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「9条俳句」金子兜太さんインタビュー 掲載拒否は「言葉狩り」

2014-09-19 22:45:03 | 異議あり
2014年9月8日付 東京新聞 朝刊記事より

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」はさいたま市の女性(73)が六月、東京・銀座で集団的自衛権の行使容認に反対するデモを見かけ、その光景を詠んだ。女性は三橋公民館で開かれている俳句教室の会員。公民館の月報の俳句コーナーには、会員二十人が互選で選んだ一句が掲載されてきた。「梅雨空ーー」は七月号の句に選ばれたが、公民館は掲載を拒んだ。俳人の金子兜太(とうた)さん(94)は「受け入れるべきだった」と話す。」

----------------以下ネット記事より-------------
 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の俳句を、さいたま市大宮区の三橋(みはし)公民館が月報に掲載するのを拒否した問題で、現代俳句を代表する俳人の金子兜太(とうた)さん(94)は本紙のインタビューに「普通の市民が率直に感じたことを詠んだ句。掲載拒否は言葉狩りだ」と述べ、月報に掲載するべきだったと指摘した。

 金子さんは日中戦争の開戦後、俳句で戦争を風刺した俳人らの弾圧事件を目の当たりにした。

 海軍主計中尉として戦争に参加した経験から、戦後は「戦争のない世の中にしたい」と、人間や社会の現実をテーマにした俳句を詠んできた。

 金子さんは「今回の掲載拒否が前例になれば、一般の人の作品が次々に(社会から)つまみ出されてしまうことになりかねない」と話している。(岡本太)
◆「社会を詠む」は特別じゃない

 -さいたま市教育委員会は「世論を二分するようなテーマの作品は月報にそぐわない」と、掲載拒否の理由を説明しています。

 「市教委は『九条』の言葉に反応したんだろうけど、俺からみたら滑稽だ。作者がデモに好意を持っていたとしても、ごく普通の市民が率直に感じたことを俳句にしただけでしょう。戦後、特に高度経済成長のころから、花鳥風月だけでなく、社会を詠(うた)おうという傾向が広がってきた。『梅雨空-』だって、そういう風潮の中で詠まれた。市教委はそんな俳句の現状に鈍い。過剰に反応するのではなく、余裕を持って受け入れるべきだった」

   -市教委は、公民館の月報に載せる文芸作品の基準も作ろうとしています。

 「(基準ができれば)今回の『梅雨空-』のように言葉狩りになる。非常に危険。だったら穏やかなものだけ作っておこうと、みんな萎縮しちゃう。どんな立場の作品が出てきても、載せたらいい」

   -金子さんは一九四〇~四三年の特別高等警察による「新興俳句弾圧事件」も目の当たりにしましたね。

 「戦争を風刺していた俳人が次々に治安維持法違反で捕まった。俺が所属していた俳句雑誌『土上(どじょう)』の主宰者だった島田青峰(せいほう)先生も捕まった。先生は穏やかな俳句を書いていたのに、捕まるなんておかしいと思った」

   -終戦直前に海軍主計中尉として日本軍の拠点だったトラック島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)に派遣されました。

 「学生のころは、戦争は(日本が)豊かになるためには仕方がない、という気持ちもあった。戦争を甘く見ていた。だけどトラック島では毎日のように誰かが餓死し、米軍の空爆があると五十人から六十人がすっとんだ。戦争なんて無残な死を積み重ねるだけ。こうなる前に、なんで自分は戦争に反対できなかったのか、甘い考えを悔いた。それで戦後、戦争のない世の中にしたいと、社会を題材に俳句を詠み続けてきた」

   -東京電力福島第一原発事故後、金子さんが詠んだ句に「『相馬恋しや』入道雲に被曝(ひばく)の翳(かげ)」などがあります。

 「今や、社会のことを俳句に詠むのは特別なことじゃない。そういうふうに自由に俳句が発表できる環境はとても大切。今回の掲載拒否が前例になれば、一般の人たちのごく普通の作品が、次々に(社会から)つまみ出されてしまうことになりかねない。市教委が今後も『梅雨空-』の句を掲載しないのであれば、掲載拒否が前例にされないよう求めていくことが大切だ」

<かねこ・とうた> 1919年、埼玉県小川町生まれ。同県熊谷市在住。旧制水戸高校在学中に俳句を始める。東京帝国大(現東京大)卒業後、日本銀行に入行。43年に海軍経理学校に入校し、44年にトラック島に派遣された。戦後は社会性俳句の旗手として活躍、56年に第一句集『少年』で現代俳句協会賞を受賞。62年に俳句雑誌「海程(かいてい)」を創刊。代表作に、長崎で詠んだ「彎曲(わんきょく)し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」など。2000年から現代俳句協会名誉会長。

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最近急にこの類の話を目にする事が重なり、その行政他の姿勢に唖然としています
まるで、戦前の検閲みたいな感じもします
安倍政権になって、集団的自衛権が容認されたのと前後して
それに追随するかのような、あるいは時の政府に阿(おもね)るかのような
これらの行政の姿勢には、物も言えないような呆れた思いを抱きます
こんな風に「一夜にして」70年近く続いてきた「民主主義」らしきもの
それが、いとも簡単に踏みにじられようとする日本って何だ?という気がします
まさに「お仕着せ」の民主主義であって、自ら勝ち取ったものではない
そんな気がして、大変情けない思いがします
これが、日本人の本質なのでしょうか?

コメント
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