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宙(そら)日記

デモクラティックスクール宙(そら)、神戸サドベリーでスタッフをしていたターボウの個人ブログ

アトリエとしての学校

2008-08-12 23:52:54 | 自分を生きる
10日の「『自分を生きる学校』出版記念講演会」の後に懇親会があり、またその後に有志で喫茶店に行ってみんなでわいわいしゃべっていました。


そこで、これから日本中にデモクラティックスクールを広めようと考えている方が、

「デモクラティックスクールがたくさんできたら、そのうちスクール間で競争が起きるでしょう。

 同時に、各スクールでそれぞれ特色がきっと出てくるよ。

 ずっとサーフィンをしたい人は湘南サドベリーに行く。アートなら宙(そら)へ。みたいにね」

と語ってくれました。



今でもすでにデモクラティックスクールはそれぞれで特色があります。

まっくろくろすけ」は緑の自然に囲まれた場所にあるし、湘南サドベリーはあの湘南にあるし。

宙(そら)の特色の一つは、都会にあること。

宙(そら)がある西宮市は、全国的には有名な地名ではありません。でも、実は神戸と大阪の中間にあって、それら大都市に通勤する人にとってはチョー便利な場所にあります。

都会の中のサドベリー、それが宙(そら)です。


ただ、都会の中にあるので、サドベリー・バレーのように、広大な敷地の中の邸宅というわけにはいきません。

都会としては安値の一軒家にあります。


サドベリー・バレーの自然に溢れた情景を期待する人なんかは、「あれ?」と思うかもしれません。


しかし、サドベリー・モデルの学校で重要なのは、緑溢れる環境というわけではありません。

サドベリーで重要なのは、子どもがやりたいことをする自由を得ること。同時に、他人の自由を尊重するために、共同生活のルールを自分たちでつくり、守ることです。


緑や大邸宅がサドベリーを作るのではなく、上の原則がサドベリーを作るのです。


その場にいる子どもとスタッフが学校を作っていくのですから、デモクラティックスクールの特色は時代と共に変わっていくのでしょう。

と同時に、受け継がれていく文化もできていくのだと思います。



「アートなら宙(そら)」


この言葉を言ってくれた方は宙(そら)に来たことがあるわけではないので、特別な意味を持って言ったわけではないと思います。

それでも、わたしは感じるのですが、これはとても素敵な言葉ではないでしょうか。


アートとは、何も絵の具を持ってカンバスに向かったり、粘土をこねることだけを言うのではありません。


アートとは自分の内なる魂の声を聴くことです。


自分のうちなる衝動を認めること。



宙(そら)が、そしてデモクラティックスクールが目指すべきなのは、あるいはすでになっている状態とは、芸術家にとってのアトリエではないでしょうか。


芸術家が、自分にとって望ましいアトリエが他人の期待するようなものではないからといって、気にするでしょうか?


わたしは、宙(そら)にもっと人が増えて、もっと広い場所に移れたらいいなぁと思っています。


でも、宙(そら)に人が増えても、あるいは今の一軒家でも、宙(そら)は子どもたちにとってのアトリエなのです。


アトリエは、神聖な場所であり、芸術家の承認なしに他人がずかずか踏み込んで来ていいものではありません。


アトリエの中では、徹頭徹尾、すべてが芸術家のために存在します。



「アートを追求するならデモクラティックスクール」



今の宙(そら)がすでに、子どもたちにとってアトリエのような場所となっていますように。






>>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    デモクラティックスクール 宙(そら)

 〒662-0837 兵庫県西宮市広田町2-15
 Tel/Fax 0798-70-0777
 URL http://www.ds-sola.com (ケータイからもOK)


参考:「自分を生きる学校」『Spiritual Sweets information』

宙(そら)を出るとき

2008-07-18 15:04:25 | 自分を生きる



宙(そら)では、教科の勉強をする子もいます。

数学や英語など。

宙(そら)にはカリキュラムはないけど、高校に行きたいと思っている子たちが勉強をしたりしています。



宙(そら)に入学できるのは、4歳から15歳まで。

今宙(そら)に通っているのは、11歳から16歳までです。


宙(そら)などのデモクラティックスクールは、アメリカで生まれたサドベリー・バレー・スクールをモデルにしています。


そのサドベリー・バレー・スクールは、アメリカの教育制度により、正式な学校として認可されています。

創始者のグリーンバーグさんは、単なるフリースクールではなく、正式な学校として認可されることを重要と考えていたと『「超」学校』の中で述べています。


日本で「学校法人」として認められるには、グラウンドや校舎をもっているなど、様々な条件をクリアする必要があるようです。

当然、カリキュラムも必要なのだと思います。


アメリカのサドベリー・スクールの場合、卒業すれば高卒資格が得られるようですし、そこから大学に進学する人も多いようです。

しかし日本でも現在は高校卒業資格の取得方法が多様化しているので、必ずしも既存の高校に行く必要はなくなってくるでしょう。

またそうなるように行政に働きかけて行きたいとわたしは思っています。

しかし、いずれにしても重要なのは、子供たち自身が自分で進路を決めて生きていくことです。宙(そら)を出るときも、そして出た後もずっと。


宙(そら)を出て社会に出るのも、高校に行くのも、あるいは大学に行くのも、子供たちが決めていくのです。

自分で決めるということを学ぶことができるのが、デモクラティックスクールの最大の強みなのですから。

責任を学ぶ

2008-05-28 11:14:44 | 自分を生きる
デモクラティック・スクールで働いていると、子どもをひとりの大人としてみていることに気づきます。

こういうことを書くことは子どもに対して失礼なのですが、デモクラティックスクール宙(そら)に来るまで、わたしは子どもをちゃんとひとりの人間として見ていなかったのではないかと思えるのです。

塾で子どもと接していると、子どもとはこちらが何かを教えてあげなければならない存在と考えます。

また一般的に大人は、子どもがすることはこちらが決めてあげなければならないと考えています。

わたしたちは大人に対しては、その人が何をしようとその人の責任であると考え、その人のすることに対して干渉することはありません。

しかし子どもに対しては、彼らが何をすべきかということに関して、彼らの自主性をまったく認めていないのです。

そのように子どもの自主性を認めないまま、彼らを18歳、あるいは22歳まで育てようとします。

そして、22歳まで自主性を認めずに育て上げたうえで、いきなり社会に放り出して、「さぁ、自分の責任で生きていきなさい」と言うのです。

しかし、それまで自主性と責任を感じる経験をさせてもらえなかった人が、ある日を境にしてそれらを急に身につけるということができるでしょうか?

大人が子どもには自分のすることに責任をもてるような人間になってほしいと思うのなら、また自分のすることは自分で決めることができる人間になって欲しいと思うのなら、まさに今から彼らに、彼らが何をするのかを彼らに決めさせるべきではないでしょうか?

デモクラティックスクールは、子どもにしたいことをする自由を提供する場です。それはこちらから何も教えないことを意味します。同時に、子どもに自分のすることは自分で決めるということを学んで欲しいと私たちは思っています。

そう思っているからこそ、子どもたちに何かを教える・指示するという誘惑に私たちは抵抗しなければならないのです。