中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

春ヒラマサ狙いの最終釣行

2014-05-31 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■初めての瑞翔さん■

 今回お世話になった釣り船は瑞翔(ずいしょう)さん。ここも「少人数でフカセ釣りをさせてもらえる」、「白石グリ方面がメイン」、そして「舞鶴ではよく釣らせる船」として、ボクは前々からチェックしていた船の一つだ。
 実は、予約を入れたのは今回が3回目だ。ただし過去の2度は予約を入れたものの、荒天で流れていたから乗船が実現したのは今回が初めて。果たして結果はどうなるのだろうか…。

●瑞翔(帰港時)●

 出港地は東舞鶴地区の市役所近くにあり、明治の歴史的な建造物である赤レンガ倉庫群を抜けた先が出港地だ。

●赤レンガ倉庫群●

 出航後はイージス艦の「みょうこう」と「あたご」、対空・対潜強化タイプの護衛艦「ふゆづき」に見守られながら一路白石グリを目指した。

●175=みょうこう、118=ふゆづき、177=あたご●


■緩い本潮■

 午前11時、毎朝の解禁時間となって一斉にポイントを目指すが、日曜日であるにも関わらず、ライバル船は少なくて、ポイント確保に伴う困難はなかった。どうやら多くの船は、やや沖合にある深場でマダイを狙っているらしく、青物が多い浅場には入ってこないようだ。もとよりマダイには興味がないボクにとってはその方が好都合で、内心ほくそ笑んでいたのだが…。
 潮は西方向からやって来る本潮ではあるが、開始当初はスピードが遅くて一流しに時間が掛かる状況だった。ただし、遅いながらも底潮にも動きがあるようなので、悲観するような状況ではない。
 そして予想通りと言うべきか数投目、マキエサが効き始めた頃に道糸がビュンッ!と走った。

●やり取り開始●

 抵抗感はそこそこ。走り具合からして中小型の青物と予想したが、やって来たのはメジロだった。

●65cmほどのメジロ●

 メジロとは言え、早めに答えが出たので、「今日は楽勝か?」との思いがよぎった。しかし、同じセッティングのままの、次の流しではエサが盗られるのみで、アタリは出なかった。したがって、その次の流しでは仕掛のセッティングを変えることとした。
 具体的には道糸に着ける発泡ウキの大小で道糸の沈み具合を調整する「福井県鷹巣&玄達スタイル」でタナを変えていったのだが、この日全般を通して続けて同じタナで釣れることは希だったために、常に仕掛けを調整し続けている感覚だった。もっとも、こういった展開は磯釣り師だった頃から馴れているから平気だ。よくグレ釣り名人は「同じ仕掛けで3回流さない。」と言うが、実際そういった心構えでドンドン攻めてゆく方がアタリの数が増えることが多いような気がする。ただし、「逆も真なり」も無いワケではない。1度釣れたらなかなか動かさないタイプの釣り人が同船し、その方が釣果が伸びることがタマにある。そういった場合、ボクは、「何処が悪いのか?」と、迷いに迷い、頭を抱えている間に1日が過ぎてしまうことが多いのだが…。
 どうやら、この日はボクのスタイルが状況にハマッていたようで、メジロを始め、ハマチ~ツバスクラスと、イサギ、

●40cm弱のイサギ●

小型のマダイ

●35cm級のマダイ●

等、アタリの殆ど出ない周りと比較すればダントツで釣果は伸びていったが、大本命のヒラマサはボクのハリには一向に掛からなかった。
 そうこうしているうちにミヨシで竿を出していた釣り人が大きく竿を曲げた。見れば油断していたらしく、道糸をバックラッシュさせている。そこで船長とボクが駆け寄り、船長が竿を保持し、ボクがバックラッシュをほどく係となって助太刀に入った。バックラッシュの対処法をボクはバス釣り時代に会得していて、よほどでない限りほどく自信がある。この際もサッとほどいてあげて、その釣り人はやり取りを再開。ラッキーにも魚は仕掛けに着いたままだったので、その後に続く何度かの締め込みに「リールが巻けない」と声を上げながらも何とか踏ん張っている。しばらく後にもう一度目をやれば、無事にゲットできたようだ。そしてそれが80cmほどのヒラマサだった。

■大型魚の締め込み■

 うらやましさが込み上げる中、ボクも気合いを入れ直したが、見ればヒラマサをゲットした釣り人は、朝からサルカン一個のみの3本バリ仕掛けを流し続けているようだ。対するボクは2本バリ仕掛けであり、馴染み方が違う。それは解ってはいながらも、同じタナを攻めようとしてアレコレ迷いながら数投流したが、結局はウマくいかなかった。
 そこで、いつもの攻め切るスタイルに戻し、エサの残り具合を根拠に、「最初のリールから無抵抗で送り出す量」、「発泡ウキの大小」、「オモリの大小」、「流す距離の長短」を頻繁に調整しつつ流すことでヒラマサのアタリを待ち続けた。
 経験上、小型を除くブリ類のやや上の層でヒラマサがアタることが多いので、メジロクラスが釣れた次の流しではワザとその上を狙うことを心掛けていたが、そうやっている内に、それまでとは明らかに違うアタリを伴ってボクの竿が強烈に絞り込まれる、待望の瞬間が訪れた。

●強烈に曲がるLV H375●

 竿を手にとって踏ん張るが、相手はかなりの大きさだとすぐに理解できた。
 とりあえず水深分の距離を切るまでは巻き取ることを優先して、やや強引なやり取りを心掛ける。相手がヒラマサの場合はこれが重要だ。
 そのため、道糸の出ている距離が長い初期は強め、距離が詰まればやや緩めと、こまめにドラッグ調整を繰り返しながら徐々に距離を詰めてゆく。その間何度もの強引に襲われ、その都度ヒヤヒヤしながら耐えていると、やがて船下までの引き寄せに成功する。
 ここでもかなりの攻防があったが、多少は余裕のできたボクの心中に「もしや?」の感が漂うようになった。それは、引き具合がイメージ的に「下へ下へ突っ込む」の動きではなく、「同じ層を横へ横へ走る」の動きのように感じられたからだ。
 それでも、大型ヒラマサであることを祈りつつ、慎重にフィニッシュへと導いた。ハリスを手繰っている段階では既に気付いてはいたが、大型魚の正体はブリだった。

●半分笑って、半分トホホ●

●93cm!●


■ブリ・ファミリー■

 ブリをゲットした後も続くのはメジロのみで、気付けば出世魚であるこの魚の、小はツバスから、ハマチ、メジロ、ブリの4世代を釣り、釣果はブリ・ファミリーだけで既に2桁に入っていた。だが、同船の釣り人がヒラマサの60cm台を各1本ずつ釣ったのに対して、ボクはゼロ。次第に本命潮の流速が上がる中、どうしても大型ヒラマサを釣って春のシーズンを終えたいボクは仕掛けの調整を繰り返しながら焦りに焦っていた。

●途中経過(ブリは別箱に)●


■最後の一流し■

 願いが叶わないまま、いくら釣ってもハマチかメジロで終盤を迎えたが、とうとう「あと一流しで終了」との声が船長から上がる時間となった。
 この時、ボクは仕掛けを流している最中だったので、「この次で終わりにする。」と一声掛けた後に一旦回収にかかった。サシエサを確認すると盗られていたので、3Bのガン玉が2つ着いていた仕掛からオモリを外そうと考えた。その際、1個外すか2個外すか迷ったが、根拠はないものの、「初心に戻ろう。」との思いがよぎって、結局は道糸とハリスの継ぎ目にサルカン1個のみのシンプル仕掛を流すことにした。
 そしてこの仕掛を65m流したところで、リールから猛烈な勢いで道糸を引き出すアタリを捉えた。
 グイグイと引き込む走りは、大型青物に間違いなく、慎重なやりとりを心掛けて応戦を開始する。

 
●今度こそは!?●

 これまた何度もドラッグを滑らせ、「巻いては引き出され」を繰り返しながらも徐々に距離を詰めてゆくが、船下に来てからもしつこい走りが続くので、「どうかヒラマサであってくれ!」と祈りながら耐えていた。そして、ようやくハリスを手繰り寄せる距離に到達した。
 海中を覗くと、意外に小さなメジロが付いていたので、「???」だったが、その下にも青物が付いているのが確認したことで、これまでの経緯が納得できた。しかし、まだまだ油断は禁物。「下バリの魚がヒラマサであってくれれば万々歳」と、祈るような思いで慎重にたぐり寄せたが、これがまたもやブリであった。

●左手に持つブリは、85cmあったが…●

 そして納竿。結局はヒラマサを手にすることは叶わぬ1日だった。


■春のシーズンを終えて■

 白石グリでの春の大型ヒラマサ・シーズンは釣行時点で既にポツポツ状態になっており、6月に入る頃には終了となっている感が強い。したがって、今回の釣行で一旦はオフ宣言をすることにしよう。
 結局ボクの釣果は80cm台前半が3本で終わったが、気合いを入れて釣行回数を増やした割には数、型共に満足のいく結果ではなく、消化不良気味の春ヒラマサ・シーズンだった。
 反省点は、この間に7号ハリスを2回飛ばしていることで、その原因は何らかの都合でドラッグを触った後の調整を忘れていたことだ。
 次なるは超大型ヒラマサが潜伏するであろう、福井沖の玄達瀬への釣行が1ヶ月先に控えているため、その反省を生かして「今年こそはモンスター・クラスをゲット!」と気合いの入る今日この頃なのだ。
 それまでの間はサボっていた渓流釣りを再開する予定。仕様するハリスが8号前後から0.3号前後へ、そしてその次は12号前後と感覚が狂ってしまいそうな1ヶ月だが、ハリスは変われど「常に大型ゲット」の姿勢で挑んでゆくとしよう。
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ネタにならない釣り

2014-05-24 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■タイトルどおり…■

 今回も舞鶴から。
 出港すると前方に、補給艦「ましゅう」が航行中。

●前方を航行中の補給艦「ましゅう」●

 この船は、「対テロ特措法」に基づき、インド洋上で各国の船に補給を続け、その技術力の高さで世界に名を轟かせたことが記憶に残る自衛艦だ。

●「ましゅう」の全景●


 その「ましゅう」に見送られ?ながら向かったのは冠島。その北側にある小島周辺へ航行し、竿入れを予定していた海域に到着したのは9時半頃だった。が、しかしである。この辺りは、午前10時以前はアンカーを入れての釣りが規制されているのだが、到着した頃には入漁時間を無視するプレジャーボート(素人船頭が操船する船)が既にアンカーを降ろして釣りをしていたのだ。そのルール無視の船は10隻以上もあった。そのため、入れるポイントは少なく、仕方なしに隙間を探しての釣りを余儀なくされた。 

●小島●

 こういったルール無視をする釣り人を見ると、いつも腹立たしく、ウンザリとする。
 釣りにルールが存在するのは、例えば「一部に禁漁期間があるのは何のためか?」ということを考えると、それは産卵期に魚を保護することで、資源量を確保するという意味合いでの実施が多いことを覚えていて欲しい。また、入漁時間を制限するのは、職漁者が網入れする時間を確保することでもあるし、「ポイント確保のための競争が始まって、事故率の高い早朝や夜間に向かうこと」を防止するため=安全確保のためであることを忘れないでいて欲しい。網入れ等の作業に支障が出たり、事故が起これば更に規制が強く掛かるのはよくあることだ。つまりルール無視は「自身で首を絞めること」になるなのだ。
 漁場での優先順位は、職漁者が最上位であり、続いて遊漁船、そして最後がプレジャーボート(船釣りでない場合は個人の釣り人)になるとボクは考えている。これは、「生活が掛っているうえ稚魚放流等の『魚を増やす努力』をしているのは誰なのか?」を考えれば、すぐに判ることだと思う。
 釣り人には「魚という利」が目の前にぶら下がると、理性を失いがちになる人が一部に存在する。しかし、傍から見るとそんな姿は浅ましく写り、「自身の子供の前で、そんなことが堂々とできるのかな?」とつい思ってしまうが、当の本人達はどう思っているのだろうか…。

 とか何とか愚痴ってしまったが、結局見つけた”隙間”では潮が全く動いておらず、同船者を含めた4人全員にアタリは無いままに、小一時間で退散することになった。 
 そして、次に向かったのは大島の南側だった。一転して、ここでは福井方面から来る逆潮が走っていた。「動かないよりはマシ」との判断で、納竿までの時間を過ごしたが、結局は10号オモリを着けて250m流しても根掛かりしないような激流の逆潮では貧果しか望めず、同船者全員の釣果は、40cmに満たないマダイが僅かにあるだけで、ボクには35cmが1枚のみ、他の同船者3人の内、1人が2枚、もう1人が1枚、そしてボーズが1人という、惨憺たる結果に終わった。(その他の外道はチョロチョロ)

●35cmのマダイ…●


 「パッとしない釣り」が続く中、当日はまさしくタイトル通りの結果だったが、春期のチャンスはあと一回しか残っていない。果たして有終の美を飾ることはできるのだろうか…。
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”食い渋り”のヒラマサ釣り

2014-05-17 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■大型ヒラマサを追って■

 白石グリ周辺で狙う、春のヒラマサは完全にシーズンインした模様だが、各釣り船店のホームページで確認する限り、初期に80cm台後半が上がっていたものの、90cm台の登場はほとんど希で、更に上のメーターオーバー・クラスとなると全く見かけず、去年とは事情が違うようだ。
 かく言うボクは初期に参加できず、出遅れてしまったが、それでもとりあえずは前回の釣行で80cmジャストを釣ってホッとしたところだ。今回は更に上のクラスを狙ってのチャレンジだが、はたして去年釣った96cmは言うに及ばず、自己記録の103cmを超えることは出来るのだろうか…。

■実釣スタート■

 白石グリで、アンカーを降ろして釣ることのできるスタート時間は11時ジャストだ。その時刻までは、周囲には前回のブンブン丸を始めとする、有力船が境界線で並び、時間待ちになる。
 GPSの時計表示が11時を示したのを合図に一斉にスタートし、各船が目星を付けたポイントを目指す。

●全船がフルスロットル!●

 我が日本海丸は代車ならぬ”代船”での出漁だったが、この船が速かった。周囲を引き離して先頭を走り、運良く好位置を確保することに成功した。

 タックルは、道糸7号、ハリス8号であり、春のやや引きの弱いメーター前後を獲ることに照準を合わせたモノだ。

●準備は万端●

 潮流はやや速いものの、西から来る本潮であり、期待が持てそうな状況だった。
 一流し、そしてまた一流しと、流してゆくが、何かがおかしい。普通であれば、マキエサが効き始めると同時にエサ盗りの登場でサシエサが残らなくなるのだが、この日は送り出し量を増やしたり、仕掛けにガン玉を打って強制的に沈めるなどの、通常のタナとり法では全くエサが盗られないのだ。
 こういった場合は2枚潮になっていることが多いのだが、その傾向はない。かれこれ一時間以上が経過しても埒があかずで頭を抱える中、フカセ釣りでは大オモリの部類に入る2号のオモリを入れて、足下の水深分を送り出した後に、リールのメカニカルブレーキを絞ってゆっくりと流し込んでゆく方法で流すことにした。
 そして、この作戦が当たったのか、ようやくアタリを捉えることに成功した。

●ようやく曲がる竿●

 しかし、引き味に大した抵抗感はない。
 巻き上げ途中から予想がついていたが、案の定のハマチの登場だった。

●ハマチ…●

 普段であれば、このサイズなら”あまい嬉しくない”連発を予想するのだが、続く魚は無く、再び沈黙の時間が始まった。


■カゴフカセ■

 どうやら、水温の低下と共に潮流がやや速くなっていたために、魚の活性が落ちてしまっているようだ。したがって普段ならエサを発見すると飛びつくハズなのに、この日は「目の前に流れてきたエサをくわえるだけ」のようだ。
 このようなパターンは磯のグレ釣りでは何度も経験している。グレの場合、条件が整って活性が高い場合は、目の上方から落ちてくるマキエサを食うために他の仲間と競って上下運動を繰り返すが、水温低下のような低活性時には方向には単独で海底付近をユラユラと漂うかのようにゆっくりと泳ぎ、底に落ちたエサ、もしくは目の前に落ちてきたエサのみをついばんでは吐き出すような動きをする。勝手な予測かも知れないが、「当日のヒラマサもそれと同様かも知れない」と、捉えていた。
 そうこうしているうちに、船首側で竿を出して助太刀してくれていた船長から、「サルカン部にカゴを着けてみたら?」とのアドバイスが入る。上述した状況ならば、この仕掛けが「目の前に流れてきたエサしか食わない魚」にはピッタリだと思い、試してみることにした。
 初めの内は、オモリを着けずに流し、足下の水深分の糸が出たところで一旦マキエサを振り出し、1.5倍のところで回収してマキエサの出具合とサシエサの残り具合を確認する。すると両方共に残っていたので、2倍、2.5倍と徐々に流す距離を延ばし、降り出す回数も増やしてみた。
 色々と試している内に、1号のオモリが加わっていたが、その仕掛けが180m付近まで流れるとエサが盗られるようになった。そこで、中間でのマキエサの振り出しは止めて、140mで1回目のマキエサの振り出しを行い、160mで2回目、そこからはリールのメカニカルブレーキを絞ってゆっくりと流すパターンを試みてみることにした。「根拠があるような、無いような」という、ボク好みではない流し方だが致し方ない。すると、このパターンで久しぶりの大アタリが出た。

●本気で曲がってくれた竿●

 道糸が伸びてくれる分だけ余裕があるので、ガンガンと巻き取ってゆくが、そんなに強い締め込みがないため、当初は大ハマチかメジロクラスのブリ(つまりは若魚ってこと)だと思っていた。しかし、足下に来てようやく強い締め込みが始まったので、ヒラマサだと確認する。そして、相手は意外に大きかった。

●またもや80cm…●

 残念ながら80cm強のサイズであり、前回と変わらない大きさだが、当日の展開を考えると貴重な1匹であることには違いない。

■続かぬアタリ■

 「パターンが解ったし、続くかも?」と思い、以降も気合いを入れて流し続けたが、今度はサシエサばかりが盗られるような展開に変わっていった。
 ずっと朝からお隣同士の、前回の釣行でお世話になったブンブン丸さんでも同様で、1時間に1回程度の希なタイミングであちらかこちらにアタリが出る程度であり、その釣果は普通でハマチ、良くてヒラマサというパターンで時間だけが過ぎてゆく。

●隣のブンブン丸●

 カゴを着けるとサシエサが盗られるし、希にアタってもハマチ程度のため、通常の流しに戻してみる。しかし、今度は完全にエサが残る状態となった。そこでオモリを入れて仕掛けが深く入るようにしてゆき、それが1号になって、ようやくそれらしい大アタリが出るに至った。

●久しぶりに大きく曲がる竿●

 「ヒラマサではないような気がする…。」思いつつ、やり取りを開始するが、陽の高い内に釣ったヒラマサよりも強い引きに感じていた。しかし、正体は大したことのないサイズのメジロだった。
 水温が低下した際、より低水温に強いのがブリ類なので、ヒラマサよりもメジロやブリの方が引く力が強いことがあるが、この日の引き具合は「その通り」だった。そして、逆にこの活性差が水温が下がって、ヒラマサが食い渋った証拠と言えそうな気がする。

●しっぽを右にするのが、ボクが釣ったメジロ(65cm)●

 その後は日没まで粘ってみたが、ハマチ以外に掛かる魚は無く、かろうじて灯っていたロウソクの火が消えゆくような展開で、この日の釣りが終わった。 

●不満の残る釣果●


■超大型はいずこへ■

 釣行当日は、完全な食い渋りであり、他船でも1人1本程度の釣果しかなかったようだ。(ボクが釣行すると、こんな日ばかりだが…。)
 4月初旬の釣れ始め以来、日ムラを伴いながらも釣れ続けていた白石グリ周辺のヒラマサだが、今年は90cm未満クラスしか回遊していない気配が濃厚だ。今月はあと2回、釣り船店に予約を入れているが、サイズダウンし、釣れ出しが遅い別回遊のヒラマサを冠島周辺で狙う船も増えているから、望みは薄いような気がする。果たして逆転勝利はあるのだろうか…。

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JOHN MAYER LIVE IN CONCERT

2014-05-10 12:30:00 | 音楽
■待ちに待った来日■

 前週のTOTOに続き、今度はジョン・メイヤーがやって来た。クジ運が悪いボクとしては上出来の「ステージの左端だが、5列目」の席が当たっていたので、チケットが届いたその日から、ワクワクし、待ちに待っていたライヴ・コンサートだ。

 説明するまでもないのかも知れないが、ジョン・メイヤーは400万枚のセールスを記録したデビューアルバム(2001年)を始め、音楽界では、世界最高のステータスを持つグラミー賞の、”最優秀男性POPヴォーカル賞”を始めとして、関連の賞を7度も獲得するなど、実績は申し分なく、世界レベルのスーパースターの1人だ。
 それだけだと彼を知らない人は「(日本で言うところの)歌手なの?」と思ってしまいかねないが、凄腕のギタリストでもあり、その評価は高い。日本では、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトンの「三大ギタリスト」に続く、「現代の3大ギタリスト」として、デレク・トラックス、ジョン・フルシアンテと彼の3人を讃えているし、より評価のキビシイ海外でも同様に、デレク・トラックス、ジョン・フルシアンテと並んで彼を「The New Guitar Gods」として、ローリングストーン誌が賞賛している。
 そんなジョン・メイヤーだが、ここ近年で喉の手術を2回も受けており、一時はマトモにしゃべることもできず、声質も変わってしまい、約2年に及ぶ苦難の日々を過ごしていたそうだ。
 この話には正直言って心配していた。事実、今回の公演の直前に行われたオーストラリア公演の映像をyoutubeで見る限り、苦しそうに歌う姿もあったからだ。
 ただし、彼にはそれを引いても充分オツリがある。「『そうであってもギターが聞けるさ。』と割り切ればイイ」と思うのだが、肝心のギター・プレイの方も、実のところ最近のアルバム3作ではギンギンにギターは弾いていない。特に直近の2作はそんなにボク好みではないカントリー・ソング路線のため、かなり控えめなのだ…。
 そして、4月30日。「どうなることやら…。」と、会場の大阪城ホールへと向かったのだが…。

●会場前の大看板●


■心配ご無用■

 今回のセットリストは、

 1.Queen Of California (BORN AND RAISED より)
 2.Belief (CONTINIUUM より)
 3.Who Says (BATTLE STUDIES より)
 4.Paper Doll (PARADISE VALLEY より)
 5.Promises (ERIC CLAPTON のカヴァー)
 6.No Such Thing (ROOM FOR SQUARES より)
 7.Waitin' On The Day (PARADISE VALLEY より)
 8.Slow Dancing In A Burning Room (CONTINIUUM より)
 9.Neon (ROOM FOR SQUARES より)
 10.Free fallin' (TOM PETTY のカヴァー)
 11.Wild Fire (PARADISE VALLEY より)
 12.Edge Of Desire (BATTLE STUDIES より)
 13.Why Georgia (ROOM FOR SQUARES より)
 14.I Don't Trust Myself (With Loving You) (CONTINIUUM より)
 15.If I Ever Get Around To Living (BORN AND RAISED より)
 16.Waiting On The World To Change (CONTINIUUM より)
 17.Dear Marie (PARADISE VALLEY より)
 ~アンコール
 18.Gravity (CONTINIUUM より)

 という流れだったが、結果は心配は要らなかった。ギターは強烈プレイだったし、歌もいつもの通りで声に全く問題はなかったのだ。

●凄ワザの連続はさすが●

 途中、驚いた箇所があった。それは、サポート・メンバーが一旦脇に下がり、アコースティック・ギターを片手に彼1人で登場した際のことだ。
 客席に向かって「何をやって欲しい?」と彼が聞くと、客席の多くから大ヒット曲の「NEON」との声が上がった。すると、ジョンが「ギターが聞きたいの?」と言いつつ、おもむろに1番低音側の6弦のチューニングを下げ始めたのだ。(調べると2音だそうだ)ライヴDVDを見た人は知っていると思うが、「NEON」のアコースティック・ヴァージョンでジョンは、親指で6弦をはじきながらベースギターのような音を出し、残りの指を使ってコードを押さえることで、あたかもベースとギターが同時になっているかのような音を出して演奏する。そのためにチューニングを下げていたことは知らなかったが、始めから弾くことを予定していたのなら、始めからそれ用にチューニングしたギターを持ってくるハズだ。しかし、その場でペグを触ったということは、客のリクエストに応えたということの証になる。彼程のスーパー・スターがこんなことをしてくれるというのは大きな驚きだったし、「NEON」という曲が大好きなボクには涙がチョチョ切れるほど嬉しさが込み上げる瞬間だった。

●サポートメンバーも凄腕揃い●


 そして、アッという間に”至高の幸せ”の時間が過ぎていった。
 上段で書いた「カントリー・ソング」に関しても、CDで聴くのと、ライヴで聴くのには大きなイメージの違いがあった。「聴くだけ」と、「体感し、見聞きする」とは大きな違いがあるのは勿論理解しているつもりだが、ここで体験した感動は、カントリー・ソングが「アメリカ人の心の歌」と言われる所以に気付かされた瞬間だった。 


■伝承者■

 ボクの大好きなブルースロック界に故スティーヴィー・レイ・ヴォーンというギタリストが居る。そして今回のジョン・メイヤーがリスペクトするのが、そのスティーヴィー・レイ・ヴォーンだ。この件に関しては彼自身が語っているし、バイトで貯めた金で買った最初のギターがスティーヴィー・レイ・ヴォーンのシグネチャーモデルであり、ファーストアルバムで「LENNY」という曲をカヴァーしていることでも理解できる。(その他、以前にしていたSRVのタトゥーや、遺品の機材を使っているなど、多々)
 また、そのスティーヴィー・レイ・ヴォーンがリスペクトしていたのが、かの偉大なギタリストの故ジミ・ヘンドリックスであり、同じくジョン・メイヤーもジミ・ヘンドリックスをもリスペクトしていて、「BOLD AS LOVE」という曲をカヴァー演奏している。
 アメリカのロック界にはこういった伝承者とも言うべき、それも天才的な伝承者が何年かごとに出てくるが、いつもボクが感心するのは、諸先輩方から多大な影響を受け、テクニックなど取り込んでいるハズなのに、自身のオリジナル曲は勿論のこと、カヴァー曲であっても模倣はなく、昇華させたオリジナル・スタイルになっているというスゴさだ。そういうサウンドだから世に受け入れられ、大ヒットするのであり、逆を言えば聴く側の耳が肥えているということにもなるのだろう。この点は、「どこかで聞いたような…。」と思うことが多い、どこかの国の事情とは大きく違う点だ。そしていつも思うことだが、そういった素晴らしい音楽を母国語で聞き、歌詩の深い意味まで理解できる人達が羨ましく思ってしまう。だが、それは自分が英語を勉強しなかったツケであるから、文句の持って行き所はないのだが…。

 ジョン・メイヤーは只今36歳。彼自身は高校時代に交換留学生での初来日を始めとして、プライベートで1ヶ月以上も日本に滞在する程の親日家だそうだ。だからこの先幾度も来日公演があるだろうから、その都度、都合が許す限りボクは見に行きたい。これから先円熟度を増してゆく彼を見るのが楽しみだ。
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TOTO 35TH ANNIVERSARY

2014-05-03 12:30:00 | 音楽
■TOTO35周年ツアー■

 以前にこのブログでも書いたが、中学3年の時にデビューアルバムを聴いて以来、大ファンとなったTOTOが、約2年半ぶりに日本にやってきた。
 場所は大阪中ノ島のフェスティバルホール。大昔に旧館に入った経験があるものの、建て替え後は初めての入館だ。

●フェスティバルホール●

 バンドのメンバーは、オリジナル・メンバーのスティーヴ・ルカサー、デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロの3人に加え、ヴォーカルは3代目ヴォーカリストのジョセフ・ウイリアムスが担当し、ベースはネイザン・イースト(世界最高峰のベーシストの誉れ高い人物)、ドラムには今回の日本ツアーから参加のキース・カーロック(ジョン・メイヤーやスティングのバックもつとめる)も加入しており、陣容から言えば、(いつものことだが)世界屈指のクオリティを持つメンバーが集結している。

 オープニングは、 ON THE RUN (TOTO XXより)(一部CHILD'S ANTHEMのリフが入る) ~ GOODBYE ELENORE (TURN BACKより)で、

●オープニング●

以下、
GOIN’ HOME (TOTO XXより)
HYDRA (HYDRAより)
St. GEORGE AND THE DRAGON (HYDRAより)
I’LL BE OVER YOU (FAHRENHEITより)
IT’S A FEELING (TOTO IVより)
ROSANNA (TOTO IVより)
WINGS OF TIME (KINGDOM OF DESIREより)
FALLING IN BETWEEN (FALLING IN BETWEENより) 
I WON’T HOLD YOU BACK (TOTO IVより)
PAMELA (THE SEVENTH ONEより)
99 (HYDRAより)
1WHITE SISTER (HYDRAより)
AFRICA (TOTO IVより)
HOW MANY TIMES (KINGDOM OF DESIREより)
STOP LOVING YOU (THE SEVENTH ONEより)
~キース・カーロックのドラム・ソロ
 と、続き、ラストはファーストヒット曲の
HOLD THE LINE (TOTOより)
アンコールは
HOME OF THE BRAVE (THE SEVENTH ONEより)
で、締めくくられた。

 スティーヴ・ルカサーは何年か前に潰してしまった声のため、昔のような声ではなく、今回も歌はキビシ目だったが、ギターはいつもながらのアグレッシヴ&ワイルドかつ緻密なウルトラ・プレイの連続だった。

●スティーヴ・ルカサー●

 ヴォーカルのジョセフ・ウイリアムスも若き日のツヤ感はやや後退したものの、TOTOの曲全般を占めるハイトーンを出すには何の問題もない状態だった。

●ジョセフ・ウイリアムス●

 デヴィッド・ペイチも相変わらずタッチがしっかりしていて、エッジの効いたピアノ・サウンドを聴かせてくれた。

●デヴィッド・ペイチ●

 勿論、キーボードのスティーヴ・ポーカロは古い言い方だが、この人にしか出せないシンセサウンドだったし、ネイザン・イーストは控えめながら「見る人が見れば強烈なプレイ」だった。
 何よりもドラマーの”超端くれ”のボクにとっては、キース・カーロックのプレイはキョーレツだった。これまでのTOTOでドラムを担当していた故ジェフ・ポーカロやサイモン・フィリップスは「ロック畑の香り」がするプレイだったのに比べ、彼のプレイは「『ジャズ・フュージョン畑の香り』が漂いながらもしっかりロックしている」から、今までとは異色なリズムとなっていた。特にドラムソロは、こっちの口は開いたままとなって「物凄い」としか表現のしようがないプレイだった。

●キース・カーロック●


 アッという間でありながら、盛りだくさんの約2時間20分だったが、個人的にはプログレ色が強くて好みなセカンドアルバム「HYDRA」からの選曲が4曲もあったのが嬉しかったし、同行した同じく大ファンの妻共々、大盛り上がりで過ごすことができ、大いに幸せだった。

●フィナーレ●

 これほどまでの「パーフェクトなテクニックの下支え」があるロックバンドは数少なく、TOTOの他は僅かしかいないように思えるし、今後も出てこないように思うのは大げさではないような気がする。次はいつになるのかは不明だが、是非ともチケットを買い求めることにしよう。


■帰宅後に…■

 帰宅後に公式パンフレットを眺めていると、スティーヴ・ルカサーのインタビュー記事にこんなことが書かれていた。
「40年以上に渡って兄弟として活動してきたバンドのメンバー達だけど、その中身はポーカロ家のガレージで集まっていた15歳の頃の気持ちと変わっていない。」
 ボクにも、バンドを組み、みんなで「中島家の工場で集まっていた15歳の頃」があったが、その始まりが丁度35年前のことだ。勿論、TOTOのメンバーとは「天と地、いや「天と地底深く」ほどの次元の違いがあるし、ボクらが現在までバンド活動を続けているワケでもないが、今も付き合う親交のある友達は、あの頃集まった自身が属していたバンドのメンバーや、他のバンドのメンバーとその周囲に居た人達だ。そんなみんなと歴史を刻んできた中で楽しい想い出が多く残っているが、今年に入ってから今まで経験したことのない、悲しく辛い別れがあった。同様な出来事がTOTOのメンバーにも起こり、やがてはオリジナルメンバーがスティーヴ・ルカサー1人になって、2008年に一度は解散に至っている。しかし、その後、2010年に再結成をしてからの彼らの活動は、減ってはしまったが、再結集した昔の仲間とプレイできることを心から喜び、メンバーとのツアーを楽しんでいるかのような印象を受ける。この日、彼らが生き生きとプレイする姿を見、この記事を読んだことで、悲しみを乗り越えている最中にボクは、何だか勇気づけられたような気がする。
 「本当に行って良かった。」そう思ったTOTOの35周年ライヴだった。

●公式パンフレット●
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