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今日は宙(そら)で総会がありました。
メンバー、保護者、スタッフが集まって、2008年度上半期の活動報告と、下半期の活動計画の承認を行いました。
私は広報担当で、他の提案とともに、公式HPのデザインと内容の変更を提案しました。
しかし、何をどう改善すべきかについて、具体例、つまり実際のデザイン等を示さなかったため、出席者の人たちの共感は得られませんでした。
具体とは、すなわち形をそなえていること。
HPの変更の提案のようなものは、かならず形を人に見せないと、説得するのは難しい。
ところで、「具体的」な経験とは、何かに直接触れたり、あるいは体験したりすることを意味します。
人は具体的な経験や具体的な事物から、もっとも多くのことを学びます。釣りの本を読むより、実際に釣りをする方が学べるように。
既存の学校教育の問題点は、文字を羅列した情報を頭に詰め込むことに終始し、何かを「体験」「体感」することがほとんどないことにあります。
このことの問題点はすでに多くの教育者に気づかれているでしょう。やたら絵や写真が入ったテキストを使ったり、「体験学習」と称して田舎に子どもを連れていったりするのは、少しでも文字情報以外の学びをさせたいと思っているからでしょう。
しかし、デモクラティックスクールの立場から見れば、それらによって子どもたちが、「生き生きとした体験」をすることは、ないと言えます。
「体験」「体感」ということが、もし体を動かすことによってもたらされるなら、体育の時間や部活動によって子どもたちはそれができていることになります。
子どもたちが何かを「具体的」に感じたり、「体感」したりするためには、ある物・対象に対して、問題関心・好奇心をもたなくてはなりません。
つまり、それら物・対象に対して向かう気持ちがなければ、そこから何かを感じることはないのです。
もし都会の子供が田植えをしても、彼or彼女が田植えに面白さを感じなければ、それはつらいだけの拷問になります。それでは、彼が水や土や草を実際に触っていても、そこから彼が何かを学ぶこともないでしょう。
もし子供たちを「トライアル」と称して無償で働かせても、彼自身がその仕事に興味を持っていなければ、それは学校で教科書を読む作業と何も変わらないでしょう。
子どもに何かを「実感」「体験」してもらうには、子ども自身にやりたいことをしてもらうことです。
それはゲームかもしれませんし、ネットサーフィンかもしれませんし、テレビを視ることかもしれません。いずれにしても、それに彼or彼女が強烈な関心を抱いているのなら、彼らにとってはそれが何かを実感できる体験であり、そこから彼らは何かを学ぶことができるのです。
もし彼らが本当に教科書に好奇心を持つのなら、教科書を読むことだって立派な体験学習なのです。
人は、具体的な経験、具体的な物・事柄しか何かを学ぶことができません。
さらに言えば、人が何かに「具体性」を感じるのは、言い換えれば「生き生きとしたもの」を感じるのは、それに好奇心・問題関心をもつときです。
デモクラティックスクールにカリキュラムがないのは、人間の内側にある好奇心に子供たちに触れてもらいたいからです。
>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
都会のサドベリー・スクール
デモクラティックスクール 宙(そら)
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Tel/Fax 0798-70-0777
公式HP
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参考:「昨日の報告会」
「世界一素敵な学校」No.1テニス上達道場日記