ばちかぶり季記 人生いきあたりばったり

なんとかなるもんよ。・・・・・・たぶんね。

善光寺裏山の虫こぶ。ほか。

2019年06月10日 | ながの
先日、法要のため長野市に帰省しました。
久しぶりに会う親戚の人数も少なくなってしまいましたが、
叔父叔母は父方2名、母方2名が健在です。
甥が結婚したので兄の家族は1名増加。

さて、善光寺の北の山の斜面にある霊園で見つけたもの。↓



この時期、実ではなし花ではなし。
たぶん虫こぶ(虫えい)だなと、写真だけ撮ってきて帰宅後に検索。
周辺にどんぐりが落ちていましたから、植物はたぶんミズナラの実生。
ナラメリンゴフシというのがこの物体の名前です。
中にはナラメリンゴタマバチの幼虫が棲んでいるはずです。

虫こぶとは植物が寄生虫の食害に対して異常な形を作るもの。
種類によって果実についたり葉の表面についたり葉っぱ自体が変形したり。
注意して見れば街の生け垣や街路樹にも地味なのができています。
農作物にとってはもちろん害虫ですが、
ヌルデの木にできるものは古くはお歯黒の材料になりました。

ナラメリンゴフシ、けっこう綺麗でございましょ?
ただそれだけの話なんですけどね(笑)。



善光寺平を見おろす霊園。実家はビルの谷間の中。

善光寺さんにはその前日に参拝してあります。



梅雨入り前の快晴の午後、大勧進放生池の亀さんは4匹しか台に登っていませんでした。残念。
醜聞まみれの大勧進さんは天台宗なのでわが実家とは関係なし。
門跡寺院ではないが代々の住職が公家出身の浄土宗尼寺である大本願さんのほうが好きです。
(善光寺は大勧進、大本願の2住職と多数の院坊によって運営されています)

国宝・善光寺本堂内部は、私にとっていつ行っても「ああ、帰って来た」と落ち着く場所です。
門前下で生まれ育って初参りも善光寺ですから、産土神ならぬ産土仏というところです。
出来るなら中でぼぉ~~としていたいところですが、
あいにく快晴の土曜日の午後。多国籍の参拝者(観光客)でワヤワヤ。
お寺さん経営も商魂たくましく、ハヤリのご朱印ブームにのっかって境内あちこちで行列が。
なんだかなーーーーー><



2015年の新幹線金沢延伸にともなってファサードも改装された長野駅。
改装前はただのよくある新幹線駅でしたからまだ少しマシか。
1997年の長野新幹線開業前の古い駅はこんな駅舎でした。昭和11年の写真だそうです。



子供の頃から見慣れた建物や古い商店がどんどん消えています。
高度成長期の大きな公共建築物は建て替え時期になったのでしかたないのですが。
いっぽうで「昔からあるように見えて実は新しい建物」ってのも多い(苦笑)。
観光地だからね。
実家近所にあった創業1864年の味噌醤油醸造の老舗「糀屋本店」も取り壊されましたが
跡地を借りた大手栗菓子店が以前の雰囲気を外観によく残した建物を新築しました。
この栗菓子店は以前に善光寺大門でも蔵造り風の店舗をたてて成功しましたからね。
以前の糀屋本店の店内は表通りから一段下がっていて床は石畳み敷でした。
私が子供の頃(半世紀前)は、ひんやりとして暗いタタキ土間だったような、かすかな記憶があります。
亡母お気に入りだった糀屋さんがなくなったのは寂しいけれど、
ピカピカの近代的な建物じゃなくて、元の面影を残した建物にしてくれて嬉しい。

新旧の写真は むささび工房さんのブログ(←クリックで別窓)に分かりやすい画像がありました。

 スクショ

実家から私が乳児の頃からの写真アルバムを持ち帰りました。
彼らの親である兄の写真ならまだしも、
ここに住んだ事もない甥姪に叔母の写真を残してもゴミでしょう。
自分の子供がいない私本人が生きておるうちに処分します。
興味深い写真もありますので、複写して何か書きたいと思いますが、
まあ、そのうちにね。

あ、私のヘソの緒ももらってきたけど、これってどうすんべ???
死んだ時に棺に入れて一緒に焼いてもらっていいのかしら?



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