江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 銀座マンボ(チエミ トリメロを歌う)

2023年02月16日 | 江利チエミ(続編)

昭和31年公開の東宝映画「チエミの初恋チャッチャ娘」...  
この映画でチエミさんは三木鶏郎さんの楽曲=トリメロを歌うことになりました。 
        銀座マンボ          
goo映画さんより内容を引用、加筆して紹介いたします。
>「チエミの初恋チャッチャ娘」
◆スタッフ
監督 : 青柳信雄
製作 : 杉原貞雄
脚本 : 北田一郎 / 浜村保夫
撮影 : 遠藤精一
音楽 : 三木鶏郎
美術 : 北猛夫 / 阿久根巖
録音 : 宮崎正信
照明 : 西川鶴三
◆キャスト(役名)
江利チエミ (原田マミ)
杉葉子 (原田愛子/マミの長姉)
司葉子 (原田京子/マミの次姉)
小泉博 (小山雄一)
高島忠夫 (小山啓二)
柳家金語楼 (小山竪太郎)
三條利喜江 (小山たつ)
花菱アチャコ (三沢慎吉)
一の宮あつ子 (三沢夫人)
本郷秀雄 (清水茂雄)
堺左千夫 (秋山友夫)
丘寵児 (大橋守)
中野俊子 (大橋キヌ)
楠トシエ (大橋マサ子)
藤間紫 (蝶次/音痴な芸者歌手)
江原達怡 (松野伝介)
森川信 (三沢の秘書)
沢村い紀雄 (のど自慢司会者)

◆ストーリー
原田家はマミ、愛子、京子の三人暮しである。
(戦争で両親を亡くし成城学園に暮らす設定です。)
マミはジャズを歌うのが上手であった。
ファッション・モデルの京子には雄一という恋人があった。ある日、学校帰りのマミが、神宮外苑での雄一とのランデヴーに待ちぼうけをくわされた京子と共に帰宅すると、雄一から謝りの電話がかかって来た。姉のもどかしい話しぶりにマミは受話器をひったくって、雄一に絶交を申し渡すのだった。
数日後、ジャズのど自慢に優勝したマミは帰途、グロリアレコード会社の清水にテストを受けてくれと頼まれた。
(ここで藤間紫扮する芸者歌手が吹き込みを見学・・・あまりに下手な彼女に代わってマイクの前に・・・ ソコで歌う歌が「三味線チャチャチャ」です。撮影場所はキングレコードではなしになんと『ビクター』... ゆえにオーケストラは「ビクターオーケストラ」で三味線の賛助は三味線豊吉さんの一番弟子の豊文姐さんたちがあたっています。ゆえにこの音源も相当にお宝です。)
帰宅すると、雄一から父の義理を立てるために見合をするといって来たと、京子からきかされ、憤然として雄一の家に乗り込んだが、そそっかしいマミは雄一の弟の啓二をまちがえてなぐりつけてしまった。だが、啓二はそういうマミに好感をいだいた。
その翌日、銀座のしストランで啓二にあったマミは、雄一がそこで見合をしているときかされ、その席に乗りこんで京子のことをぶちまけ見合を目茶々々にした。
マミのレコード吹込みテストの日、先日の見合の仲人がこのグロリアレコードの社長三沢であることが判り、マミはレコード歌手になることを諦めた。ところが三沢夫人がマミのことを調べるとマミ達三姉妹こそかねて探していた三沢の兄の娘たちであることが判った。かくてマミ達は三沢家に移り、三沢は京子と雄一の結婚式の仲人となった。
これにさきがけ、京子のモデル生活最後のファッション・ショウが開かれた。豪華なドレスを着たマミは京子と同じ舞台に並んで歌をうたった。彼女はグロリアレコードの専属歌手となったのだ。
 --->このラストで歌われるのが『銀座マンボ』... 伴奏は東京キューバンボーイズの皆さん... 江利チエミのための音楽映画として「貴重なフィルム」であります。

三木鶏郎先生とは...(以下、三木鶏郎資料館より引用)
>1914年1月28日、東京生まれ。
本名・繁田裕司。

1940年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。
作曲を諸井三郎、ヴァイオリンを小野アンナ、ピアノを渡辺シーリーに師事。

戦後、焼け跡の歌「南の風が消えちゃった」を作り、1946年、NHKラジオ『歌の新聞』に出演。
翌朝刊に「彗星の如き天才現わる」のコメントが掲載された。 以後、コントに音楽を取り込み社会や政治を風刺する「冗談音楽」でラジオに旋風を巻き起こす。
番組は途中GHQや政府筋の強い風当たりを受け、タイトルを『日曜娯楽版』『ユーモア劇場』と変えながらも8年間続く。
その人気は聴取率80%とも90%だったとも言われる伝説的数字を記録。 番組から三木鶏郎グループ(河合坊茶、丹下キヨ子、三木のり平、小野田勇、他)が誕生。
また三木鶏郎楽団を結成(ジョージ川口、小野満、鈴木章治、他)。ともに放送界で活躍し、 活動の場を舞台、映画にも広げた。
その間の主な音楽作品に、
「僕は特急の機関士で」「毒消しゃいらんかね」「田舎のバス」「かぐや姫」「ポカン・ポカン」等。

1951年、民間放送開局にあわせ、日本初のコマーシャルソング「僕はアマチュアカメラマン」を発表。
「ワ・ワ・ワ、ワが三つ」「明るいナショナル」「キリンレモン」他数多のコマーシャルソングを送り出し、コマソン全盛時代を築いた。
同時に、商品のコピー、ネーミングなど、アイデアコンサルタントも行う。

1953年、ディズニー映画「ダンボ」、「わんわん物語」の日本語版音楽監督に。

1954年、NHK『ユーモア劇場』打ち切り後、同年8月、文芸春秋提供、文化放送『みんなでやろう冗談音楽』がスタートし、「冗談音楽」復活。

1960年以降の代表作品に、「鉄人28号」「トムとジェリー」「ジャングル大帝」のテーマソング他。

42歳の時、糖尿病が判明。
1969年、糖尿友の会を発足。

トリローグループに参集したスタッフは、作家に、キノ・トール、能見正比古、永六輔、神吉拓郎、野坂昭如、他。作曲家に、神津善行、いずみたく、桜井順、他と多士済々。また歌手(楠トシエ、中村メイ子、他)や俳優(逗子とんぼ、なべおさみ、左とん平、他)など、門下から多数の放送関係者を輩出した。

歌曲の分野でも足跡を残す。

1956年、文部大臣賞奨励賞。
1961年、民放賞。
1962年、正力賞、芸術祭奨励賞。
1986年、日本レコード大賞「特別企画賞」。

1994年10月7日、逝去。

レッスン中の三木先生とチエミさん



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