江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

38)人に歴史あり (秋吉敏子21歳vs江利チエミ13歳 女の戦い)

2005年06月11日 | 江利チエミ(初期記事・本編)
51年7月 テレビ東京「人に歴史あり」に出演しました。(司会:八木治朗さん)
オープニングはグランドピアノの前に、着物姿(黄の絣?)で佇みテネシーワルツの出だしをちょっと弾いてくれました... ゲストには進駐軍時代の盟友「フランキー堺さん」が出演されました。
(当時のフラさんのバンドのピアニストは秋吉敏子さん...チエミさんは彼女をトシコ・マリアーノさんと呼んでいました。それはチャーリー・マリアーノさん(アルト・サックス奏者)の奥様でトシコ・マリアーノさんと名乗っていた時期が彼女にあったためです。)
そこでこのような進駐軍時代のエピソードを話していました。(記憶ゆえ表現は違うかと思います。)

>ピアニストがトシコ・マリアーノさんだったからコードを分解しちゃうんで出だしがなんだか判んなくなっちゃうの。ほら、モダンジャズの人だから... そしたら、フランキーが チーちゃん!出だしのところでダダスダダダンって打つからそれから歌いなって助けてくれて...それとパラマツ(トランペット/松本文男さん)がチーちゃ---ん出だしの音はプ-プ-プ---って吹いてくれるの(笑) チーちゃ---ん この音この音 プープー ダダスダダダン で歌いだしたのよね----!

この当時フランキーさんがいたバンドこそ、戦後の日本のジャズを牽引していった名バンドの1つ「多忠修とゲイスターズ」です。少女はこの1流バンドをバックに進駐軍のステージで1流の感覚を磨いていったのです。

※進駐軍に出演する芸人には当時ランクがついていたそうです。
ランクA--->ランクエ― ---> これがフランキー堺さんの フランキー の語源なのだそうです。

※秋吉敏子さんは昭和4年生まれ...満州から全財産を失って大分に引き揚げ。16歳のときに別府のダンスホールのピアニスト募集の張り紙に出会いピアニスト人生をスタートさせた人。バークレー音楽院を奨学金で卒業、外国人ミュージシャンとの結婚・離婚・そして再婚...彼女はアーティストの道を極めていった人です。
たしかに江利チエミさんとは「肌合いの違う」人です。

ゲイスターズが上記のメンバーで編成されていたということと、チエミさんがキャンプ回りをしていたこと...それを総合して推察するにおそらく「昭和25年」の事だと思います。
秋吉敏子21歳vs江利チエミ13歳...同じジャズに見せられた2人の「対決」の場面であったと思います。
そこにフランキーさんが居て...舞台の上の「修羅場」であったともいえますよね。 
日本のジャズの夜明けの貴重なエピソードと思います。

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2 コメント

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いづみさんも (twig)
2005-06-12 16:18:36
ランクエー・・がフランキーさんの芸名の由来ですか、おもしろいですね。しかし、うーでぶさん、チエミさんにかかわることに関して本当に詳しいですね、すごい!



東宝の「君にも出世が出来る」という和製ミュージカルで、ブロードウェイの「努力しないで出世する方法」に負けじと奮闘したフランキーさんを思い出します。ビデオがでてますので、是非一度ご高覧を。いづみさんがアメリカ帰りのタフな女性を演じて楽しいです。

雪村いづみさんもいつだったか何かの本で語っておられましたね、そのマリアーノ女史との「修羅場」を。



やはり、人のよさがお顔に出てますものね、フランキーさんは。

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秋吉さん (う--でぶ)
2005-06-12 20:23:26
秋吉さん...

 なかなかの人みたいですよね。(笑)容赦のない女...って感じですよね。
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