からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

全米が泣いた!!サンドアート

2019-07-30 | 音楽
全米が泣いた!!サンドアート



butaji - 抱きしめて



Paul Weller - Close To You



"Waist Deep in the Big Muddy" by Pete Seeger





なんとなくね、今が大事なときだと思う。

根拠はないのだけれど、中国、ロシア、北朝鮮、イラン、米国・・・、フランスも。

それらの国の動きが徐々に日本に向かって来ているような気がする。

それぞれ目的は違うけれど。


あとは、英国。
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THE CHARM PARK / LOST【MV】

2019-07-29 | 音楽
THE CHARM PARK / LOST【MV】



Joan Baez ~ House Of The Rising Sun



Linda Ronstadt "Desperado" Live



夜行性の生き物三匹 - ゆらゆら帝国




和も洋も踊りは「腰」が基本のようですな。(-。-)y-゜゜゜


「Desperado」はイーグルスも好きだけれど、リンダ・ロンシュタットバージョンも好きです。




さて、徴用工問題。

終戦の一定期間だけだったんだけれど、強制とかはなかったようです。

ただ、それ以前・・・。

「募集」という名ばかりの実質徴用工と言っていい劣悪な環境での強制労働はあった可能性もあるようです。


これは日本人もいたのか?

そこまでは調べはつきませんでした。



韓国では、今回の日本側の措置について「NO,日本」デモをやっていますが、普通の一般市民(特に学生、知識人)の多くはかなりの恥ずかしさを覚え、「やめなさい」と発言しだしているようです。

ただ心配はあって、「日本人の慢心」

いつまでも自分たちが韓国より上だなんて思うな、ということです。

高純度フッ化水素などの流出・・・。

今度の事で少なからず日本の各企業、打撃はあります。

そして、技術者で大きな不満を持っている人たちは必ずいると思います。

するとどうなるか・・・。

そこがポイントです。



でも、各企業とも以前から相当の神経を使っているようだという情報もあるようなので、ひとまずは安心でしょうかね。

まあ、先ほども書いたけれど、未だに日本が韓国より上だという意識がこの問題だけではなく、いろいろな問題が終結を見ない理由だと思うのですよね。

韓国は日本にようやく追いついたと思っているのに、「上から目線で見やがって」という訳ですよ。

だから、「ホワイト国」からの除外・規制を停止する条件として、両首脳あくまでも日本側からの提案で確かな会談を設け、互いにこの件に関する資料を持ち寄り判断するという方向に向かうべきだと思います。


あまり長引くと、今度は中・露・北朝鮮が・・・・。

トランプ氏の日本への自動車、農業作物などの関税問題も・・・。

消費税10%も・・・。

オリンピック終了後の経済対策も・・・。

水道事業、カジノ。

イラン・米国との問題。


結局いつのまにか日本は食い物にされてお終いということになりかねないのではないでしょうか。



憲法改正だなんて言ってられませんよ、偉い人たちはね。ホントに。


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OAU「Where have you gone」映画『新聞記者』主題歌

2019-07-27 | 音楽
OAU「Where have you gone」映画『新聞記者』主題歌



GRAPEVINE - なしくずしの愛



阿部芙蓉美 - SEXY



カタリーナ・ヴィット/花はどこへ行った





またまた再掲。


えっと、三年前のやつですな。

呆れんで下さいな。(^^;)



やったぜ、じいちゃん



「まったくコロのやつ・・・」

長男が何やらぶつくさ言いながら私の前を通り過ぎた。

「何だ、なにかやったのか?あいつ」

私が呼び止めると、長男はこちらをくるりと振り返り、私に右の手を差し出した。

「ほら、ここみてよ、・・・ここ。あいつおれの右手にかみつきやがんの。寸でのところでかわしたつもりだったけど、遅かったみたい」

みると長男の手の甲が微かに血で滲んでいる。それほど深くかみつかれたのではないようなので私はほっとした。

「なにか、コロを興奮させるようなことをしたのか?」

「別に・・・。ただ、俺を見てあんまり吠えるもんだからさ、ケージを開けていいこいいこしてやろうとしたらこのざま・・」

「あいかわらずあいつはお前にはきびしいんだな」

「うん、仙台行ってからあいつとは顔を合わせていなかったから、忘れてると思ったんだけどなあ。やっぱダメだわ」

「小さいころ、さんざんお前、コロを追いかけまわしたからなあ、その記憶が今でも忘れられないって訳か・・・」

私が長男の顔を見ると、彼は鴨居の上に飾ってある私の父、つまり彼の祖父の写真を見上げていた。

「・・・俺もよくじいちゃんにかみついたっけ・・・・」

彼は何かを思い出したように感慨深げにそう言い、どこか遠くを見る目をしていた。

私は彼のそんな姿を見、そういえばと過去の父と長男のことを思った。



私の長男と私の父は仲が悪かった。

普通は祖父さんは孫を可愛い可愛いで済ませるものであるが、わが父は違った。

長男が小さいころから、父は彼の素行に目を配り、ことあるごとに雷を落としたのだ。

幼い長男は、そのたびに泣き叫び、父に向かっていった。

普通なら父が軽くいなしてお終いとなるところだが、長男は違った。

なんと父に怒られるたび、父の腕にかみついたのだった。

いてて、長男を引きはがしながら怒るのをやめ、その後、父はよく私に言ったものだった。

「この子は素直じゃない。将来どんなもんになるか分からん。今のうちに矯正せんとな」

父は何度も長男にかみつかれながらも、その後も決して雷を落とすことをやめなかった。




そしてある日ある年、そう、もう長男が中学3年になった年の12月、夕飯後に父と長男は例によって大喧嘩を繰り広げていた。

さすがに、長男はもうかみつくことはなくなったが、その代わり言葉でかみつくことを覚えた。

「だから、じじいはだめなんだ」

「じじいだと!じじいとはなんだ、じじいとは!!」

「古いんだよな、考え方が・・・」

「古いだと?古いも新しいもないわい、見苦しいのは一緒だ」

「このセンスが分からないなんて世も末だな」

喧嘩の原因は長男の髪型について父が注意したのが発端だった。

見ると長男の頭は両脇を軽く刈り上げ、頭の中心をちょんと軽く立てている流行の髪型だった。

私は子供には自分で考え、自分で行うことを推奨していたので、彼のすることによっぽどでない限りは文句をつけない主義だった。だから、父が「なんでお前が注意しないんだ」といってきたとき、「目立つ髪型でもなし学校では校則違反にならないんだろ?ならいいんじゃない?」と呑気に返事をかえした。

「まったく!子が子なら親も親だ」

父は憤慨やるかたないといった様相でまた長男に向き直り、「俺は許さんぞ!」と吠えた。

すると長男は飽きれた顔をしてもう議論の余地がないと思ったのか、部屋を出て行こうとした。

「何処へ行く?」

私が声をかけると彼はうんざりとした顔で「明日は土曜日だし今夜は友達のところに泊まってくる。こんなもうろくじじいといるとろくなことねえし」と言ってでていってしまった。

父は喧嘩相手がいなくなるととたんに静かになり、「俺は飲みにいってくる」と言い残して出かけて行った。

私はこうなるとどうしょうもないなと思い、ごろりと横になってテレビを観ながら父の帰りを待つことにした。

それから何時間か父の帰りを待っていたが、父は一向に帰ってこなかった。

いくら酒が強いとは言っても、80過ぎの老人だ。心配になり、父の馴染の飲み屋に迎えに行こうと玄関を出ると小さく”ワン”とコロの鳴き声がした。

もしやと思い、庭に回ると果たしてコロのケージの前に父は胡坐をかいて座り込んでいた。

親父、なにやってんだ。

そう声をかけようとしたが、やめた。

酔った勢いで父がコロに必死に語りかけている様子が見て取れたからだ。

恐らく父は愚痴を聞いてもらいたかったのだろう。コロの困ったような表情が窺えた。

(ごめん、コロ。しばらく親父の話を聞いてやってくれ)

私は静かにゆっくりと父に気付かれぬようその場を立ち去った。


父に異変が起きたのはその次の日だった。

私は二階に居て、父は庭で盆栽の剪定をしているはずだった。

妻はコロを連れて散歩に出ていた。

じいちゃん。

階下から長男の声がしたような気がした。

私は長男は友人のところへ行ったままだと思っていたので、気のせいかと思ってそのままにしていた。

すると、親父ー。大変だ、となにやら差し迫った長男の声が今度は確かに聞こえ、その大きな声に緊急性を感じ、私は急いで階下に下りた。

親父、じいちゃんが、・・・じいちゃんが・・・。

長男の声がする方に向かうと、父が縁側に横たわり、長男が傍に寄り添っていた。

「どうしたんだ」

私が声をかけても、長男は取り乱し、じいちゃん、じいちゃんと必死になって父に呼びかけるばかりだった。

「どこか悪いのか?」私は父を抱き起し、問うと、彼はたどたどしい言葉で「た・た・いし・たこと・ない」と答えた。

言葉がはっきり出てこない。右手もうまく動かせないようだ。私は即座にこれは・・・、と思った。

もしかして、血管やったのか?

取り乱す長男を落ち着かせ、ともかく119番するように言った。

長男はおろおろしながらも居間にある電話を取って何とか救急車を呼んだ。

それから私たちは待った。待っている間とてつもない時間が経っているように感じた。

しばらくして、救急車のサイレンの音が近づいてきたのだが、その音さえもなんだかスローモーションの世界で聴いているようなそんなもどかしさがあった。

救急車が到着したのは長男が連絡してから僅か15分のことだった。

救急隊員たちは、まず父の容態を確かめ、声を掛け、担架を運び込むと手際よく父を乗せ、救急車の後部に運び込んだ。

どなたか一緒に来てくださいという言葉に誘われて、私が救急車に乗り込んだ。

何事かとコロとの散歩から帰ってきた妻が近づいて来たので、私は妻に「後で電話するから。詳しいことはあいつに聞いてくれ」と家の前でおろおろしている長男を指さした。

そうして私と父を乗せた救急車は動き出した。途中でどこか希望の病院はありますかと聞かれたので迷わず私は答えた。

T脳外科病院へやってください。



T脳外科病院に運ばれたあと、父は脳梗塞と診断され、一か月ほど入院したのち、今度はリハビリに特化した病院に転院した。

そこで三か月ほどリハビリを行い、その次は長期療養専用の病院に移った。

そのころには父の右手、左足は完全に動かなくなっていた。

そして、二年、三年と経つと筋力も弱まり始め、もう立ち上がるのも困難になるようになっていた。

父は寝たきりになった。

悪くなることはあっても、決してよくなることはなかった。父は次第に衰弱していった。

そんな父の病状に反比例するように、長男は健全な大人の男になっていった。私と妻が病院に行くと言う前に自ら率先して「病院行くよ」と私達を引っ張り、病室にはいるやいなや、「じじい、今日はどうだ」と声をかけ、ほぼ半日父の話し相手になった。

口は悪かったが、かつての父に歯向かう長男の姿はすっかり身をひそめてしまった。

そして父が入院して四年目のことだっただろうか、長男が私に密かに打ち明けてくれた。

「俺、旧帝大へ行くよ」

長男はその年大学受験に失敗していた。いや、受かった大学はあったのだが行かなかった。

「俺は今まで大学なんてどこ行っても同じと考えていたけどやっぱ行くからには上を目指すわ。・・・・じいちゃんも俺にちっちゃいころから”旧帝大、旧帝大”って言っていたもんな。よっぽど自分が行きたかったんだろうな。俺がリベンジしてやるよ」

父は高卒だった。父の年齢で高卒とは相当大したものだが、よっぽどその上に行きたかったのだろう、父は旧帝大を目指し見事に散った口だった。

「リベンジかあ・・・、まあそれもありだろう」



それから彼のさらなる猛勉強は始まった。それは彼の決意の確かさをあらわしていた。

三か月、半年と経ち、センター試験を一か月後に控えたころには、旧帝大のそれも上位校を受けられるだけの成績を上げるに至った。

長男が父の入院している病院に行き、それを報告すると父は微かに笑い、「よかったなあ」とかすかすな声で答えた。

そのころの父はほとんど食べ物を受け付けられない状況で、医者にはもういつ容態が急変してもおかしくないと告げられていた。

内臓もかなり弱っており、いつ機能停止してもおかしくない状況だ。

あと三か月もってほしい、それは長男のみならず家族全員の望みになっていた。せめて長男が合格の吉報をもってくるまでは・・・。



その望みがあっけなく散ったのは、年が明け、長男のセンター試験も無事終わり、ほっと一息ついたころだった。

私と妻と長男がとりあえず住むところを押さえておこうと全国規模の不動産屋を回っていたときだ。

不動産屋の説明を聞いている最中に携帯が鳴った。

病院からだ。私はすぐに電話に出た。

「・・・Mさんの携帯ですか?」

「はい」

「いま、うちの看護師が見回ったところ、お父さまが息をしていないとの報告を受け、私が診ました」

「・・・それで」

「・・・残念なことですが、お父さまの心肺は停止されたものと思われます」

「そうですか」

「それで、いつこられます?」

「・・・多分、一時間後に」

「分かりました。お待ちしております」

私は医師の事務的な口調に合わせていたって冷静に受け答えをした。

そして電話を切るとその口調のまま妻と長男に告げた。

おじいちゃんが亡くなったそうだ。

長男の悔しそうに唇を噛む姿が一瞬目に映った。


それからの数日間はせわしく忙しい毎日だった。

葬儀屋さんと打ち合わせをし、それから親戚に連絡。

家は神道なので、神主さんに来てもらいまた打ち合わせ。近所の人にも来てもらい、葬儀の手伝いを頼む。

そしていよいよ通夜と告別式。

次の日には親戚や近所への御礼まわり。


全ての行事を終えたころには私たちはほとほと疲れ果てていた。

「あれ?Kは?」

私が長男の姿が見えないことに気が付き、妻に問うと、

「トイレに行ったわよ」

と何か含みのある言い方をした。

そういえば、彼は葬儀のあいだ抜け殻のような顔をしていた。

自分の祖父が亡くなったことが相当ショックだったのだろう。

でも受験は一か月後にせまっている。

私は立ちあがりトイレに向かおうとした。

するとそれを見ていた妻が「どこいくの?」と私を呼び止めた。

「どこって、トイレに行くんだよ。あいつがいつまでたっても戻ってこないから」

「よしたほうがいいわよ」

「えっ?なぜ?」

「まったく、気の利かないひとねえ。あのこは葬儀の間ずっと我慢してたのよ」

「我慢?」

「そう、我慢」

妻にそう言われて私も気が付いた。そう、彼はずっと我慢をしていたのだ。
 
父が亡くなった日も、葬儀の間中もずっと・・・。

私は長男のもとに行くのをやめ、その場に座り込んだ。



「なあ、なにぼーっとしているの?」

長男に言われて私ははっとした。

「ああ、ちょっと昔のことをな、思い出していた」

「昔のこと?いやだなあ、そんなこと思い出す暇があったら息子の身体の心配してよ。・・・かまれたんだぜ、大事な息子の手をさあ」

彼はよく見てよとばかりに手の甲を見せて私の前でひらひらさせた。

「ああ、こりゃ大変だ。コロが食あたり起こさないか、心配だな」

私がそう茶化すと長男は「こりゃあかんわ」という顔をして手を引っ込めた。

そして、オロナイン、オロナインといって部屋を出て行った。


あのあと長男は見事に立ち直った。

最終試験も終わり、合格発表の日、この部屋で彼はインターネットの画面を見つめていた。

41256、41256、彼は大学の合格発表のサイトで必死に自分の受験番号を探していた。

そして自分の番号を発見するとバタンと大の字に寝ころび、鴨居に飾ってある大きな写真に目をやった。

彼は満面の笑顔を浮かべ、そして静かに呟いたのだ。


やったぜ、じいちゃん。
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「ひこうき雲」(music by Q;indivi Starring Rin Oikawa)

2019-07-27 | 音楽
「ひこうき雲」(music by Q;indivi Starring Rin Oikawa)



宇宙のファンタジー  Fantasy - Earth, Wind & Fire



B-3  「花」 鴉鷺



Echo and the Bunnymen - The Killing Moon (Official Music Video)





清原果耶、という女優が気になる。

最初に知ったのはNHK金曜10時のドラマ(透明なゆりかご)、17歳と若いのに表情の演技が素晴らしかった。

調べて見ると、2015年、NHK連続テレビ小説『あさが来た』にレギュラー出演、デビュー。

2016年にはやはりNHK「精霊の守り人」で綾瀬はるかの子供時代を演じたらしい。

その後は民放や映画などに出演し、そして2018年に主役として(透明なゆりかご)への出演となったという訳だ。


そういえば朝ドラ「なつぞら」にもなつの別れた妹役で出ていた。

微妙に痩せていたので、最初は気づかなかったが。


きっと役作りのために減量したのだと思う。


今後は、

マンゴーの樹の下で〜ルソン島、戦火の約束〜 (2019年8月8日、NHK総合)- 主演・奥田凛子 役


結構な大役だ。

多分NHKのプロデューサーがそれとなく育てようと思っているじゃないかと私は勝手に勘繰っている。

そして・・・・、

もしかしたら3年後20歳になったら彼女は、NHK8:00の「朝の顔」になっているんじゃなかろうか。


5分で『なつぞら』第14週 ~なつよ、十勝さ戻ってこい~  クリック、ユーチューブで観てください。<(_ _)>

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America - Sister Golden Hair 1975 (1977, HQ)

2019-07-26 | 音楽
America - Sister Golden Hair 1975 (1977, HQ)



佐野元春: 約束の橋 (2007.6.22 僕らの音楽)



ラジオと二人 Rajie



OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND 夢の跡 歌詞付き





最後のひとりがあと一年半。


さて、・・・旅立っていくのか。



そして私ははじめてそのときに「夢の跡」を知ることになるのかもしれない。


嬉しくもあり、悲しくもあり。
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