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からくの一人遊び

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Don't Give Up - Kate Bush & Peter Gabriel, Cobh Darkness Into Light 2010

2022-02-26 | 小説
Don't Give Up - Kate Bush & Peter Gabriel, Cobh Darkness Into Light 2010



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(ちんちくりんNo,71)


裕子との出会い、未だ若く愚かな僕



 1987年は僕にとって飛躍となった年だった。その年に文芸誌「龍生」が主催する「第一回、龍生文学新人賞」を獲得したからだった。やっと小説家として認められたとそれまでの苦労が報われたように感じたものだ。
 大学を卒業して僕は㈱龍生書房に入社し、新しく創刊する文芸誌「龍生」の編集部に配属された。編集長の椅子には七瀬社長自身が座っていた。あとは他出版社の文芸部から引っ張ってきたという副編集長、ロック専門雑誌編集部から移動してきた二名とあとは作家兼任の契約社員として僕を含めて三名が入社して来ていた。あれ、あと一人は?と編集長に訊いてみたらどうやら作家を諦め田舎に帰ったということだった。
 編集部員としての仕事は意外に多岐に亘っていた。僕としては編集や原稿取りなんかをイメージしていたのだが、それだけではなく文芸誌とは言え、作家への取材等もあり、フリーのカメラマンやデザイナーとの打ち合わせ、ライティング、校正等々の仕事があった。勿論主になるのは正社員で、僕らは彼らに指導されながら覚えて行く形を取っていたのだが、最初は隔月刊だった「龍生」が波に乗って月刊に変わった頃からともかく締め切りに追われるようになり、肝心の小説を書く時間を残すには睡眠時間を大幅に減らさねばならないようになっていった。
 そのような中でも同じ兼業作家である僕以外の二人は、自作が「龍生」にコンスタントに載るようになり、やがて他社からもオファーが来るに至った。
 1986年の年末、彼らはすでに独り立ちし、僕と同じ条件の契約社員は別の面々に変わっていた。僕はと言えば、書いた小説がことごとくボツになり、「龍生」に掲載されたのは初回号だけという散々な有様だった。書いても書いても七瀬社長兼編集長には「君の持ち味が何かよく考えなさい」と原稿を返され、もうどのように書けばいいのか分からなくなっていた。
 切掛けが訪れたのは編集長に直しの原稿をみてもらった時だった。「これ、新人賞に出してみないか」

「新人賞ですか」

「十月にうちの新人賞が新設されたのを知っているよね」

「ええ、勿論ですが、まさか……、それへ」

「君にはチャンスだと思うけど」

「でも、会社内部の者が応募するなんて、不公平じゃないですか」

「その点は大丈夫。一次・二次審査はデビューして間もない新人だとか、編集プロダクションに任せているし、三次はこちらで審査するにしても、最終の審査員は経験豊富なベテラン作家五人だから」

「五人の中には薫りいこさんが入っているんでしたっけ」

「ああ、そうだけど。それが何か?」

 僕は薫りいこの顔を思い浮かべた。……かほるの母親。彼女は例え肉親だろうと決して審査に手を抜くことはしないだろう。そう考えるとこれがきっと三年間、この環境の中での最後のチャンスになるのだろうな、と思った。あとは職を失い、きっぱりと作家を諦めるのか、希望を捨てずにアルバイトをしながらでも書き続け、あらゆる小説新人賞に応募し、次のチャンスを掴むのか……。

「はい。そうさせてもらいます」

 僕は覚悟を決め、文芸誌「龍生」の新人賞に応募したのだった。


 「龍生」の新人賞を獲得してからの僕はとたんに忙しくなった。会社を辞め、「龍生」に定期的に小説を書き、他からも連載小説等の依頼が舞い込んできた。それでもギリギリの生活だったが、そこから五年余りの歳月が経った頃には文壇界最高峰の賞を獲得し、その後は順調にベストセラー作家として躍進していったのだった。



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