江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

2)「江利チエミ」の誕生まで

2005年05月08日 | 江利チエミ(初期記事・本編)

昭和12年1月、東京・下谷に3男1女の末娘として生まれる。本名/久保智恵美。
智恵美...というのは当時ではなかなかモダンな名前。
本人曰く(昭和53年/テレビ番組で)
>チエミ...ってなかなか洒落た名前でしょ。父が客船の...っていても今のクィーンエリザベスみたいなんじゃないんでしょうけど(謙遜して)、バンドマスターだったんです。だからじゃないかしら... と。
父君は北九州の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降これまた独学でピアノ引きに転向したり...ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったらしく、彼女が生まれた頃は船のバンドマスター。吉本興業の所属です。(ゆえにチエミデビュー当時の彼女も吉本の所属です。しかしその頃の吉本は今のようではなく花菱アチャコ・チエミくらいしか稼げるスターはいなかったとか)バンマスを経て吉本所属(東京吉本)の大スター:柳屋三亀松(三味線漫談)の相三味線を勤めます。この三味線も独学で習得...チエミの音楽素養のなかの「順応性/適合性」はこの父親の遺伝子ですね。
このお父さんは「ガラガラ声」...大柄な人でしたが顔もチエミさんがそっくりでした。

母親はSKDが東京に出来る前...宝塚の前身のような「東京少女歌劇」出身の女優:谷崎歳子。のちに浅草の軽演劇の舞台にたち吉本に所属。当時同じく吉本にいた笠置シヅ子(吉本の女将/ドン:吉本せいの長男で学生だった年下のエイスケ氏と彼女は反対を押し切って結ばれます。この段階で吉本を笠置は去ります。エイスケ氏は早世し、のちに1人娘をかかえ彼女はブギの女王として戦後新たなスタートをします。)と共演したり、エノケンとも映画で共演していますが、チエミを身ごもるころより身体を壊し...不遇な女優であったといえます。チエミの父との結婚の前、興行主(座長)と結婚1女をもうけるも離婚。この娘は手放してしまう...この娘こそ、のちにチエミの前に現れ付き人として入り込み、高倉健・チエミ夫妻を離婚に追いやるように画策し、動産・不動産を抵当に数億の使い込みをし裁判の結果、懲役をうけ実刑をくらう...あの悪魔となった義姉です。演技のセンス...はこの苦労人の母の遺伝子なのでしょう。小柄な体型は母譲りだったようです。

子供のころのエピソードなど...昭和27年3月23日刊「週刊朝日」より引用します。

>疎開先の吉祥寺町で町のお祭りに笠木や岡晴夫の声色をやって喝采をうけたり... 
>昭和22年の暮れに父が離職して1年・2年、そろそろ貧乏風が家中に吹き始めた24年の暮に、12歳の久保チエミは渉外芸能人に仕立てられて進駐軍キャンプでお得意のブギを歌うことになる。母親の名づけた江利(エリー)という芸名で父とキャンプ回りを・・・

少女歌手のルーツは「生活を支えるためだった」...この点が美空ひばりとの相違です。
ひばりはひばりママのなし得なかった歌手になる!という夢と自身も歌が好きでベラボウに巧かったということが合致してマメ歌手の人生をスタートしますが、豊かではないまでも実家は父が「魚増」という鮮魚店を営み...家計に困窮していたわけでは決してない。
三亀松さんとのいわば喧嘩別れで父が失職。病床で寝たり起きたりの母。3人の兄...同い年のチエミさんは最初からこれだけのものを背負っていました。
    小柄な小学生の少女の背中に家族の生活の全てがのしかかっていたのです。
長兄も陸軍士官学校出身のひとで英語も堪能だったエリートだったそうですが、戦後の価値観の変化などで色々...父がマネージャー、長兄が付き人という3人3脚での芸能活動がスタートします。

キャンプまわりを始めた頃...
最初のレパートリーは笠置のブギ、支那の夜...などのニッポン語の歌。
当時進駐軍への出演者の仕出しをしていた「茂木」なる人物に、「チーちゃん!英語の歌を歌えたら帝国ホテルに出してあげられるんだけどな---!」と言われ、彼女は懸命に外国の歌を覚えます。
進駐軍の兵隊さんからもらったレコードを蓄音機で...
地下鉄銀座線の最後尾で窓をあけ、騒音に自身の声をかきけしながら...

当時銀座線は 渋谷<------->田原町間を走行。疎開から住み着いた吉祥寺<---(戦前は小田急の支線・大東急に吸収され、戦後京王の支線となった井の頭線)---->渋谷<----(銀座線)------>浅草田原町 という経路が浮かんできます。
浅草は劇場、虎ノ門には虎ノ門ホール、銀座--->進駐軍むけキャバレー、表参道--->進駐軍のワシントンハイツ...といった背景が浮かびます。

これもテレビでの本人の話ですが、
>可愛がってくれていたGIさんと約束して銀座線の中で英会話も習ったのよ...と。

※後年彼女は「英語は喋れない」とか「音符は読めない」...などと言っていました。
 しかし...彼女を知る人のナマの証言も得ています。
 彼女は英語はペラペラでした。その基礎はこの「銀座線の車中」でのマンツーマンの個人レッスン。
 それも...英語の歌を歌うための...
(テレビでの発言/昭和52年:歌手で食べてけないなら勉強してタイプとか習って外国系の会社の秘書にでもなりたい...なんてオーデションを受けていた頃思ってたのよ。
 -->これもチエミさん一流の謙遜であり照れかくしでもあったかと思います。ガラガラっとしたイメージとは違い本質は神経質で繊細な山羊座のA型だったと聞きます。)
 また自身の作の曲を吹き込んだこともありましたし、夫だった高倉健氏にも作曲した楽曲があります。
 ピアノも弾けた...おそらく音符もきちんと読めた人だったはずです。
 ひけらかさない...ということも彼女の心底のスタンスだったと思います。

たしかに彼女は生活が掛かっていた!
 しかし、彼女は歌に確かに魅せられていた!...と。
半端な努力じゃないんです。だって小学生だったわけですからね。
 「歌いたくて歌いたくて仕方がない!何よりも前に歌があった」少女・久保智恵美の横顔が浮かびます。
歌好きの少女はこのとき「ジャズ」という新しい音楽に魅せられていた...のだと。

ここで先に引用したレコードデビュー直後の週刊朝日のインタビュー記事から、興味深い部分を...
●苦手な歌は?
  童謡。ガラガラ声だから。
●好きな日本の歌は?
  音丸さんの船頭可愛や サノサ節 黒田節 ヤットン節も大好き。
  小梅さんや市丸さんの歌もいいけど、虎造さんの浪曲が真似られたらいいヮ。

これは東京12ch(現/テレ東)の年忘れのナツメロ番組で玉置宏さんと司会をしていた時に...
>あたしが最初に人様の前で歌ってお金を頂戴したのは、音丸さんの「船頭可愛や」だったんですよ。
  ♪夢もねれましょ...芸者スタイルの音丸さんが歌った「日本調歌謡」です。

この発言も裏付けているとおり、スタートはジャズではないのです。

歌謡曲が元----->ジャズをモノにしていって----->テネシーワルツ
 それから後に さのさ になり、マイフェアレディ で 新妻に捧げる歌 になり、酒場にて...と。
     この道筋は 江利チエミならではの生い立ちを考えるとごく自然なものです。
また、彼女には「ハンチクな差別意識」というものがなかった。ピュアな心で多くのものをその小柄な身体に吸収していった...のです。

また、こんなやりとりも続きます。

●漫画は?
 塩田英二郎さんの「夢見る夢子さん」その次はサザエさん。プーさんって知らない?

この時よもや生涯のあたり役「サザエさん」を映画--->テレビ--->舞台で自分が演じるとは思いもしなかったはず。

インタビューに戻ります...

●嫌いなひと
  ウソつき。
●もしウソをつかれたら?
  そのひとの所へいって「どうしてウソついたのッ」って言ってやるわ。
●お裁縫
  今、自分でセーター編んでるのよ。
      (中略)
●美空ひばりさんをどう思う?
  節回しが上手ねェ~。
●最大の希望
  日本一のジャズ・シンガーになること。お母さんが居ればなおうれしい。
●一番頼りにする人は?
  人でなくってラジオとレコード。

レコード会社のオーディションはことごとく失敗。
デビュー直前、病床の母は帰らぬ人に...その時チエミは地方のキャンプ回りで死に目にも逢えなかった。
最後の望みをかけたキングに合格!
デビュー曲は自らの意思で会社側の用意した曲を拒絶し、テネシーワルツ/家へおいでよ を吹き込む。
そして大ヒット...
そんな直後のインタビューです。当時彼女は15歳になったばかりです。

最後の一番頼りにする人は?の返答... なんとも云えないです。その後の人生を暗示しているようでもあって...一番嫌いなウソを肉親につかれこの世の地獄を味わって...

江利チエミのスタート時点の見開き2ページの特集記事にチエミさんが凝縮されているようです。

先輩からの言葉も掲載されています。
チエミデビュー前の日本のジャズ女性シンガー№1「ナンシー梅木」...のちに渡米「サヨナラ」でアカデミー助演女優賞を受賞する「ミヨシ・ウメキ」...彼女のコメントです。

>圧倒された。ああいったスタイルは日本に一人しかいない

まさに「これまでにいない歌手」として江利チエミさんは波乱の歌手人生をスタートさせました。
チエミの前にチエミはいない...まさに「新生ニッポンの象徴」であったのが江利チエミである、と私は思っています。


※次回は「チエミさんの声のこと」にふれ、後は「歌」「芝居」など...テーマ別に書き連ねていこうと思います。

「音丸」船頭可愛いや
  https://www.youtube.com/watch?v=So8wzCSK3lA


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4 コメント

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新生ニッポンの象徴 (オランダの薔薇)
2005-06-25 22:37:29
私は、チエミさんの歌を聴いてまず思ったのは、「とてもリズミカルに歌うな」でした。

日本語をリズミカルに歌うという概念は、私は「江利チエミ」以後の考え方と思っています。

後に「はっぴいえんど」特に大滝詠一の歌い方が、ロックのリズムに日本語を乗っける先駆けとなり、今のJ-popの基本的歌唱法と一般的には考えられていますが、実はリズミカルに日本語を歌うのは、江利チエミをもって嚆矢とすると考えるべきでしょう。

それをナンシー梅木は見抜いていたと言うことですね。
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オランダの薔薇さま江 (う--でぶ)
2005-06-26 07:57:29
いや--- 隅々まで読んでくださってありがとうございます。リズム感...ただのノリじゃなく「綺麗に日本語をウラウチのジャズのリズムに乗せ歌う」のは江利チエミが完成させた...と私も思ってます。

江利チエミのベースがあって、その後のカバー歌手のレコードがセールスにつながり、ポップス歌謡も生まれた...と、決して過大評価ではなくそう思っています。
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チエミさんのようにリズミカルに日本語を歌える女性歌手って… (オランダの薔薇)
2005-06-27 22:59:45
私もどうも不勉強で、う--でぶさんにご教示頂きたいのですが、チエミさんのように、ただのノリじゃなく「綺麗に日本語をウラウチのリズムに乗せ歌う」女性歌手っていますかね?

どうも私には、宇多田ヒカルとか浜崎あゆみとかは、そう思えないのですが…



う--でぶさんが、この人はチエミさんのようにリズミカルに日本語を歌うと思われる女性歌手をお教え頂ければ幸甚です。

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いや---難しいですね。 (う---でぶ)
2005-06-28 07:19:13
あえて言うなら...

江利チエミデビューで触発されて27年以降ジャズなどにもトライしていくことによってリズムの取り方に変化が生じ結果として「テク」を上げた「美空ひばり」さん」でしょうか...でもチョット違いますかね??

男なら、ちょっとばかし(邦楽の素養があるゆえに)癖が大きいですけど「坂本九ちゃん」でしょうか???



わたし「チエミさん馬鹿」なので...どうも他に思い当たらないのです。m(_ _)m
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