江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【8】 昭和37年・東映映画 ちいさこべ

2005年08月21日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)
前章「不二家のペコちゃん」で書き込んだ「映画/ちいさこべ」のことを書き込みます。

製作年:1962 配給:東映

スタッフ
監督: 田坂具隆  製作: 大川博  原作: 山本周五郎 
脚色: 田坂具隆/鈴木尚之/ 野上龍雄 
企画: 小川貴也  撮影: 坪井誠  音楽: 伊福部昭  美術: 桂長四郎 

キャスト(役名)
中村錦之助<後の萬屋錦之介>(大留の茂次)
江利チエミ  (おりつ)
中村賀津雄<現/中村嘉葎雄>(利吉)
桜町弘子   (おゆう)
東千代之介  (和七)
織田政雄   (助二郎)
千秋実    (大六)
和崎隆太郎  (松三)
河原崎長一郎 (正吉)
国一太郎   (藤造)

ストーリー
>神田の大工“大留”の若棟梁茂次は、川越で初めての仕事に張り切っていた。そこへ弟子のクロが悲報をもたらした。江戸に大火があり大留は丸焼け、茂次の両親も焼け死んだというのだ。茂次は驚いたものの、後見の大六を江戸へやっただけで自分は仕事の完成まで川越で頑張った。仕事も終り茂次が江戸へ戻ってみると、近所の娘で茶屋奉公をしていたおりつが大工達の世話をしていた。呆れたことにおりつは浮浪児を五人も養っていた。大留の再興を自力で成し遂げようと片意地なまでに思い込んだ茂次は、子供達まで養えないから元の町内へ戻せとおりつをしかるのだった。が、焼跡へ子供達を連れて行ったものの、おりつはどうしても放り出すことが出来ず焼跡の土蔵に子供達と住むことにした。一方、茂次は米問屋上州屋の仕事を貰い、深川の親友和七から資金を借りて大留のたて直しに必死だった。安手の仕事はしないという大留の伝統を守るため、町内の人々に頼まれた家屋普請もあっさり断る茂次は人々から冷たい目を向けられるようになった。そんな時、米問屋上州屋は飢えた人々に襲われせっかくの茂次の名人仕事も未完成のままめちゃめちゃにされた。その騒ぎの中で、追い出した浮浪児のじつ平のうらみを込めた眼差しを見て茂次は耐らなくなり家へ連れ帰った。そんな時クロは、おりつと生活している子供達が食うために泥棒をしているのをみつけた。それを聞いた茂次は、子達を家に引取る決心をした。おりつと子供は再び茂次の家に引とられ、茂次も子供達のように雑草になって生きようと心するのだった。茂次は子供達のために特別の部屋をこしらえてやった。喜んだおりつは、“ちいさこべや”と名づけた。子供達やおりつの生き方から人情というものを知った茂次は、町内の人々の家も建てようと決心した。そして、おりつにはこの大留の家を預って欲しいと心から頼むのだった。

この映画で江利チエミさんは京都市民映画祭助演女優賞を受賞しました。
この映画でのチエミさんは「アイドル江利チエミ映画」とはまったく違った面...を見せてくれます。
歌は1曲江戸の子守唄(よいこのかわいさ)を歌いますが、これはあくまで孤児達のために歌う設定。
♪ぼ---やは--- よいこだ---- ねんね---し--な----ぁ
-->センテンスごとの歌い終わりには「武蔵の国、相模の国」等で民間伝承されてきた語尾をひょいっと「しゃくりあげる」歌い方をしています。
「おりつ」になりきって歌っています。

健気で勝気で...でも心の優しい、自分自身も天涯孤独であり苦界に身を落としかけたというデフォルメできない難しい役を、見事「女優/江利チエミ」は演じ切りました。

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