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孫社長「脱原発」で殴り込み 世直し?商魂?規制に挑む

2011年06月06日 13時19分35秒 | 日記・政治
孫正義
  
2011.6.5 産経ニュース
  
ソフトバンクの孫正義社長が、「脱原発」と「自然エネルギー推進」を掲げ、電力業界に殴り込みをかけた。大風呂敷を広げてみせ、時の首相をもたきつける“商魂”たくましきバイタリティーは健在だ。規制だらけの通信業界に風穴を開けた孫社長。さらに厳しい規制と既得権益でがんじがらめの電力業界でも、“風雲児”となれるのか。

 

 
赤坂での密談
 
 東日本大震災から2カ月をすぎた5月14日。東京・赤坂の料亭で意気投合する2人がいた。菅直人首相と孫社長だ。
 
 国難に当たり多忙な首相だが、会食は2時間以上に及び、「自然エネルギーで盛り上がった」(孫社長)という。
 
 その4日後の18日。菅首相は会見で、福島第1原発事故の賠償問題にからみ、突如として東京電力の「発送電分離」の検討を表明。さらに5月下旬のG8サミットで訪れたフランスでは、「2020年までに自然エネルギー電力20%」「太陽光パネル1千万戸設置」と、政府内で議論もしていない“口約束”を連発した。
 
 「首相の一連の発言に孫社長との会合が影響したのは間違いない」。政府関係者は、こう明かす。
 呼応するように孫社長も動く。25日に関東地方自治会議に出席し神奈川、静岡など19道県が参加する「自然エネルギー協議会」の設立を発表。26日には橋下徹大阪府知事ら関西広域連合と会談し協議会への参加は26道府県に拡大した。
 
 孫社長は、自然エネルギー事業に1千億円規模で投資すると表明。埼玉県との間では、孫社長が79億円、県側が1億円を拠出し、大規模太陽光発電所「メガソーラー」を建設する計画が進んでいるという。
 

 

したたかな計算
 
 なぜ孫社長は突如として、自然エネルギーに目覚めたのか。
 
「孫と私が動くのはいつも『世直し』のとき。今は自然エネルギーの普及を阻む規制と戦ってみたいという気持ちが大半だ」
 
 元民主党衆院議員で孫社長にスカウトされた嶋聡ソフトバンク社長室長は、その心中をこう代弁する。
 
孫社長も、震災後のある会見で、脱原発について問われ、「一人の人間として多くの人々に幸せになってもらいたい」と、答えている。今回の事故を契機に「原発に嫌悪感を持つようになった」(総務省幹部)のは確かなようだ。
 
 もっとも、「慈善事業や社会貢献だけで金を出すような甘っちょろい人物ではない」(通信業界関係者)というのも、衆目の一致するところだ。
 
 実際、孫社長の震災後の行動には、したたかな計算がうかがえる。
 
 布石は菅首相に言わせた「発送電分離」だ。海外では発電事業と送電事業を別々の会社が手がける国も多いが、日本では電力会社が一手に握り、「地域独占」で電力を供給している。
 
原発に比べはるかにコストが高い太陽光など自然エネルギー発電事業をビジネスとして成立させるには、この地域独占を崩す必要があるといわれてきた。発送電分離は、東電と巨大規制産業を切り崩す突破口だ。
 
 ソフトバンクに詳しいアナリストは、「大義と遠大な構想を掲げ、広く世論や社会に訴え、規制緩和で自らに有利な事業環境を整える。規制で守られてきた業界ほど、ビジネスチャンスも大きいというのが、孫さんの考え」と解説する。
 

 

狙いは送電線買収?
 
 さらに株式市場では、「ソフトバンクは東電の送電事業の買収を狙っている」との観測もまことしやかに語られている。
 
 そのメリットは大きい。すべての家庭に張り巡らされた電力線は、通信インフラとして活用できる。今後、不安定な自然エネルギー電力を普及させるため、通信機能を組み込み、需給を制御する次世代送電網「スマートグリッド」の整備が進めば、通信と電力の融合はさらに加速する。
 
 送電塔を携帯電話の基地局に利用すれば、「つながりにくい」との不評も解消できる。
 東電の送電網の資産価値は、原発事故の巨額賠償金を一気に捻出できる4、5兆円とされる。約1兆8千億円を投じて英ボーダフォンから携帯事業を買収し今や売上高3兆円を超える企業グループに成長させた孫社長にとって、あながち無理な金額ともいえない。
 
 ただ、盟友となった菅首相が「退陣表明」後に「居座り続投」を宣言し、袋だたき状態になってしまったのは大誤算だろう。“反菅”の逆風が、自らに向いかねない。果たして孫社長の野望は成就するのか…。(森川潤)

東京を襲う「最大余震」タイムリミットが迫った?

2011年06月06日 13時07分33秒 | 日記・政治
2011/6/5 ネタりか
 
東日本大震災から3カ月を迎えようとしているが、気になるのは最大余震だ。3・11以来、「3カ月以内にM8クラスが」といわれてきた。そのタイムリミットが迫り、いま大地震空白域の千葉県北東部や茨城県南部で起こる余震が注目されているのだ。
 
 3月11日、東京は震度5強の地震で交通機能がマヒし、千葉県浦安市や埼玉県久喜市は大きな液状化被害でいまだ家屋は傾いたまま。いかに首都圏がもろいかが浮き彫りになったが、実はもうひとつ、対策が行われていない“津波”が大きな被害をもたらす危険があるのだ。
 
 東日本大震災では、震源から400キロ以上も離れた東京湾で1.5メートルの津波を観測。もちろん東京都の想定(1.2メートル)を超える大きさだ。なぜ起きたのか。
 
千葉大学の山崎文雄教授(都市基盤工学)はこう言う。
「東京湾は湾口が狭いため、外で起きた津波が入りにくいのですが、今回の津波は、房総半島を回り込んで東京湾に入ったと考えられます。今後、関東地震で東京湾の入り口で大きい地震が起きた場合、数メートルの津波が来ることは想定しておいたほうがいいでしょう」
 関東周辺の大地震や、東京直下型地震が起きれば、東京湾から大量の水があふれ出す。これが恐怖なのだ。防災評論家の大山輝氏はこう言う。
「房総半島沖で起きた1703年の元禄大地震(推定M8.1)では江戸を津波が襲ったと古文書に残されています。そのとき、房総半島の南端にある野島崎は地震で約6メートル隆起して陸とつながり、江戸には3メートルほどの津波が押し寄せ、水浸しになったといわれています。今回の3月11日の津波ですが、東京湾は湾口が狭いため、たまっていた水が揺れの衝撃によってハネて起きた可能性もあります。今後、同様の大きい地震が起きれば、埋め立て地である江東区や台場は大きな被害が出るでしょう。また、標高が低いところで地形として坂のある場所は要注意です。今回の津波は羽田で1.3メートルだったと聞いています。首都高湾岸線のトンネルや羽田空港はもちろん、舗装されている道路や地下鉄も亀裂ができて、そこから水が入る可能性があるので、都心の東京駅や銀座なども水害が起こることを考えておいた方がいいですよ」
 東日本大震災の津波被害は想定外の連続だった。あと10日、ヒヤヒヤビクビクの毎日が続く。

(日刊ゲンダイ2011年6月2日掲載)

菅を「退陣」に追い込んだ小沢一郎の底力と隠密行動

2011年06月06日 13時04分22秒 | 日記・政治
小沢一郎
 
 
2011/6/5  ネタりか
 

●やはり「器」が違った
「一定のメドがついたら退陣」を表明せざるを得なくなった菅。「武士の情け」で小沢は撤収を決め、兵を引いた。小沢と菅――。底力と器の違いを見せつけた政変劇だった。

 小沢はどうやって菅を追い詰めたのか。
 1日は、小沢元代表に続き、鳩山前首相、原口前総務相らが次々と内閣不信任案に賛成を決めたこともあり、アッという間に造反者の数が広がった。小沢グループが都内のニューオータニで開いた集会には77人(代理6人含む)が出席。これには100人近い報道陣から驚きの声が上がった。
「会合は政権交代の時以上に盛り上がりました。『我々こそが民主党の本流だ』という声が上がり、ものすごい団結でした。帰り際に、小沢さんは参加した議員全員と固い握手をしました」(出席した議員)
 大マスコミは小沢の造反劇を、「陸山会裁判を抱え影響力が低下している。これに歯止めをかけるため、苦し紛れにイチかバチかの勝負をかけた」などとシタリ顔で解説してきた。「小沢切りのチャンス」なんて菅周辺の声を大きく扱う新聞もあった。
「小沢氏は早くから倒閣の準備を進めてきた。震災後も首相が自分を使う気がないし、被災地対策がまったく進まないから、もう菅首相を交代させるしかないと、1カ月以上も前に決断していた。しかし、動きが表面化すると潰されるから、おとなしくしていたのです。自分のグループ内をまとめ、鳩山氏や羽田氏と連携を強める一方で、
野党の自民党内の動きを探り、不信任案提出のタイミングをジッと待っていたのです」(事情通)

 この動きにまんまとダマされたのが、菅や岡田執行部だ。造反者の数は「せいぜい10人から20人」と読み、岡田執行部は造反者に「除名」をちらつかせて「解散」で脅せば、小沢チルドレンの1回生議員たちはビビって動くに動けないと甘く考えていたのだ。ところが、開けてビックリ玉手箱である。小沢は本気だったのだ。
「菅や岡田は子分がいないから、小沢のことがよく分からない。命をかけて行動する側近子分がこんなにいることに気がつかなかったのです」(前出の事情通)
 
それで小沢の強気の行動の背景も探らなかったのである。
 小沢は本音では党分裂は望んでいない。血のにじむ思いで政権交代を果たしたのだから、野党の不信任案に賛成票を投じる前に、菅が自ら退陣するよう鳩山とともにプレッシャーをかけてきた。その結果、菅は追い詰められたのだ。
 座敷牢に閉じ込めておけば、そのうち餓死か自然死するだろうと、小沢をほったらかしにしてきた菅と仙谷。小沢という男の怖さを今回は嫌というほど知ったはずだ。

(日刊ゲンダイ2011年6月2日掲載)