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2011-11-18 | Weblog
オリンパス、大王製紙……後を絶たない大型不祥事 日本企業のガバナンスは、なぜ機能不全に陥ったのか(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

※引用

オリンパス、大王製紙……後を絶たない大型不祥事
日本企業のガバナンスは、なぜ機能不全に陥ったのか


 大王製紙では、井川意高前会長による子会社からの100億円超の借入が特別背任に問われつつある。また、オリンパスでは、高額で買収した国内3社の減損処理や、英医療機器メーカー買収に際して助言会社に巨額の報酬を払っていたが、実は過去の有価証券投資に伴う損失を補てんするために行なわれたことが明るみに出た。

 大王製紙では、子会社の取締役会が機能せず、親会社の取締役会でもこの問題が取り上げられた形跡がない。オリンパスでも、これだけ重要な一連の取引に、取締役会や監査役のチェック機能が働いたとは思えない。

 産業金融のあり方を考える上で避けて通れないのが、コーポレートガバナンス論である。日本では「株主をはじめとするステークホルダーの利益を守るため」としてコーポレートガバナンスの見直しが叫ばれて久しく、実際に社外役員の導入なども進んでいる。にもかかわらず、これらの会社では、取締役会や監査役会が有効に機能しなかったことになる。

 そもそも、こうした事態に至る伏線として指摘したいのは、日本の旧い企業の実に多くが、米国型の株主利益重視のガバナンス体制に、露骨に抵抗する姿勢を崩していないことである。筆者は米国型のガバナンスが最善と考えているわけではないが、メインバンク制度と株式持ち合いをベースにした日本独自の「もたれ合い」的なガバナンス制度の疲弊が、長年に亘る日本の経済停滞の一つの要因であることは、そろそろコンセンサスにすべき時期なのではないだろうか。

株主・投資家の立場から見た
コーポレートガバナンス論

(1)コーポレートガバナンスとは

「コーポレートガバナンス(企業統治)」とは、企業が社会倫理を守りつつ、利害関係者(ステークホルダー)に対して、その企業価値を最大化するための枠組みのことである。


 2001年に発生したエンロン事件をはじめ、各国企業で粉飾決算や不祥事が相次いだことから、近年は再びコーポレートガバナンス論が盛んになり、主として企業の不正防止の観点から、米国では2002年に「サーベンス・オクスリー法(SOX法)」が、日本でも08年に日本版SOX法とも呼ばれる「金融商品取引法」が完全施行された。それ以来、企業による「内部統制報告書」の作成と監査法人による監査が義務付けられたことは記憶に新しい。

 その一方、企業価値の最大化については、「会社は誰のものか」というところで各国の制度や慣習に違いがあり、未だに議論が定まっていない。たとえば米国では、「企業は株主のもの」という意識が強く、日本やドイツでは「企業は社員のもの」という文化が残っている。誰のために企業価値を最大化するのかによって、最大化すべき企業価値の基準も変わってくるのは当然だ。米国型であれば株式価値であろうし、日本型であれば株式価値以外の要素も考慮に入れなければならないかもしれない。

 この点について予め筆者の考え方を申し述べれば、「企業は株主のものであるが、その他社会のステークホルダー全般の利益も考慮することで、株主価値の長期的最大化がもたらされる」というものである。しかし、ここからは、議論を簡単にするために、「企業は株主のものである」という、純粋に法律的な定義付けに基づいて議論を進める。すなわち、「投資家の立場から見たコーポレートガバナンス論」である。

(2)エージェンシー理論――所有と経営の分離

 株式会社では、所有と経営が一致しない。すなわち、株主が「所有」、取締役が「経営」を担っている。株式会社の経営においては、株主は「依頼人」であり、取締役は「代理人(エージェント)」である。

 株主は当然に企業価値の最大化を求めるのに対し、取締役は違うロジックで経営にあたることがあり得る。たとえば、不必要な接待交際費を増やすとか、会社価値を下落させるような事業に手を出すとか、お気に入りの部下だけを出世させたりするようなケースは昔から身の回りに散見される。



 大王製紙の取締役に過ぎない創業家の会長が、自らの利益を図るために会社の資金を流用するというようなこともその良い例だろう。エージェンシー理論によれば、コーポレートガバナンスとは、「取締役が株主の利益に忠実であるように監視するためのシステム」と定義される。その一つの国際標準と言えるのが経済協力開発機構(OECD)による「OECDコーポレートガバナンス原則」である。

(3)OECDコーポレートガバナンス原則

 04年に改定されたOECDコーポレートガバナンス原則では、「コーポレートガバナンスの枠組みは、株主の権利を保護し、また、その行使を促進するべきである」という大原則に基づき、経営の意思決定に参加する権利と、その意思決定について十分に情報提供される権利を求めている。そして、適時開示や少数株主の保護などについて、注釈で細かく注文を出している。その一方で、社員など、株主以外のステークホルダーが、経営に直接間接に参加することの必要性にも言及していることは、注目に値する。

(4)企業年金連合会コーポレートガバナンス原則

 日本の投資家の意見を知る上では、日本を代表する機関投資家である企業年金連合会(以下、「連合会」)が公表しているコーポレートガバナンス原則が参考になる。連合会は、「企業の目的は、長期間にわたり株主利益の最大化を図ることにある」と、明確に株主主権を謳っている。

 ただし、株主価値の最大化は、その他ステークホルダーとの良好な関係の確立によって達成できる、とも記載がある。そして、取締役会の3分の1以上を社外取締役とし、その社外取締役には、当該企業と一切利害関係を有しない「独立性」を要求している。また、監査役にも同様の独立性を要求している。



日本のコーポレート
ガバナンスを巡る論点

(1)日米ガバナンス体制の違い―日本は大半が監査役会設置会社

 日本企業の場合には、「監査役会設置会社」と「委員会設置会社」という選択肢があることが、やや議論を複雑にしている。しかし、後ほど述べる理由によって、委員会設置会社は非常に少数に留まっているのが現状であり、ここでの議論は、取り敢えず日本企業の太宗を占めている「監査役会設置会社」を前提に議論を進めることにする。

 手始めに、日本企業(監査役会設置会社)と米国企業のガバナンス構造を簡単に比較してみたい(図1)。米国では、株主総会は、企業運営に関する権限の非常に大きな部分が取締役会に委ねられているが、取締役会は業務執行の監督機能を果たすのみであり、実際の業務執行の責務は負わない。その取締役会は、「外部者が構成員の多数を占めていること」が必要とされている。企業の各部署の執行責任を負っている内部者は、取締役会の中に1人だけしかいない(多くの場合CEO)というケースも稀ではない。

 これに対し、日本の場合は、株主総会が最終決定する事項が多い。取締役会は大半が内部者であり、業務の執行責任を兼ねていることが多いのが特徴である。ただし、その取締役会を監督する機関として「監査役会」が設置されており、この監査役会は、半数以上が「社外監査役」でなければならないこととされている。




 米国の場合、監査・報酬・指名委員会の3委員会が設置され、これらは「独立」取締役のみで構成される。日本にも3委員会を設置する「委員会設置会社」制度があり、各委員会は「社外」取締役が過半数でなければならない。しかし、先述の通り、日本の場合は、取締役が経営と執行を兼務するのが慣例であったことや、社外の人が人事や経営の重要事項を決めることへの抵抗などが障壁となって、委員会設置会社は非常に少数(全体の2%程度)になっている。

 したがって、日本企業の場合は大半が監査役会設置会社であって、その取締役には、「経営陣が推薦」し、株主総会で承認された人が就任するということになる。この時点で、すでに大半の日本企業のガバナンス体制は、連合会が求めている、米国型に近いガバナンス体制とは相当に乖離しているのが現状なのだ。

(2)経営の牽制機能が極めて弱い日本の取締役会の構成

 先述のように、日本では取締役会がほとんど内部者で占められている。誤解を恐れずに言えば、要するに、株主に対しては、トップ(社長・会長など)ないしその相談相手が決めた、社内の取締役候補者が「サラリーマン出世街道」の延長線上で推薦され、例外的に社外から1~2名が、それもトップの意向に基づいて推薦される「こともある」というのが日本式なのだ。

 その背後には、「業務もわからない社外の人間に経営を任せることはできない」という強いこだわりがあり、社外取締役に招聘されるのも、大抵はその企業ないしトップが親密な人物である。つまるところ、取締役に推された人物が大きな問題についてトップに逆らうことはまずないので、ある意味では経営の迅速性はあるかもしれないが、経営の牽制機能としては極めて弱い。

 企業側のロジックにも一理はある。特に日本企業の場合は、脈々と受け継がれてきた現場の暗黙知と擦り合せの文化が強みなので、現場を良く知った長い人間関係を持つ者だけで経営することにもいい点はあるだろう。



 しかし、先述のように、取締役の使命は、企業を取り巻く各ステークホルダーに対して最適な対応をし、その結果として企業価値(=株主価値)を中長期的に極大化することにある。サラリーマンのヒエラルキーの延長線上の人物が大半を占める取締役会では、株主の利益より社内論理が優先されることは容易に想像がつく。

 社外取締役の強制を忌避しているのは、旧い体質の企業に多いことは周知の事実である。一つの例として、経団連は、「社外取締役の導入義務化、社外役員の独立性強化には反対」(「我が国におけるコーポレートガバナンス制度のあり方について」06年6月)と、独立社外取締役の導入自体に消極的な意見を表明している。

 しかし、大王製紙を例に取ると、その取締役会には、独立取締役はおろか、1人の社外取締役もいない。オリンパスには社外取締役は3人いるが、うち1人は業務上関係が深い医療関係者、もう1人は主幹事証券会社の出身、最後の1人はマスメディア出身者であり、いずれも独立性があると言うには厳しい人選である。こうした不祥事が続いてもなお、経済界は独立取締役の選任を拒み続けるのだろうか。

(3)社外監査役について

 先述のように、日本には監査役会があり、その構成員は社外の者が半数以上でなければならないことになっている。監査役会は取締役会の監視機能なので、社外取締役会との役割の重複が指摘されることがある。

 また、財務・会計についての知見を有さないことや、「独立性」を有さない場合に、その実効性に疑問が残ることも広く指摘されている事実であり、改善が求められていると言えるだろう。特に日本企業の場合には、社内監査役はトップから指名されて取締役からの横滑りするケースが多いので、社内論理が優先されて牽制機能になりにくいことは周知の事実であり、社外独立監査役の機能は一層重要である。



(4)グループ化の問題点

 重要な事業を営む会社が、純粋持株会社の傘下に置かれるようなケースが典型的だが、今回の大王製紙のケースのように、普通の企業にも同様に抱える問題が、子会社管理だ。上場しているのは親会社のみで、重要な事業会社の監督は親会社に委ねられてしまうため、株主が直接こうした事業会社の監視が出来ないという問題である。

 また、子会社の役員の立場に立てば、株主のプレッシャーが直接かからないことは、大変楽なことである。子会社である重要な事業会社については、親会社の責任において詳細な情報開示が必要であることは言うまでもない。大王製紙のケースでは、取締役による子会社からの借入実態が、株主の目に晒されることは一切なかったのだ。

(5)株式の持ち合いの問題点

 株式の持ち合いは日本独特の慣習である。特に上場会社同士の場合には、お互いに議決権を持ち合い、株主による牽制機能を弱める目的でなされることが多いと言わざるを得ず、ガバナンス上大きな問題である。また、この株式保有は、相手に対してガバナンスを効かさないことを前提としているだけに、投資効率は当然悪くなる。そればかりでなく、他社の株式保有が相場の下落局面では損失が発生し、当該企業の本業と関係ないところで、その財務諸表に大きな悪影響を与えることも問題である。

 また、日本の場合は、高度成長期以降、銀行が融資を通して強大な力を保持してきた。その銀行が企業の株式を保有することは、中期的な企業の成長を望む一般株主と、債権の保全を目的とする銀行との間で大きな利益相反を生むばかりでなく、銀行による優越的地位の乱用の素地にもなりかねない。

 独禁法や銀行法で銀行による一般事業会社の株式保有に制限が設けられているのは適切だが、その趣旨に照らせば、銀行がファンド運営会社の株式保有やその役員OBの派遣などによって、直接・間接に影響力を持つPE(プライベートエイクイティ)ファンドを通して、企業の株を持つことも禁止されるべきであることは言うまでもない。加えて、金融機関一般の関与が疑われるファンドが、今回のオリンパスのケースのように、いわゆる「飛ばし」に使われた事例も事欠かないことも指摘しておきたい。



 こうした株式の持ち合いや銀行の株式保有に対しては、可及的早期に規制を強化することが、日本企業のガバナンス強化と健全な発展のために不可欠だと言っても過言ではない。同じことは、ガバナンス構造においても言えることで、株だけではなく、相互に役員を派遣する、いわば「役員の持ち合い」のような慣行も、正常なガバナンス構造を実現するために直ちに中止すべきであり、このことは連合会も指摘するところである。この問題は重要なので、いずれ論を改めることとしたい。

(6)PEファンドとガバナンス

 最後にPEファンドが絡む幾つかの点についてコメントしておきたい。

 まず、PEファンドは、所有と経営を一致させる「装置」であるとして特異な存在である。すなわち、PEファンドは通常、株式を50%以上保有した上で、自ら取締役・監査役を送り込む。従って、取締役会や監査役会は、当然に株主利益を考えることになる。

 第2に、PEファンドは、少数株主との間で利益相反を起こすことがないとはいえない。特にMBO(マネジメント・バイアウト=経営者や従業員による企業買収)の場合に、買収価格を巡って既存の少数株主とPEファンドの間で論争があったことは記憶に新しい。この点に関しては、「企業価値の向上及び公正な手続き確保のための経営者による企業買収に関する報告書」(07年8月2日、企業価値研究会)のガイドラインに沿った解決が求められる。

 第3に、PEファンドが企業に送り込む取締役や監査役に、「独立性」があると認めるかどうかである。連合会の基準では、大株主の出身者には独立性を認めていない。確かに大株主と当該企業との間に事業上の利害関係がある場合には、一般株主との利益相反が疑われる。

 しかし、筆者の考えでは、投資先の会社との間で事業上の利害関係が一切ないPEファンドの場合には、上記MBOの場合など特殊なケースを除けば、大方の株主利益と相反することはまずないばかりでなく、むしろ株主にとってはその利益を最大化する有効な手段であり、PEファンドからの取締役・監査役は、独立取締役として積極的に容認されて然るべきと思われる。



(7)「仏作って魂入れず」の危険性

(2)で述べたように、オリンパス、大王製紙の両ケースでは、社外役員が全く機能しなかった。だが、これを以って、社外役員の効用がないというのは早計である。

 一方、最近出版された、アップル創業者スティーブ・ジョブスの伝記には、米国型のガバナンス構造を持っているアップルの取締役選任にあたって、ジョブスはCEOである自分への忠誠心を求め、取締役会に独立した強い権限を与えるべきと主張する人材を排除した事例が出てくる。経団連が喜びそうな事例だが、アップルの場合はジョブスという特異な人間を軸とする永遠のベンチャー企業だからこそ、それが通用するのだ。

 要するに、どのようなガバナンスを良しとするかは、会社の置かれた状況によっても異なる。形だけガバナンス構造を調えても、「仏作って魂入れず」では意味がない。たとえば、社外役員を導入したとしても、その独立性をどう担保するのか、そして社内役員の選任をサラリーマンの「上がり」的なものにしないためにはどうすればいいのかなど、もっと根が深い問題に真摯に向き合わなければ日本企業のガバナンスは向上しない。

 ジョブスがいない旧い体質の日本企業には、強い独立性を持った社外役員と、社内論理以外の合理的な理由で選任される社内役員が必要である。今回の事件を受けて、内外の投資家も当然にそれを求めてくるだろう。それとも、日本企業は、社内に埋もれたスティーブ・ジョブスをCEOにする覚悟はあるのだろうか。



オリンポスを目指したり、大王と名づけたり、という 問題ではないのですね。

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