野田あすか作曲・演奏「ココロのふるさと」ノーカット版
藤木一惠(小西真奈美) Sunny Day
サンタラ Private Skyline
メリーゴーラウンド singing by AkiraTerao
NHKで赤塚不二夫の物語・ドラマを観た。
良いではないか!( ̄▽ ̄)
赤塚不二夫はね、「天才バカボン」が有名だけど、私は「もーれつあ太郎」が好きだったな。
なんてえか、「フーテンの寅さん」をより戯画化(マンガだから当然か)したような、人情なんてあったりして好きだった。
そういえば、一説には日本にLoveという観念が入って来たときに、それに対する人々のイメージは「情」だったようだ。
つまりLoveする対象は一つではなく、恋人でもあり親でもあり兄弟姉妹でもあり隣人でもあり、そうするとやはり日本人のイメージとしては「情」ではないかというわけだ。
それがなぜ見える形で「愛」という言葉に決まったのかは分からないが、ならば「愛」は「情」で「情」は「愛」で、なんて考えてもいいんじゃないかなんてなんて思うのだ。
そうすると、「人情」は「人の愛」ということで・・・・、なるほど、「フーテンの寅さん」や「もーれつあ太郎」は人間の愛について問う物語で、それらは人間としては究極の物語なのだな、と思うのである。
考えるに最近、日本では人情なんて感覚は廃れてきているように思う。
それはいろいろと原因はあるのだろうが、一つには人間が人間に無関心になってきたことに関係あるのではないかと思う。
(いけない!)
私はこれは非常に由々しき問題だと思っている。
何せ愛の反対は無関心なのだしね。無関心なら「情」の入る隙間などない。
とすると、だんだんこれからの日本は「情(愛)のない社会」になっていくということになる訳だ。
いや、もうなっているのかもしれない。
最近起こっている様々な事件、政府の社会保障費の削減、逆の結果になるのではないかと当事者の遺族が反対しているのにも関わらず、長時間労働の犠牲者を出さないという名目で、「働き改革法」を成立させてしまう社会・・・・。
・・・いやいや、これは「情(愛)のない」どころではなく「情(愛)を破壊する」世界だ、と実は私なんぞは秘かに震えているのである。
こわいです。ホントに。
藤木一惠(小西真奈美) Sunny Day
サンタラ Private Skyline
メリーゴーラウンド singing by AkiraTerao
NHKで赤塚不二夫の物語・ドラマを観た。
良いではないか!( ̄▽ ̄)
赤塚不二夫はね、「天才バカボン」が有名だけど、私は「もーれつあ太郎」が好きだったな。
なんてえか、「フーテンの寅さん」をより戯画化(マンガだから当然か)したような、人情なんてあったりして好きだった。
そういえば、一説には日本にLoveという観念が入って来たときに、それに対する人々のイメージは「情」だったようだ。
つまりLoveする対象は一つではなく、恋人でもあり親でもあり兄弟姉妹でもあり隣人でもあり、そうするとやはり日本人のイメージとしては「情」ではないかというわけだ。
それがなぜ見える形で「愛」という言葉に決まったのかは分からないが、ならば「愛」は「情」で「情」は「愛」で、なんて考えてもいいんじゃないかなんてなんて思うのだ。
そうすると、「人情」は「人の愛」ということで・・・・、なるほど、「フーテンの寅さん」や「もーれつあ太郎」は人間の愛について問う物語で、それらは人間としては究極の物語なのだな、と思うのである。
考えるに最近、日本では人情なんて感覚は廃れてきているように思う。
それはいろいろと原因はあるのだろうが、一つには人間が人間に無関心になってきたことに関係あるのではないかと思う。
(いけない!)
私はこれは非常に由々しき問題だと思っている。
何せ愛の反対は無関心なのだしね。無関心なら「情」の入る隙間などない。
とすると、だんだんこれからの日本は「情(愛)のない社会」になっていくということになる訳だ。
いや、もうなっているのかもしれない。
最近起こっている様々な事件、政府の社会保障費の削減、逆の結果になるのではないかと当事者の遺族が反対しているのにも関わらず、長時間労働の犠牲者を出さないという名目で、「働き改革法」を成立させてしまう社会・・・・。
・・・いやいや、これは「情(愛)のない」どころではなく「情(愛)を破壊する」世界だ、と実は私なんぞは秘かに震えているのである。
こわいです。ホントに。