つれづれなるままに映画や音楽の感想などをテキトーに書いていければなぁ、と思っております。
つれづれおきらく
7つの贈り物
ウィル・スミス。
予告編とかで、大体おそらくこんな話だろうな、っていうのはわかってて、で、その話がなんかいやだなぁって思っていたので見ないでいた。
が、まぁ、見てみるかってことで見ました。
けど、やっぱり嫌なお話だった。
以下ネタバレです。ま、もともとばればれですけどね。
これは絶対に「美談」じゃないでしょう。
色んな考えがあると思うけど、絶対に「よい話」ではないですよ、これは。
この人はなんで死ぬの?
罪の無い人の命を奪ってしまった罪滅ぼし?
それとも最愛の奥さんが死んでしまったことで絶望して?
いずれにしても、こんなことしちゃダメですよ。
なにをやっちゃってるんですか、まったく。
ウィル・スミスもなんでこんな脚本を選んじゃったのかなぁ。
とにかく、ダメです。
テーマが最悪の映画。
気分悪いですよ、ほんと。
おしまい。
予告編とかで、大体おそらくこんな話だろうな、っていうのはわかってて、で、その話がなんかいやだなぁって思っていたので見ないでいた。
が、まぁ、見てみるかってことで見ました。
けど、やっぱり嫌なお話だった。
以下ネタバレです。ま、もともとばればれですけどね。
これは絶対に「美談」じゃないでしょう。
色んな考えがあると思うけど、絶対に「よい話」ではないですよ、これは。
この人はなんで死ぬの?
罪の無い人の命を奪ってしまった罪滅ぼし?
それとも最愛の奥さんが死んでしまったことで絶望して?
いずれにしても、こんなことしちゃダメですよ。
なにをやっちゃってるんですか、まったく。
ウィル・スミスもなんでこんな脚本を選んじゃったのかなぁ。
とにかく、ダメです。
テーマが最悪の映画。
気分悪いですよ、ほんと。
おしまい。
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昼下りの決斗
サム・ペキンパー。1962年だって。
うーむ、鉱山の荒くれ野郎どもの世界が、緊張感があるのだけど、だからと言ってこいつらが腕の立つガンマンであるわけじゃないし、こいつらの恐さは何をしでかすか分からないところなんだけど、そのどんな卑怯な手を使ってくるかわからないって感じの恐さは全く活かされず、単調なストーリー、老いた男2人と若者の単調なお話って感じだったなぁ。
やっぱりマカロニウエスタンのほうが好きだなぁ。
主人公を含めた登場人物がニクイせりふをつぶやきながらカッコイイ男を演じる映画であってほしい。
この映画の一番の欠点はヒロインだろう。
なんなんだこの女優は?!
無理やり着いてきてそのためにさんざん迷惑をかけるという役をやるんだったら、それに値する美人でなきゃ。観客は納得できませんよ。他にもいくらでも魅力的な女優がいたと思うんだけど、どうして紅一点のヒロインをこの女優がやったのか、まったく謎だなぁ。
残念。
うーむ、鉱山の荒くれ野郎どもの世界が、緊張感があるのだけど、だからと言ってこいつらが腕の立つガンマンであるわけじゃないし、こいつらの恐さは何をしでかすか分からないところなんだけど、そのどんな卑怯な手を使ってくるかわからないって感じの恐さは全く活かされず、単調なストーリー、老いた男2人と若者の単調なお話って感じだったなぁ。
やっぱりマカロニウエスタンのほうが好きだなぁ。
主人公を含めた登場人物がニクイせりふをつぶやきながらカッコイイ男を演じる映画であってほしい。
この映画の一番の欠点はヒロインだろう。
なんなんだこの女優は?!
無理やり着いてきてそのためにさんざん迷惑をかけるという役をやるんだったら、それに値する美人でなきゃ。観客は納得できませんよ。他にもいくらでも魅力的な女優がいたと思うんだけど、どうして紅一点のヒロインをこの女優がやったのか、まったく謎だなぁ。
残念。
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アジアの逆襲 + THE MASTER OF SHIATSU
石井聰亙監督の2作が1枚のDVDに入ってて。
石井聰亙って人は、「狂い咲きサンダーロード」の監督の人だ。
うーむ。
一言で感想を言えば「なんじゃこりゃ。」
もう一言言えば「これ、映画?」
さらにもう一言言うとすると「わけわからん。」
というもんでした。
映画を見た気がしません。
指圧のほうはそもそも映画という枠組みに入るものではなく、ちょっとした思い付きでちょっとした映像作品を作ってみましたってところだろうけど、アジア…のほうはきっと映画を作るつもりだったんだと思いますし、そう思うと、こういう中途半端なものを世に出してしまうっていうのは間違っているんじゃないかなぁと思うわけです。
というか、なんでもかんでも手を出してしまう自分に反省です。
もう少し吟味して選ぶべきですよね。反省。
石井聰亙って人は、「狂い咲きサンダーロード」の監督の人だ。
うーむ。
一言で感想を言えば「なんじゃこりゃ。」
もう一言言えば「これ、映画?」
さらにもう一言言うとすると「わけわからん。」
というもんでした。
映画を見た気がしません。
指圧のほうはそもそも映画という枠組みに入るものではなく、ちょっとした思い付きでちょっとした映像作品を作ってみましたってところだろうけど、アジア…のほうはきっと映画を作るつもりだったんだと思いますし、そう思うと、こういう中途半端なものを世に出してしまうっていうのは間違っているんじゃないかなぁと思うわけです。
というか、なんでもかんでも手を出してしまう自分に反省です。
もう少し吟味して選ぶべきですよね。反省。
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フロスト×ニクソン
マンデラ、天安門と来て、次がニクソンかよ。
ツタヤディスカスって、なぜかまとめて似た方向の映画を送ってくるような。
B級コメディが2枚まとめて届くかと思えば、こういう政治色の強いものが立て続けに来たりして。なんかちょっと不満だったのだけど…。
で、この映画、見始めた時は「うわっ!こないだの『リカウント』みたいに、ある程度の知識を当然知っていることが前提のドキュメンタリータッチの映画か!?」と思ってしまった。
が、全然ちがった。
いい意味で裏切られた。
けっこうエンターテイメント映画ではないか!
おー、なんか楽しい。
ボクシングみたい。
1ラウンド、ボロ負け。
2ラウンド、これまたボロ負け。
3ラウンド、完敗。
そしていよいよ最終ラウンド。こういう展開で、だったのか。
いや~、しかし、優秀な切れ者ジャーナリストがぐいぐいとニクソンを追い詰めていくようなそういう映画を想像していたけど、これが全然ちがうんだな。
ニクソンは、相手がそういうタイプだったら語らなかったんだろうなぁ。
この人なつっこい、それでいて自分と同じように上流階級出身ではない成り上がり者に、不思議な親しみを感じたこと、それがキーになったんだろうなぁ。
もちろん、子供のころから憧れていた大統領という地位にありながら、国民を騙してきたことに対する後悔の念、このままずっと嘘をつき続けていくことが本当に自分がやりたかったことなのかという気持ち、そういうものがずっと心にあったんだろうけど、きっと最後の一押しはフロストという男だったんだろうなぁ。
この映画を見ると、ニクソンって人間くさいいい男って感じがしてしまう。
自らフロストのホテルの部屋に電話をかけて、ある意味、自分がフロストをたきつけたようなもんじゃないか。
「おい、俺は容赦しないぜ。本気で戦うぜ。お前もその気で来いよ。死に物狂いで俺に向かってこいよ。本気の殴り合いをしようぜ。」と。
こういう映画だったのか。
ロン・ハワードが監督だったんだ。
面白かった。
いや、俺ほんと、娯楽として映画を見たいんですよ。ドキュメンタリーとか真面目なテーマのよりも、単純に楽しみたいんですよ。
この映画はちゃんとエンターテイメントでした。楽しかった。
ツタヤディスカスって、なぜかまとめて似た方向の映画を送ってくるような。
B級コメディが2枚まとめて届くかと思えば、こういう政治色の強いものが立て続けに来たりして。なんかちょっと不満だったのだけど…。
で、この映画、見始めた時は「うわっ!こないだの『リカウント』みたいに、ある程度の知識を当然知っていることが前提のドキュメンタリータッチの映画か!?」と思ってしまった。
が、全然ちがった。
いい意味で裏切られた。
けっこうエンターテイメント映画ではないか!
おー、なんか楽しい。
ボクシングみたい。
1ラウンド、ボロ負け。
2ラウンド、これまたボロ負け。
3ラウンド、完敗。
そしていよいよ最終ラウンド。こういう展開で、だったのか。
いや~、しかし、優秀な切れ者ジャーナリストがぐいぐいとニクソンを追い詰めていくようなそういう映画を想像していたけど、これが全然ちがうんだな。
ニクソンは、相手がそういうタイプだったら語らなかったんだろうなぁ。
この人なつっこい、それでいて自分と同じように上流階級出身ではない成り上がり者に、不思議な親しみを感じたこと、それがキーになったんだろうなぁ。
もちろん、子供のころから憧れていた大統領という地位にありながら、国民を騙してきたことに対する後悔の念、このままずっと嘘をつき続けていくことが本当に自分がやりたかったことなのかという気持ち、そういうものがずっと心にあったんだろうけど、きっと最後の一押しはフロストという男だったんだろうなぁ。
この映画を見ると、ニクソンって人間くさいいい男って感じがしてしまう。
自らフロストのホテルの部屋に電話をかけて、ある意味、自分がフロストをたきつけたようなもんじゃないか。
「おい、俺は容赦しないぜ。本気で戦うぜ。お前もその気で来いよ。死に物狂いで俺に向かってこいよ。本気の殴り合いをしようぜ。」と。
こういう映画だったのか。
ロン・ハワードが監督だったんだ。
面白かった。
いや、俺ほんと、娯楽として映画を見たいんですよ。ドキュメンタリーとか真面目なテーマのよりも、単純に楽しみたいんですよ。
この映画はちゃんとエンターテイメントでした。楽しかった。
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天安門
今日は朝からCEATECへ。
毎日の通勤時間が長いから、幕張まで行くのもそんなに差が無いんだけど、行ってからが結局ずーっと歩きっぱなし立ちっぱなしになるので、蛍の光が流れる頃にはもう疲れきってました。
途中で適度な休憩を入れればいいのだけど、ついつい欲張ってあっちにもこっちにもと、ぶっ続けで見てしまうんだよなぁ。
いや~疲れた。
この映画(?)は、3時間以上もあって、月曜日の朝から見始めて、今日幕張から帰ってくる途中でやっと見終わった。2往復分のボリューム。
1989年の天安門事件に関わった人達が、自ら当時を振り返って語る。
映像も、よく探したなという感じで、ちゃんと時間的な推移に沿って編集されているし、とにかくすごくわかりやすく、そしてとても面白い。
全然知らなかったんだなぁ。
この映画は、本当にわかりやすく当時の経緯を説明してくれるので、なるほどそういう流れでああいう事件にまで発展したのか、と初めて分かった。
人が死んだのは事実だし。
人民のためのはずの軍隊が、国について最も真剣に考えている理想に燃える若者達に向かって発砲したのだから、凄惨で悲しい事件ではあるけど、でも、こんな事件に関わってみたかったという気持ちはちょっぴりあるなぁ。僕の世代だと。
昔の、日本で学生運動とかやっていた世代だったら、この映像、すごくワクワクしちゃうんじゃないかなぁ。
自分達の力で、力を集めて行動に移せば、ひょっとしたら、いや、きっと、この国を変えられる、そう信じて実際に行動に移した人達。
血も流れたが、理想に燃えて国を変えようと行動するなんて、僕らの世代では、この日本ではあり得なかった。
89年ってことは、僕が大学1年だったはずの年。浪人してたけど。
この映画の中にも、当時大学1年だった人が一人出てくる。
中国だと、ギリギリ僕と同じ世代がこの大事件の当事者になっているんだよなぁ。
そんな彼らも今では40歳。
当時大学4年生ならば43歳か。
彼らは今の中国の状況をどう思ってるんだろう。
この映画に出てくるようなリーダー格の人達はともかく、あの時、あの広場に集まった無名の学生達の多くは、ひょっとするとすっかりリッチな中国人になってたりするんじゃないだろうか。
なにせ、大学生ってことは、つまり中国の中ではブルジョワ層だったってことだろうから。
どうなのかなぁ。彼らは今どういう生活をしていて、今の中国をどう思っているんだろう。
いや、しかし、あれから20年も経ったのか。
天安門事件なんて、けっこう最近のことのような気がしているけど。
時の経つのは早いねぇ。
そして、今は、沈んでしまった世界中の国が日本も含めて、中国という巨大マーケットの購買力に藁にもすがる思いでしがみついているってわけだ。
学生を戦車で踏み潰したとしても、中国との貿易をボイコットできる国はもう、世界中どこにも無いかもしれない。
チベットという国は無くなり、中国というでかい国の一地方になっちゃうのかなぁ。もう誰も文句は言えないのかなぁ。
ビヨークぐらい勇気のある日本人はいないのかい?
全然映画と関係ないオヤジの雑談になってきたのでおしまい。
毎日の通勤時間が長いから、幕張まで行くのもそんなに差が無いんだけど、行ってからが結局ずーっと歩きっぱなし立ちっぱなしになるので、蛍の光が流れる頃にはもう疲れきってました。
途中で適度な休憩を入れればいいのだけど、ついつい欲張ってあっちにもこっちにもと、ぶっ続けで見てしまうんだよなぁ。
いや~疲れた。
この映画(?)は、3時間以上もあって、月曜日の朝から見始めて、今日幕張から帰ってくる途中でやっと見終わった。2往復分のボリューム。
1989年の天安門事件に関わった人達が、自ら当時を振り返って語る。
映像も、よく探したなという感じで、ちゃんと時間的な推移に沿って編集されているし、とにかくすごくわかりやすく、そしてとても面白い。
全然知らなかったんだなぁ。
この映画は、本当にわかりやすく当時の経緯を説明してくれるので、なるほどそういう流れでああいう事件にまで発展したのか、と初めて分かった。
人が死んだのは事実だし。
人民のためのはずの軍隊が、国について最も真剣に考えている理想に燃える若者達に向かって発砲したのだから、凄惨で悲しい事件ではあるけど、でも、こんな事件に関わってみたかったという気持ちはちょっぴりあるなぁ。僕の世代だと。
昔の、日本で学生運動とかやっていた世代だったら、この映像、すごくワクワクしちゃうんじゃないかなぁ。
自分達の力で、力を集めて行動に移せば、ひょっとしたら、いや、きっと、この国を変えられる、そう信じて実際に行動に移した人達。
血も流れたが、理想に燃えて国を変えようと行動するなんて、僕らの世代では、この日本ではあり得なかった。
89年ってことは、僕が大学1年だったはずの年。浪人してたけど。
この映画の中にも、当時大学1年だった人が一人出てくる。
中国だと、ギリギリ僕と同じ世代がこの大事件の当事者になっているんだよなぁ。
そんな彼らも今では40歳。
当時大学4年生ならば43歳か。
彼らは今の中国の状況をどう思ってるんだろう。
この映画に出てくるようなリーダー格の人達はともかく、あの時、あの広場に集まった無名の学生達の多くは、ひょっとするとすっかりリッチな中国人になってたりするんじゃないだろうか。
なにせ、大学生ってことは、つまり中国の中ではブルジョワ層だったってことだろうから。
どうなのかなぁ。彼らは今どういう生活をしていて、今の中国をどう思っているんだろう。
いや、しかし、あれから20年も経ったのか。
天安門事件なんて、けっこう最近のことのような気がしているけど。
時の経つのは早いねぇ。
そして、今は、沈んでしまった世界中の国が日本も含めて、中国という巨大マーケットの購買力に藁にもすがる思いでしがみついているってわけだ。
学生を戦車で踏み潰したとしても、中国との貿易をボイコットできる国はもう、世界中どこにも無いかもしれない。
チベットという国は無くなり、中国というでかい国の一地方になっちゃうのかなぁ。もう誰も文句は言えないのかなぁ。
ビヨークぐらい勇気のある日本人はいないのかい?
全然映画と関係ないオヤジの雑談になってきたのでおしまい。
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マンデラの名もなき看守
地味だけど、なかなか良い映画。
結局この人が何をやったのかって言ったら、大したことをしたわけじゃないし、この人のおかげでマンデラが助かったとか、アパルトヘイト廃止が早まったとか、そんなことは全くないんだけど、白人側にもこういう人がいたという事実も含めて南アフリカの歴史ということなんだな。
ワールドカップ、どうなるんだろう。
たとえ治安が最悪であっても、黒人というだけで差別されていたかつての南アフリカよりも、やっぱりずっと良い状態ってことだよな。
結局この人が何をやったのかって言ったら、大したことをしたわけじゃないし、この人のおかげでマンデラが助かったとか、アパルトヘイト廃止が早まったとか、そんなことは全くないんだけど、白人側にもこういう人がいたという事実も含めて南アフリカの歴史ということなんだな。
ワールドカップ、どうなるんだろう。
たとえ治安が最悪であっても、黒人というだけで差別されていたかつての南アフリカよりも、やっぱりずっと良い状態ってことだよな。
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夢の中へ
あいかわらず園子温監督。
ちなみに、こんなに続けてこの監督のばかり見ているのは、自分でそうしているのではなく、ディスカスがなぜかまとめて送って来るからなのですが。
もうちょっとバラけて送ってきてくれると助かります。
こんな映画ばっかり連続で見たいわけじゃないので。
さて、この「愛の中へ」ですが。
「役を演じる」ってことにこの監督がすごく何か引っ掛かっていた時期なのかなぁ。
紀子の食卓もそうだし。
役を演じることで全然異なるいくつもの人生を生きる役者。
そういう人を主人公にして、そのまわりの役者も描く。
テレビのドラマでの演技を笑われる主人公だけど、どっちがリアルか?と言ったら、舞台の意味のわからない哲学的なセリフを、どーだと言わんばかりにあり得ないテンションで叫ぶ役者の演技なんて。
うがった見方かもしれないけど、舞台俳優特有の決してリアルではない、ふつうに日常でそんなしゃべり方したらヘンな人って思われるような「演技」を、この監督はものすごく冷めた目で見ているのではないかと思ってしまう。
それぐらい、少なくともこの映画の中の舞台俳優たちの「演技」は滑稽だ。
あまりにもヘンテコで夢の中にいるような「演技」。
ま、そんなことを伝えたい映画ではないのだろうけど、そこが気になった。
一番伝えたいことは、やっぱり、何度も何度も主人公が口にする「今の自分は無数に存在する可能性の中から自分で選択したんじゃない。」っていうセリフが表しているんだろう。
いくつもの夢を主人公の意識が行ったり来たりして、どれが本当の現実なのかさえわからなくなっていく展開にも符合するし。
自分で選んだつもりはない。
いつのまにやらこの自分になっていた。
今の自分に問題があるとしても、それは自分のせいじゃないんだ。
金星人かなにか、とにかく自分にはどうすることもできない力によって、いつのまにやら今の自分になってしまった。
俺のせいじゃないんだ。
そんなことを言う若者達を愛を込めて描きたかったのか、そんな若者達を叱り付けるような映画にしたかったのか、どちらなのかな。
最後、主人公は夢の中で「俺、この夢、あがります。」って行って現実世界に戻っていく。
だからと言って、その後の主人公の行動が、現実の世界を、夢に逃げず、あり得たかもしれない別の自分に逃避せず、力強く生きていこうと決心したようには見えない。
全然見えない。
なので、映画一本としてどういうことを語りたかったのかがよくわからない。
ま、けっこう面白く見れたことは確か、かな。
役者も豪華だしね。
主人公の人、けっこう気に入った。なんか良いな、この役者さん。
ちなみに、こんなに続けてこの監督のばかり見ているのは、自分でそうしているのではなく、ディスカスがなぜかまとめて送って来るからなのですが。
もうちょっとバラけて送ってきてくれると助かります。
こんな映画ばっかり連続で見たいわけじゃないので。
さて、この「愛の中へ」ですが。
「役を演じる」ってことにこの監督がすごく何か引っ掛かっていた時期なのかなぁ。
紀子の食卓もそうだし。
役を演じることで全然異なるいくつもの人生を生きる役者。
そういう人を主人公にして、そのまわりの役者も描く。
テレビのドラマでの演技を笑われる主人公だけど、どっちがリアルか?と言ったら、舞台の意味のわからない哲学的なセリフを、どーだと言わんばかりにあり得ないテンションで叫ぶ役者の演技なんて。
うがった見方かもしれないけど、舞台俳優特有の決してリアルではない、ふつうに日常でそんなしゃべり方したらヘンな人って思われるような「演技」を、この監督はものすごく冷めた目で見ているのではないかと思ってしまう。
それぐらい、少なくともこの映画の中の舞台俳優たちの「演技」は滑稽だ。
あまりにもヘンテコで夢の中にいるような「演技」。
ま、そんなことを伝えたい映画ではないのだろうけど、そこが気になった。
一番伝えたいことは、やっぱり、何度も何度も主人公が口にする「今の自分は無数に存在する可能性の中から自分で選択したんじゃない。」っていうセリフが表しているんだろう。
いくつもの夢を主人公の意識が行ったり来たりして、どれが本当の現実なのかさえわからなくなっていく展開にも符合するし。
自分で選んだつもりはない。
いつのまにやらこの自分になっていた。
今の自分に問題があるとしても、それは自分のせいじゃないんだ。
金星人かなにか、とにかく自分にはどうすることもできない力によって、いつのまにやら今の自分になってしまった。
俺のせいじゃないんだ。
そんなことを言う若者達を愛を込めて描きたかったのか、そんな若者達を叱り付けるような映画にしたかったのか、どちらなのかな。
最後、主人公は夢の中で「俺、この夢、あがります。」って行って現実世界に戻っていく。
だからと言って、その後の主人公の行動が、現実の世界を、夢に逃げず、あり得たかもしれない別の自分に逃避せず、力強く生きていこうと決心したようには見えない。
全然見えない。
なので、映画一本としてどういうことを語りたかったのかがよくわからない。
ま、けっこう面白く見れたことは確か、かな。
役者も豪華だしね。
主人公の人、けっこう気に入った。なんか良いな、この役者さん。
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ハザード
つづけて園子温監督作品。
オダギリジョー。若い。
映像特典の舞台挨拶映像の中で監督が言っているように、パンクバンドの一発録りのファーストアルバムのような、イキオイばかりが目立つ、やりたいことはわかるけどその初期衝動をうまく作品として成立させるだけの技量は無かったね、という作品だった。
日本を飛び出したって、何も出来ない奴は何もできない。
何かできる奴は日本でもやっちゃうだろう。
NYで暮らして、なんか自分がデカくなったような気持ちになる人って多いだろうけど、結局そこでその根拠の無い自信以外に確かな何かを獲得していなければ、結局大した成長ではないし、本当に成長できたのかどうかはその後試されるんだな。
ここではないどこかへ、「紀子の食卓」でもそんなテーマが入ってたし、監督はそんなことを考えていた頃なのかな。
まあ、初期衝動で映画を一気に作ってしまえる行動力のある人が日本で監督をやっているっていうのは、それはよいことだ。
そうやって次々に思いついた映画を作っているうちに「愛のむきだし」みたいな、いろんな意味ですごい映画もできるのだから。
オダギリジョー。若い。
映像特典の舞台挨拶映像の中で監督が言っているように、パンクバンドの一発録りのファーストアルバムのような、イキオイばかりが目立つ、やりたいことはわかるけどその初期衝動をうまく作品として成立させるだけの技量は無かったね、という作品だった。
日本を飛び出したって、何も出来ない奴は何もできない。
何かできる奴は日本でもやっちゃうだろう。
NYで暮らして、なんか自分がデカくなったような気持ちになる人って多いだろうけど、結局そこでその根拠の無い自信以外に確かな何かを獲得していなければ、結局大した成長ではないし、本当に成長できたのかどうかはその後試されるんだな。
ここではないどこかへ、「紀子の食卓」でもそんなテーマが入ってたし、監督はそんなことを考えていた頃なのかな。
まあ、初期衝動で映画を一気に作ってしまえる行動力のある人が日本で監督をやっているっていうのは、それはよいことだ。
そうやって次々に思いついた映画を作っているうちに「愛のむきだし」みたいな、いろんな意味ですごい映画もできるのだから。
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紀子の食卓
園子温監督作の中で、題名を聞いたことがあった作品のひとつ。
うーむ、こういう映画ですか。
これは問題作。かなり哲学的。
なるほど。
人はどこでも役柄を演じている。
小学校の時の同級生と会うと、当時自分が担っていたポジションで行動してしまう。
小学校の時、僕はクラスのまとめ役だった。リーダー(?)みたいな。
友達同士のケンカに割って入り、話をまとめたり。仕切っていた、全てを。
ふつうはそのままその地域の中学校に行くから、こういうことは無いだろうけど、僕の場合、中学に上がるタイミングで家が引っ越したから別の誰も自分を知らない中学に行った。
中学での僕は完全に無責任男。小学校を卒業することには、先生からも頼られるクラスのリーダーという存在でいることにウンザリしてたから。誰も自分を知らないのをいいことに、完全に楽な役柄に転じたのだ。
それでも、学年で一番成績が良いということのために、やっぱりそれなりの「役柄」に納まってた。あと、地獄のようなバスケ部にいたというのもあって、陸上部でもないのに区の駅伝大会とかに引っ張り出されてたりしてたし。
で、高校に上がると、その高校は同じような奴の集まりだから、もうすっかりただの人だった。運動も勉強もごくごく普通。特に目立つところのない奴。
結果、僕は明らかに小学校の友達の前の自分と、中学校の友達の前の自分と、高校の友達の前の自分とで「役割」が違うのだ。
「性格」と言ってもよいかもしれないけど、「性格」だけでなく、やっぱり担っている役割が違っている。
大学でのポジションもまた微妙。高校が楽しすぎたっていうのもあって、大学ではなんか自分の居場所があんまり無かった。居心地の悪い4年間だったし。
だから、小学校の自分とも、中学校の自分とも、高校の自分とも、やっぱりちがう自分だった。
そして今、父親という役割、夫という役割をやっているのだけど、会社での自分と、父親・夫としての自分とで、やっぱりキャラも役割も微妙にずれていると思う。
そう、たしかに、人は期待された役割を演じているだけかもしれない。
それが「社会性」であって、どこに行っても同じ自分で貫き通す人なんて、そりゃいないでしょう。
人は役を演じている。
そこまでは誰でも思うことだけど、この監督が言うのは、みんなが演じている役柄が本来やるべき役とずれてませんか?ってこと。あと、みんなが演じたい役柄ってやっぱりみんなが演じたいものだから人気の無い役柄は誰かが担わないといけませんよね、ってこと。
生まれとか育ちとか家柄とか、ちょっと前までは生まれた瞬間に一生演じる役柄が決まってたわけだけど、この現代社会ともなると、みんなが色んな役柄を演じられる時代になってしまったわけで、ひずみが生じているんではないですか?と。
「雇用の流動化」とか言うけど、つまり「役柄の流動化」だ。
なるほどね。
この監督って、こういう、なんかちょっと気になったこと、心に引っかかったことをえげつないぐらい極端なお話に広げて強引に観客に見せ付けるという、非常に悪趣味かつ自己顕示欲のカタマリのような監督なんだよなぁ。
面白いんだけど、えげつないんだよね。
ま、エンディングも好きです。
本当に血のつながった家族が、家族を演じる。それも大げさに。パッと見、そっちのほうが家族っぽいという逆転。
でも次女は出て行く。役柄のない、まっさらな自分で。
面白い。
えげつないけど、面白いよ、うん。
うーむ、こういう映画ですか。
これは問題作。かなり哲学的。
なるほど。
人はどこでも役柄を演じている。
小学校の時の同級生と会うと、当時自分が担っていたポジションで行動してしまう。
小学校の時、僕はクラスのまとめ役だった。リーダー(?)みたいな。
友達同士のケンカに割って入り、話をまとめたり。仕切っていた、全てを。
ふつうはそのままその地域の中学校に行くから、こういうことは無いだろうけど、僕の場合、中学に上がるタイミングで家が引っ越したから別の誰も自分を知らない中学に行った。
中学での僕は完全に無責任男。小学校を卒業することには、先生からも頼られるクラスのリーダーという存在でいることにウンザリしてたから。誰も自分を知らないのをいいことに、完全に楽な役柄に転じたのだ。
それでも、学年で一番成績が良いということのために、やっぱりそれなりの「役柄」に納まってた。あと、地獄のようなバスケ部にいたというのもあって、陸上部でもないのに区の駅伝大会とかに引っ張り出されてたりしてたし。
で、高校に上がると、その高校は同じような奴の集まりだから、もうすっかりただの人だった。運動も勉強もごくごく普通。特に目立つところのない奴。
結果、僕は明らかに小学校の友達の前の自分と、中学校の友達の前の自分と、高校の友達の前の自分とで「役割」が違うのだ。
「性格」と言ってもよいかもしれないけど、「性格」だけでなく、やっぱり担っている役割が違っている。
大学でのポジションもまた微妙。高校が楽しすぎたっていうのもあって、大学ではなんか自分の居場所があんまり無かった。居心地の悪い4年間だったし。
だから、小学校の自分とも、中学校の自分とも、高校の自分とも、やっぱりちがう自分だった。
そして今、父親という役割、夫という役割をやっているのだけど、会社での自分と、父親・夫としての自分とで、やっぱりキャラも役割も微妙にずれていると思う。
そう、たしかに、人は期待された役割を演じているだけかもしれない。
それが「社会性」であって、どこに行っても同じ自分で貫き通す人なんて、そりゃいないでしょう。
人は役を演じている。
そこまでは誰でも思うことだけど、この監督が言うのは、みんなが演じている役柄が本来やるべき役とずれてませんか?ってこと。あと、みんなが演じたい役柄ってやっぱりみんなが演じたいものだから人気の無い役柄は誰かが担わないといけませんよね、ってこと。
生まれとか育ちとか家柄とか、ちょっと前までは生まれた瞬間に一生演じる役柄が決まってたわけだけど、この現代社会ともなると、みんなが色んな役柄を演じられる時代になってしまったわけで、ひずみが生じているんではないですか?と。
「雇用の流動化」とか言うけど、つまり「役柄の流動化」だ。
なるほどね。
この監督って、こういう、なんかちょっと気になったこと、心に引っかかったことをえげつないぐらい極端なお話に広げて強引に観客に見せ付けるという、非常に悪趣味かつ自己顕示欲のカタマリのような監督なんだよなぁ。
面白いんだけど、えげつないんだよね。
ま、エンディングも好きです。
本当に血のつながった家族が、家族を演じる。それも大げさに。パッと見、そっちのほうが家族っぽいという逆転。
でも次女は出て行く。役柄のない、まっさらな自分で。
面白い。
えげつないけど、面白いよ、うん。
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007/慰めの報酬
ダニエル・クレイグになって2作目。
うーん、どうなのかなぁ。ダニエル・クレイグ、前作ではそれなりに良いと思ったけど、うーん。。。
華というか、粋な感じというか、フィクションならではの痛快さ、というか、このシリーズならではのそういう部分が足りないんだよなぁ。
人間っぽいボンドっていうのは良いのだけど、そのリアルな感じが逆に、このシリーズに必要なキラキラした華やかさを失わせてしまっているのではないだろうか。
ま、ダニエル・クレイグの007はそういうものだと思えばよいのかもしれないけど、でも、そうは言ってもあの超人的な強さはやっぱり、気楽にちょっとゴージャスに楽しむことができる007だからこそ、ありえねー!と思いながら許せてしまえるものなんじゃないかなぁ。
そこんところの、人間的なリアルさと、アクションシーンの間感が、ちぐはぐになっているような印象。
あとさ、アクションシーンは、カットを細かくつなぎ過ぎでシーン全体として何が起こっているのかわからないよ。
そういう風にすれば迫力があってスピード感のあるシーンになると思っているとすれば、それは間違いでしょう。
という感じ。
エンディングもなんだか盛り上がらないし。
うーむ。
次の作品でこのシリーズが決まるかな。
うーん、どうなのかなぁ。ダニエル・クレイグ、前作ではそれなりに良いと思ったけど、うーん。。。
華というか、粋な感じというか、フィクションならではの痛快さ、というか、このシリーズならではのそういう部分が足りないんだよなぁ。
人間っぽいボンドっていうのは良いのだけど、そのリアルな感じが逆に、このシリーズに必要なキラキラした華やかさを失わせてしまっているのではないだろうか。
ま、ダニエル・クレイグの007はそういうものだと思えばよいのかもしれないけど、でも、そうは言ってもあの超人的な強さはやっぱり、気楽にちょっとゴージャスに楽しむことができる007だからこそ、ありえねー!と思いながら許せてしまえるものなんじゃないかなぁ。
そこんところの、人間的なリアルさと、アクションシーンの間感が、ちぐはぐになっているような印象。
あとさ、アクションシーンは、カットを細かくつなぎ過ぎでシーン全体として何が起こっているのかわからないよ。
そういう風にすれば迫力があってスピード感のあるシーンになると思っているとすれば、それは間違いでしょう。
という感じ。
エンディングもなんだか盛り上がらないし。
うーむ。
次の作品でこのシリーズが決まるかな。
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ベイブ
さっき「レーシング・ストライプス」について書いたのだけど、これを見たけどブログに書いてなかったのを思い出したのは、1週間後の今日、こんどは同じスタッフによるこの「ベイブ」を見たからだ。
これももちろん子供達に見せるために借りて、せっかくだから一緒に見たのだけど。
同じスタッフで、「ベイブ」のほうがずっと有名だと思うんだけど、僕は「レーシング・ストライプス」のほうがずっと好きですねぇ。
豚は人に食べられるために存在しているという、非常に微妙な問題がこの映画の大きなテーマなのですが、その結末があまりにも安易というか、このエンディングだとひとまず今回のクリスマスはベイブは食べられることはないだろうけど、じゃあ5年経ったら?10年経ったら?やっぱり食べられるだろうし、うーむ。。。
父親としても、子供達が「もう豚肉は絶対に食べない」なんて言い出したらどうしようかと内心ヒヤヒヤ。
そんなことは全然言い出さず、映画鑑賞後に豚肉のたくさん入った餃子をもりもり食べていましたが。
うーん。
身分制度、人種差別、そういうったシビアな問題を動物の世界にあてはめて語っているとすれば、このエンディングでは全く何も解決していない、ですよね。
ま、そんな深いところまで描こうとは思っていないのかもしれないけど、僕はやっぱり(こないだ「リリィ、はちみつ色の秘密」を見たばっかりかもしれないけど)そういう隠喩と思って見てしまいました。
そう思ってみちゃうとあまりにもお粗末なストーリー。
高望みしすぎでしょうか。
その点「レーシング・ストライプス」のほうは、殺されるとか食べられるとか、そういう話ではありませんし、どちらかというとスポーツ根性モノというぐらいに思えて、とても気持ちよく見られました。
身長が170cmしかないのにカレッジフットボールの名門大学チームに入部することを目指す、とか、そういう映画に見えました。
なので、「ベイブ」は僕はイマイチだったかな。
おしまい。
これももちろん子供達に見せるために借りて、せっかくだから一緒に見たのだけど。
同じスタッフで、「ベイブ」のほうがずっと有名だと思うんだけど、僕は「レーシング・ストライプス」のほうがずっと好きですねぇ。
豚は人に食べられるために存在しているという、非常に微妙な問題がこの映画の大きなテーマなのですが、その結末があまりにも安易というか、このエンディングだとひとまず今回のクリスマスはベイブは食べられることはないだろうけど、じゃあ5年経ったら?10年経ったら?やっぱり食べられるだろうし、うーむ。。。
父親としても、子供達が「もう豚肉は絶対に食べない」なんて言い出したらどうしようかと内心ヒヤヒヤ。
そんなことは全然言い出さず、映画鑑賞後に豚肉のたくさん入った餃子をもりもり食べていましたが。
うーん。
身分制度、人種差別、そういうったシビアな問題を動物の世界にあてはめて語っているとすれば、このエンディングでは全く何も解決していない、ですよね。
ま、そんな深いところまで描こうとは思っていないのかもしれないけど、僕はやっぱり(こないだ「リリィ、はちみつ色の秘密」を見たばっかりかもしれないけど)そういう隠喩と思って見てしまいました。
そう思ってみちゃうとあまりにもお粗末なストーリー。
高望みしすぎでしょうか。
その点「レーシング・ストライプス」のほうは、殺されるとか食べられるとか、そういう話ではありませんし、どちらかというとスポーツ根性モノというぐらいに思えて、とても気持ちよく見られました。
身長が170cmしかないのにカレッジフットボールの名門大学チームに入部することを目指す、とか、そういう映画に見えました。
なので、「ベイブ」は僕はイマイチだったかな。
おしまい。
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レーシング・ストライプス
「ベイブ」のスタッフが作ったシマウマが主人公のお話。
シマウマっていうのがさ、日本語だと単に「縞のある馬」ってことになっちゃうわけですけど、「ホース」と「ゼブラ」は全然言葉として語感も含めて全く別だから、この映画の中の「えっ、僕、馬じゃないの???」というストライプスのセリフが生きるわけですよね。
「ホース」と「ゼブラ」だと、豚と猫ぐらい全然ちがう生き物って感じだからなぁ。そこが面白いのにね。
動物達が人間にはわからないけど会話をしている、という設定は好きですね。
ベイビートークみたい。古いか。
話全体としても、よくできたストーリー。いや、もちろん、単純すぎる感じではあるけどね。
吹き替えで、柳沢シンゴさんがやっている役があって、それがこないだの「マダガスカル」とかぶるので、子供達は混乱するかと思ったのだけど、全然そんな感じはなかったな。全然ちがう動物だし、映像が全然ちがえば声が一緒とはあんまり気付かないのかも。僕が柳沢シンゴさんの声だ!って勝手に気付いてしまっているだけなんだな。
子供達に見せるために借りてきて、せっかくだから一緒に見たのが一週間前。
あやうく忘れそうになっていましたが、思い出したので感想を書いておきました。
おしまい。
シマウマっていうのがさ、日本語だと単に「縞のある馬」ってことになっちゃうわけですけど、「ホース」と「ゼブラ」は全然言葉として語感も含めて全く別だから、この映画の中の「えっ、僕、馬じゃないの???」というストライプスのセリフが生きるわけですよね。
「ホース」と「ゼブラ」だと、豚と猫ぐらい全然ちがう生き物って感じだからなぁ。そこが面白いのにね。
動物達が人間にはわからないけど会話をしている、という設定は好きですね。
ベイビートークみたい。古いか。
話全体としても、よくできたストーリー。いや、もちろん、単純すぎる感じではあるけどね。
吹き替えで、柳沢シンゴさんがやっている役があって、それがこないだの「マダガスカル」とかぶるので、子供達は混乱するかと思ったのだけど、全然そんな感じはなかったな。全然ちがう動物だし、映像が全然ちがえば声が一緒とはあんまり気付かないのかも。僕が柳沢シンゴさんの声だ!って勝手に気付いてしまっているだけなんだな。
子供達に見せるために借りてきて、せっかくだから一緒に見たのが一週間前。
あやうく忘れそうになっていましたが、思い出したので感想を書いておきました。
おしまい。
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ジャマイカ 楽園の真実
うーむ。
こんなことは知りませんでしたよ。
レゲエが好きだ、ジャマイカにもう一度行きたい、もう一度行って遊びたい、旅行者として楽しみたい、とか言ってましたけど、うーむ…。
この映画を見て本当に良かったと思ったのは、こういう事実を知ることが出来たことだ。
レゲエが好きでジャマイカに興味があるからこの映画を見たわけだけど、この映画が他の国のことを紹介している映画だったらきっと見なかっただろう。ああ、レゲエを好きで良かった。この映画に出会わせてくれて良かった。
IMFの餌食になっている国はもちろんジャマイカだけではないわけで、たまたまジャマイカが舞台になっているからこの映画を見ることが出来た。本当にレゲエに感謝だ。
しかし、本当にこれが事実だとすると、IMFっていうのはヤミ金よりもひどい。
ヤミ金よりもひどいことを国単位でやっている。
そのIMFという機関への拠出金額が世界で2番目に多い国がこの日本なのだ。
こんなことをしていたらジャマイカの人が日本を嫌いになっちゃうよ。
いや、嫌いにならないほうがおかしいでしょ、これじゃ。
金に困っている国に、あり得ないほど高い利子で金を貸し、金を貸す条件として貿易の自由化を迫り、そしてIMFを動かしているごく一部の「先進国」で機械的にものすごく安く作った野菜や肉や粉ミルクを売りつける。関税がほとんどゼロならば、そんなまるで工場のように生きてる牛を管理して作った安い肉にジャマイカの細々と家族ぐるみでやっている酪農家の牛の肉が価格で勝てるわけがない。
農作物も、肉類も、ありとあらゆる国内産業が完全に破壊され、観光と香辛料を作りなさいとIMFは言うのだ。
これは本当に自国の大企業が売りたいものを買わせるためにやっている以外に、なにか他に理由があるのだろうか?IMFって何のための機関なんだ?
さらに、IMFは金を貸す条件として、借金を返済するのに無駄な支出を出来るだけ少なくするように約束させる。つまり医療や教育だ。
そんな無理をさせられ、国家予算の52%を借金返済にまわさなければならないジャマイカ。
どこが「支援」なんだよ。IMFさんよっ!!
「支援」って言うなら、最初の5年は無利子、6年目からは超低金利、ぐらいじゃなきゃだめだろ。ふざけんな!
つまりこうだ、金に困ってどうしても誰かから金を借りなくてならない困窮した人を見つけると、この金貸しは「金を貸してやるけど、条件があるよ。」と言うのだ。
そもそも借金の利子がとんでもなく高いだけでも信じられないのだけど。
金貸しの言う条件は、「これからは手作りの料理はダメです。お金がかかるでしょう。知り合いが冷凍食品を安く売ってるのでそれを買ってたべなさい。」と。
さらに、「病気?何を言ってるんですか、医者になんてかかっていたら借金はいつになっても返せませんよ。医者にかかるなんてダメダメ。子供の教科書代? そんなものいらないでしょう。さ、そんな無駄遣いはやめて、1円でも早くお金を返してくださいね。」と。
とんでもない話ですよ。
で、そのとんでもないことをやっているIMFで2番目に発言力があるのが日本なんですってよ。
「ジャパンから来たのか? 知ってるか?ジャマイカとジャパンは国名がJAHから始まる世界でたった2つの国なんだぜ!」
日本から来たと言った僕に、嬉しそうな笑顔でそう言ってくれた現地の男がいた。
もう、あんな笑顔を日本人には見せてくれないかもしれない。
鳩山さん、IMFでの発言も、せっかく政権がかわったんだから変えてくれませんかね?
本気でフェアトレードに興味がわいてきました。
あのIMFのインテリヤクザみたいなオヤジの顔を思い切りなぐってやりたいムカムカした気分だけど、この映画に出会えたことは素直に嬉しい。
素晴らしい映画に出会えたことに感謝。
こんなことは知りませんでしたよ。
レゲエが好きだ、ジャマイカにもう一度行きたい、もう一度行って遊びたい、旅行者として楽しみたい、とか言ってましたけど、うーむ…。
この映画を見て本当に良かったと思ったのは、こういう事実を知ることが出来たことだ。
レゲエが好きでジャマイカに興味があるからこの映画を見たわけだけど、この映画が他の国のことを紹介している映画だったらきっと見なかっただろう。ああ、レゲエを好きで良かった。この映画に出会わせてくれて良かった。
IMFの餌食になっている国はもちろんジャマイカだけではないわけで、たまたまジャマイカが舞台になっているからこの映画を見ることが出来た。本当にレゲエに感謝だ。
しかし、本当にこれが事実だとすると、IMFっていうのはヤミ金よりもひどい。
ヤミ金よりもひどいことを国単位でやっている。
そのIMFという機関への拠出金額が世界で2番目に多い国がこの日本なのだ。
こんなことをしていたらジャマイカの人が日本を嫌いになっちゃうよ。
いや、嫌いにならないほうがおかしいでしょ、これじゃ。
金に困っている国に、あり得ないほど高い利子で金を貸し、金を貸す条件として貿易の自由化を迫り、そしてIMFを動かしているごく一部の「先進国」で機械的にものすごく安く作った野菜や肉や粉ミルクを売りつける。関税がほとんどゼロならば、そんなまるで工場のように生きてる牛を管理して作った安い肉にジャマイカの細々と家族ぐるみでやっている酪農家の牛の肉が価格で勝てるわけがない。
農作物も、肉類も、ありとあらゆる国内産業が完全に破壊され、観光と香辛料を作りなさいとIMFは言うのだ。
これは本当に自国の大企業が売りたいものを買わせるためにやっている以外に、なにか他に理由があるのだろうか?IMFって何のための機関なんだ?
さらに、IMFは金を貸す条件として、借金を返済するのに無駄な支出を出来るだけ少なくするように約束させる。つまり医療や教育だ。
そんな無理をさせられ、国家予算の52%を借金返済にまわさなければならないジャマイカ。
どこが「支援」なんだよ。IMFさんよっ!!
「支援」って言うなら、最初の5年は無利子、6年目からは超低金利、ぐらいじゃなきゃだめだろ。ふざけんな!
つまりこうだ、金に困ってどうしても誰かから金を借りなくてならない困窮した人を見つけると、この金貸しは「金を貸してやるけど、条件があるよ。」と言うのだ。
そもそも借金の利子がとんでもなく高いだけでも信じられないのだけど。
金貸しの言う条件は、「これからは手作りの料理はダメです。お金がかかるでしょう。知り合いが冷凍食品を安く売ってるのでそれを買ってたべなさい。」と。
さらに、「病気?何を言ってるんですか、医者になんてかかっていたら借金はいつになっても返せませんよ。医者にかかるなんてダメダメ。子供の教科書代? そんなものいらないでしょう。さ、そんな無駄遣いはやめて、1円でも早くお金を返してくださいね。」と。
とんでもない話ですよ。
で、そのとんでもないことをやっているIMFで2番目に発言力があるのが日本なんですってよ。
「ジャパンから来たのか? 知ってるか?ジャマイカとジャパンは国名がJAHから始まる世界でたった2つの国なんだぜ!」
日本から来たと言った僕に、嬉しそうな笑顔でそう言ってくれた現地の男がいた。
もう、あんな笑顔を日本人には見せてくれないかもしれない。
鳩山さん、IMFでの発言も、せっかく政権がかわったんだから変えてくれませんかね?
本気でフェアトレードに興味がわいてきました。
あのIMFのインテリヤクザみたいなオヤジの顔を思い切りなぐってやりたいムカムカした気分だけど、この映画に出会えたことは素直に嬉しい。
素晴らしい映画に出会えたことに感謝。
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リリィ、はちみつ色の秘密
ダコタ・ファニング。
だんだんと少女から女性へ成長中ですね。
なんとなーく、このまま行くと、ジョディ・フォスターみたいなポジションの女優になりそうな感じでしょうか。うまく行ってそんなところ。うまく行かないと、「あー、そういえば、いたね、そんな子」という過去の人になる可能性も高いかなぁ。うーむ微妙。
この人の欠点は、やっぱり、満面の笑みとか、幸せいっぱいの表情が出来ないところでしょうね。このまま大人になっていっても、きっと、最後にヒロインが幸せに満たされるというような役柄はもらえないでしょう。
だって、あんまり幸せそうに見えないからなぁ。。。
どこか神経質なところがあって、基本的に生真面目な性格の人、というのが、どんなに演技がうまくても、この人がピッタリおさまる役柄、なのではないでしょうか。
うーむ。。。頑張れダコタ!
さて、この映画、公民権運動とか、とにかくやっぱりこの時代のアメリカにおける黒人の扱いはヒドイもんだなぁ、やっぱり。
ウィル・スミス夫妻がプロデューサーというのもうなずける内容。
この時代の黒人のつらい立場を描きつつ、でもこの白人の少女は、素敵な黒人家族に救われるのだ。
正直、一本の映画としては、いったい描きたかったテーマは何だったんだろう、という感じもするけど、まぁまぁ良かったんじゃないでしょうか。
この映画のすごいところは、ブラック・ミュージック好きには驚きの俳優陣。
まず、クイーン・ラティファ。
そして、アリシア・キーズ。
そしてそして、ジェニファー・ハドソン。
なんとこの3人が出てくるんですねぇ。
このうちのどの一人でも、ただ歌うだけで、演技なんてしなくてもそれだけで十分鑑賞に値する、そんな人が3人も揃ってる。
いや~、しかし、この映画、ぜいたくですよ。
なんとこの3人がほとんど歌わないんですよ。すごいでしょ。
クイーン・ラティファとアリシア・キーズがほんのちょっと鼻歌程度に一緒に歌うシーンはありますけど、ほぼゼロ。
ぜいたくだなぁ。
それにしても、この3人が一つの映画に出ているなんて、やっぱり驚きでしょう。
それにビックリしてしまいました。
おしまい。
だんだんと少女から女性へ成長中ですね。
なんとなーく、このまま行くと、ジョディ・フォスターみたいなポジションの女優になりそうな感じでしょうか。うまく行ってそんなところ。うまく行かないと、「あー、そういえば、いたね、そんな子」という過去の人になる可能性も高いかなぁ。うーむ微妙。
この人の欠点は、やっぱり、満面の笑みとか、幸せいっぱいの表情が出来ないところでしょうね。このまま大人になっていっても、きっと、最後にヒロインが幸せに満たされるというような役柄はもらえないでしょう。
だって、あんまり幸せそうに見えないからなぁ。。。
どこか神経質なところがあって、基本的に生真面目な性格の人、というのが、どんなに演技がうまくても、この人がピッタリおさまる役柄、なのではないでしょうか。
うーむ。。。頑張れダコタ!
さて、この映画、公民権運動とか、とにかくやっぱりこの時代のアメリカにおける黒人の扱いはヒドイもんだなぁ、やっぱり。
ウィル・スミス夫妻がプロデューサーというのもうなずける内容。
この時代の黒人のつらい立場を描きつつ、でもこの白人の少女は、素敵な黒人家族に救われるのだ。
正直、一本の映画としては、いったい描きたかったテーマは何だったんだろう、という感じもするけど、まぁまぁ良かったんじゃないでしょうか。
この映画のすごいところは、ブラック・ミュージック好きには驚きの俳優陣。
まず、クイーン・ラティファ。
そして、アリシア・キーズ。
そしてそして、ジェニファー・ハドソン。
なんとこの3人が出てくるんですねぇ。
このうちのどの一人でも、ただ歌うだけで、演技なんてしなくてもそれだけで十分鑑賞に値する、そんな人が3人も揃ってる。
いや~、しかし、この映画、ぜいたくですよ。
なんとこの3人がほとんど歌わないんですよ。すごいでしょ。
クイーン・ラティファとアリシア・キーズがほんのちょっと鼻歌程度に一緒に歌うシーンはありますけど、ほぼゼロ。
ぜいたくだなぁ。
それにしても、この3人が一つの映画に出ているなんて、やっぱり驚きでしょう。
それにビックリしてしまいました。
おしまい。
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96時間
リュック・ベッソンって、自分が監督ではない、プロデューサーとして関わっている映画にどれぐらい影響力を持っているのかなぁ。
僕はやっぱり映画は監督のものだと思っているので、この映画をリュック・ベッソン映画とは思っていないのだけど。
スピルバーグとかにしてもそうなんだけど、監督でもない人の名前が全面に押し出しての宣伝はどうかと思いますよ。
この映画はピエール・モレルさんの映画ですよ。誰それ?だけど。
で、この映画、面白かった~!!
「リーアム・ニーソンの仮面をかぶったスティーブン・セガール映画」とは良く言ったものだ。宇多丸さんの言葉だけど。
まさに言い得て妙。
でも、宇多丸さんの言うように、リーアム・ニーソンの仮面のおかげで映画そのものがだいぶ良くなっている、というのも確か。
これ、スティーブン・セガールだったらこんなに面白くないよ、やっぱり。
この映画が面白いのは、(まあ、分析する必要すらない映画ではあるのだけど)、きっと、主人公が一直線に進んでいくことだと思うんだよな。
その場、その場で敵を倒したら、もう後のことは俺知らねぇ、という感じでどんどんどんどん進んでいく。目的はタダ一つ娘を取り戻すことだけで、正直あとの人のことはもうどうでもよい、という主人公の一直線感が小気味良いのだ。
このオッサン、娘を取り返すためならば、おそらく親友でも殺すんだろうな、という。
もはや狂犬。
でもそれがわかりやすいし、人身売買シンジケートを壊滅させる、とか、女の子達の救出とか、そういう「正義」とかとは無縁。
そこがすごい。
セガール映画はけっこう「正義」ふりかざしているっぽいし。
その点この映画は!
そこがこの映画を筋肉質な感じにしているのだと思う。
このオッサンは「悪」か「正義」かと言うと、この映画ではたまたま普通の人は(そんなには)犠牲になっていないだけで、おそらくこのオッサンは娘を取り戻すためならばパリの一般市民を100人ぐらい殺してもかまわないぐらいの気持ちで突き進んでるから。
そこがこの映画のなんかスリリングなところであり、魅力なんだろう、きっと。
というような分析は不要だ。
なにせ、セガール映画だって僕は結構好きでかなりの数見てきているのだから。
とにかく久しぶりにちゃんとした「男の子のための娯楽アクション映画」を見た気分。
面白かったぜ!
でも、娘が17歳ぐらいになって友達とパリに行きたいって言っても、絶対に行かせないことに今日決めた。うむ。
僕はやっぱり映画は監督のものだと思っているので、この映画をリュック・ベッソン映画とは思っていないのだけど。
スピルバーグとかにしてもそうなんだけど、監督でもない人の名前が全面に押し出しての宣伝はどうかと思いますよ。
この映画はピエール・モレルさんの映画ですよ。誰それ?だけど。
で、この映画、面白かった~!!
「リーアム・ニーソンの仮面をかぶったスティーブン・セガール映画」とは良く言ったものだ。宇多丸さんの言葉だけど。
まさに言い得て妙。
でも、宇多丸さんの言うように、リーアム・ニーソンの仮面のおかげで映画そのものがだいぶ良くなっている、というのも確か。
これ、スティーブン・セガールだったらこんなに面白くないよ、やっぱり。
この映画が面白いのは、(まあ、分析する必要すらない映画ではあるのだけど)、きっと、主人公が一直線に進んでいくことだと思うんだよな。
その場、その場で敵を倒したら、もう後のことは俺知らねぇ、という感じでどんどんどんどん進んでいく。目的はタダ一つ娘を取り戻すことだけで、正直あとの人のことはもうどうでもよい、という主人公の一直線感が小気味良いのだ。
このオッサン、娘を取り返すためならば、おそらく親友でも殺すんだろうな、という。
もはや狂犬。
でもそれがわかりやすいし、人身売買シンジケートを壊滅させる、とか、女の子達の救出とか、そういう「正義」とかとは無縁。
そこがすごい。
セガール映画はけっこう「正義」ふりかざしているっぽいし。
その点この映画は!
そこがこの映画を筋肉質な感じにしているのだと思う。
このオッサンは「悪」か「正義」かと言うと、この映画ではたまたま普通の人は(そんなには)犠牲になっていないだけで、おそらくこのオッサンは娘を取り戻すためならばパリの一般市民を100人ぐらい殺してもかまわないぐらいの気持ちで突き進んでるから。
そこがこの映画のなんかスリリングなところであり、魅力なんだろう、きっと。
というような分析は不要だ。
なにせ、セガール映画だって僕は結構好きでかなりの数見てきているのだから。
とにかく久しぶりにちゃんとした「男の子のための娯楽アクション映画」を見た気分。
面白かったぜ!
でも、娘が17歳ぐらいになって友達とパリに行きたいって言っても、絶対に行かせないことに今日決めた。うむ。
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