江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【91】 スーパー少女アイドル 松島トモ子

2005年11月09日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)
映画/サザエさんの初代ワカメは、チエミさんの死後「ミネラル麦茶」のCMを引きついた松島トモ子さんです。

トモ子さんと云えば忘れられない事件が・・・
  フジTVトリビアの泉でも取り上げられたあの事件です。

>松島トモ子はライオンにかまれる年の年賀状に「ライオンに食べられないように祈って下さい」と書いていた... 
補足)松島トモ子のデビュー作は「獅子の罠」
松島トモ子はライオンにかまれたり引きずりまわされたり、引っかかれたりて頭、背中、太ももなどに怪我をした。

>松島トモ子はライオンにかまれた10日後にヒョウにかまれた...
補足)ヒョウは3.5メートルの柵を乗り越えて松島トモ子のいるキャンプ上へ。
寝ている松島トモ子の首を噛み、首の骨を噛み砕いた。松島トモ子は第4頚椎を粉砕骨折。生きていることが奇跡に近いのでニューヨークの学会で発表された。
(生きてることも奇跡に近いが、普通にピンピンしていることすら不思議。恐るべし松島トモ子、恐るべしミネラル麦茶!)

この事件のインパクトが余りにも強いトモ子さんですが、彼女は天才子役として一世を風靡したスーパーアイドルでした。

略歴)
子役として一世を風靡し、現在は舞台、テレビで活躍のタレント。終戦の直前、昭和20年7月の旧満州奉天生まれ。大東学園高校卒業。ザ・マスターズスクール卒(N.Y)。
1才のときに母と共に日本に引揚げるも、父はシベリア抑留のまま死去。3才からバレエを学びはじめ、4才のときにニュース映画で豆バレリーナーと報じられたのがきっかけで、映画界入り。以来、人気子役として三益愛子との母ものや、嵐寛寿郎の鞍馬天狗など約80本の映画に主演。また童謡、ポピュラー、歌謡曲のレコードを出すなど歌手としても活躍する。
ミュージカルの勉強のためニューヨークのザ・マスターズスクールに留学。卒業後も歌はアイディ・ミラーに、モダンダンスはマーサー・グラハム・スクールに学ぶなど芸修業を深める。
帰国後(昭和39年)は舞台出演をはじめ、英語で司会ができるタレントとして活躍を続けている。なかでも、アフリカでテレビ取材中に、ライオン、ヒョウに襲われた話は有名。障害者との車椅子ダンスの普及に努めている。

昭和20年後半から30年前半まで、彼女をバレエの得意な薄幸の少女と設定した、フォトストーリーが少女雑誌で繰り返されていたそうです。(りぼん/なかよし…等)
テレビのない時代、普通の人の倍はあるかという大きな目、耳の上でカールしたヘアースタイルの彼女は、少女達の「スーパーアイドル」であったそうです。


松島さんは折りに触れ、チエミさんのことを・・・
「トモ子ちゃんは、アタシの10年後を追いかけて来なさいよ」ってよく声を掛けてくれて励ましてくれるんです…とよく言っていたことを思いだします。
頼もしい先輩…という表現は、水谷良重(現/二代目・水谷八重子)さん、島倉千代子さんもよくされていました。

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