?」
「それが…甲賀者を追って、監視役の下忍と高倉蛸薬師で交代し、蛸薬師を西へ向かったというところまではわかっておるのですが…」
「お絹は?」
「佐吉殿が何やら下知をしておったようでござる」
「絹は忍ではないではないか!」
珍之助は厳しい口調で言うと障子の影が少し揺れた。
「その…佐吉殿は、いろは様が拉致されたのは自分のせいだと自らを責めておられまして…。ご自分でいろは様の居所を探ろうとされたのでは」
「佐吉らしくないな…」
珍之助は嫌な予感がした。あの冷静な佐吉が我を忘れ、絹まで使って自らいろはを探そうとしている。
「とにかく探せ」
「承知」
障子の向こうの影がゆらりと消えた。

結局その日は二人に関する手がかりもないまま、いたずらに時が経ち、日が暮れた。珍之助は状況が変わらないことに焦れていた。悪い予感も膨らんではいたが、今は佐吉を信じるしかなかった。
だが、翌朝になって事態は大きく動き始めた。

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都に咲く向日葵(四十八)

2008-02-16 11:31:44 | 都に咲く向日葵

通りを進み始めた絹に百姓らしき老女が話しかけてきた。腰は曲がり、顔は皺だらけ。齢六十は超えていそうだった。
「あの…もし?」
「はい?」
困った様子で話しかけてきた老女を前に絹は思わず立ち止まった。
「鞍馬へ湯治に行くため播磨から京へ出て参ったのですが、主人が急に気分が悪くなりまして…」
「それはお困りでしょう…」
「なにぶん年寄りゆえ足に負担がかかったやもしれませぬ。手前が薬を買いに参りましたが、新たな草鞋も探しとうございます。ただ年寄りを放ったままでは心配でございまして…申し訳ござりませぬが、この水と薬を主人に届けていただけませぬか」
「ご主人様はどちらに?」
「あの路地の奥でございます。小さな祠の前で休んでおります」
老女は右手少し先に見える路地の入口を指し示した。
「承知しました。お任せください」
絹は老女から竹の筒と丸薬を包んだ紙を受け取った。
老女は何度も頭を下げながら反対側に向かって歩いて行った。
―丁寧なお婆さんだわ。
絹は老女に一礼すると路地に向かった。

路地の奥には老女の言うとおり小さな祠があり、その前に老人が疲れきったように座り込んでいた。絹は老人の姿を確かめると小走りに近づき、間近から声をかけた。
「もし?」
老人は億劫そうに顔を上げた。
その瞬間、絹は微妙な違和感を覚えたが、それが何に由来するものなのかわからなかった。いや、わかるはずもなかった。絹は後ろから何者かに口を塞がれ、鳩尾に拳を入れられ、気を失ったのである。

                   ◆

銀八は佐吉の前に仁王立ちになり問うた。
「伊賀のくの一でどこぞで巫女を務めておる女子を知らぬか?」
「知らぬ」
「めしいた巫女だというのだが」
「巫女など知らぬ。くの一で巫女など務まるわけなかろう」
「伊賀訛りの巫女を拾った社がある」
「めしいた巫女など伊賀で聞いたこともない」
「その巫女、めしいておるのに猫のようにしなやかな身のこなしだったという」
「だからといって、くの一とは限るまい」
「伊賀には目を患い放逐されたくの一がおったと聞いたことがある」
「初耳だ」
「貴様、伊賀の忍なら全て知っておろう」
「貴様こそ、かまをかけておるつもりか知らんが、知らぬものは知らぬ」
「…」
銀八は傍らの楓に目で合図を送った。楓は刃を鼻の先に突きつけた。
だが佐吉は動じた様子を見せなかった。
「知らぬものは答えようがない」
楓は頭巾越しに暗く光る目を瞬かすことなく、刃を佐吉の右の太股に突き立て、すぐさま引き抜いた。
「うっ!」
佐吉は思わずのけぞったが、すぐに別の甲賀者が佐吉の襟首を掴み、引き起こした。佐吉の太股から血があふれ出す。
「知…らぬ…」
「楓、刀を引け」
銀八の命令に楓は頷くや否や刀を一瞬で鞘に戻した。
銀八はずいとその大きな体躯を佐吉の前に近づけると、無表情なまま楓が刺した傷口をしたたか蹴飛ばした。
「あうっ!」
あまりの激痛に佐吉は再びのけぞったが、またしても引き起こされた。
銀八は間髪入れずに再び問う。
「巫女はどこにおる?」
「…」
銀八はその後何度も太股の傷口を正確に蹴り飛ばした。佐吉の額にはいつしか脂汗がびっしりと浮かんでいた。傷口の出血も止まらない。
「ふん、これぐらいで口を割るはずもなかろう…」
銀八は独り言のようにつぶやくと楓に合図をした。
楓が頷くと、銀八が現れたのと反対側の襖に近寄り、一気に開け放った。
「絹!」
佐吉はその光景を前に目を見開くようにして叫んだ。絹が、やはり縄をかけられ横たわっていた。
「絹!」
しかし、絹は佐吉の呼びかけに反応することはなかった。
「もう一度訊く。巫女はどこだ?答えぬのなら娘に問うぞ」
低い声でそう言うと銀八は酷薄な眼差しを絹に向け、左のこめかみの傷痕に手をやった。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第三十一弾。
フラワー・トラベリン・バンド“ Make Up ”。父娘の悲劇の邂逅。このまま二人の命運は尽きてしまうのか。そして、梓と思われる盲目の巫女を探す銀八。果たしてその理由は?!
向日葵サントラでは初の日本のバンドで、70年代伝説のバンド(voはジョー山中)。世界レベルにかっこいいハードロック・チューン。坂東玉三郎の鷺娘をフィーチャーしたCMで使用された曲といえばご記憶のある方もおられるのでは?玉三郎の「鷺娘」はYouTubeでも見ることができるので、ぜひ検索してみてください。日本の伝統様式美の極致。劇的に美しい。“ Make Up ”(1977)収録。

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都に咲く向日葵(四十七)

2008-02-12 05:27:24 | 都に咲く向日葵

加茂屋に向かう絹は、忘れないように父に言われた伝言『化野の大きな屋敷、油小路蛸薬師の死体を始末せよ』を何度も復唱しながら油小路を北へ歩いていた。
途中櫛屋の前を通ったとき、店先に美しくも愛らしい櫛を見つけ、絹は立ち止まった。
―かわいい。買って帰ろうかしら。
赤地の塗りに縦に入った一条の黒がよく映える櫛だった。しかし手に取ろうとした絹は寸でのところで思いとどまった。
―だめだめ。まず言いつけを果たさないと。また今度買いにくればいいわ。
絹は櫛を諦め帰ろうとした。
と、そのとき彼女が視界の隅に洒脱な男物の櫛を捉えた。黒地に四角く小さい金箔が上品にあしらわれた漆塗りの新作であった。振り向きかけた絹はもう一度店先の棚に手を伸ばし、それを手に取った…。

それは、いろはが拉致されるより前、今からひと月以上前のことだった。
夜が更けた加茂屋の二階。絹は珍之助の居室に酒と肴を運んできた。珍之助は役目柄深酒をすることはないが、大きな役目や急用でもない限りほぼ毎晩居室で酒を飲む。そして酒を飲むときは決まって絹にその用意を頼んでいた。

絹は珍之助の肴の好みや出す頃合、適切な酒量などを熟知しており、一々言わなくても望みどおりにしてくれるため、珍之助は絹に頼むのであった。いろははそんな絹の役回りに嫉妬して、自ら酒膳を持って行ったことがあったが、妹が料理などできないことを知る珍之助が露骨に困った顔をしたらしい。それ以来いろはは行かなくなった。絹もそうした珍之助の好みを自分だけが知っていることが内心誇らしげでもあった。
それだけではなかった。絹にとっては珍之助と二人きりになれるこのひと時が楽しみで仕方なかった。珍之助が飲むときは書状をしたためたり、本を読んだり何かしていることが多く、絹は酒を注ぐ以外、ただ黙って隣にいることが多かったが、時折珍之助から話しかけられることもあり、その一瞬が嬉しかった。
酒を頼まれだした当初は、酒膳を持って行くと「下がってよい」と言われたが、お替りを頼みたくなると、珍之助自ら階下へ声をかけに来ることがわかった。その姿を見た絹は一計を案じた。わざと酒肴の量を少なめにしたのである。そうすれば珍之助は階下へ来る頻度が上がる。そこで絹が早めに声をかけるようにしたので、事の面倒さに倦んでいた珍之助は、機転の利く絹を重宝し、やがて酒膳を運ぶ際には何も言わなくなった。今では適度な量を持って行くので途中でお替りを運ぶこともほとんどなくなったが、隣にいることが何となく当たり前になった。
絹はそんな自分がまるで妻のようだと思うときがある。口に出して言うのは憚られるものの、いつか自分の気持ちを伝えたいという思いもあった。だが、今はこうした時間があるだけで幸せであった。

「失礼いたしまする」と障子の外側から声をかけた。
「絹か?」
「はい。酒肴をお持ちいたしました」
「すまぬな。入ってくれ」
絹は静かに障子を開けた。珍之助は行燈の横で書状に目を通していた。
絹は、少し大きめの徳利一本と盃、今日は干物と豆、味噌の小鉢が載った酒膳を珍之助の前に置いた。
いつものこととはいえ、絹にとってもっとも緊張する瞬間であった。珍之助の表情を見ればその日の酒肴の好き嫌いが概ね分かる。絹は悪くない反応だと思った。
絹が注いだ酒を珍之助は一口飲むと、次に干物に箸を伸ばした。
「鯵だな」
「はい。昨日はししの干し肉でしたので、今夜はお魚がよろしいかと思いまして…」
「うん。魚がいい。それに美味い。さすがは絹じゃ」
「ありがとうございます。最近評判がいいと聞きました堀川丸太町の干物屋で買い求めました」
「そうか。これからが楽しみだな」
「はいっ」
酒の肴に関しては文句を言わない代わりに、滅多に感想も述べない珍之助であったが、この日はよほど気に入ったのか、絹を褒めた。絹は内心飛び上がりたいほどに嬉しかった。
そんな絹に珍之助はにっこり笑って、再び書状に視線を落とした。
絹はどきどきしながら、珍之助の横顔を見つめていた。
嬉しかった。ずっとずっとこの時間が続いてほしいと思った。
「絹?」
絹の視線に気づいたのか珍之助が顔を上げた。絹は不意を突かれびっくりして、すぐには声が出なかった。
「…」
「絹?」
「は、はい?」
「どうかしたのか?」
「あ、いえ…」
慌てた絹は中腰になり、咄嗟に思いつくままの言葉を口にした。
「あの…くず入れを替えさせていただきます」
「ん?ああ、そうだな…。そうしてくれ」
「はい…」
珍之助は不思議そうな顔をしていたが、絹は自分の心の中が見透かされていないようなのでほっとした。絹はそのまま立ち上がり、部屋の隅まで静かに歩いて行き、勢いよくくず入れ持ち上げた。そのとき、くず入れの中で何か硬いものがかさっと音を立てて動いた。中を覗きこむと、道具を大切にする珍之助らしく几帳面に紙に包んで捨てられていた櫛が、持ち上げた拍子に紙から飛び出していた。
黒塗りのツゲの櫛は歯が数本折れていた。
「あの…櫛をどうかされたのですか?」
「ん?ああ、その櫛は、今朝髪をすいていたとき、突然歯が折れたのだ。長年使っていたので傷んでいたのかもしれぬ。櫛は古来より縁起ものゆえ、捨てるのは気が引けたのだが、歯がいくつも折れた櫛というのも禍々しく、凶事の前兆になってもいけないので捨てることにした」
「そうだったのですか…でも、櫛がなければご不自由でしょうに」
「権六に借りておる。あやつは、ああ見えて意外とかぶき者だ。女子でもそこまで持っておらぬと思うほど櫛を持っておるわ」
珍之助は機嫌良さそうに笑った。
「へぇ…」
絹はこのとき服部珍之助に櫛をあげようと心に決めた。
だが、その後珍之助の櫛の予兆が現実のものとなり、いろはが拉致された。その後珍之助は役目が忙しくなり、居室で飲む機会も少なくなった。それでも絹に用意させることに変わりはなかったが、絹が話しかけられることはなかった。絹もいろはのことは心配であったが、いろはや正子姫の身を案じ、自分のことが眼中にないように見える珍之助に接していると悲しくなった。
そんなこともあって、絹は櫛のことは心の奥底に封印していた。

そして今。櫛屋の店先で珍之助が好みそうな櫛を見つけた。
店主に値段を聞くと五文と言われ、絹にとっては決して安くはなかったが、迷うことなくその櫛を買うことにした。絹は懐から銭入れを取り出し、永楽銭を五枚支払い、櫛を手に入れた。絹は油紙に包まれた櫛をぎゅっと握ってから胸元にそっと入れると、少しだけ晴れやかな気分になって櫛屋の暖簾を掻き分けて通りに戻った。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第三十弾。
フリートウッド・マック“ Silver Springs ”。絹の届かぬ恋心。そんな切ない想いを込めた櫛だけは届けたい。しかし、この先絹に待ち受ける運命は…。
オリジナルはシングル“ Go Your Own Way ”のB面であった隠れた名曲(1976)。

「Silver_Springs.mp3」をダウンロード

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都に咲く向日葵(四十六)

2008-02-11 17:57:33 | 都に咲く向日葵

しかし、事は佐吉の思惑どおりには運ばなかった。地面に伏せた甲賀者を飛び越えようとして宙に舞った瞬間右肩を激痛が襲った。勢いをそがれ空中でたたらを踏むように足をばたつかせながら佐吉は地面に着地した。右肩に触ると細手の棒手裏剣が深く刺さっていた。それでも佐吉はすぐさま屋敷に向かって走り出した。甲賀者は竹林の中を扇状に散開しながら追っていく。

佐吉は走りながら手裏剣を引き抜いたが、右肩がじんじん痛んだ。右腕伝いに血が滴っているのがわかる。右手がぬるぬるしてきた。佐吉はやむを得ず刀を左手に持ち替え屋敷へとひた走るが、追っ手は音もなく背後に迫ってきていた。
佐吉は塀を飛び越え、屋敷内に入った。追っ手も次々に塀を飛び越える。佐吉は縁側に飛び乗るや、障子を引き開けた。
「いろは様!」
だが、室内はほの暗く静まり返っていた。廊下につながる正面の襖を蹴破る。だが廊下はおろか屋敷内に人の気配は感じられなかった。
「そこまでだ。観念せい」
向かって右側の襖が開けられ、低い声が響く。佐吉がその低い声のほうに振り向くと、黒装束の黒川銀八が立っていた。
やがて追っ手の甲賀者が静かに佐吉を取り囲んだ。
「いろは様はどこだ?」
「伊賀の小娘も右大臣家の姫様もここにはおらぬ。五日も前に出立したわ」
「なにっ!?」
「おびき寄せられたことにも気づかなんだか」
「油小路の下忍ははなから捨て駒だったのか…」
「伊賀の佐吉を召し捕るためならそれぐらい惜しゅうないわ」
そう言い放った銀八は腕を組んだまま、刀も抜いていなかった。
「くそっ」
「伊賀の佐吉も歳をとったものだな」
「言うなっ」
銀八の言葉には憐れさえ感じられ、腹立たしかった。佐吉は罠に気づかなかったことが自分の衰えであることを認めたくはなかった。
「殺せ」
「頼まれずとも殺す。だが簡単には殺さぬ」
「何だとっ!?」
「お前の娘、名は何だったか…そうそう、絹とか申したな…。油小路蛸薬師を歩いておった…」
「貴様、まさか絹にまでっ!」
佐吉は左手の刀を振り上げた。
その瞬間、周りの甲賀者が一斉に佐吉に刃を向けた。
「刀を捨てろ」
佐吉を囲む甲賀者の輪の中から女の声がした。頭巾をしていてわからなかったが、その声が道を尋ねた百姓の女であることに気づいた。あのときはしわがれた声を装っていたが、間違いなくこの女であった。
「捨てろ」
女は背後から一瞬のうちに刃を佐吉の右頬にぴたりと密着させた。
「慌てるな、楓。佐吉は娘かわいさにおとなしゅうなるわ」
楓と呼ばれた女は黙って、これまた一瞬のうちに刃を引き上げた。
正子やいろはに加え、絹までが危険に晒されているという。自暴自棄になるわけにはいかない。この身はどうなってもいいが、絹だけは何とか助けたかった。
「早く捨てろ」
楓が再び促した。
―絹…すまぬ。やめておけばよかった。
佐吉の脳裏に後悔の念が大きく膨らみ、絹の愛くるしい顔が何度も浮かんでは消えた。「わたしも御役目を手伝うからね」と緊張した口調で話す絹を前に、忍として親心を捨てたはずだったが、捨て切れていなかった。そしていとも簡単に甲賀の罠に嵌った自分が情けなかった。珍之助に心の中で詫びつつも、老いたのかもしれないと思うと力が萎えた。
佐吉は刀を捨てた。
ごとっという音とともに佐吉の忍刀が床に転がるや否や、別の甲賀者が素早く佐吉に縄をかけた。佐吉はあらためて銀八の前に座らされた。
「お前に聞きたいことがある」
佐吉を見下ろしながら銀八は静かに切り出した。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第二十九弾。
リチャード・マークス“ Right Here Waiting ”。連載本格再開。
化野の屋敷には正子姫の姿もいろはの姿もなかった。さらに佐吉の娘、絹にまで銀八の魔手が伸びていた。黒川銀八の罠に陥った佐吉は絶体絶命。愛娘の安否を突きつけられ、佐吉は無念のうちに刀を捨て甲賀黒川党に捕縛された。
“ Repeat Offender ”(1989)収録。

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都に咲く向日葵(四十五)

2007-10-21 13:06:53 | 都に咲く向日葵

「うっ」
小さな呻き声とともに男の体がどさっと正子の上に倒れこんできた。
見れば男の頚椎に細身の棒手裏剣が一滴の血も噴きだすことなく、深々と刺さっている。男の手足は小さく痙攣していた。正子は遠のきかけた意識が呼び戻され、男の体の下からするりと抜け出した。
「下衆が…」
低い声がしたので正子が見上げると、部屋の入口の襖が開かれ男が立っていた。一瞬正子は珍之助が助けに来てくれたのかと思ったが、そこにいたのは一人の見知らぬ男であった。正子は肌けた着物を直そうとしたが、手が震えてなかなかうまくできない。
「こんな不埒な者が甲賀におるとは情けない…」
男は苦々しくそう言って「申し訳ござらぬ」と膝をつき頭を下げたが、顔色が蒼白な正子の震えは止まらない。
「こやつ、最初から姫様を襲うつもりでおったのでござる」
「な、何者じゃ?」
正子が震える声でやっと問うた。
「これは名乗るのが遅れ失礼つかまつった。ご心配召さるるな。拙者はこやつのような不逞の輩ではござらぬ。拙者は甲賀の望月左源太と申す」
そう言って左源太は室内に立てかけてあった薄桃色の小袖を取って正子にゆっくりと近づき、それをそっとやさしく掛けた。
望月左源太は色も白く眉目秀麗な若者である。黒川銀八と違って華奢ともいえる体躯であり、纏う空気にも銀八のような禍々しさはない。むしろ服部珍之助に近い雰囲気を持っていたので、正子が一瞬見間違ったほどであった。
正子はこの屋敷に来てから黒川銀八といろは以外に顔を合わすこともなかったので、望月左源太と名乗る男と対面するのは初めてである。しかしながら、とても左源太をじっくり観察する余裕などなかった。いまだ恐怖感が先に立ち、視線すら合わせられないでいた。
他方、左源太は、噂以上に美しかった正子の肌けた着物から覗く胸の谷間やむき出しになったままの白い太股が艶かしいというより痛々しく、それだけに同じ甲賀者とはいえ不逞の輩に心底憤った。なので無遠慮な視線を送ることなく、小袖をふわりと正子に掛けたのであった。
「いつもより早く昼餉の膳を持つ者を見かけましたゆえ、気になっていろは殿に聞けば事情を知らぬと…。そこで姫様の居室に来て見ればこのような…」
「姫様!」
そのとき、室内にいろはの驚いた声が響いた。
「いろは殿…」
正子はふううと息を吐き、涙目でいろはを見上げた。いろははうつ伏せに倒れた男の死体を見て仰天し、慌てて正子に駆け寄ってその手を握った。
「大丈夫でございまするか?」
「うん…。望月殿に助けてもろぉた」
「そうでございましたか…」
いろはは安堵の息を吐いた。
左源太は尻を突き出すように無様に斃れた男の腰帯を持ち、表情一つ変えずに廊下まで引っ張り出した。
「望月殿から聞かれ不審に思い、御厨に行けば早めの昼餉をと言われ膳を出したとのこと。急ぎこちらへ参りました」
いろはは左源太を睨みつけた。
「甲賀ではこのような不埒者を放し飼いにしておいでか。もしや甲賀者は獣ばかりではござらぬのか」
「確かに不埒な者がおったのは面目ない。が、甲賀者全てが不埒者ではないぞ、いろは殿…」
「ふん…伊賀では考えられぬ統率のなさじゃ」
「いろは殿、もうよいではないか。望月殿は正子を助けてくれたのじゃ」
正子は、いろはの問答無用の責めにも腹を立てず苦笑いで受け流す望月左源太に少し好感が持てた。
「はい…。ときに望月殿、出て行ってくだされ」
「いろは殿…」
驚く左源太を尻目に、いろはは「姫様のお着物を直しますゆえ」とぴしゃりと言い放った。
「それとも、見物したいと言うならそこに斃れている不埒者と変わりませぬが…」
「あ、いや、これは…失礼いたした」
左源太は慌てて出て行った。
正子の顔に赤みが戻ってきたのを見て、いろは自身も落ち着いてきた。
「姫様、大丈夫でございますか?」
「もう大丈夫じゃ」
「申し訳ございませぬ…。昼餉まで少し余裕がありましたゆえ、出立の準備をしておりまして…いろはは目を離しておりました…。まさか姫様に…」
いろはは畳に額をつけて詫びた。
「いろは殿は悪ぅない。気にするでない」
「はい…かたじけのうございまする…姫様もご油断召されますな。ここは敵の陣中と心得てくださいませ」
「うん…」
「姫様は天真爛漫なお方ゆえ、いろはは心配でございます」
「正子は世間知らずということか?」
「あ、いえ…」
「そのとおりじゃ。いろは殿に迷惑をかけぬようにいたす」
「姫様…。いろはも今まで以上に気をつけて姫様をお守りいたしまする。それに姫様のご出立も近ぅございまする…それゆえ、この先が気がかりでございます…」
「うん、気をつける」
正子はあらためていろはの手を取り頷いたが、思い出したように言った。
「あ、望月殿に礼を言うてない」
「そのような必要はございませぬ。望月左源太は黒川と同じ甲賀の上忍でございます。いや、望月家は黒川家より格上にて甲賀の首領格。手下の不始末は首領の責任でございます」
「そうなのか…。いろは殿は望月殿とお知り合いなのか?」
「はい…と言いましても、昨日初めて会うたのでございまするが…。望月左源太も昨日この屋敷に来た様子です。それにしても…いけ好かない男でございます」
「そうなのか?」
「腕は立つようでございまするが…女子にやさしく色男を気取っておるところがいろはは気に入りませぬ」
確かに女子を前に妙に落ち着き払っているところはある…と正子は思ったが、珍之助と見まがうほど纏う空気は似通っている。いろははえらく嫌っているが、それは珍之助と似たところと似ても似つかぬところの両方を備えていることに、いろはも無意識に気づいているからではないかと正子は思った。そこに苛立つのは何となくわかる。でも助けてもらった恩人でもあり、いろはとのやりとりからも悪い者ではないと感じていた正子にとって、彼女ほど嫌う理由は見当たらなかった。

正子はいろはの介添えで着替えを行った後、膳がひっくり返ったこともあり、別室に移動することにした。ただ昼餉は食欲もないので断った。いろはは一瞬咎める表情を見せたが言葉に出すことはなかった。
二人が部屋を出ると廊下で左源太が所在なさそうに壁にもたれ腕を組んで立っていたが、襖が開いたので体を起こした。男の骸はすでにない。
「もうよろしいのですか?」
「うん。望月殿、さきほどはありがとうございました」
「あ…いえ、滅相もございませぬ…」
「望月殿、姫様のお部屋の片付けを」
いろはが冷たく言い放った。
「拙者がぁ?」
「望月殿がされるかどうかは存じまあげせぬ。いかようにも」
「はあ…」
左源太は頭を掻きながら、一歩退いて二人に道を譲った。いろはは囚われの身ながら、全く萎縮することなく堂々と振舞っている。左源太は、それはそれで清々しいぐらいだと思っていたが、その嫌われようには苦笑するほかなかった。
いろははさっさと廊下を歩いていく。その後ろに付いた正子は振り向いて左源太に微笑みながら会釈していった。左源太もにっこりと微笑を返しておいた。

                   ◆

侍姿の佐吉は化野までたどり着くと、野良仕事をしていた中年の女にこのあたりに大きな屋敷はあるか?と訊ね、聞き出すとすぐに畦道をそちらに向かった。
佐吉の姿が見えなくなるの確かめると、その女は百姓と思えない俊敏な動きでその場を離れた。

佐吉が小走りに道を行くとやがて竹やぶに透けて大きな屋敷が見えてきた。
しかし、佐吉はすぐに屋敷へたどり着くことはできなかった。さわさわと揺れる笹の音の中に人の気配を感じ取ったのである。佐吉は立ち止まる。
竹やぶを風が抜け、再び笹がさわさわと揺れた。佐吉は腰から抜刀すると下段に構える。
笹の中から人影が一つ、二つ、三つと舞い降りてきた。さらに来た道からも人影が三つ、音もなく現れ、佐吉は完全に囲まれた。小さく歯軋りをしたが遅かった。いろはを心配する余り、甲賀方の巧妙な誘い出しに気づかなかったのである。
竹やぶの中、前面に三人、後方に三人。それが左右に展開し六角形の陣となって佐吉を囲む。その距離均等におよそ二丈(約6メートル)。
六方から一斉に足元へ棒手裏剣が飛ぶ。
相討ちを避けるのと生け捕りたいという甲賀方の思惑からであろう。佐吉は相手の陣形からそれを予想していたかのように、前方に跳躍しながら懐から取り出した四方手裏剣二枚を着地と同時に真ん前の甲賀者に向けて投擲する。その甲賀者は手裏剣を避けるようにして伏せる。それを待っていた佐吉はさらに跳躍して、その上を飛び越えようとした。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第二十八弾。
ディープ・パープル“ The Gypsy ”。連載再開。いろは救出を焦る佐吉が甲賀の罠に。果たして佐吉は、いろは、正子姫のもとにたどり着けるのか?!
第3期パープル“ Stormbringer ”(1974)収録。

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都に咲く向日葵(四十四)

2007-09-09 17:38:06 | 都に咲く向日葵

村井貞勝は居室の中を歩き回っていた。内心ひどく焦っていた。
駆け引きが活発化すれば正子姫の身柄確保が鍵を握るとは思っていたが、こうも早く仕掛けられ、あっさりと拉致されてしまうとは思いもよらなかった。
自ら企てた正子姫の輿入れであっただけに、京都所司代としての面目丸つぶれである。さらに貞勝は信長による処罰を畏れていた。
―罷免だけでは済まぬかも知れぬ…。
挽回を図るには正子姫の奪取しかない。拉致を防げなかった服部珍之助を叱責したが、今のところ動かせる手駒は服部一党だけである。彼らに頼らざるを得ない。聞けば服部の娘も拉致されたという。必死になるであろう。それに賭けるしかなかった。
普段は冷静な貞勝であったが、持っていた扇子を思わずへし折ってしまうほど苛立っていた。

                   ◆

絹は佐吉に命じられて、高倉蛸薬師で父を待っていた。
いろはが拉致されて一週間、絹は心配でならなかったが、父佐吉も憔悴しきっていた。先代の一龍斎から託されわが子のように育ててきたいろはである。その悔悟の念は、絹であっても量れるものではないほどに重い。
甲賀者の尻尾を捉えたとの知らせが入ったのはその時だった。佐吉は加茂屋を出るとき、絹に役目を与えた。
「いろは様の居場所がわかれば、加茂屋に戻る時間が惜しいので、そのまま向かうつもりじゃ。わしが絹にその場所を申すから急ぎ加茂屋の珍之助様にお伝えするのじゃ。よいな?」
絹は緊張した面持ちで頷いた。このような役目は初めてであるが、いろはのため、そして珍之助のためならどんなことでもする覚悟はできていた。

絹が高倉蛸薬師の角で人待ちを装って立って間もなく、笠を被り侍の格好をした佐吉が近づいてきた。眼光が異様に鋭い。絹はあらかじめ言いつけられていたように素知らぬ風情でやりすごす。佐吉はすれ違いざまに絹に囁いた。
「化野の大きな屋敷。油小路蛸薬師の死体を始末せよ」
絹はもう少しで頷きそうになったが、寸でのところで堪えた。佐吉も素知らぬ風情で離れていった。
絹は前もって佐吉に教えられたとおり口に出さずに百までゆっくりと数えると、不自然にならないようにその場をそっと離れ、加茂屋に向かって歩き始めた。
それと同時に男が絹の後方に付いて歩き始めていた。だが、忍ではない絹に自分の跡をつける黒き影の存在を知る由もなかった。

                   ◆

正子のもとに昼餉の膳が運ばれてきた。正子の食事はいつもいろはが運んでいたが、今日は見知らぬ男であった。やや陰気そうなその男は会釈もなく、伏し目のままぶっきらぼうに告げた。
「昼餉でござる」
「うん」
正子は退屈を紛らわせるため、あてもなく折っていた千代紙を傍らに寄せ、男の横顔を見つめながら頷いた。やってきた男が陰気な男であっても、正子は気にすることなく普段どおり無邪気であった。
男は無表情のまま正子の前までやってきた。
「こちらに置きまする」
「いろは殿はいかがされた?今日の昼餉は少し早いような気もするが…」
男は一瞬身を固くしたが、その場で片膝をついた状態で正子の目を見ずに答えた。
「さあ、拙者は知りませぬ。昼餉を運べと命じられただけでござる」
「そうか…そなた名は何と申される?」
「拙者でござるか?」
「うん」
「名乗るほどの者ではございませぬ…」
男は正子の問いかけを予想していなかったのか少し動揺したようだが、正子に悟られるほどではなかった。正子は無邪気に笑いかける。
「そんなに堅苦しいことを言わぬともよいではないか」
「…」
「ふむ…まあ無理にとは申さぬ…。大儀であった。下がってよい」
あまりに無反応な男の態度に、正子は少し困惑したものの、男がよけいなことは口にするなと言われているのであろうと考え、それ以上の追求は諦めた。
「姫様…」
片膝をついたままの男は正子ににじり寄ってきた。
「なんじゃ?」
正子が顔を上げた、その時であった。
男は突然正子に襲いかかり、押し倒した。
「な、何をする!」
正子は男の手を振り払い、尻もちをついたまま後ずさりしながら部屋の隅へ逃れようとした。正子の足で膳がひっくり返り大きな音が響く。男は意に介さず正子の足首を掴む。
「放せ…」
隅に逃れるということは逆に退路を断つことに等しかった。しかし正子にそんなことを考える術も余裕もない。忽ち追い詰められた。
男は正子に覆いかぶさり、その両手首を掴む。正子は足をばたつかせ、必死の抵抗を試みるが、男は圧倒的な力をもって正子の両手首を彼女の頭上へ引っ張り上げる。着物の裾がまくれ正子の白い足がむきだしになった。
「やめ…」
「…」
「いや…」
正子は手首の感覚が麻痺しそうになるのを堪えるが、次の瞬間男に平手打ちをされ、力が抜けてしまった。そして男は正子の着物の合わせを押し開こうと手をかけた。
「…」
いざというときには声は出ないものである。珍之助の名を呼ぼうとしても声が出ない。だが正子は声を出したいのに出せないもどかしさをどこか遠くの自分が感じていた。
恐怖感はやがて無力感となり、精神は壊れる寸前に肉体から脱出しようとしていた。男は抵抗が弱まった正子に跨り、ゆっくりと着物を開いていく。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第二十七弾。
ジュエル“ Deep Water ”。突如襲ってきた正子姫最大の危機。正子姫はこの危機を脱することはできるのか。そしてお絹を追う謎の影。非情な覇権争いは女たちをも容赦なく巻き込んでいく。“ Sprit ”(1998)収録。

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都に咲く向日葵(四十三)

2007-09-01 20:33:46 | 都に咲く向日葵

いろははまだ正子に対して多少のわだかまりがあったが、悪い人物ではないと感じていた。公家の姫君はもっとわがままなのかと思っていたが、無邪気で天真爛漫なところがあり、また意外と芯の強いものも感じた。
―兄上が惹かれるのも…いやいや考えるのはよそう。

正子はいろはのことが嫌いではなかった。何よりもいろはが自分と同じ年齢なのに死に向き合う覚悟に驚いた。日々生死の境を往く忍なら当然のことなのかもしれないが、今さらながら自分はのほほんとした日常を過ごしていたことに気づき、珍之助やいろはがいる世界との違いに愕然とする。同時にどうしようもない疎外感が心の深いところから湧き上がってくると、今度は居場所のないひどい孤独感に苛まれた。
―珍之助殿も結局いろは殿とともに同じ死線を越えていくのか…。

沈黙を破ったのは正子のほうであった。自分の悪い癖でもある想いが堂々巡りする前に声を出した。沈黙は居たたまれない。
「さきほどいろは殿は『生きて生きて生き抜く』と申されたが、生き抜くため、いろは殿はこの場から逃げ出さなくてよいのか?」
「逃げ出しとうございまするが、さきほどの鶺鴒の如く空を飛ばない限り、この堅牢な屋敷からは容易に出られませぬ。一見荒れた屋敷でございますが、甲賀者の隠密工作の拠点と思われますゆえ、人も配し守りは堅とうございます。ですが…」
「ん?」
「黒川銀八はわたしの忍の技を見込んで、味方になれと申しておりまする。そこに隙ができるやもしれぬと、今は従順を装っておりまする」
「それでここへ寄越されたのじゃな?」
「はい…」
「そんなことをこの正子に告げてよいのか?」
「姫様が甲賀者に利することをされるとは思えませぬ。それに黒川銀八もわたしの魂胆には気づいておりましょう。それでも敢えて放っておくということは何か訳があるやも知れませぬ。さすれば、ここは相手の懐に飛び込むだけのこと。そうしなければ道は開きませぬ。姫様にはいろはの本意ではないことをいたしたり、申すこともありましょうが、あらかじめご承知おきいただきとうございます」
「うん、わかった」
「かたじけのうございます」
いろはは素直に頭を下げた。
「いろは殿はお強いの…」
「え…?」
「苦境にあっても冷静沈着。しかも死をも恐れぬ。お強い」
「いろはは強くございませぬ…。本当は弱い…。所詮は強がりなのです」
「真に強き者は自らの弱きことを悟っている者であろう。いろは殿は珍之助殿同様お強いお方じゃ」
「姫様、買いかぶりが過ぎます」
いろはが手を振って否定したが、正子はその慌てた仕草に微笑んだ。
「そんなことはない。珍之助殿にしっかり仕込まれたのであろうな…。正子はいろは殿が羨ましい…。正子は珍之助殿のことを知らなすぎる…」
「姫様…」
正子はその美しい横顔にほのかに憂いを湛え、小さな溜息をついた。
「姫様は天真爛漫で向日葵のようなお方です。陽を受けて咲き誇る大輪の向日葵…。まことに美しゅうございます。日陰に咲く小さき花は決して向日葵のようには咲けませぬ」
「気を遣わぬともよい。正子が向日葵なら、いろは殿は凛とした青色の桔梗じゃ。桔梗は青いが芯に情熱を秘めておる強き花じゃ」
「そんな…」
いろはは照れくさくなるようなことでもさらっと言ってのける正子の無邪気さが眩しかった。
「正子もいろは殿と同じ十七歳じゃ。これからも仲良うしてたもれ」
「いろはこそよろしゅうお願いいたしまする」
「うん」
荒れた庭先から一陣の風が部屋に吹き込んできた。二人の髪を撫でるように去っていった風は秋の気配を濃く含んでいた。

                   ◆

いろはが拉致されて一週間が過ぎた頃、佐吉は甲賀者らしき忍を確認したとの知らせを聞き、自らその追跡役を買って出た。
先に尾行していた下忍と高倉蛸薬師で交代した佐吉は、甲賀者であるとの引継ぎを受けた標的、商人風の男が蛸薬師通を西へ向かうのを見て、着かず離れず慎重に尾行していった。佐吉はどうしてもいろはの居所を掴みたかったため、捕縛して口を割らせるつもりでいた。

男が油小路通に差し掛かろうとしたとき、佐吉が動いた。蛸薬師通と油小路通が交差する角に少し手前で男に近づき、懐から短刀を取り出すと目立たぬよう手拭で隠してその背中に突きつけた。
「甲賀者だな?」
「っ!」
「振り向くな。声を出すな。そのまま歩け。騒げば殺す」
「…」
男は身を固くしたが、命じられたまま歩みを止めることはなかった。佐吉は短刀をくるんだ手拭いを男の背中から脇へと移動させ、肩を組むように脇の路地に入っていく。やや奥まったところで「止まれ」と命じると、佐吉は建物の壁に甲賀者を押し付け、背後から男の首筋に短刀を突きつけた。今度は刃が鈍く光っている。
「伊賀者か?」
「問うのはこっちだ」
佐吉が短刀の切っ先にほんの少しだけ力を込めると、男の首筋に小さな赤い玉が現れた。
「…わかった」
「素直に答えれば命までは取らぬ。あるやんごとなき女人を探しておる。花山院正子姫だ。知っておろう?」
「知らぬ」
「ふん…。では問いを変えよう」
「伊賀のくの一が捕らわれておるはずじゃ。知っておろう?」
「し、知らぬ…」
男は壁に顔を押し付けられたまま呻くように答えた。
「仕方あるまい…」
佐吉は再び切っ先に力を込め、今度は男の首筋に赤い筋を付ける。すると赤い筋に沿って小さな赤い玉がいくつも現れた。力を入れすぎると致命傷になりかねず、紙一重で力を加減する佐吉ならではの経験と技術であった。
「もう一度聞くが、伊賀のくの一はどこじゃ?」
「うう…」
「正子姫はどこじゃ?」
「…」
「知らぬのならこの場で斬り捨てるまで」
「待て!」
男は小刻みに震えていた。
「あ、化野(あだしの)…。念仏寺近くの大きな屋敷…」
「化野…洛中から離れたわけか」
「た、助けてくれ」
「心配するな」
佐吉の言葉を聞いて男は安堵の溜息を吐いた。しかし、次の瞬間佐吉の刃が男の喉元を貫き、男は声もなくその場に崩れ落ちた。男の絶命を確認した佐吉は死体を通りから目立たぬように横たえ、すぐさま路地を離れた。加茂屋には戻らずそのまま化野に向かうつもりであったが、その前にすることがあった。

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BGMにこちらをどうぞ。向日葵サウンドトラック第二十六弾。
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ“ The Waiting ”。十七歳の二人の関係はわだかまりを抱えながらも氷解していく。一方で佐吉は自らの無念を晴らす絶好の機会を得たが…。アメリカン・ロックのの名曲は “ Hard Promises ”(1981)収録。

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