鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅳ227] 日本人とか日本社会とか(7) / 田中正造翁の侠気やよし

2023-03-24 12:50:00 | 生涯教育

明治政府は欧米列強と肩を並べようとして、富国強兵のスローガンを掲げて様々な産業振興策を展開した。その一つに足尾銅山の開発がある。1877(明治10)年には、実業家・古河市兵衛が渋沢栄一の出資が後押しとなり足尾銅山の再開発に乗り出した。その結果足尾の産銅量は1893(明治26)年には年間5000tを超え全国一の銅山に成長した。銅は導電率に優れ世界の電気産業を牽引する必須の金属であった。

ところが足尾銅山の開発と隆盛は、一方で深刻な環境被害を生み出した。木材需要の急増で周辺の山林は伐採され精錬所の煙害で酸性雨による立ち枯れを起こした。また銅の生産過程で生じる鉱滓から大量の鉱毒が発生し周辺の土壌や渡良瀬川に流出し、鉱毒による魚類の死滅や米・耕作物の立ち枯れが深刻となり、近隣住民の生活を脅かし続けたのである。

これに異議を唱えたのが地元選出の衆議院議員田中正造(1841-1913)だった。彼は被災した農民とともに立ち上がり鉱毒問題を国会で取り上げた。しかし富国強兵を優先する政府は被害農民を逆に弾圧し始めたのである。田中正造(以下正造翁)は議員を辞職、1901年12月10日明治天皇に直訴に及んだが直訴は失敗した。この直訴状は今でも残る。直訴状の筆者は『万朝報』の記者で、鑑三翁の同僚で後に大逆事件で刑死した幸徳秋水。正造翁が書状に加筆、訂正印を押した跡が残っている。だが世論は沸騰し被害民救済の運動が一気に盛り上がっていった。正造翁はその運動の先頭に立って活動した。正造翁はその後役人の前であくびをしたとの嫌疑で入獄されたが、これは弾圧の一環としての冤罪であった。

ここで鑑三翁は怒りの声をあげた。次に掲げるのは1902(明治35)年6月21日の『万朝報』に掲載された記事である。文面は正造翁への激励と鉱山王と呼ばれていた古河市兵衛に対する糾弾であり、鑑三翁の内奥の忿怒が伺える。少し長いがその一部を現代語訳した。

【 田中正造翁の入獄は近来稀に聞く惨事である。鉱毒事件に関して少しでも考えたことのある人にとっては奇異の念にかられるだろう。正造翁が完全無欠の人でないことは私もよく知っている。しかし今のような罪悪に満ちた社会にあっては、無私無欲の人間が多くはないことを私は保証しよう。困窮する人たちの救済にその半生を使い、彼らを死滅の淵から救おうとする外に、何一つ切望する物もなく快楽も欲していないこの正造翁は、この今の明治という時代の現代の義人と言っても誉め過ぎにはなるまい。‥田中正造翁に比べて、翁に大きな苦痛をもたらした原因となった古河市兵衛の状態を考えてみてはどうだろう。もしこの世に正反対の人物があるとするならば田中正造翁と古河氏である。この二人の人物はおおよそ同年齢だが、一人は刑法により投獄され、困窮の民を作り出し続ける古河市兵衛氏は朝廷の覚えよく正五位を賜わり‥七人の妾を養い、十数万人の民を飢餓に追いやって明白な倫理の道を犯しつつあっても、法律に明文がないので、彼は正五位の位階で世間を堂々と闊歩している。私はこの事を思うと、現代の法律というものは多くの場合、人間の正邪を判別するには全く十分でないと言わざるを得ない。】(全集10、p.213-15)

鑑三翁はさらに足尾銅山事件に対する薩長政府の対応とその無能を指弾している(前掲『万朝報』)。タイトルは「無能政府」。

【 足尾銅山事件は、科学者の判断をもって判断すべきである。ところがこれに関しては何年もの間判定がなされない。無能政府なるが故である。人間の判断力を消耗させるのは欲心である。判断が遅いのは欲心の故である。金もなく力のない学校の教員や新聞記者に対しては、彼らは不敬であり大臣の面子を汚したのだから投獄すべきであると。こうした時の判断は早い。ところが金満家に関しては、法律家の提示する疑問点をあれこれぶつけて判断がいつも遅い。古河市兵衛に対しては躊躇なく瞬時にこれを庇護する。民衆の嘆きの声は聞かない、これを耳にするのを恐れ.る。これらは光明を恐れる者の行為であり、暗黒を愛する者の行為なのだ。】

鑑三翁は被災地近隣の町で行われた講演会で弁士として出席し、足尾銅山の規律なき開発の不当性を訴え、古河市兵衛や薩長政府を指弾した。そして被災している村民と正造翁への支援を呼びかけ全国に寄付を募った。鑑三翁はこうした活動のほかに、「公娼制度廃止」に関しても、女性の人権を擁護する立場から全国への講演活動を行っていることも特筆しておきたい。


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