コチラの企画、【トラックバック企画】あなたにとってのベストナインに乗ってみた。
しかし、いざ名前を挙げてみたら、いろんな方の虎ベストナインと代わり映えしない結果に。
ならばいっそ独自の選考基準で選んでみた。
名づけて、「わたしにとっての”いぶし銀”ベストナイン」
いぶしぎん 【燻銀】いぶしがかかった銀。そういう色。くすんで渋みがある銀色。
また比ゆ的に、渋く味わいのあるものに言う。「―の演技」
(岩波国語辞典より)
”いぶし銀”ベストナインの選択基準は次の三つ。
1.脇役であること
2.地味だが存在感があること
3.現役ではないこと(記憶のメモリーが多少、揮発しかけてこそくすみが増すわけだ。)
その基準で選んだマイ・ベストナイン
1番 センター 北村 照文(80~87)
守備、肩とガッツは赤星をも凌駕。足も速かった。
現在はスカウトとして活躍。
2番 セカンド 榊原 良行(75~81)
守備とバントと渋い打撃でファンを唸らせてくれた。
フジモンに足りないものはすべてここにあり、って感じだ。
甘いマスクで女性ファンも多かった。
3番 ファースト 遠井 吾郎(58~77)
「仏の吾郎ちゃん」は、ファンにも同僚にも愛されていた。
タイガース在籍20年というのは最長記録。
今年、逝去されたのは記憶に新しい。
4番 レフト 竹之内雅史(79~82)
清原に抜かれるまでの「死球王」。トレードで真弓、若菜とともにパ
リーグからきたとき、つくづくパの人材の奥深さを思い知らされた。
その上、バッティングフォームのユニークさにも、ぶったまげた。
5番 サード 佐野 仙好(74~89)
掛布とドラフト同期入団。その年のドラフト1位。掛布は6位だった。
掛布の出現さえなければ、正サードは彼に託されていたはず。
77年川崎球場でライト大飛球を捕球時にフェンスに激突して頭蓋骨
骨折。誰もが再起不能と思われたのに2ヶ月でカムバック。その第一
打席でホームランを打ったことは語り草になった。現スカウト。
6番 ショート 藤田 平(66~84)
性格が災いして、地味な選手の印象がつよいが、打者としての技量は
超スター級。バットに乗せるようにして、右に左に打球をヒットゾー
ンに運んだ。監督としてのキャリアが汚点か。
7番 ライト 池辺 巌(75~78)
在籍期間は短かったけれど、忘れられないエピソードがある。
デーゲームでのこと。タイガースは三人目の捕手に代わっていたのだ
が、その捕手がプレー中に怪我してしまい、受ける捕手がいなくなっ
た時、仕方なくセンターを守っていた池辺が呼ばれ、急造捕手として
マスクをかぶったこと。小学か中学のとき、遊びでキャッチャーをや
ったことがあったから、みたいな話はあとから聞いた。
8番 キャッチャー辻 佳紀(63~69)
ひげ辻とし、田淵の控えにまわったが、たまに出る試合では、
しぶいキャッチャーぶりだった。打つほうはからっきしだったが。
当時、キャッチャー辻は二人いて、紛らわしかったが、ひげ辻、ダン
プ辻と呼び分けていた。
9番 ピッチャー 谷村 智啓(71~79)
つかみどころのない投手、というのは彼のことを言うのだろう。
”ノラクラ投法”で、ローテーションピッチャーとして、活躍してく
れた。「頼りになるヤツ」という安心感はなかったけれど。
中継ぎ投手 池内 豊(76~84)
江夏との世紀のトレードで、江本と一緒に南海からやってきた。
カミソリシュートを武器に、中継ぎ、抑えで活躍した。
ある意味、私的には江本よりも印象深い投手。
抑え投手 田村 勤(91~00)
全盛期の田村の切れは好調時のウィリアムスをしのぐほど。
相手打者が左打者だと、まず打たれる気がしなかった。
故障続きで活躍した期間は短かったが、印象深い投手の一人。
あらためてこうして眺めると渋いなー。w
しかし、だれもこれをベストナインとは言わないだろうなー。ww
そのうえ、三十路以上のファンでないと通じないだろうなー。www
しかし、いざ名前を挙げてみたら、いろんな方の虎ベストナインと代わり映えしない結果に。
ならばいっそ独自の選考基準で選んでみた。
名づけて、「わたしにとっての”いぶし銀”ベストナイン」
いぶしぎん 【燻銀】いぶしがかかった銀。そういう色。くすんで渋みがある銀色。
また比ゆ的に、渋く味わいのあるものに言う。「―の演技」
(岩波国語辞典より)
”いぶし銀”ベストナインの選択基準は次の三つ。
1.脇役であること
2.地味だが存在感があること
3.現役ではないこと(記憶のメモリーが多少、揮発しかけてこそくすみが増すわけだ。)
その基準で選んだマイ・ベストナイン
1番 センター 北村 照文(80~87)
守備、肩とガッツは赤星をも凌駕。足も速かった。
現在はスカウトとして活躍。
2番 セカンド 榊原 良行(75~81)
守備とバントと渋い打撃でファンを唸らせてくれた。
フジモンに足りないものはすべてここにあり、って感じだ。
甘いマスクで女性ファンも多かった。
3番 ファースト 遠井 吾郎(58~77)
「仏の吾郎ちゃん」は、ファンにも同僚にも愛されていた。
タイガース在籍20年というのは最長記録。
今年、逝去されたのは記憶に新しい。
4番 レフト 竹之内雅史(79~82)
清原に抜かれるまでの「死球王」。トレードで真弓、若菜とともにパ
リーグからきたとき、つくづくパの人材の奥深さを思い知らされた。
その上、バッティングフォームのユニークさにも、ぶったまげた。
5番 サード 佐野 仙好(74~89)
掛布とドラフト同期入団。その年のドラフト1位。掛布は6位だった。
掛布の出現さえなければ、正サードは彼に託されていたはず。
77年川崎球場でライト大飛球を捕球時にフェンスに激突して頭蓋骨
骨折。誰もが再起不能と思われたのに2ヶ月でカムバック。その第一
打席でホームランを打ったことは語り草になった。現スカウト。
6番 ショート 藤田 平(66~84)
性格が災いして、地味な選手の印象がつよいが、打者としての技量は
超スター級。バットに乗せるようにして、右に左に打球をヒットゾー
ンに運んだ。監督としてのキャリアが汚点か。
7番 ライト 池辺 巌(75~78)
在籍期間は短かったけれど、忘れられないエピソードがある。
デーゲームでのこと。タイガースは三人目の捕手に代わっていたのだ
が、その捕手がプレー中に怪我してしまい、受ける捕手がいなくなっ
た時、仕方なくセンターを守っていた池辺が呼ばれ、急造捕手として
マスクをかぶったこと。小学か中学のとき、遊びでキャッチャーをや
ったことがあったから、みたいな話はあとから聞いた。
8番 キャッチャー辻 佳紀(63~69)
ひげ辻とし、田淵の控えにまわったが、たまに出る試合では、
しぶいキャッチャーぶりだった。打つほうはからっきしだったが。
当時、キャッチャー辻は二人いて、紛らわしかったが、ひげ辻、ダン
プ辻と呼び分けていた。
9番 ピッチャー 谷村 智啓(71~79)
つかみどころのない投手、というのは彼のことを言うのだろう。
”ノラクラ投法”で、ローテーションピッチャーとして、活躍してく
れた。「頼りになるヤツ」という安心感はなかったけれど。
中継ぎ投手 池内 豊(76~84)
江夏との世紀のトレードで、江本と一緒に南海からやってきた。
カミソリシュートを武器に、中継ぎ、抑えで活躍した。
ある意味、私的には江本よりも印象深い投手。
抑え投手 田村 勤(91~00)
全盛期の田村の切れは好調時のウィリアムスをしのぐほど。
相手打者が左打者だと、まず打たれる気がしなかった。
故障続きで活躍した期間は短かったが、印象深い投手の一人。
あらためてこうして眺めると渋いなー。w
しかし、だれもこれをベストナインとは言わないだろうなー。ww
そのうえ、三十路以上のファンでないと通じないだろうなー。www