弁護士法人かごしま 上山法律事務所 TOPICS

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「本当の強さは一人じゃないと言えること」

2022-04-08 | 雑感

★ 清水ミチコさんの記事

人それぞれの考え方はあるだろうけど結構核心をついていると思う

「人間は幸せにならないようにできている」だけを読むとよく分からないと思うが全文を読むと文脈で理解できると思う

「本当の強さは一人じゃないと言えること」by 山下達郎
 につながるなあ

※引用


テレビ・ラジオの出演をはじめ、コラムの連載やライブ活動など精力的に活動する清水ミチコさん。2020年4月に立ち上げた自身の公式YouTubeチャンネルでの活動が評価され、昨年は「第13回伊丹十三賞」を受賞。コロナ禍でも新たなチャレンジを続ける清水さんだが、年を重ねるに連れて「あきらめが早い方がうまくいく」と実感しているという。そう気づいたきっかけや、「弱さをさらけ出した方が人とのつながりを生む」と語る理由について聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)

YouTubeは「義務」じゃない―自分の好きなようにやっている

――「伊丹十三賞」は時代を切り拓く斬新かつ本格的な人や作品に贈られる賞。受賞の連絡がきた時はどんなお気持ちでしたか?

 清水ミチコ: 自分の携帯に「受賞しました!伊丹十三賞です!」って電話がかかってきた時、最初は「絶対に詐欺だ」と思いまし
た。というのも、女優の友人から「助演女優賞を受賞しました。あなたの母校に出版物や写真集を寄贈できるので、これから言う口座番号に30万円入れてください」という詐欺があったことを聞いたばかりだったので。「この電話番号をどうやってお知りになりましたか?」って聞いたら「南伸坊さんから聞きました」って言われて、本物だと分かりました(笑)。

 ――ご自身のYouTubeチャンネルの視聴者層とかはチェックされていますか?

 清水ミチコ: 見たことないです。Twitterとかでエゴサーチをしていた時代もあったんですけど、褒められると「もっとこの人の期待に沿うようにしよう」と思ってしまう自分がいて、これじゃいかんなと思って一切やめたんですよね。そしたら、すごく生きやすくなったので、あまり人の意見を気にしないようにしています。YouTubeも意見や反応を気にするより、「自分が好きなことをやっていれば誰かついてきてくれるかな」という感じでやっているんです。 やっぱりどんなに好きなことでも、やりすぎると仕事になっちゃう。以前、オアシズの光浦靖子さんと森三中の黒沢かずこさんと私の弟と一緒に石垣島に釣りに行った時、地元の漁師さんがたくさん釣れる所に連れて行ってくれたんですけど、途中で漁師さんに「もうやめよう!」って言われたことがあって。「なんで?すごく楽しかったんですけど」って言ったら「これ以上やると仕事になるんだ」って言われて、なるほどと思いましたね。きっと毎日一生懸命やっていると義務になってしまって、嫌になってくるんですよね。 たぶん、五輪で活躍するような選手も、最初は無邪気にそのスポーツをするのが純粋に楽しかったからやっていただけだと思うんですよね。でも、だんだん義務になってきて、自分との戦いがそこから始まるんだろうなって感じがします。特に日本の選手は、メダルが取れなかったときに「国民の皆さまに申し訳ない」みたいなことを言うじゃないですか。こんなに若くて一生懸命な子がかわいそうにって思うこともありますよね。恵まれているのにもったいない。

ガムのように噛み続ける「人間は幸せにならないようにできている」という言葉
――今の清水さんが「自分が好きなことをやる」という思いを持つようになったきっかけを教えてください。 

清水ミチコ: 20代前半の頃、「なんで自分ばっかり面白くないのかな、ついていないのかな」とか「バイトでせっかく貯めたお金が全部歯医者代に消える。これからもこんな人生の繰り返しなのかな」と思って、人生がつまらないと感じている時期があったんです。 その時、バイト先の尊敬する女性の先輩が「最近元気ないけど、どうした?」って聞いてくれたので、自分の気持ちを打ち明けました。「頑張れば明日はやってくる」とか前向きなことを言ってくれるのかと思ったら「いや、人間は幸せにならないようにできているのよ。だから、頑張るとか頑張らないとかじゃなくて、淡々と受け止めないといけない。良いことがあったら喜べばいい」と言われたんです。目からうろこでしたね。 今も、天変地異とかコロナとかいろいろ大変ですけど、おいしいコーヒーを飲んだりする時間があることをありがたいと感じるべきなんだと思います。そうやって私は、いまだに20代のときに言われた言葉を、ガムのように噛み続けているんです。長く続いているガムですけど。

あきらめる力も大事。自分がやりやすいものを探すことの大切さ
――清水さんはどうやって自分のやりたいことを見つけているのですか?

 清水ミチコ: 自分にとってやりやすいものを探すことが大事だと思いますね。その方が自分が楽だし、見ている人も楽だとこの年になって分かりました。 輪に入れなくて嫌な思いをしながらも「とりあえず3年間やってみなよ」とか言われて、しんどい思いをしている人もいると思いますが、やっぱり“あきらめる力”って大きい気がします。そこで一生懸命頑張って、自分にとって本当にプラスになるのか、人の目にプラスになるだけじゃないかとか、そこはよく考えた方がいいと思いますね。 日本社会には「挫折するのは良くないこと」という思い込みがありますけど、「自分に合わないことならあきらめて、他のことを頑張って」の方が本当は親切だと思うんです。よく分かっていないうちに大学に行って、分からないうちに就職しないといけないんだから、本当は夢なんて分からないものなんじゃないかと。

 ――清水さん自身はどのようなことをあきらめてきましたか?

 清水ミチコ: たくさんありますね。自分ではすごく面白いネタだと思っても、ライブでシーンとしてしまったときとかは頑張らないであきらめて次に行きます。 以前、死に物狂いで「オペラ銭形平次」っていうネタを作ったんですけど、いざやってみたら地獄でした。ネタをやっている私も地獄だし、お客さんも困惑していて本当に申し訳ないと思いましたね。スタッフは私が一生懸命にやっていたから「あんまり面白くないですよ」って言いにくかったらしくて。「自分の努力をあまり美化しちゃいけないんだな」って心から思いました。

 ――年を重ねると、うまくいかないこととの向き合い方も変わるものなのでしょうか? 

清水ミチコ: 年を取った方が、あきらめが早いし、あきらめが早い方がうまくいったりします。体質みたいなものなので、合っていない水を飲もうとしても難しいですよね。 昔は恥ずかしいくらい、合っていない水を頑張って飲もうとしていましたね。バラエティ番組とかで大人数で掛け合うような場に入って行くことがすごく苦手なんです。自分を誤魔化しながら対応していたら、どんどん疲れてきて「これはやっぱり違うな」と思ったことがありました。実はひな壇番組みたいなテレビ芸は海外にはなくて、何事も「輪」になってやることが好きな日本で生まれた独自のものらしいです。 考えてみたら、部活は卓球部だったし、昔から個人プレーが好きで、団体で何かをやることがすごく下手だったんですよね。長年やっている武道館コンサートも、いろんな人と一緒にやる年があったんですけど、すごくもの足りない。自分一人で立ちたいの(笑)。自分一人でステージに立っていたときの方が楽しい一夜だったって思っちゃうんですよね。輪をつくるのも下手で、3人でいっぱいかな。日常も常に3人だし、海外旅行に行くのも3人。4人以上だと私には輪がデカすぎるかも。 以前、黒柳徹子さんとご一緒した時に「それなら、しょうがないじゃない」ってしょっちゅう言ってて、ものすごくあきらめの早い人だと思いました。そういう人の方がうまくいくのかも。「じゃあ次!」って、どんどんシフトしていったら人生が楽そうだと思いましたね。 昔は「あきらめた方がいいよ」は口にしちゃいけない言葉で、世代的にもあきらめちゃいけないというのが自分の中に呪いのようにあった。でも、力を抜いた方が自分が生きやすいし、社会に貢献できることもあるということが分かったので、今はいろいろと力が抜けています。

自分の弱さを理解することは人間的なつながりも生む
――生きやすくするために、他に工夫されていることはありますか?

 清水ミチコ: 人間関係は弱さを出した方がうまくいきますね。「もっと弱さをさらけ出しても大丈夫なんだ」っていうのを少しずつ思えるようになりました。 「私がこうやるからね」というのは自分の手柄になって気持ちいいけど、人は「悪いんだけどこれやってくれない?」って頼まれる方が嬉しいものなんですよね。だから、自分の弱さを出して「これはどうしてもやる気がしないから、今日はちょっとやってくれないか」と言った方が人間的なつながりもできますよね。 10年くらい前、自分をちょっと変えようと思っていた時期に、車いすで立ち往生しているおじいさんがいたので、思い切って「何か手伝えることありますか」って声をかけたんです。「悪いけどあそこのスーパーの玉ねぎ売り場まで頼む」って言われて、結構遠いな~と思いながらも手伝いをしたことがあって、それからは人に声をかけることが苦にならなくなりました。一度自分を解放すると、こんなに楽なんだなという学びになりましたね。 

----- 清水ミチコ 岐阜県高山市出身。学生時代からラジオや雑誌などに投稿し、1983年からラジオ番組の構成作家を始める。次第に出演機会も増え、1987年にはフジテレビ系『笑っていいとも!』レギュラーとして全国区デビューを果たす。同年、CDデビュー。独特のものまねと上質な音楽パロディで注目され、テレビ、ラジオ、映画、エッセイ、CD制作など幅広い分野で活躍中。毎年の武道館単独公演も恒例になっている。 文・清永優花子 (この動画記事は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」とYahoo! JAPANが共同で制作しました)

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