■マキノの山へ■
現在では滋賀県高島市に含まれるマキノ町。「琵琶湖の湖北地方にあるこの町には面白い山がある。」と、聞き及んでいたが、今回故あって是非とも登りたくなったために、妻と二人でアプローチすることになった。

マキノ町内には、とある観光名所があるので、登山口に向かう前に少し南に回り込んでからそこを通過した。

市街地から登山口があるマキノ高原に向かう一直線の道路沿いには、2.4kmにわたって500本ものメタセコイヤが植樹されており、この地を訪れる観光客がよく記念撮影をしている。そして、その姿は圧巻だ。
その並木道の終点から少し西に入ればマキノ高原に入る。

マキノ高原は、冬場はスキー場、夏場はキャンプ場として利用されている。登山客用の駐車場も完備されており、そこで準備を整え、登山口に向かう。訪問当日は連休中だったので、キャンプ場は活況の様子だった。

撤収準備を進める多数の家族を横目に場内を進み、斜面右奥にあるトイレ横にある登山口からコースインした。

今回のコースは、キャンプ場から粟柄峠(あわがらとうげ)を経由し、赤坂山方面へと向かうコースだ。
■コース中盤まで■
コースインして間もなく、木製の階段になるのだが、階段の間にあるはずの土が流れ出ているため、歩きにくいことこの上ない。そこで足下を確認しながら、階段をなるだけ外すルートを歩くことになる。

かなりの段数がある階段部を抜けると、歩き易いコースへと変化する。ブナの木々の間を抜け、更に奥へと向かう。

このコースは、その昔、若狭湾方面から湖北への物流ルートになっていたそうで、粗末な背負子に重い荷物を乗せて運んでいた古人たちの姿を想像すると、その健脚振りには驚くばかりだが、その往来の安全を願ってか、仏像が納められている祠が各所にある。

植生が笹やススキに変わると稜線は近い。そしてもう少し歩くと分岐点の粟柄峠(あわがらとうげ)に出る。

粟柄峠で右折すると、赤坂山山頂へのアプローチになる。

とは言っても稜線上は緩やかで、穂を開いたススキの原っぱを”鼻歌を歌いながら歩く”ような感覚で進んで行ける。

そして、ほどなく山頂に到着する。

そして山頂で昼食となった。

■明王の禿■
赤坂山を後にして、更に北へと向かう。この先には奇岩帯と言うか、奇景と言うべきか、とにかく変わった地形の明王の禿(みょうおうのはげ)と呼ばれる一帯がある。

遠景で望むと、ただ植生がはげ落ちた部分に見えるが、近寄ってみるとこれがスゴイ。急な角度で切り立った谷底には既に崩れ落ちた岩々が粉々に砕け落ちているうえ、砂礫にかろうじて乗っているように見える岩は、今にも崩れ落ちそうだ。オマケに谷底から吹き上げてくる風がかなり強いため、際に立てば否応なく恐怖感が迫ってくる。

明王の禿で”お尻がムズムズする”体験をした後は、来た道を引き返して粟柄峠を越え、その先にある寒風山(峠)から、マキノ高原を目指すコースに入る予定だった。しかし、阿弥陀頭を回ったところで時間切れとなり、来た道を引き返し、下山することになった。

■歩き終えて■
コースの序盤にある荒れた木製階段の区間は当然、下山時の最終区間となる。この区間は結構急なので登りは兎も角、下りでは階段部そのものをハズして歩くわけにはいかない。そのため、一日歩き続けた重量オーバーの我が身にとっては膝の負担が大きく、辛い区間だった。
それ以外はレイアウトも楽しく、特に稜線に上がってからの歩き心地は格別だった。この一帯の稜線は”高島トレイル”という名で知られているそうだ。
「いつかはこの稜線伝いに歩き進んでみたいものだ。」そんな気にさせてくれるコースだった。
現在では滋賀県高島市に含まれるマキノ町。「琵琶湖の湖北地方にあるこの町には面白い山がある。」と、聞き及んでいたが、今回故あって是非とも登りたくなったために、妻と二人でアプローチすることになった。

●高島市マキノ町の標識●
マキノ町内には、とある観光名所があるので、登山口に向かう前に少し南に回り込んでからそこを通過した。

●メタセコイヤの並木道●
市街地から登山口があるマキノ高原に向かう一直線の道路沿いには、2.4kmにわたって500本ものメタセコイヤが植樹されており、この地を訪れる観光客がよく記念撮影をしている。そして、その姿は圧巻だ。
その並木道の終点から少し西に入ればマキノ高原に入る。

●マキノ高原●
マキノ高原は、冬場はスキー場、夏場はキャンプ場として利用されている。登山客用の駐車場も完備されており、そこで準備を整え、登山口に向かう。訪問当日は連休中だったので、キャンプ場は活況の様子だった。

●キャンプ場(林間サイト)の様子●
撤収準備を進める多数の家族を横目に場内を進み、斜面右奥にあるトイレ横にある登山口からコースインした。

●登山口●
今回のコースは、キャンプ場から粟柄峠(あわがらとうげ)を経由し、赤坂山方面へと向かうコースだ。
■コース中盤まで■
コースインして間もなく、木製の階段になるのだが、階段の間にあるはずの土が流れ出ているため、歩きにくいことこの上ない。そこで足下を確認しながら、階段をなるだけ外すルートを歩くことになる。

●序盤の木製階段●
かなりの段数がある階段部を抜けると、歩き易いコースへと変化する。ブナの木々の間を抜け、更に奥へと向かう。

●コースの中盤以降は歩き易くなる●
このコースは、その昔、若狭湾方面から湖北への物流ルートになっていたそうで、粗末な背負子に重い荷物を乗せて運んでいた古人たちの姿を想像すると、その健脚振りには驚くばかりだが、その往来の安全を願ってか、仏像が納められている祠が各所にある。

●祠(その1)●
植生が笹やススキに変わると稜線は近い。そしてもう少し歩くと分岐点の粟柄峠(あわがらとうげ)に出る。

●粟柄峠(あわがらとうげ)●
粟柄峠で右折すると、赤坂山山頂へのアプローチになる。

●祠(その2)●
とは言っても稜線上は緩やかで、穂を開いたススキの原っぱを”鼻歌を歌いながら歩く”ような感覚で進んで行ける。

●ススキに覆われる稜線●
そして、ほどなく山頂に到着する。

●赤坂山山頂付近●
そして山頂で昼食となった。

●山頂にて(標高823.8m)●
■明王の禿■
赤坂山を後にして、更に北へと向かう。この先には奇岩帯と言うか、奇景と言うべきか、とにかく変わった地形の明王の禿(みょうおうのはげ)と呼ばれる一帯がある。

●明王の禿(全景)●
遠景で望むと、ただ植生がはげ落ちた部分に見えるが、近寄ってみるとこれがスゴイ。急な角度で切り立った谷底には既に崩れ落ちた岩々が粉々に砕け落ちているうえ、砂礫にかろうじて乗っているように見える岩は、今にも崩れ落ちそうだ。オマケに谷底から吹き上げてくる風がかなり強いため、際に立てば否応なく恐怖感が迫ってくる。

●この先は断崖状に落ちている●
明王の禿で”お尻がムズムズする”体験をした後は、来た道を引き返して粟柄峠を越え、その先にある寒風山(峠)から、マキノ高原を目指すコースに入る予定だった。しかし、阿弥陀頭を回ったところで時間切れとなり、来た道を引き返し、下山することになった。

●この先で断念●
■歩き終えて■
コースの序盤にある荒れた木製階段の区間は当然、下山時の最終区間となる。この区間は結構急なので登りは兎も角、下りでは階段部そのものをハズして歩くわけにはいかない。そのため、一日歩き続けた重量オーバーの我が身にとっては膝の負担が大きく、辛い区間だった。
それ以外はレイアウトも楽しく、特に稜線に上がってからの歩き心地は格別だった。この一帯の稜線は”高島トレイル”という名で知られているそうだ。
「いつかはこの稜線伝いに歩き進んでみたいものだ。」そんな気にさせてくれるコースだった。
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