ばちかぶり季記 人生いきあたりばったり

なんとかなるもんよ。・・・・・・たぶんね。

善光寺裏山の虫こぶ。ほか。

2019年06月10日 | ながの
先日、法要のため長野市に帰省しました。
久しぶりに会う親戚の人数も少なくなってしまいましたが、
叔父叔母は父方2名、母方2名が健在です。
甥が結婚したので兄の家族は1名増加。

さて、善光寺の北の山の斜面にある霊園で見つけたもの。↓



この時期、実ではなし花ではなし。
たぶん虫こぶ(虫えい)だなと、写真だけ撮ってきて帰宅後に検索。
周辺にどんぐりが落ちていましたから、植物はたぶんミズナラの実生。
ナラメリンゴフシというのがこの物体の名前です。
中にはナラメリンゴタマバチの幼虫が棲んでいるはずです。

虫こぶとは植物が寄生虫の食害に対して異常な形を作るもの。
種類によって果実についたり葉の表面についたり葉っぱ自体が変形したり。
注意して見れば街の生け垣や街路樹にも地味なのができています。
農作物にとってはもちろん害虫ですが、
ヌルデの木にできるものは古くはお歯黒の材料になりました。

ナラメリンゴフシ、けっこう綺麗でございましょ?
ただそれだけの話なんですけどね(笑)。



善光寺平を見おろす霊園。実家はビルの谷間の中。

善光寺さんにはその前日に参拝してあります。



梅雨入り前の快晴の午後、大勧進放生池の亀さんは4匹しか台に登っていませんでした。残念。
醜聞まみれの大勧進さんは天台宗なのでわが実家とは関係なし。
門跡寺院ではないが代々の住職が公家出身の浄土宗尼寺である大本願さんのほうが好きです。
(善光寺は大勧進、大本願の2住職と多数の院坊によって運営されています)

国宝・善光寺本堂内部は、私にとっていつ行っても「ああ、帰って来た」と落ち着く場所です。
門前下で生まれ育って初参りも善光寺ですから、産土神ならぬ産土仏というところです。
出来るなら中でぼぉ~~としていたいところですが、
あいにく快晴の土曜日の午後。多国籍の参拝者(観光客)でワヤワヤ。
お寺さん経営も商魂たくましく、ハヤリのご朱印ブームにのっかって境内あちこちで行列が。
なんだかなーーーーー><



2015年の新幹線金沢延伸にともなってファサードも改装された長野駅。
改装前はただのよくある新幹線駅でしたからまだ少しマシか。
1997年の長野新幹線開業前の古い駅はこんな駅舎でした。昭和11年の写真だそうです。



子供の頃から見慣れた建物や古い商店がどんどん消えています。
高度成長期の大きな公共建築物は建て替え時期になったのでしかたないのですが。
いっぽうで「昔からあるように見えて実は新しい建物」ってのも多い(苦笑)。
観光地だからね。
実家近所にあった創業1864年の味噌醤油醸造の老舗「糀屋本店」も取り壊されましたが
跡地を借りた大手栗菓子店が以前の雰囲気を外観によく残した建物を新築しました。
この栗菓子店は以前に善光寺大門でも蔵造り風の店舗をたてて成功しましたからね。
以前の糀屋本店の店内は表通りから一段下がっていて床は石畳み敷でした。
私が子供の頃(半世紀前)は、ひんやりとして暗いタタキ土間だったような、かすかな記憶があります。
亡母お気に入りだった糀屋さんがなくなったのは寂しいけれど、
ピカピカの近代的な建物じゃなくて、元の面影を残した建物にしてくれて嬉しい。

新旧の写真は むささび工房さんのブログ(←クリックで別窓)に分かりやすい画像がありました。

 スクショ

実家から私が乳児の頃からの写真アルバムを持ち帰りました。
彼らの親である兄の写真ならまだしも、
ここに住んだ事もない甥姪に叔母の写真を残してもゴミでしょう。
自分の子供がいない私本人が生きておるうちに処分します。
興味深い写真もありますので、複写して何か書きたいと思いますが、
まあ、そのうちにね。

あ、私のヘソの緒ももらってきたけど、これってどうすんべ???
死んだ時に棺に入れて一緒に焼いてもらっていいのかしら?


お盆のころ。

2012年08月28日 | ながの
盆前に書いたっきりでしたな。 今年は亡母の新盆なので実家へ行ってきました。
その前に自分ちの墓掃除をして花飾って、仏壇の盆支度は腐らないもの中心に飾って。
ダンナ、迎え火送り火や墓参り用品も揃えておいたからね、あとはまかせたっ と。

長野とはいえ街中な実家は、お盆と言ってもお寺さんの棚経以外は、
お線香あげに来てくださる親戚縁者・近所の方々を待つ自宅待機状態。
とはいえ、兄や甥っ子たちもいるし~~
私は市役所や登記所に行ったりした以外はのんびりと(^^A;

最終日には朝から乗り鉄っ。



かつて成田エクスプレス車両だった長野電鉄湯田中行き特急2100系「スノーモンキー」。
成田エクスプレスってのは、東京駅から先はほとんど成田までノンストップだから、
ここ30年千葉県民やってる私は、津田沼駅を通過していくのを見てたばかりで乗ったことがない。
で、乗ってみたかっただけなんだけど。 下総のカタキを北信濃で??

長野電鉄長野駅で買ったのは “日帰り「楓の湯」クーポン”。
湯田中まで往復(特急券こみ)+日帰り温泉入湯 で、ほぼ半額の1500円ぽっきり。
ずっと前に買おうとしたらその日に限って楓の湯が臨時休業してたので、再チャレンジ(笑)。
詳細は → http://www.nagaden-net.co.jp/webstation/ticket/maple.html

駅前温泉の写真はありませんけどね、お肌つるつる。いいお湯でした。
ただ、なんといってもアチチな真夏ですから(泣)。
熱めな内湯はチャプチャプしただけで、少しぬるめな露天岩風呂で浸ったり立ったりしてました(笑)。
温泉はやっぱり秋冬がいいよねぇ~~。
湯上りに休憩所でのんびりしたければ駅前のコンビニで食糧を調達して入るべし♪
館内で売ってるのは飲料だけです。 コンビニおにぎり美味しいな。

帰りはこれです。1000系特急ゆけむり。元・小田急10000形HiSE。もちろん先頭乗車♪



屋代線にも今年3月末で廃線になる前に乗っておきたかったな。
あの頃は毎月来てても時間の都合がつかなかったのよね。
野暮用がなくなれば、そもそも長野に来る必要がないという必然・・・
ああ、次回こそ新幹線が走る前はさんざん乗った旧・信越本線の「しなの鉄道」に乗りたい。
・・・・・・次回っていつ??

善光寺も行ってきました。 まずはまっすぐ本堂参拝してから帰りにブラブラ。



え? 本堂前で盆踊りなんてやってたっけ? と思ったら近年復活したものらしい。
空が暗くて路面が濡れているのは にわか雨が降ったんです。
私が大香炉の煙浴びて本堂に入った直後にザァーーー!!っと。
他人が濡れても自分だけは間一髪無事なのが、「晴れ女」っつうもんです(笑)。

平成大修理を経て2008年に40年ぶりに再開された山門(重要文化財)二階への登楼参拝もしてきました。
今までいつも順番待ちの列ができていたのにこの日は誰も待ってなかったので。
階段がかなり急ですので御用心。



楼上から見る南側の眺め。正面に仁王門。その先が市街地。右手が大勧進。左手にぬれ仏(延命地蔵)。
街との間に境がなくて24時間通行可能なのが善光寺境内の特徴。
楼内部の写真撮影は禁止ですが、この眺めだけは撮影可。
山門御本尊の文殊菩薩さんと持増広多の四天王さんに、「私はボケませんように。」と頼んできた。
文殊さんだから、まるきり管轄違いではあるまい。



大勧進放生池の亀。板場に積み上がっている時もあるけれど、
さすがに真夏の真っ昼間。みんな水浴中なり。  ちぇ。

海っぺりに帰って来た翌朝は 集落の辻で女衆だけでやる精霊送りのお念仏に出て、
自分ちと親戚と新盆の家のお墓参りは通称「ウラボン」の23日に行きました。 おしまい。



近況など。

2012年06月14日 | ながの
先月19日に愛猫Bが13歳3か月で病死した。
その2週間後には実母が亡くなった。 なんつうか、激動の1か月。

猫はまだ大丈夫かと思っていたが、老母の場合は『やっと本人も楽になった。』と思える状況。
半世紀前なら2年前に衰弱して亡くなったろうが、現代医療では「死なせどき」が難しい。
ま、回復して自分でご飯を食べていた時期もあったから、あれで良かったとする。
親身な介護をしてくださった『野澤苑』と、最後を看取ってくださった『新愛会 田中病院』に感謝する。

親と猫を同列に語るなと亡母に怒られそうだが、長年一緒に暮していたのは猫のほうだからさぁ。
『親の葬儀の間、我の心配をするニャ。』と先に逝っちゃったんだぜ。
それでも、親離れが良すぎた親不孝娘は最後の4年間に少しは孝行できたのかな。どうかな。

葬儀の際にいただいた大量の供花。弔問客やご近所に配りまくってもまだまだ残った。
葬儀の翌々日、兄の発案でその花をかかえて墓地へ行った。
前日が亡父の命日でもあったのでね。 納骨はまだよ。四十九日法要のあと。
善光寺の裏山の霊園に墓を移したのは35年前に父が死んだあとだった。
私の高祖父(曾々祖父)は明治維新まで高田藩士だったので、家の墓は高田(現在の上越市)にあった。
没落してるが実家は本家だ。墓地は藩士会にお返しして墓石ごと丸ごと長野に改葬したわけだ。
母が亡くなった今、その長野にも誰も住んでない状況だけど、
兄には息子が三人もいるから、少なくともしばらくは名字は残るだろう。

母が元気なうちはろくに帰省しなかった親不孝娘が墓参するのは十数年ぶりな気がする。
(私、長男の嫁だから盆は無理だし冬は雪積もってるし下手すると春の彼岸も雪だし~~)



長野市街地一望の絶景かな。





寒いねぇ。

2012年01月20日 | ながの
先週、小正月前に今月の長野行き。
家を出るとき、海っぺりは日なたの気温20度。(これ書いている今日は10度以下。)
高速バスと新幹線乗り継いで長野駅に降り立つと、駅前の気温表示はマイナスだった(泣)。
まあ、暑いよりも寒いほうが私は平気。
むしろ寒い土地に行くとどこへ行っても暖房がきっちり効いているのが困る。
日頃少し寒いくらいの室温に慣れているいから、薄着でも暖房で汗をかいて体がかゆくなる。
同じ素材の下着(ヒートテック類)着てても南房総ではかゆくならないもんなぁ。

久しぶりに正月の善光寺へ行く。初詣はムラの鎮守さまで済ましてあるから初おみくじ目当てか(笑)。



珍しく参拝客がとぎれた瞬間。このあとまたどわっと人が増えた。

善光寺には三判の宝印「御印文」というものがある。
これを頭に押し当てていただくと極楽往生が約束される、つまりは「免罪符」だな。
古典落語の「お血脈」で石川五右衛門が閻魔様に頼まれて盗んだが、
つい押し頂いてしまって極楽へひゅ~~  って話のあれだ。
その御印文頂戴が内陣で行われていたので、頂いてくる。(正月7日から15日まで)
生まれてこのかた私の頭には少なくとも4つ5つ このハンコが押されていることになるが、
免罪符にも使用期限っつうものがあるかもしれないしな。うん。

おみくじは吉でした。
ネットのモナー神社でも吉だったから今年はそんなもんかも。 ま、吉で十分でしょ。

長野行きの目的である老母の様子はこのところ一進二退で、会話がほとんど成立しない。
顔見れば皮肉を言われていたころを思うと、こうなるとなんだかつまんないねぇ。


このところ懐以外に頭も寒いのでニット帽をさがしていた。
色が気に入ればダイソーの100円のでもかまわないのだが。
長野のファッションビル内のエスニックファッション店で見つけた耳あて付き帽子。
てっぺんのフェルト房に一目惚れ。ネパール製です。



私は服装が黒・カーキ・濃灰・濃茶メインなので、小物にビビッドカラーをもってくるのが好き。
とはいえ、これほど派手でしかもこの形・・・(笑)。 んでも、買っちゃった♪♪
海っぺりの田舎に帰ってきて、これ被ったまま近所の郵便局に行ったら注目の的。
本当のところ、ウケてたのか、あきれられていたのかは不明ですが。。。。
雄キジと間違えて撃たれずに済んだ奇妙なオバサンは54歳の誕生日まであと1か月半弱。

雑感。

2011年12月16日 | ながの


今月過日の浅間山。 富士に限らず単独峰の眺めは独特だね。
新幹線車窓から携帯電話での撮影ゆえに「架線柱が邪魔っ。」とか言わないように。
わずかに車内が写り込んでるし(笑)。 画像クリックで拡大。



スターバックスというコーヒーチェーン店がオシャレかどうかはともかくとして、
長野駅前のこの店舗(1階左側)も、自分ちの頭の上にサイゼリヤの看板が来るとは思わなかっただろう。
センスの欠片もないからインパクト絶大(笑)。
2階のここは前はなにが入ってましたかなぁ。たまに1階で小物買う程度だから覚えてないし~。





近況。

2011年03月26日 | ながの
3月11日の東北地方太平洋沖地震。西暦869年の貞観津波以来の規模と判明したようです。
被災された方々、その家族の皆様、避難されている方々にお見舞いを申し上げます。
亡くなられた方々の御冥福をお祈りいたします。行方不明の方々は早く見つかりますように・・・。
人災と言える福島第一原発の安全回復への道はいまだに混沌としています。
人類にとって原子力はやはりまだ手に余る力だったのでは、と思います。

日本は66年前の焼け野原から復興した国です。
人ひとりひとりの痛みがわからない某知事や状況が読めない某球団経営陣やヒトデナシの投資スジは論外として、
痛みをわかちあって前に進みたいものです。

当日・翌日のことは、猫日記 のほうで当地の無事をご報告済みですが、一応こちらでも。
この辺の地質上から揺れも小さく、本震後の千葉沖震源でもほとんど揺れず。
10mの大津波警報が発令されましたが、陸地に遡上せず。
ただ、聞いた話では港では海が渦を巻いて海底が見えるほど潮が引いたあと、
ほかより高く作ってある桟橋いっぱいまで水が来たそうです。(見てないで逃げて!!)
津波が増大するような湾ではないこと、緊急避難港のため防波堤が整備されていること、
大きな川もないこと、などが幸いでした。
しかし三方を山に囲まれ一方が港の当地区の避難場所の海抜はたった11m。その上は急斜面で立ち上がる房総丘陵。
過去幾度も隆起し、関東大震災でも跳ね上がったとされる房総半島南端。
防災避難計画は根本から練り直さねばなりません。


さて、地震数日後。緊急地震速報や市の防災メールで携帯電話が頻繁に鳴る日々。
長野県北部でも大きな地震が発生していましたが、
東京行きの高速バスと長野新幹線が運行開始していたので、長野行きを決行しました。
計画停電で23区外のJRと私鉄がほとんど動いてなかったので東京行きバス乗客もわずか7名。
GSに給油待ちの列が出来ていました。高速道路はガラガラ。トラックがいません。
東京タワーのてっぺんは本当に曲がってしまいました!!
東京駅日本橋口のコンビニ。棚がスカスカ。いつもお弁当が積んである平ケースに山積みだったのはカロリーメイト。
名店街も休業が多く、大丸は食品売り場のみの営業でした。

途中で大事があったら困るなと思いながらも予定通り行ったのは、水道設備屋さんが来ることになっていたからです。
1月の大寒波で実家の水道が室内部分で凍りました。屋外部分は凍結防止に電気で保温しているから油断していました。
人が住んでいない家というのはそれほどまでに冷えてしまうということです。
トイレ便器内に分厚い氷。台所の瞬間湯沸かし器が通水しない。お風呂場のバケツにも氷の塊が・・・
普通の蛇口とガスは使えますから旧ソ連方式の暖房で台所を暖めがてら、ヤカンや鍋で湯をわかし、
流しに湯を張ってその上の湯沸かし器を暖め、頃合いを見て再チャレンジしたら通水しました。
しかし、お風呂の給湯ボイラーは怖くて使えず・・・。

その翌月。2月に行って湯沸かし器の元水栓を開けたら分岐した部分から水がピュ~~~!!
給湯機器全滅。加えて室内はエラ寒。置いてあった着替えの服が氷のようにつめたい。
「ひぃぃぃぃぃ~~~!!」。
今になって考えれば、めちゃ冷たくとも水が出て、ガスも電気も使えたのですから、
現在もライフラインが回復しない被災地の苦労に比べれば大変ゼータクです。
でもまぁその時は、「寒いよ寒いよ寒いよお風呂入りたいよ~~~。」と思いながら海っぺりに帰った次第です。

そんなこんなで今回、設備屋さんに来てもらって、湯沸かし器に至るフレキシブルパイプ交換。
固くて開かなかった水抜き栓もゆるめてもらいました。
ついでにお風呂のシャワーを試してもらったら、通水した途端にシャワーヘッドが根元から折れたーーー!!!
去年ヘッドだけ交換したばっかりのもの。残っていた水が凍ったんでしょうかねぇ。
で、新しいヘッドを調達してきてもらいまして。
外回りの凍結防止も確認してもらいました。次の冬には元栓から閉めたほうがよさそうです。
でも、雪が積もるから開けるのに元栓掘り出すの大変だろうなぁ・・・・目印つけておかなくっちゃねぇ・・・。
というわけで今月は使った鍋やお皿を有難いお湯で洗い、シャワーも使えました。
シャンプーがやたら粘度が高くなってましたが・・・・・・凍ったんでしょうか?
このいきさつは痴呆が進んだ母には内緒です。余計な心配しますから(^^A;

今月もやっぱり雪が降り・・・しかも吹雪状態で・・・・



長野は中部電力ですから停電はありません。
でもやっぱり、「寒いよ寒いよ寒いよ~~~~!!」と海っぺりに戻りました。
帰り道の高速道もすいてましたが、たのもしい石油タンクローリー車の姿が目立ちました。


大雪。

2011年01月22日 | ながの
なんだかジタバタしているうちに日が過ぎていく。
あれやってこれやって、書類読んで表つくって、もらった食料を加工して。
あれ、ひょっとして来月はもう確定申告??(泣)
「寒いと作業がはかどらない。」なんて、真夏と逆の言い訳をする。

そんな寒のさなかに長野行き。
土曜の夜更けに着いたら、しんしんと降る粉雪。片栗粉を踏むようにきゅっきゅと鳴る足元。
留守宅の実家はトイレにも台所にも氷ができていた。
隙間だらけの昔の家じゃあるまいし。 ヒトが住んでいればこんなには凍てつかない。



翌日も、まだまだ降り続ける。5年ぶりの大雪とな?
その5年前のとき、私、長野に来てますね(^^A;。



裏庭、埋もれた。



県庁前の合同庁舎玄関にあったHONDAのハイブリッド除雪機。
現物を見るのは初めてだぁ~~~!
型番(HONDA スノーラi HS1180i)で調べると、2002年6月発売。
一番最初のハイブリッド機の次に出た機種。60~70万円くらいしたんだよね。
いったいどこの所有だろう???
ってか、こういう高級吹き飛ばし型じゃなくてブレード型とかさ、
ハイブリッドじゃない安いのとかを、役所がいっぱい買ってだな。
歩行者用の通路を確保して欲しいもんだ。
この県庁通りはまだマシだが、角を曲がるとまったく雪かきしてない最低の状態。
気温が低くて溶けない。クルマが通行しても固まらない今回の雪。
まるで白砂糖を凸凹に積んだ上を歩くような苦行。ご老人が途方に暮れていた。
昭和通りや長野大通りの歩道は融雪装置が埋めてあるようだったけれど、
歩きやすいのは中央部分だけで、市役所に向かう交差点では雪の堤防で横断歩道に出られない。
降り始め3日目でこれでは、いくらなんでも無策すぎる。
わたしゃ実家の前を朝に晩に雪かきしましたぜ。
(私が帰った後は・・・ごめんなさい、ご近所さん。)
今回の大雪は週末だったせいもあるのかもしれないけれど。



東京行き新幹線、長野駅発車3分後。中央に見えるのは川中島中学校か。
大雪現場を離脱して、暖房がなくても凍え死なない海っぺりにとっとと帰る私(笑)。
雪遊びをするヒマがなかったのが無念。

あれからまだ時々降っているらし。 雪見舞い申し上げ候・・・


銀杏食べたい。

2010年11月21日 | ながの
日ごろ常緑の照葉樹林に囲まれて暮らしていると、
北方向に移動して初めて 「ああ、日本の秋ってこんな風景なのよね。」と気づく。
山は錦。街路樹は一日中ハラハラと葉を落とす。これが秋ってもんだぜっ。



見事な黄金色がどっさり。
紅葉ほかも撮ったが、ケータイのピントが甘く、没っ。



長野で、真昼間に突然ポカッと時間が出来たので、久しぶりに善光寺へ。
去年のご開帳以来か? 歩いても行ける距離なんだが(^^A;
↑ 善光寺山門。
ヒトの背よりも大きい金堂前の大香炉が小さくなっていた!!
どうやら修理に出たらしい・・・ああ びっくりした。正月までには帰って来るんでしょう。
驚きすぎて写真なし(笑)。

おみくじは「吉」でした。



↑ 東京上空。 晴れ女は継続中。



海っぺりに帰ってきたら、風なく、まだら晴れながら海はうねっていた。
大潮で満潮時刻。堤防も港の一部も波の下。
天気晴朗ナレドモ浪高シ。

長野色々。

2010年11月04日 | ながの
4月に当日記で少々触れた、長野市の用水路話。
あれの続きである。
このまま放っておくと忘れ果てるので、とりあえず書いておく・・・(^^A;。





↑ 長野県庁敷地・南西隅の大口分水工。(2010年6月撮影)
思ってたより幅が広く、水路というより川だ。水源に近いだけのことはある。
ここでとりあえず3つ(八幡川・漆田川・古川+計渇川)に分かれ、すぐ先でまた分かれ、
というふうに裾花川扇状地を放射状に広がっていく。
そのうちのひとつを辿りながら帰路についた。写真はいっぱい撮ったが省く。
だって、用水路のネ申ブログ、『永遠の嘘をついてくれ』 に山ほど画像あるからさ~。
ま、ひとつだけ。↓ 私が子供の頃、おままごとの皿を洗った計渇川。石垣だけが半世紀変わらない。



↓ 季節はとんで、10月始め撮影。場所もとんで西和田。北八幡川から分かれた六ケ郷用水。たぶんね。



道端に水門が♪ まわしたい~~♪



なにがうれしいんだか、私に聞くな。私のDNAに聞いてくれ。



35センチ開いてるらしい。このときの水面写真は帰ってから見たら不出来で(^^A;。
↓ 後日、撮り直したが、その日は0センチ。閉まっておりました。



西から東に向かう水路と、北から南に流れる水路が十字に立体交差。
珍しいのかな??



「追海堰」だそうです。

・・・・・・・・・・・・おまけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



唐突に話は変わり、善光寺名物・七味唐辛子の老舗「八幡屋磯五郎」の生姜糖。
善光寺門前の大門店でしか買えないそうですな。これは頂き物。
『ジンジャー』ではなく『しょうが!!』って感じの味。美味しい。
直径10センチ。撮影前にパキッと割っちまった・・・・・・(泣)


・・・・・・・おまけのおまけ。



10月の東京スカイツリー。ぐんぐん伸びてるねぇ・・・。
この手前の草地って、もしかして例の築地市場移転候補地?
土地勘ないから(方向音痴は現住地でも土地勘ないが。)よくわからん(^^A;。


金杏。

2010年06月04日 | ながの
まったく、あっと言う間に6月だ。
母にトラブル発生で4月末から5月末にかけての1ヶ月、実家のある長野市へ4往復した。
今年になってから計9往復か。
それだけ頻繁に行ったり来たりしていると、
ネットで高速バスや新幹線の時刻を調べる時に、自分がどっちにいるかわからなくなる。
『えっと東京発14時・・・・・ちがうちがう、今日は上りだわ。』と。

膝の半月板の件で体重調整の医師命令が出てるので、最近はお菓子類を控えている。
海っぺりの田舎に引きこもっていれば、誘惑もないんだけどね~~。
お遣いもの買いに東京駅グランスタだの大丸だの、長野でもデパ地下だの行くと
ああああ・・・・・・・・・・・・目の毒の山。
自分用洋菓子和菓子の誘惑には打ち勝ったものの、
今回エスニックスパイスを買いに寄った「ながの東急」で買ってしまったもの。
それは、↓ 金杏。



名産のアンズを干して甘く煮たものの缶詰。急に懐かしくなってね。
大正時代から変わらぬ味とパッケージ。らしい。
年中世界中の色々な果物が出回る現代と違い、季節のものしか流通しなかった昔は、
果物屋さんの棚にも麗々しく積んであったような気がする。今はどうかな?
干しアンズがぎっしりだから、けっこういいお値段します。225g入りで500円以上。
製造元は、信越食品工業株式会社
この会社の製品はもっぱらPBやOEM用が多いみたいですな。



↑ 中身はこんな感じ。懐かしい味~~~♪



↑ アイスモナカにしてみました。モナカ皮は、ツナP提供品(笑)。



↑ 見る人が誰もいない実家の裏庭ではツツジが思いっきり咲いていた。
これからは植えたわけでもない草が盛大に伸びる季節だなぁぁぁぁぁ・・・・・
猫のヒタイな地面には毎年ミツバがワサワサ繁茂する。よほどそこが気に入ったらしい(^^A;。
食べられるったって、凶暴なほどに成長したのは美味しくないよぉ。


四月の長野。

2010年04月20日 | ながの
南房総の海っぺりも天候不順が続いていますが、
今月中旬の長野市も例外ではなく、あまり良いお天気ではなかった。
(たっぷり積雪した3月末よりマシだけどw)





曇り空では花の色も冴えないね。(共に品種不明也。)

しばらく通ってなかった道をとってみる。あらまぁ~~~~~~~!!!
「お化け屋敷の森」「山王の森」と呼ばれた場所がこんな無惨なことに。





前にちょっと書いたことがありますね。
これ → 2009年6月12日「植物」
明治まで神社があって、その後洋館があり、私の子供のころは国鉄が使っていた。
池のある広い庭はうっそうとした大樹と生垣の隙間から見るだけだったけど。
洋館はとうに無かったが、残っていた数奇屋建築も取り壊され、大きな池は干され、
樹齢500年とも言われる大ケヤキも道路拡幅工事で既に2本切られたらしい。

残った5本を保存する要望もあるようだが、さて、どうなるか。
詳細は ↓ こちらのかたのブログに。
小林玲子の善光寺表参道日記 『山王の洋館跡のケヤキ』
小林玲子の善光寺表参道日記 TOP
故郷離れて30余年。色々なものが消えていく。

そんな話を、私同様に関東に住む兄にメールしたら、
「この前、割れた額の裏からオマエが書いた絵が出てきたぞ。」と。
・・・・・・・探してみる。
・・・・画用紙裏に私の名前書いてあるねぇ。ほんとに私の?(覚えてない。)
字の感じでは小学校4年生くらいか。



小学校脇の高台(善白鉄道の駅跡)から東の風景だから、美術授業で描いたものらしい。
この絵の右側にある洋風の塔が、森のあった「お化け屋敷の塔」だ。

この絵、中央の道路はこんなに広くないが、近景から中景の建物はちゃんと写生していると思う。
だけど遠景がすっぽり抜けて、いきなり山。(笑)
こっち方向に見る山々はかなり遠くにあるものなのに。 山の形も怪しいな。
う~~~む。子供のころから根気はあまり無かったようだ(^^A;。

接写してきた絵をダンナに見せたら・・・
「その年齢の絵だと、まぁ中の上ってとこだな。」 ど~~せ、わたしゃ「並み」ですよ。

水路のツガイ。

2010年04月02日 | ながの
長野市街地の古くからの中心部は、
裾花川や湯福川の扇状地に発達したものである。
裾花川は大昔に市街地の西端に整えられているが、
北西から広がる地形にそって、今でも水路が何本も斜めに走っている。
私が子供の頃は郊外にはずずっと田んぼが広がっていたけれど、
今はどこまでも行っても行っても宅地が広がっている。
農業用水としての役目はもう終わっているのだろうか?

街中のそんな水路のひとつ。県町通り南県町付近。



妻科から幅下の長野県庁敷地内を抜け、県庁通りをくぐってここまで来て、
写真での私の足元からまた暗渠となる。
再び姿を現すのは、どんどん流れて どのくらい先か??

こんな写真を撮ったのにはワケがあり、中央部を拡大すると・・・↓



カルガモ・・・か??
実家近くにも同じような水路があって、40年前はザリガニ獲ったけどね。
カモはいなかったなぁ。
2羽ということはツガイか。(奥の1羽は水に頭を突っ込んでます。)
ということは季節になればヒナが見られるのかな~~~♪
私が長野へ行くのとタイミングが合えばうれしい、と思った次第なり。

今月の長野行き。

2010年02月19日 | ながの
関東に雨や雪が降っている間に、雪国長野はどうだったか?
聞くところによると、私が行く直前とか未明とか早朝には雪がどんどこ降ったらしいですけど。
昼間はもうこんな感じ。↓



生鮮市場JC(旧国鉄物資部!!)の駐車場から見る長野駅構内。
晴れ女だってたまには雪国気分を味わいたいんですけどねぇ・・・・
あちこちに雪かきした残雪の山は残ってましたけど。

最近、冬の長野は大きな荷物を持った白人さんの姿が目立ちます。
たぶんスキー場に行くんでしょう。
生きている鯨が好きな国の方々でしょうか。 オリンピック見ないんですか?

母のご機嫌伺い以外にも、いつもより多い野暮用をバタバタこなしつつ、
かねてより約束の小太郎夫妻と夕食をイタリアンでハシゴする。
翌日、お昼までお腹がすかなかった・・・ってのはどういうことよ?
あきらかに食べすぎっ(^^A;。
小太郎夫人、次はダンナさん抜きでランチしましょ~~~~(笑)
御馳走の写真はね、まったく撮ってない~♪♪(食べるのに夢中)
オステリア・ガットさんのデザート写真を小太郎氏がアップしてます。

オステリア・ガットさんで話の流れから、お高いバルサミコ酢を味見させてもらう。
あーーーーーー、なるほど。
えぐみ雑味を全部抜いたプルーンのような。。。安物とは別物ね。
帰り道の東京駅で輸入食品の店をのぞく。
おや、前より品揃えが“りーずなぶる”になってる?(^^A;
とはいえ、高級品は買えないが中途半端なバルサミコ酢もいらない。
と、まさに「話のタネ用」な商品があった。



6年・10年・12年熟成モノが7mlずつ3本セットという・・・
計21mlで税込み900円・・・・・・・・・アロマオイルよりは安い、大匙1杯半弱(笑)。


ま、そんなこんなで新幹線も高速バスも爆睡しながら海っぺりの田舎に帰ったら、
自宅でも用事が山積みに・・・・・
誰のせいとは言わないが、留守番は猫共以外には1人しかいないわなぁ。

アンド 今日の空。↓



やっぱり長野より青が濃いか・・・・・。


                 使用カメラ:docomo SH-01B



晴れ女パワーを見よ。

2010年01月19日 | ながの
厳寒のさなか、長野に行っておりました。
折りしも大雪注意報発令。
そこらじゅうでどんどこ降って、
当たり前のように長野・新潟の山間部県境は通行止め。

それでも。
以前は『雪女』だったのに近年は通年の『晴れ女』と化した私が行く場所は・・・・





降らないんだな。これが。
4日目は少々舞ったものの、夜の積雪も数センチ(市街地)。
ああ、そのかわりに放射冷却でガチガチに冷凍庫状態でしたが。



↑ 長野駅前・如是姫の噴水。キミら寒くないんか?


まぁ『注意報』でしたしね。さすがに『大雪警報』を快晴にまでもっていく自信はない(笑)。
でも、雨予報なら曇り。曇り予報なら晴れ。晴れ予報ならとことん晴れ。
というのが『晴れ女』の最近の傾向。 暑がりなのに、真夏はたまりませんわ~~~。

介護施設入居中の母の一時帰宅のため帰ったので、用事が済んだ日にはクタクタ。
善光寺に初詣に行こうかと思っていたが力尽きて挫折。
実家近所の浄土宗『苅萱山寂照院 西光寺』で済ます。
ここの通称は『かるかや山』だが、
子供の頃からの呼び方の感覚では『かるかやサン』だな。『善光寺さん』みたいに。
善光寺の創建1400年には及ばないが、ここだって800年の歴史を持つ。長野駅から徒歩5分なり。
刈萱上人と在俗時代の子・石童丸の、哀しいんだか理不尽なんだかわからない悲話の寺。





おみくじは大吉♪ オマケは実家の守護神、毘沙門天でした。(お江戸の頃は高田藩士。)
来月も晴れるかなーーーーー???


↓ 復路の蛇足。



おなじみ、東京港レインボーブリッジからの眺めですが・・・。
いっつも思うのよね。
「こんなとこ、ザッパーンって大波きたらお終いじゃん?」って。
まあ、東京湾最深部。通常そんなことは無いんでしょう。。。。


実りの秋。

2009年09月18日 | ながの


あれから3週間後の北緯36度36分・東経138度15分の田んぼは黄金色。
もうじき収穫だね~~~~。
(んんーーーーーー  電線じゃま。)



長野電鉄の主要駅では産直品を売っている。
あまりの安さに思わず買ってしまった栗。(オン・ザ・スーパープレイヤー・イチロー)
だって1キロ以上あって250円!!スーパーでも500gで500円弱なのに。



「なにやってんのかなーーーアタシ。」と思いながらも一晩水に浸して翌日茹でて。
何十回と見ててストーリーも台詞も覚えているアニメを見ながら黙々と皮をむく。
3割ほど重さを減らして、海っぺりの家へ持ち帰った。
たぶんそのうち栗の焼き菓子に化けます。。。(現在は冷凍庫に。)



田舎に引っ込んでいれば見ないから買わない。
でも街で見てしまえば買ってしまう、カップヌードル&ガンプラ・コラボ商品。
西友で498円。後で見たコンビニでは578円でした。ヌードルの方がオマケ、だね。
誰がなんと言おうと、私が買うのは量産型ザクⅡ。(まだ組み立ててない。)