中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

冬の大徳寺 その1

2012-02-25 12:30:00 | 旅行
■釣りに行けない日々■

 週末ごとにやって来る寒波のために、全く釣りに行けない日々が何週も続いている。 先週の週末も同様だったが、とりあえずこの日は家族3人で所用と昼食を済ませた後、何もせずに貴重な休日を過ごすのは勿体ないことなので、急に思い立って京都へ行くことになった。
 前日は、京都市内でも雪が降り、金閣寺の雪景色が報道されていたが、その様子から、北側を目指した方が景観的にも良さそうだという判断があって、前々から行きたかった、大徳寺に向かうことになった。

●大徳寺境内へと向かう参道●

 「寺巡り」を楽しむ方法は「建築物」「仏像」「庭園」「花や草木」等々、色々とあるが、ボクの場合は境内全体のコンセプトというか、表現したい世界観であるとか、そこに漂う空気感の方に興味がある。果たして大徳寺には、どんな世界があるのだろうか?。そこが楽しみだ。

■大徳寺の塔頭■

 大徳寺は臨済宗の大本山であるから、その規模は大きく、塔頭(たっちゅう=禅宗寺院の開山後に弟子たちが遺徳を慕って、その周囲に建てた小院)の数も多い。
 塔頭の中でもボクが見たかったのは總見院(そうけんいん)だった。ここは織田信長の法要を豊臣秀吉が盛大に執り行ったところとして有名であり、廟所でもあるうえ、木像までもが安置されている。(總見院とは信長の法名)
 しかし、残念ながら、その總見院はこの季節には一般公開されておらず、見ることは出来なかった。
 この点に関しては「下調べをしていれば良かった」と後悔したのだが、その他に、石田三成、黒田長政、金森長近、前田利家、小早川隆景、そして細川藤孝(幽齋)と息子の忠興といった戦国時代の有名武将にゆかりのある塔頭が並んでいるので、チョッとだけ戦国史マニアのボクにとってはそれだけでも価値があった。

●広い境内の案内図●


■龍源院■

 思ったほどには残っていない雪に惜しみはあったが、常時後悔されている塔頭の一つである龍源院(りょうげんいん)にまずは入ってみる。
 ここは畠山氏、大内氏、大友氏、と金森氏に縁がある塔頭だそうで、禅寺の特徴である、方丈建築と枯山水の庭で構成されている。

●枯山水の庭●

 中でもボクの目にとまったのは今年の干支である、龍の襖絵(ふすまえ)だ。
 大徳寺では法堂にある、狩野探幽による天井絵=雲龍図が殊に有名であるそうだが、これまた残念にも一般公開されていなかった。だから、こちらの絵で我慢?するしかなかったのだが、この襖絵は作者不明ながら、圧巻であった。

●龍の襖絵●

●ドイツからの観光客達がたたずむ●


■瑞峯院■

 次なるは瑞峯院(ずいほういん)。ここはキリシタン大名で有名な大友宗麟(おおともそうりん)が、自らの菩提寺として創建したそうである。
 「キリシタンなのに、何故か禅寺?」というところが不思議である。
 ここは独坐庭(どくざてい)という、枯山水が見事だ。案内パンフレットによると、
 「峨々たる蓬莱山の山岳から半島になり、大海に絶え間なく荒波に、打ちよせもまれながら雄々と独坐している、大自然の活動を現している。」
ということだそうだ。

●独坐庭(どくざてい)●

●茶室●

 上述した、「キリシタンなのに、何故か禅寺?」という部分に関して、帰宅後に調べ直してみた。その結果、本堂裏に「閑眠庭」という、石組を十字架形に配置した庭があったということに気付かされた。訪問時にはすっかり見落としていたが、気付いていれば如何にも日本的な解釈を垣間見ることが出来ただけに残念だ。


■大仙院■

 続いて訪問したのは本坊裏にある、大仙院(だいせんいん)という塔頭だ。
 ここは、内部の撮影が禁止されているので、写真はないが、専門の解説員(おばさんたち)が定期的に案内をしてくれる。この人達が内部の部屋や庭の意味、禅の書の解説などもしてくれるのだが、それが面白い。そのせいか、「撮影禁止」とあるのとは逆に、かなり雰囲気がオープンに感じる。

●国宝の「現存する中では、日本最古の玄関」●


■散策の途中…■

●残念ながら見られなかった總見院前にて●

●ひなびた雰囲気の石畳●


 その2へ続く
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Vドラムがやってきた!

2012-02-18 12:30:00 | 音楽
■バンド小僧だった頃■

 それは35年も昔の、ボクが中学3年の時のこと。中古のドラムセットを手に入れたことを機に、それまでは聴くだけのモノだった音楽が、ボクにとっては演奏するモノにもなった。
 以来、バンド小僧になってヒマがあれば叩いていたのだが、真剣に叩いていたのは18歳の頃までだった。以降も時折叩いてはいたが、元より性格が飽き性であり、才能も豊かな方ではなかったので、「まぁ、こんなモンか」程度のドラマーであり、人に自慢できる程ではない。
 そして、気付けば全く触れることも無くなり、いつしか忘れ去るようになっていた。

 しかし、楽器というモノは不思議で、ある瞬間に無性に触りたくなることがある。
 そんな時、他の楽器の場合、特に電気楽器というモノであればヘッドフォンでモニターすれば、他人に聞かれて迷惑になることもなく演奏できるのだが、ドラムの場合はそうは行かない。叩けば即、近所迷惑だ。しかもセット自体が巨大な故、ふと触りたくなる程度ではセッティングできないから、諦めの方が先に立つ。第一、普段の保管場所にも苦労するから、普通の場合であれば興味が無くなると処分して手元に残っていないことが多いだろう。
 しかし、時代が変わり、今では電子ドラムという分野がある。これであれば、パタパタという打音がするだけで、ドラム音はヘッドフォンでモニターできるから、誰に気兼ねをすることもなく思う存分?叩くことができるうえ、使用しないときは小さくたためる。だから事情は大きく変化しているのだ。


■憧れのVドラム■

 その電子ドラムであるが、今から10年ほど前にとある楽器店でROLAND社製の「V DRUM」というモノに出逢って以来、ずっとボクの「欲しいものリスト」に入っていた。しかしそれは楽器屋に立ち寄った際にカタログをもらうだけのことであって、当初は高価だったため、単に「あこがれていた」と言った方が正確だろう。
 しかし、ここ近年はコストダウンされて販売価格も随分と下がっている。それでも予算オーバーの状態だったので、時折オークション内の中古品を物色していたある日、オークションの出品されていた、とある中古品に目が向いた。
 諸事情をクリアした後、それをウマく適価で落札することが出来て、ようやく部屋への配置が完了したのである。

■セッティング完了!■

 標準の2タム&1フロアタムの構成の場合、設置スペースは120cm四方あれば事足りるから6畳の部屋であっても、そう場所をとらない。しかも、折りたたもうと思えば50cm×120cm程になるので、更にコンパクトになる。
 肝心のタッチはメッシュパッド(白いパッド)については本物に近い感触があるが、黒いゴム製のパッドや、シンバルパッドは当然と言えば当然だが、やはり「ゴム感」を感じてしまう。
 音については、太鼓類は本物に近いが、シンバルの音の立ち上がり方や粒だち感に決定的な違いがあり、特にハイハットシンバル(左足を乗せ、ペダルの踏み込み量で制御するシンバル)には独特のクセがあって、これ専用のタイミングがを覚える必要がある。
 まぁ、そういった違いがあるものの、これだけの音、タッチ感を、この価格と静音性で味わえるワケであるから贅沢は言えない。
 また、CD等の外部音源をミックス・インできる点は嬉しい配慮だ。この機能のおかげで、メロディ楽器ではないせいか、あまり楽しいものではないドラムの単独練習が、セッション感覚でできるようになり、楽しさもアップする。


■趣味と実益■

 というワケで、誰に聴いてもらえるでもなく、ヘッドフォンを装着しながら夜な夜な練習する変なオジサンと化しているのだが、よく考えてみると、釣りにしたって、スキーにしたって、今のボクが「楽しい」と思ってやっていることは、二十歳台前半までに経験し、趣味としていたことを一旦中断し、再開したモノばかりだ。
 「若い時の様々な経験は人生に貢献する。」とは、昔からオジサン連中が若い世代に向かって言うセリフだ。自分の人生を振り返ってみても、何処にどう貢献していたのかはよく判らないが、少なくともボクの場合は、世間でよく聞く「定年後に、何をして良いか判らないオジサン」にはならないことだけは確かだ。
 素質や才能がもっとあって、若いときに懸命の努力をしていれば「趣味と実益を兼ねる」という人生を歩むことも可能であったのかも知れないが、一方で「一番好きな事は二番目に」 という言葉もあるから、今のままが幸せなのかも知れない。
 何はともあれ、久方ぶりのドラム演奏は楽しい。
 「今夜は尊敬する”スティーヴ・ルカサー”とのセッションが待っている。(勿論ヘッドフォン内の中の話だが…。)」近頃はそんな気持ちで部屋に籠もる毎日だ。
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湾岸線の憂鬱

2012-02-11 12:30:00 | その他
■阪神高速湾岸線にて■

 普段は営業という仕事をしているので、ほとんどの場合移動は車を利用する。勤務先が阪神間の沿岸部にあり、訪問先が大阪方面になることが多いことから、帰社する際には阪神高速湾岸線を利用することが多くなる。ここを走った人はよく知っているとは思うが、湾岸線が尼崎市内の埋め立て地を貫く際にイヤでも目に飛び込んで来るのが、道の両側にそびえ立つPANASONICの尼崎工場群だ。
 先日、そのPANASONIC社は7200億円もの大赤字を計上し、報道がそれを大々的に採り上げていたが、この尼崎工場をその象徴として映像に流していることが多いと言えば、他府県の人にもその姿を思い起こしてもらえるかも知れない。

 この尼崎工場が稼働開始したのは2005年9月で、ここではプラズマテレビ用のパネルを生産している。
 隣の西宮市にあるボクの会社では、繁忙期に差し掛かかると派遣社員やパートさんを募集するのだが、この工場が稼働する少し前から数年間は、人材が奪われてしまって、全く人が集まらないほどの活況だった。
 そのことからも、その生産規模の巨大さがうかがい知れたが、調べてみると最初の第1工場が月産22万台でスタートし、需要に合わせて2007年6月から稼働した月産60万台の第2工場、2010年1月から稼働した月産33万台(当初予定であれば、最大100万台とも)の第3工場と、たった4年4ヶ月の間に、これほどまでの生産体制になっていたそうだから、世界一のプラズマパネル工場群だということだ。

●湾岸線北側の大工場●

 しかし、その隆盛から一転。最初の稼働から6年後、第3工場の稼働からに至っては僅か1年9ヶ月後の昨秋10月、この工場の内、2ヶ所を閉鎖するという報道があった。これには驚いたが、心のどこかで「薄々ながら、このご時世だから『さもありなん』」と感じていたことには、日本人としてどこか悲しい思いが駆け巡る。

 構造改革=いわゆる小泉・竹中路線(賛否両論あるが)によって、少しは持ち直すかに見えた日本経済は、リーマンショック以降、再び低迷路線をたどり、それ以前からずっと今日まで続くデフレの影響と、近年の超円高…。日本が縮んで行く一連の様子の縮図をこの工場の盛衰が表している。

●湾岸線南側の大工場(この裏に、もう1棟ある)●

 ご存じの通り、日本の家電メーカーに関しては、PANASONIC社を始め、SONY、NEC等々の大赤字と大規模リストラ、そして海外市場では、韓国企業に押されっぱなしでシェアを奪われ続けているという報道ばかりが流れてくるし、他の製造業全般でも苦戦しているはご存じの通りだ。
 一部ではTPPに参加すれば少しは改善するという意見もあるが、韓国がアメリカと結んだFTAの状況を見る限り、良いことばかりでは無さそうだ。それよりも超円高の方が直接の影響大であり、それを是正する策の方が効果大であることが各方面から聞こえてきている。
 しかし、昨年「ギリギリまではこらえるが、このまま超円高が続けば、もう日本では生産できない」と、社長自ら異例の発言をしたトヨタからは、今年に入ってとうとう福岡の工場で製造していたSUVを全面的にアメリカ生産に切り替えるという発表があったから、事態は「待ったなし」の状態を過ぎて、もう手遅れになっているのかも知れない。

 品質が他国に劣るハズもなく、まだまだ技術レベルは世界一クラスと言っても過言ではない日本の製造業が、これほどまでに追い込まれているというのに、なぜ、この国の当局者は本腰を入れた対処をせず、「超円高&世界最長のデフレ」を放置するのだろうか?。
 世界の先進各国の中央銀行間では常識の、「インフレ率2~3%」にすることが、どうしてもイヤなのか?。この率を守らなければ、総裁の罷免を始めとする、罰則までもが規定されている国があるというのに、ナゼなのか?。そのあたりの理由がボクには全く解らない。(素人なんかには、理解できない理由があるのかも知れないけれど…。)
 あなた方の大先輩である高橋是清(恐慌時は大蔵大臣、それ以前に内閣総理大臣や日銀総裁を歴任)は、関東大震災、昭和金融恐慌(昭和恐慌)によって弱体化していた日本経済に対して更にのしかかった世界恐慌時に辣腕をふるい、世界で一番早くそこを抜け出した実績があるというのに…。

 とにもかくにも、ボクは湾岸線を走行し、この工場が目に入る度にPANASONIC社と、この工場で働いていたであろう人達に思いを巡らせて意気消沈する。
 そして「この先日本はどうなるのだろうか?」と、肩を落とすのである…。
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築地をブラブラ

2012-02-04 12:30:00 | その他
■仕事のついでに■

 先日、本業の都合で東京へ出張することになった。得意先の関係上、東京都内の築地市場(正式名称は「東京都中央卸売市場築地市場」)に足を運ぶことが多く、年に1~2度はここを訪れている。
 もっとも、いつもは時間の制約があって、得意先へ直行し、商談後は正門前からバスに乗って立ち去っていたのだが、今回は、お昼ちょうどにアポを取っていたことから、商談後に昼食がてらに周囲をウロウロすることになった。

 海外からの観光客が目をつけたことから脚光を浴び始め、近頃では観光スポットとしてTV等で紹介されることも多くなったが、場内を歩いているとその通り、昔ながらのバス旅行風に赤い旗をもったガイドさんが先導しているグループを見掛けたり、英語や中国語のガイドさんが、少人数のグループを案内している姿も当たり前のように見受けられた。
 
●場内の端に固まる観光客達●


■賄い料理■

 市場が観光地化するのは、その地特有の食材を見たり、許可が必要だがセリ場風景を眺めたり、といった学生時代の「社会見学」的な要素もあるが、それに加えて、いや、多くの人にとってメインになるのは「ウマいもの」を求めることだと思う。
 実情はともかく、「中央卸売市場内」では小売りが禁止されているので、一般客が市場に並ぶ商品を直接購入することができない。しかし、それは場内の業者に限られたことであり、場外へと出て、その並びにある業者からの購入はOKとなる。
 築地市場は、「都民を支える台所」としての機能を堅持しているから、他の卸売市場よりも圧倒的に集客力が高い。その上で、上述した市場内外の区分けが厳格に守られているから、卸と市販、そして食事処を兼ねた「場外市場」の活気が非常に高くなるのは頷ける話だ。
 場外市場をTV等で採り上げる場合、その場で味わう食事処についてのレポートをよく見掛けるが、そもそもそういった食事処は、本来、市場に勤める人達が合間に食べる場所であることから、「ウマくて、安くて、早く食べられる」という、どこかの牛丼屋さんのコピーのような要素が求められる。差詰め料理店の厨房で言うところの「賄い料理」の感覚だ。そして、その代表格が「丼物」ということになる。


■海鮮丼■

 丼物の第一は何と言っても、市場を経由して入る新鮮な魚介類を使った「海鮮丼」だ。今回、ボクもそれを食べようか?と思ってウロつき始めたのだが、どの店も昼食としては「結構なお値段」であるうえ、関西人にとってはとても苦手な行列が出来ていた。
 特に「お値段」の方は東京という場所柄、地代が反映されているのか、全国各地にある、例えば石川県・金沢市にある近江町市場界隈や北海道・釧路市にある和商市場と比べるとかなり割高な印象だった。

●海鮮丼のメニュー看板●

 海鮮丼を物色しつつ、更に巡ると多くの寿司屋も見掛けるのだが、どこも行列があって入りにくい。

●寿司屋の並ぶ、魚がし横町●

 そこで、魚がし横町から道路沿いに出て北東方向に歩き、もんぜき通りに入る。

●もんぜき通りを行き交う人達●


■牛丼■

 しばらく歩いていると、前方から急にイイ臭いが漂ってきた。その発信源は「きつねや」という、牛丼&ホルモン煮を扱う店だった。
 ここにも行列は出来ていたが、基本的に立ち食いスタイルをとっているので、じっくり腰を落ち着けることが出来ない分だけ客の回転は早そうだ。

●きつねや●

 早速最後尾に並び、メニューに目をやりながら前へと進むが、予想通り、回転が早い。様子を見ていると、客が自らの注文を言い出すまで待つのではなく、奥さんと思しき人が、流れを見つつ、5人分くらいの注文を「兄さん何するの?」といった感じで聞き込んで、捌いている。そしてそれを鍋釜を管理している旦那と思しき人に伝えるという、連携プレーのおかげで客達はあっという間に丼を手にすることになる。

 やがてボクの番がやってきた。メニューは牛丼の他、豆腐煮やホルモン煮などがあったのだが、ここは初めてなので、とりあえずは牛丼とお新香を注文する。

●牛丼630円とお新香130円なり!●

●基本的に立ち食い●


 牛丼チェーン各店の倍はする価格から、当然の如く味はそれらのレベルを凌駕している。煮込まれた肉は繊維が崩れる手前のジャストタイミングに仕上がって、かなりイケる牛丼だった。
 しかし、帰宅後に調べるとガックリ。ここのメインで、第一の評価を受けるのはホルモン煮のほうであるそうな。実際、注文時にホルモン煮も同時注文するか、散々迷っていたのだが、前日夜、友人達に「痩せろ!」とさんざん言われて、躊躇してしまった次第である。ホルモン煮との遭遇が出来なかったことは非常に残念な結果ではあるが、次回以降の楽しみとしてとっておこう。

 食事の後も少しブラついたが、TVワイドショー「サンデー・ジャポン」でお馴染みのテリー伊藤さんの兄、通称アニー伊藤さんがやっている卵焼き屋「丸武」を発見する。見ればアニーさんが店内に居る様子。
 しかし、腕組みをしたり、腕を腰に当てたりしながら、若い衆の手元を見つめるその姿は真剣そのものであり、頭上のパンチパーマとイカツイ眼鏡とが相まって、何だか近付き難い雰囲気が流れていたので、残念ながら卵焼きの購入には至らなかった。

●中央奥がアニーさん●


 短時間だが、巡ってみると面白かった築地市場だった。別に築地まで出向かなくてもご存じの通り、日本各地には卸売市場なる物が存在し、そこには築地同様に食事処も多く存在しているから、見付けて探検するのも面白いかと思う。かく言うボクも、仕事柄そんなところを訪問することが多いので、今後も機会があれば紹介して行きたいと思う。
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