からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

David Bowie - Wild Is The Wind (Official Video)

2022-02-27 | 音楽
David Bowie - Wild Is The Wind (Official Video)



雨だれ アルバムロングバージョン(太田裕美)



The The - Slow Emotion Replay (Official Video)



Takedano Komoriuta   ヒートウェイヴ



Henry Martin   ジョーン・バエズ




安倍元首相「核共有」の議論を

よっぽど誰かにかまって欲しいのか?

核共有の議論なんざ、「被爆国として核を廃絶するという目標は掲げなければいけないし、それに向かって進んでいくことが大切だ」ならば最初から必要ないと思うのだが。

相変わらず論理的に話が出来ない情けなさ。

それと・・・。

あなたは、ウラジミールとは”ツーくん”と言えば”カーさん”という程の間柄じゃなかったっけ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Don't Give Up - Kate Bush & Peter Gabriel, Cobh Darkness Into Light 2010

2022-02-26 | 小説
Don't Give Up - Kate Bush & Peter Gabriel, Cobh Darkness Into Light 2010



ペトロールズ - 雨



Ian Brown - From Chaos To Harmony



Cocco「強く儚い者たち 」Music Video (Cocco 25th ANNIVERSARY ver.)



やさしい光 :sweet halo 2011




(ちんちくりんNo,71)


裕子との出会い、未だ若く愚かな僕



 1987年は僕にとって飛躍となった年だった。その年に文芸誌「龍生」が主催する「第一回、龍生文学新人賞」を獲得したからだった。やっと小説家として認められたとそれまでの苦労が報われたように感じたものだ。
 大学を卒業して僕は㈱龍生書房に入社し、新しく創刊する文芸誌「龍生」の編集部に配属された。編集長の椅子には七瀬社長自身が座っていた。あとは他出版社の文芸部から引っ張ってきたという副編集長、ロック専門雑誌編集部から移動してきた二名とあとは作家兼任の契約社員として僕を含めて三名が入社して来ていた。あれ、あと一人は?と編集長に訊いてみたらどうやら作家を諦め田舎に帰ったということだった。
 編集部員としての仕事は意外に多岐に亘っていた。僕としては編集や原稿取りなんかをイメージしていたのだが、それだけではなく文芸誌とは言え、作家への取材等もあり、フリーのカメラマンやデザイナーとの打ち合わせ、ライティング、校正等々の仕事があった。勿論主になるのは正社員で、僕らは彼らに指導されながら覚えて行く形を取っていたのだが、最初は隔月刊だった「龍生」が波に乗って月刊に変わった頃からともかく締め切りに追われるようになり、肝心の小説を書く時間を残すには睡眠時間を大幅に減らさねばならないようになっていった。
 そのような中でも同じ兼業作家である僕以外の二人は、自作が「龍生」にコンスタントに載るようになり、やがて他社からもオファーが来るに至った。
 1986年の年末、彼らはすでに独り立ちし、僕と同じ条件の契約社員は別の面々に変わっていた。僕はと言えば、書いた小説がことごとくボツになり、「龍生」に掲載されたのは初回号だけという散々な有様だった。書いても書いても七瀬社長兼編集長には「君の持ち味が何かよく考えなさい」と原稿を返され、もうどのように書けばいいのか分からなくなっていた。
 切掛けが訪れたのは編集長に直しの原稿をみてもらった時だった。「これ、新人賞に出してみないか」

「新人賞ですか」

「十月にうちの新人賞が新設されたのを知っているよね」

「ええ、勿論ですが、まさか……、それへ」

「君にはチャンスだと思うけど」

「でも、会社内部の者が応募するなんて、不公平じゃないですか」

「その点は大丈夫。一次・二次審査はデビューして間もない新人だとか、編集プロダクションに任せているし、三次はこちらで審査するにしても、最終の審査員は経験豊富なベテラン作家五人だから」

「五人の中には薫りいこさんが入っているんでしたっけ」

「ああ、そうだけど。それが何か?」

 僕は薫りいこの顔を思い浮かべた。……かほるの母親。彼女は例え肉親だろうと決して審査に手を抜くことはしないだろう。そう考えるとこれがきっと三年間、この環境の中での最後のチャンスになるのだろうな、と思った。あとは職を失い、きっぱりと作家を諦めるのか、希望を捨てずにアルバイトをしながらでも書き続け、あらゆる小説新人賞に応募し、次のチャンスを掴むのか……。

「はい。そうさせてもらいます」

 僕は覚悟を決め、文芸誌「龍生」の新人賞に応募したのだった。


 「龍生」の新人賞を獲得してからの僕はとたんに忙しくなった。会社を辞め、「龍生」に定期的に小説を書き、他からも連載小説等の依頼が舞い込んできた。それでもギリギリの生活だったが、そこから五年余りの歳月が経った頃には文壇界最高峰の賞を獲得し、その後は順調にベストセラー作家として躍進していったのだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たからもの 優河

2022-02-25 | 音楽
たからもの  優河



Tears For Fears "Everybody Wants To Rule The World"



宇多田ヒカル『Find Love』Live ver.



Julian Lennon - Midnight Smoke



The Move - Curly (1969) ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)の母体バンド、翌年ジェフ・リンが加入、ELOへ移行



プーチンは何を考えているのだろうか?

何処かで、猫に鈴をつける役目をする者がいれば、停戦になるだろうと誰かが書いていた。

誰がする?

ロシアの一般市民?確かロシアでもプーチンのやることにうんざりしてデモをしているという。

プーチンはそういう一般市民の行動にビビっているそうだが、それだけではまだ弱い。

ロシア軍関係者?軍のお偉いさんの中にはプーチンに反旗を翻したくてしようがない人間がいるらしい。フェイク情報かな。

いずれにしてもプーチンを失脚させなければ事態は収まりそうにない。

それにはまず、内部を崩さなければならぬが、恐ろしいのは(実際に政権転覆が起こったとして)今、第二党であるロシア連邦共産党がトップになった場合だ。何せロシアの再スターリン化を望んでいる党だからな。


本当はね、ドイツ・メルケルさんが未だ首相であったなら、外交政策によって何とかここまでにはならなかったと思っている。


日本も対岸の火事ではない、けれど・・・。

その前に気がめいって来るのはなぜだろうか。

ああ、戦争は嫌だ、醜くて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Nielson - IJskoud (official video)

2022-02-24 | 音楽
Nielson - IJskoud (official video)



Willeke Alberti - Spiegelbeeld (Stereo) (1963)



サンボマスター / ボクだけのもの MUSIC VIDEO



LUCA & There is a fox - Morning



R.E.M. - So. Central Rain (Official Music Video)



今日はさらにもう一曲。

五番街のマリーへ/髙橋真梨子(cover)



と、今日は余計なことを書かずこれでおやすみなさい。(^.^)/~~~
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Shocking Blue - This America • TopPop

2022-02-22 | 小説
Shocking Blue - This America • TopPop


ショッキング・ブルーがオランダのロックバンドだったとはしらなかった。ヴィーナスという曲が有名だけど、この曲も良い。

Suzan & Freek - Als Het Avond Is (Officiële Video)


この辺りが最近のオランダのヒット曲らしい。いいね。基本的にはオランダってエレクトリック・ミュージック大国らしいけど、こういうの聴くと昨今のUKやUSAの音楽の傾向とそれほど「ずれ」みたいのはないように思う。
他にも紹介したいけど、それはまた次にしたいと思う。

井上陽水 - 能古島の片想い



銀のオルゴール(太田裕美)



Tracey Thorn / 'In the Cold, Cold Night'




(ちんちくりんNo,70)


かほるの日記 



 飛行機の中、今は朝と言っていいのかしら……、日記書いています。
 未だ一日が始まったばかりなのに変な奴と思われそう。でもね、ずっと何日もサボっていたからともかく書かなければと。それに考えていたことを今すぐにでも文字にしたかったの。
 
 言いたかった。
 何を?
 好きという言葉を。
 誰に……。
 海人。
 
 でも私は前を向いた。海人が手を振っていたのにもかかわらず無視した。でないとどうしても別れが辛い。
 これで良かったんだって思った。これが正解って。ただ、車が角を曲がってすぐに思わず叔父さんに「止まって!」って叫んじゃったけどね。叔父さんのあの「何事か」って驚いた顔。急ブレーキを踏んで、車を止めてくれたけど……私はしまったと思って、こちらを見ている叔父さんにごめんなさいって謝った。本当にごめんなさい、裕次郎叔父さん。
 それにしても、たった一ヶ月だ。海人と初めて会ってから今日まで……。たったの一か月だったけれど、濃かったなあ、本当に濃くて楽しかった。自分まで大学生になった気分で、映画研究部の部員のようで、まるで……海人の彼女になったような、うふふ―海人の実家まで行っちゃったんだっけ。お母さんはとても楽しい人だったな。お父さんもお姉さんもとても優しい。見られなかった富士山、高村光太郎の碑、送り火のあの、出来事……。
 いつかは懐かしい青春の思い出ってやつになってしまうのかしら。
 そう思えるようになった未来の私を見てみたいなあ。


 ……海人、ごめんね。

 心臓、良性の腫瘍なんて嘘。悪い方らしいの。手術をしても5年生存率が20パーセントもないと言われたよ、大学病院の先生に。さすがにそれは、本当のこと、海人には言えなかった。
 でも挑戦するよ。だめ、かもしれないけど生きたいもの。

 生きて、また……。

 あ、隣のおばあさんが起きたよう。離陸してから話しかけて来て、しばらく話していたの。戦争で生き別れた息子さんに会いにいくそうだ。どういう経緯でそうなったのかはよく分からないけれど、話をしているうちに寝てしまった。また何か話したいのかな。目がそう訴えている。
 戦争の話、そういう問題、そういう話は現代を生きている若い私たちが受け継いでいかなければならないと思っている。
 
 だから教えてね、おばあさん。


1984年8月30日、飛行機の中にて

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする