新宿コマ劇場は日劇とともに在京のファンにとっては「江利チエミのホームグラウンド」であり、いわば聖地でもあります。
新宿コマの連続座長公演演目から江利チエミさんの芸の変遷...も読み取れます。
昭和37年11月 コマミュージカル「チエミのスター誕生」(前年の梅田コマが初演)
38年11月 〃 「百万人の天使」...ここまでは菊田一夫演出のオリジナルミュージカルです。当初、菊田先生はマイフェアレディを雪村いづみ主演で考えていた。しかし、当時アメリカで子育てをしていたいづみさんが辞退...江利チエミ主演となって大成功を収めます。
おそらく菊田さんは 赤毛ものは雪村いづみ、日本のオリジナルものは江利チエミで...と考えていたのではないか??と私は想像しています。しかし「マイフェアレディ」は江利チエミによって大ヒット...ここで菊田先生も翌年の演目を変えたのでは??
39年11月 コマミュージカル「アニーよ銃をとれ」
しかしどうしても「日本の日本人によるミュージカルを定着させたい」...その想いが翌年...
40年11月 「芸者春駒」 に繋がる... ここで「日本のミュージカル」は成功を収める。
ここまでの作・演出は菊田一夫先生です。
ここで...普通なら「2の線」を極めるのが「よくあるパターン」...しかし、映画のあたり役「サザエさん」を久々にテレビで演じて高視聴率を獲得していた!チエミさんは難しい喜劇を舞台にかけます。
41年11月 大型喜劇「サザエさん」 脚本・阿木翁助 演出・青柳信雄
翌年からは、趣きを変えます。
関西のテレビを中心に活躍していった作家/花登筐さんを作・演出に選びます。
番頭はんと丁稚どん...など、もちろん無名ではなかった。しかしやはり関西中心の活躍...そして舞台演出なども新喜劇をはじめ南座...など、松竹系の演出が中心だったひとです。あの大ヒットドラマ「細腕繁盛記」は45年からのオンエアー...チエミさんはおそらくこの先生の魅力を早くから認めていて東宝の自身の舞台の作・演出を任せたのではないでしょうか??花登さんの作・演出は45年まで続きます。
42年11月 昔の恋の物語「お染久松」
43年11月 〃 「八百屋お七」
44年11月 〃 「じゃがたらお春」
ここでまた2の線を続けたチエミさんは、翌年また花登先生の演出の喜劇を舞台にかけます。
45年11月 喜劇 「恋と私とやき芋と」
そして芸能生活20周年...歌舞伎をアレンジしたオリジナルミュージカルを舞台にかけます。
46年11月 「チエミの白狐の恋」...この年は私生活に不幸が押し寄せた年...この舞台の劇中歌にはチエミさんのヒット曲も織り交ぜていました。これはこの年早世された長兄・トオル兄さんの案が多く取り入れられていたそうです。作/谷口守男 補綴・演出/福田善之
そして、裁判...ほんとうに激動の渦中に放り込まれてしまったような翌年は、かつて「東芝日曜劇場」で演じ好評を博した山本周五郎原作「みずぐるま」を舞台にかけます。
47年10月 「恋ぐるま」 脚色・演出/福田善之
そして翌年は、先にも書いた朝鮮の古典・春香伝を舞台にかけます。
48年4月 世界の恋の物語 「春香伝」 脚色/安永貞利 演出/松浦竹夫
翌年は、中国の古典に挑戦します。やむにやまれぬ事情で男と偽って突厥との戦いに徴兵される娘。戦場では「女装(女に化けてといってもホントの女なのだが)をして敵地に潜入」して手柄を上げ、国王からもほうびを...」しかし女ということがバレたら... 最後は国王もその愛国精神をたたえ、また「恋愛も成就」でハッピーエンド...というストーリー
49年9月 世界の恋の物語 「花木蘭」 脚色/安永貞利 演出/松浦竹夫
そう、この花木蘭は中国読みで「ホウ・ムーラン」...ディズニーアニメにもなった「ムーラン」です。
わたしは中学生だったから...でしょう。
たしかにこの世界の恋の物語は「壮大な東洋の歴史ストーリー」でした。素晴らしい作品でした。
が...春香は拷問を受ける...目が見えなくなってしまう...とか、
木蘭は、戦闘シーンは「京劇風の剣舞」という演出でしたが、物語が大陸的で「すこしばかりヘビー」な印象を受けています。これ...チエミさんもひょっとしたら??? アタシの舞台はもっともっと庶民的で敷居の低いものがイイのでは??
そんな思いがあったのではないかな??と勝手に想像しているんです。
翌年、またまた2の線を続けたチエミさんは「チエミ喜劇」を立ち上げます。
50年2月 チエミ喜劇 「サザエさん」 演出/松村竹夫
50年12月 〃 「サザエさん」 〃
そして翌年は25周年記念に、松竹新喜劇の藤山寛美さんのあたり役を主人公を女性に替えて...
51年11月 藤山寛美思い付き、お江戸噂話・大和みやげ「鼻のお六」 原作/曾我廼家五郎 脚・演/平戸啓二
52年12月 チエミ喜劇 「お笑い女忠臣蔵」 作/平戸啓二 演出/松村竹夫
そして、53年8月/サザエさんで一旦新宿コマの座長公演を休止し、チエミさんは新たなステップを踏みます。
松竹の京都・南座で53年7月に「二十四の瞳」を音楽劇にして上演します。
54年10月には東宝歌舞伎で長谷川一夫と共演。
55年は、ロス・サンフランシスコ公演、30周年リサイタル...原点に返って「歌」に重きをおいた活動をされました。
またコマ歌舞伎では56年に梅田コマで中村扇雀(現/雁治朗)さんと共演...再び他流試合にも臨みました。
そして...国立劇場で「春香伝」の再演…となるところで...
チエミさんは最後の最後まで歩みを止めなかった。
現状に満足せず...どうしたらお客様が喜んでくれるのか? どうしたら自身の芸が磨けるのか...
そればかりを考えていたのだろうな?!...ということが、このコマの演目だけみても推察できるように思います。
※コマ等「舞台」でのチエミさんの受賞記録です。
37年 スター誕生/芸術祭奨励賞・東京演劇記者会のテアトロン賞
38年 マイフェアレディ(東京宝塚)/テアトロン賞・毎日芸術祭賞・ゴールデンアロー賞の大賞受賞
42年 お染久松/芸術祭奨励賞
46年 白狐の恋/芸術祭優秀賞
47年 1972年チエミ秋に歌う(お芝居は恋ぐるま)/芸術祭優秀賞
48年 新宿コマ「春香伝」/韓国政府より友好記念賞
49年 梅田コマ・中日劇場「春香伝」/韓国政府より感謝状
新宿コマの連続座長公演演目から江利チエミさんの芸の変遷...も読み取れます。
昭和37年11月 コマミュージカル「チエミのスター誕生」(前年の梅田コマが初演)
38年11月 〃 「百万人の天使」...ここまでは菊田一夫演出のオリジナルミュージカルです。当初、菊田先生はマイフェアレディを雪村いづみ主演で考えていた。しかし、当時アメリカで子育てをしていたいづみさんが辞退...江利チエミ主演となって大成功を収めます。
おそらく菊田さんは 赤毛ものは雪村いづみ、日本のオリジナルものは江利チエミで...と考えていたのではないか??と私は想像しています。しかし「マイフェアレディ」は江利チエミによって大ヒット...ここで菊田先生も翌年の演目を変えたのでは??
39年11月 コマミュージカル「アニーよ銃をとれ」
しかしどうしても「日本の日本人によるミュージカルを定着させたい」...その想いが翌年...
40年11月 「芸者春駒」 に繋がる... ここで「日本のミュージカル」は成功を収める。
ここまでの作・演出は菊田一夫先生です。
ここで...普通なら「2の線」を極めるのが「よくあるパターン」...しかし、映画のあたり役「サザエさん」を久々にテレビで演じて高視聴率を獲得していた!チエミさんは難しい喜劇を舞台にかけます。
41年11月 大型喜劇「サザエさん」 脚本・阿木翁助 演出・青柳信雄
翌年からは、趣きを変えます。
関西のテレビを中心に活躍していった作家/花登筐さんを作・演出に選びます。
番頭はんと丁稚どん...など、もちろん無名ではなかった。しかしやはり関西中心の活躍...そして舞台演出なども新喜劇をはじめ南座...など、松竹系の演出が中心だったひとです。あの大ヒットドラマ「細腕繁盛記」は45年からのオンエアー...チエミさんはおそらくこの先生の魅力を早くから認めていて東宝の自身の舞台の作・演出を任せたのではないでしょうか??花登さんの作・演出は45年まで続きます。
42年11月 昔の恋の物語「お染久松」
43年11月 〃 「八百屋お七」
44年11月 〃 「じゃがたらお春」
ここでまた2の線を続けたチエミさんは、翌年また花登先生の演出の喜劇を舞台にかけます。
45年11月 喜劇 「恋と私とやき芋と」
そして芸能生活20周年...歌舞伎をアレンジしたオリジナルミュージカルを舞台にかけます。
46年11月 「チエミの白狐の恋」...この年は私生活に不幸が押し寄せた年...この舞台の劇中歌にはチエミさんのヒット曲も織り交ぜていました。これはこの年早世された長兄・トオル兄さんの案が多く取り入れられていたそうです。作/谷口守男 補綴・演出/福田善之
そして、裁判...ほんとうに激動の渦中に放り込まれてしまったような翌年は、かつて「東芝日曜劇場」で演じ好評を博した山本周五郎原作「みずぐるま」を舞台にかけます。
47年10月 「恋ぐるま」 脚色・演出/福田善之
そして翌年は、先にも書いた朝鮮の古典・春香伝を舞台にかけます。
48年4月 世界の恋の物語 「春香伝」 脚色/安永貞利 演出/松浦竹夫
翌年は、中国の古典に挑戦します。やむにやまれぬ事情で男と偽って突厥との戦いに徴兵される娘。戦場では「女装(女に化けてといってもホントの女なのだが)をして敵地に潜入」して手柄を上げ、国王からもほうびを...」しかし女ということがバレたら... 最後は国王もその愛国精神をたたえ、また「恋愛も成就」でハッピーエンド...というストーリー
49年9月 世界の恋の物語 「花木蘭」 脚色/安永貞利 演出/松浦竹夫
そう、この花木蘭は中国読みで「ホウ・ムーラン」...ディズニーアニメにもなった「ムーラン」です。
わたしは中学生だったから...でしょう。
たしかにこの世界の恋の物語は「壮大な東洋の歴史ストーリー」でした。素晴らしい作品でした。
が...春香は拷問を受ける...目が見えなくなってしまう...とか、
木蘭は、戦闘シーンは「京劇風の剣舞」という演出でしたが、物語が大陸的で「すこしばかりヘビー」な印象を受けています。これ...チエミさんもひょっとしたら??? アタシの舞台はもっともっと庶民的で敷居の低いものがイイのでは??
そんな思いがあったのではないかな??と勝手に想像しているんです。
翌年、またまた2の線を続けたチエミさんは「チエミ喜劇」を立ち上げます。
50年2月 チエミ喜劇 「サザエさん」 演出/松村竹夫
50年12月 〃 「サザエさん」 〃
そして翌年は25周年記念に、松竹新喜劇の藤山寛美さんのあたり役を主人公を女性に替えて...
51年11月 藤山寛美思い付き、お江戸噂話・大和みやげ「鼻のお六」 原作/曾我廼家五郎 脚・演/平戸啓二
52年12月 チエミ喜劇 「お笑い女忠臣蔵」 作/平戸啓二 演出/松村竹夫
そして、53年8月/サザエさんで一旦新宿コマの座長公演を休止し、チエミさんは新たなステップを踏みます。
松竹の京都・南座で53年7月に「二十四の瞳」を音楽劇にして上演します。
54年10月には東宝歌舞伎で長谷川一夫と共演。
55年は、ロス・サンフランシスコ公演、30周年リサイタル...原点に返って「歌」に重きをおいた活動をされました。
またコマ歌舞伎では56年に梅田コマで中村扇雀(現/雁治朗)さんと共演...再び他流試合にも臨みました。
そして...国立劇場で「春香伝」の再演…となるところで...
チエミさんは最後の最後まで歩みを止めなかった。
現状に満足せず...どうしたらお客様が喜んでくれるのか? どうしたら自身の芸が磨けるのか...
そればかりを考えていたのだろうな?!...ということが、このコマの演目だけみても推察できるように思います。
※コマ等「舞台」でのチエミさんの受賞記録です。
37年 スター誕生/芸術祭奨励賞・東京演劇記者会のテアトロン賞
38年 マイフェアレディ(東京宝塚)/テアトロン賞・毎日芸術祭賞・ゴールデンアロー賞の大賞受賞
42年 お染久松/芸術祭奨励賞
46年 白狐の恋/芸術祭優秀賞
47年 1972年チエミ秋に歌う(お芝居は恋ぐるま)/芸術祭優秀賞
48年 新宿コマ「春香伝」/韓国政府より友好記念賞
49年 梅田コマ・中日劇場「春香伝」/韓国政府より感謝状
いつまでも現状に満足しないで歩み続けたチエミさん。
菊田一夫先生のそばにいれば安楽だったでしょうが、松浦竹夫さんや、当時関西中心だった花登さん等次々と演出家を替えておられることも、新しいチエミの魅力探しをしているかのようにも思われます。
私が最初にコマで観たのは「八百屋お七」でした。がらっぱちのお七が恋を知ってがらっと女らしくなる後半のチエミさんのなんと艶やかだったことか、なんときれいだったことか。しっとりとしたチエミさんに諸正直初めてあった気がしました。見事でした。
残念ながら観るチャンスがなかった「白狐の恋」ですが、ラストの有名な別れのシーン。チエミさんが筆を口にくわえて「恋しくば訪ねきてみよ和泉なる・・・・」と障子に書くシーンの演技は絶賛だったようです。別れていく夫と我が子への愛情がふつふつと沸き上がってくる演技と評されていました。
ところが、それに満足せず「鼻のお六」「サザエさん」ですから、コマのように回り続けたチエミさんだったのですね。
新宿コマを最初に満杯にしたのはチエミさんで、ひばりさんはその後にコマに登場します。
大阪の梅田コマ劇場はチエミさんの死後、まるで別れを惜しむかのように「飛天」と名前を変えました。それはコマの歴史はチエミさんとともにあることをしめしてくれたような気がします。
テレビとかは「リラックスして観てる」ので結構覚えているんですけど、開演前から会場の雰囲気に飲まれて「ドキドキバクバク」...あっというまにフィナーレになってしまうので記憶がグシャグシャであります。
はっきりしだすのはやはり中学に上がった春香伝からですね...
白狐の恋は、メイクもあったと思うのですが「本当に狐が取り付いているのでは?」と思うほどの鬼気迫るものがあったことだけは記憶に鮮明に残っています。