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高校野球備忘録 1979年夏 その2 

2010-08-05 06:32:07 | 高校野球備忘録
第61回全国高等学校野球選手権大会

延長18回の死闘の余韻が冷めぬ甲子園も浪商が広島商を一蹴し8強入り、池田・横浜商も下馬評通り8強入りを果たし、滋賀県勢として甲子園初勝利を挙げた比叡山もその勢いのまま8強に進出した。
他には2年生左腕松本投手を盛り上げて勝ち進んできた岡崎(読売)らの大分商、1回戦で銚子(大洋)の市銚子3回戦で井上(南海等)の都城を破った高知、東東京の城西が8強に名を連ねた。

準々決勝は箕島・池田・ 浪商・横浜商が勝利。

準決勝は第一試合で箕島が横浜商に勝利し、春夏連覇に王手をかける。
第二試合は浪商-池田。
ここまで浪商のエース牛島(中日等)は4試合で自責点2と抜群の安定感。
初戦先頭打者に四球を出して以来無四球と制球力も誇った。
打線も香川(南海)が大会2本の本塁打を放つなど、チーム4本塁打と好調で、誰もが春の決勝の再現を予想した。

試合は投手戦で6回まで両チーム無得点、七回表に池田が相手の守備の乱れもあり1点を先制、9回にも1点を追加し、2-0で最終回浪商の攻撃を迎える。
9回浪商が反撃、4番香川が四球を選んで歩き5番山本のヒットで無死1・2塁、ここで迎える打者は上尾戦土壇場で本塁打を放った牛島。
9回2点差を追いついた上尾戦の再現かと思われたが、期待の牛島は内野ゴロで併殺に倒れ、続く川端も凡退、浪商は惜しまれつつ甲子園を去った。

決勝は箕島対池田。
箕島の春夏連覇の他にも、尾藤監督対蔦監督という名将対決と注目が集まった。

時折小雨が降る中、試合が始まる。
初回池田は石井(西武)の立ち上がりを攻め、安打の山下を一塁に置き3番川原が左中間をライナーで破り1点を先制する。
その裏箕島も橋川の立ち上がりをとらえる。
先頭嶋田(阪神)の三遊間を破る安打、二死後2つの盗塁で三塁に進み、4番北野の右前適時打で1-1の同点とする。
四球など1・2塁とした後、6番森下のライト前ヒットでニ走北野が本塁をつく。
ライトからの返球は高かったが、捕手岡田が駆け抜けた北野に懸命のタッチ、きわどいタイミングとなったが判定はアウト、1回の攻防は両者1点ずつであった。

4回表、池田は永井の本塁打で2-1と勝ち越し。
池田は5回にも安打の田所を橋川が送って、一死二塁から山本が中前へ適時打を放ち3-1とリードを広げる。

2点を追う箕島は6回、先頭の北野が四球を選び、続く上野との間でヒットエンドランが決まり一死1・3塁。
続く森川の3球目、橋川の牽制球に北野が飛び出すも、そのまま思い切ってホームへ。
今度は上手く岡田のタッチをかわして本塁を駆け抜け1点差とする。

7回裏も箕島がチャンス、2本の内野安打で無死1・2塁として、バッターは嶋田。
嶋田は甲子園に出た試合14試合全部でヒットを打っている好打者で、箕島は強行に出る。
嶋田の当たりは投手へのライナー、橋川はじくも落ち着いて3塁に送ってアウト。
続く宮本は内野ゴロで二死1・3塁、さらに盗塁で2・3塁のチャンスを作るが、上野山倒れ無得点に終わった。

終盤になり押し気味に試合を進めだした箕島は8回にもチャンスを作る。
先頭北野が二塁への内野安打、上野は手堅く送って1死2塁となる。
続く森川はショート正面へのゴロ、ニ走北野が3塁へ走りショートが3塁へ送球、明らかな暴走でタイミングはアウトだったが、この送球がそれてボールがファールグランドで転がる間に北野は本塁をつく。
これも微妙なタイミングであったが三塁手からの返球も大きくそれて、箕島は同点に追いつき、なおも1死3塁となる。
続く久保の打球は3塁正面へのゴロ、しかし今度は送球が短く一塁手がはじいて1・3塁、プレッシャーの為かここまで4試合で2失策だった池田の守備が乱れた。

8回裏3-3の同点で、1死1・3塁のチャンス、箕島はここで続く榎本の初球にスクイズをしかけた。
池田バッテリーもこれを読んでピッチドアウト、外角に大きくはずれるボールに榎本がバントの体制で飛びつく、これが見事にピッチャー前に転がり、ついに箕島は4-3と逆転した。
スクイズを読んでウエストした池田バッテリーも見事だったが、飛びつきながらスクイズを決めた榎本も見事だった。

9回この試合初めてリードを許した池田の攻撃、石井は落ち着いて先頭打者を左飛・次打者を投ゴロに打ち取って二死走者なし。
最後の打者田所も三振に倒れゲームセット、ここに箕島高校が公立高校としては初めての春夏連覇を達成した。

箕島高校の連覇への道は春夏共に決して平坦ではなかったが、星陵との延長18回をはじめとしてリードされても落ち着いて流れを呼び込み、時に奇跡を演出する素晴らしい試合運びが光った。
箕島尾藤監督の野球はいわゆる基本に忠実な、それまでの高校野球の集大成ともいえる野球であったと言えるだろう。
一方、決勝で敗れた池田蔦監督はその後、筋肉トレーニングに磨きをかけ、超高校級の打撃陣を鍛え上げ3年後全国制覇する。
この池田の野球は高校野球の戦術を塗り替えたといえ、逆に尾藤箕島は85年以降1度しか甲子園に来られず、尾藤監督は95年に勇退することとなる。
とまれ、尾藤監督の笑顔は「尾藤スマイル」として、笑顔で選手をリラックスさせるその采配法は上甲監督などの名将に引き継がれて行く。

ちなみに私はこの年中学に入学、高校野球好きの友人Kの影響もあり、判官ひいきに磨きを掛けていく最初の大会でもあり、特に印象深い大会でした。



全国高校野球 決勝戦のラストシーン(1979年~84年) 79年決勝は冒頭部

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